『Re:』 公演情報 Element「『Re:』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    リーディングのためのお話
    書かれたメールを読みあう構成は、形としてリーディング以外にあり得ない、というかこのテキストを用いる限り、「読み合う」形が正解で、リアル。
    メールの文面らしいリアルが(むろん「読み手」の演技もだが)、信憑性を与えている。メールに現われて来ない領域を聞き手の想像力に委ね、その分、説明不要な飛躍的な展開が可能である。
    最初のやり取りで女性側が突っ込んで行く所、男が会社を辞め、父母の居ない実家の家屋がちゃんと残っていてしばらく働かなくて良い稼ぎを得ていた身分、また男が画家として成功を手にする展開など、都合のよい出来すぎた展開なのだが、「読み」=小説の要素でもって、焦点を二人の「心の行方」に絞り込むことが出来、二人のそれぞれの歩みのディテイルは、常に距離を持つ宿命にあった男女(だからメールも可能)の心の軌跡を描写するための背景画となっている。
    ・・という構造の下、観客の想像力は、二人が(全ての男女がそうだとは限らない)相性を持ちえた者同士として、その最も相応しい関係に到達できるかどうか、という関心に発展していく。その結末が見たくて仕方なくなっている。その瞬間までの全ては伏線であった・・と総括される結末へと、急ぐ訳だが、少し気になる部分もある。
    男女は離れていて互いに好きあっている(これを私は相性と呼ぶ)、一時的な(性)衝動でない事を男は自らに確信した、というが、「単なる好き」以上の「愛」だとか「決意」だとかの手を借りる必要のない「相性」を持つ男女(と、しておこう)が、結ばれるか結ばれないかは、個的な関係の帰趨の問題だ。愛を育んだり困難を乗り越えて行くかどうかの出発点に、到達するかどうかは、単に二人の「好き」が結実するか否かの問題。だから観客はこのドラマからもはや高尚なテーマや感動を得ようとは思わず、ただ個的な関係の顛末を「覗き見」しながら追体験する。そこでの快感は、はっきり言えば甘味な人生(の中のある時間)だ。
    もっとも互いに離れていることで、間違いなく結ばれるだろうその時を至福の時のように思い描く、その「未然」の時間も、甘味である。「迷いがない」状態も、ある種の快感だ。男は成功した、だから生活上のあれこれで迷うことがない。好きなものにダイレクトに向かって行ける。これが彼の「成功」が可能にしたものなのか、彼の「思い」(心)が可能にしたものなのか、それは判らない。得てして、ある高みに上った時人間はその確信の根拠についての吟味などしないものだ。
    観客は、男が得たその身分じたいには共鳴しなくても、女を求める心には共鳴できる。身分はどうあろうと、二人の望ましい結末という快感を手にしたくてこのリーディングを今味わっている。早くくれ。結末をくれ・・。
     でもって、その(観客いや私が勝手に抱いた)やや「不純な」思いの投影として、それが遂げられない不安もよぎる。テキストにその伏線ははっきりあるが、その陳腐な結末はないだろうと思っている。だがそうなってしまう。
     女は10/2の記念日に亡き相手にメールで語りかける。そこには相手という肉体をなくしてもなお残る「愛」がある、かに見せている。しかし私は、男が亡くなった時点で、女にとって男は「異性」として求める相手ではなくなる。メールの文面も、空しい。予期せぬ辛い体験の中で「男を信じられなくなった」女が、その頑なな心を再び開く者として男は現われたが、固有の一人でしかないその男と、始まりを迎える前に死別したという顛末には、女は新たな出会いに向かう力を手にした(男の存在によって)という含意がある。つまりこの時点で二人の物語は二人の間だけで完結できなかった事が(現実的に考えれば)明らかになる、という感じ。
     別にその解釈でいいじゃん・・と一蹴されそうだが、まァそんな事を思った。
    結末はやはり、そこで終わって美しいパッケージにしてしまうのでなく、実はそこからが大変な共同生活の端緒についた二人、で終わりたかった・・個人的な願望。

     

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    2016/10/02 23:55

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