『アーサー記念公園の一角』『牛泥棒』 公演情報 ナカゴー「『アーサー記念公園の一角』『牛泥棒』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    狂ってる
    洗練されていない狂気。
    鈍い包丁。
    気持ち悪い。

    観客は脱力した笑いをするだけ。

    前にも似たようなこと書いたと思うけど、「ナカゴーの舞台は酷い」と思う。

    ネタバレBOX

    ナカゴーの凄さは、何も恐れていないことだ。

    これだけ人が演劇するために集まっていると、「これって、どうなんだろう……」というストッパーがどこかで働きそうな感じもするのだけど、それがないようにしか見えない。

    「宗教か?」「宗教なのか?」と思ってしまうほど、普通に見えている、劇団の「狂気密度」は高い。これを演劇の公演として打つ、という行為そのものに対してもそれを感じるほど。
    ほぼこんな内容を毎回やっているのだから。

    自信はあるのだろう。それがどこから来るのかはわからない。
    とにかく、数多くの本数の公演を行っているのは確か。
    アナウンスが遅くて、それに付いていけないほど。

    狂気の暴走。純文学の臭い。
    露悪趣味ではなく、自らの狂気を吐露しているようだ。
    ……闇。

    切り立った崖っぷちに立っているような、刹那の怖さを秘めた舞台。
    一歩間違えば、ただの「酷い舞台」にしか見えなくなってしまうから。
    その線引きは難しい。
    観客だけが唯一それを判断できる。

    ただの酷い舞台との差は何であろうか。
    ナカゴーは洗練されているわけではない。
    逆に「洗練されてない感」が、たまらない。
    洗練されてないから、いいわけではもちろんない。

    そのスタイルがナカゴーの「今」を表現するには一番いい方法なのだろう。
    いかにも「うまい」人が「うまい風」に演じて、演出もそんなオシャレとなってしまうと、ナカゴーの「今」は失われてしまうのではないか。というか、「普通」になってしまう。

    観たあとに、「酷い」とか「狂ってる」とかしか言えない、ナカゴーの舞台は、彼らが持っている、言葉では表すことのできない「何か」を確実に表現していると思う。
    彼らが今感じていることを。

    観客は、「言葉にできない何か」を「舞台」に求めている。
    それはここにあるんだろうけど、それも言葉にできないので、観客は、「ああ」とか「うう」とか言うしかない。
    あるいは、「面白い」とか「狂っている」とか言うかもしれない。
    そう思える人だけが、また気持ちの悪いナカゴーの舞台を、嬉々として観るのだろう。

    結局、ここではナカゴーの良さはまったく伝えられないのだけど。


    今回は、2本立ての形式をとっているが、2つはナレーションが語る「祖母」の、2つのエピソードとなっている。

    <アーサー記念公園の一角>
    育児で心が不安定な妻と、その夫が、妻の旧友を公園で待っている。
    そこへ旧友が遅れて現れて…という話。

    妻の友人役・川上友里さんが現れてからの、舞台の収まり方がいい。
    「収まり方」と書いたが、一般的な収まり方ではなく、カナゴーの世界観での収まり方だ。
    妻の気持ちが癒されているが、不安・不穏な空気が底辺に流れていることを感じるような、川上友里さんの空気の作り方がうまい。
    嫌なノイズが、ほんの小さな音だけど、ずっと響いているような感覚だ。
    本当に涙ぐんだりしていて。


    <牛泥棒>
    父親の通夜に集まった3姉妹。

    なんとなくありがちな設定から、何も変なことはないよ、という顔をしながらの、ねじ曲がった展開。
    義理の兄の非道ぶりはなかなかだが、全員がおかしい。

    「すこしずれた」なんていう言い方をすることがあるが、少しではなく、完全にずれている。気持ちの悪い人たち。
    普通に台詞を重ねていくから、観客はそういうものだと思って観ているのだが、悪夢のような展開。

    ハンマーの登場で(最初からハンマーが出てきたので、もしや……と思っていた人は多いのでは)、『黛さん、現る!』だったか、ハンマーを振り回していつまでも延々と続く、あの感じの再現かと思っていたら、そうではなかった。意外とあっさり。

    爆死した蒼井優(!)がフラガールで現れるあたりは、ツボ。というか鳥肌モノだった(すみません、それは言い過ぎでした)。
    蒼井優の首(たぶん)を、牛の剥製のように飾るという(マイムで)、くだりもなかなか。

    ぐちゃぐちゃになっていく舞台の上の様子に、ホントに「酷いなー」と思った。
    観客は脱力した笑いをするだけ。

    ただし、長女の催眠が解けてからの大殺戮なラストの展開は、普通すぎたような気がした。
    蒼井優の首を掛けて、フラガールが出て終わりでもよかったと思う。

    ……蒼井優の登場は、『黛さん…』のダンレイ登場で味をしめたのでは(笑)。

    長女の夫役の金山寿甲さん非道ぶりは見事。高畑遊さんの蒼井優には笑った。次女役の清水葉月さんのなんともな表情がこの舞台の、なんともな感じをよく表していたと思う。


    2本とも、気持ちの悪い作品で、気持ちの悪い笑いを起こしていた。
    笑いは意図しているのだろうけど、気持ちは悪い。

    タイトルはイカしている。

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    2013/07/07 06:49

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