『アーサー記念公園の一角』『牛泥棒』 公演情報 『アーサー記念公園の一角』『牛泥棒』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★★

    恐ろしき破壊力
    2作どちらも面白かったのですが、特に「牛泥棒」は常軌を逸するというか、突き抜けたものを感じる作品でした。

    観る側の想定範囲を超えたところで、物語の修羅を笑いに変えてしまうような、作劇のとんでもない切れを感じたことでした

  • 満足度★★★★

    若くなくても十分に楽しめた
    どちらかと言えば「静的」な2編かと思いながら観ていたら、「牛泥棒」の終盤で大爆発?(笑)
    「牛泥棒」についてはバイオレンス満載で黒子たち大活躍なクライマックスに至るまでの部分も猛毒ありナンセンスありで感服。
    ちなみに決して若くはないが十分に楽しめた。

  • 満足度★★★★★

    埼玉=テキサス
    中央線というよりはむしろ埼玉?

    埼玉は広大だ♨

    行っても行っても埼玉が続いている。

    考えてみればキラリふじみも埼玉だし、長瀞も秩父も埼玉だ。

    本来だったら、鶴橋の駅前スーパーじみた臭いのする、愛すべきムーブ町屋とかじゃなく、進修館前の広場あたりで松明をくべながら上演するのが正解かもしんない。

    でもまぁムーブの4階の奥の方でこっそりと、こんなフシギ演劇めいた
    「テキサス=埼玉」説を提唱する(ような気がした)出し物が上演されているのもまた謎体験だったりする。

    千秋楽だったせいか、役者の演技が達者すぎて
    全員ただの変人にしか見えないところが素晴らしいと思いました。

    ネタバレBOX

    埼玉がテキサスだとすると、
    牛泥棒の女主人公が最後に飛び出していったメキシコは、どこにあたるんだろう・・?

    地理的には、長野あたりが適切なのかもしれないけれど、
    長野はお洒落すぎる。

    群馬は・?・
    蕎麦が美味すぎる。

    埼玉は、メキシコと隣接していないテキサスである。

    上野・浅草あたりの下卑た荒くれ者たちがたまに訪れて野放図に蹂躙するが、
    やがて埼玉県民のテキサス魂に火をつけ、
    炎とともにすべては焼き尽くされる。

    上野・浅草の人達が江戸前風をふかせて、
    湘南とかじゃなく陸に囲まれた埼玉平野において
    都会人めいた風情を醸し出すことを苦々しく思ったことのある県民(すべて自分の想像です♨
    ならば、「牛泥棒」に喝采を送ったに違いない。

    「アーサー記念公園の一角」も面白かったです。
    たぶんこの物語の世界では、
    黒田アーサーが偉人として崇め奉られ、
    埼玉の一角に彼の名にちなんだ各施設が点在しているんでしょう。
    自分はそう勝手に解釈しました(笑


    ああ、メキシコ行きたいなぁ・・(苦笑
  • 満足度★★★★

    すげぇ面白い
    牛泥棒すごく面白かった。でも、エイエースじゃなくてエイスースですから、残念! (マイナス点はそこじゃない)

  • 満足度★★★★★

    狂ってる
    洗練されていない狂気。
    鈍い包丁。
    気持ち悪い。

    観客は脱力した笑いをするだけ。

    前にも似たようなこと書いたと思うけど、「ナカゴーの舞台は酷い」と思う。

    ネタバレBOX

    ナカゴーの凄さは、何も恐れていないことだ。

    これだけ人が演劇するために集まっていると、「これって、どうなんだろう……」というストッパーがどこかで働きそうな感じもするのだけど、それがないようにしか見えない。

    「宗教か?」「宗教なのか?」と思ってしまうほど、普通に見えている、劇団の「狂気密度」は高い。これを演劇の公演として打つ、という行為そのものに対してもそれを感じるほど。
    ほぼこんな内容を毎回やっているのだから。

    自信はあるのだろう。それがどこから来るのかはわからない。
    とにかく、数多くの本数の公演を行っているのは確か。
    アナウンスが遅くて、それに付いていけないほど。

    狂気の暴走。純文学の臭い。
    露悪趣味ではなく、自らの狂気を吐露しているようだ。
    ……闇。

    切り立った崖っぷちに立っているような、刹那の怖さを秘めた舞台。
    一歩間違えば、ただの「酷い舞台」にしか見えなくなってしまうから。
    その線引きは難しい。
    観客だけが唯一それを判断できる。

    ただの酷い舞台との差は何であろうか。
    ナカゴーは洗練されているわけではない。
    逆に「洗練されてない感」が、たまらない。
    洗練されてないから、いいわけではもちろんない。

    そのスタイルがナカゴーの「今」を表現するには一番いい方法なのだろう。
    いかにも「うまい」人が「うまい風」に演じて、演出もそんなオシャレとなってしまうと、ナカゴーの「今」は失われてしまうのではないか。というか、「普通」になってしまう。

    観たあとに、「酷い」とか「狂ってる」とかしか言えない、ナカゴーの舞台は、彼らが持っている、言葉では表すことのできない「何か」を確実に表現していると思う。
    彼らが今感じていることを。

    観客は、「言葉にできない何か」を「舞台」に求めている。
    それはここにあるんだろうけど、それも言葉にできないので、観客は、「ああ」とか「うう」とか言うしかない。
    あるいは、「面白い」とか「狂っている」とか言うかもしれない。
    そう思える人だけが、また気持ちの悪いナカゴーの舞台を、嬉々として観るのだろう。

    結局、ここではナカゴーの良さはまったく伝えられないのだけど。


    今回は、2本立ての形式をとっているが、2つはナレーションが語る「祖母」の、2つのエピソードとなっている。

    <アーサー記念公園の一角>
    育児で心が不安定な妻と、その夫が、妻の旧友を公園で待っている。
    そこへ旧友が遅れて現れて…という話。

    妻の友人役・川上友里さんが現れてからの、舞台の収まり方がいい。
    「収まり方」と書いたが、一般的な収まり方ではなく、カナゴーの世界観での収まり方だ。
    妻の気持ちが癒されているが、不安・不穏な空気が底辺に流れていることを感じるような、川上友里さんの空気の作り方がうまい。
    嫌なノイズが、ほんの小さな音だけど、ずっと響いているような感覚だ。
    本当に涙ぐんだりしていて。


    <牛泥棒>
    父親の通夜に集まった3姉妹。

    なんとなくありがちな設定から、何も変なことはないよ、という顔をしながらの、ねじ曲がった展開。
    義理の兄の非道ぶりはなかなかだが、全員がおかしい。

    「すこしずれた」なんていう言い方をすることがあるが、少しではなく、完全にずれている。気持ちの悪い人たち。
    普通に台詞を重ねていくから、観客はそういうものだと思って観ているのだが、悪夢のような展開。

    ハンマーの登場で(最初からハンマーが出てきたので、もしや……と思っていた人は多いのでは)、『黛さん、現る!』だったか、ハンマーを振り回していつまでも延々と続く、あの感じの再現かと思っていたら、そうではなかった。意外とあっさり。

    爆死した蒼井優(!)がフラガールで現れるあたりは、ツボ。というか鳥肌モノだった(すみません、それは言い過ぎでした)。
    蒼井優の首(たぶん)を、牛の剥製のように飾るという(マイムで)、くだりもなかなか。

    ぐちゃぐちゃになっていく舞台の上の様子に、ホントに「酷いなー」と思った。
    観客は脱力した笑いをするだけ。

    ただし、長女の催眠が解けてからの大殺戮なラストの展開は、普通すぎたような気がした。
    蒼井優の首を掛けて、フラガールが出て終わりでもよかったと思う。

    ……蒼井優の登場は、『黛さん…』のダンレイ登場で味をしめたのでは(笑)。

    長女の夫役の金山寿甲さん非道ぶりは見事。高畑遊さんの蒼井優には笑った。次女役の清水葉月さんのなんともな表情がこの舞台の、なんともな感じをよく表していたと思う。


    2本とも、気持ちの悪い作品で、気持ちの悪い笑いを起こしていた。
    笑いは意図しているのだろうけど、気持ちは悪い。

    タイトルはイカしている。

このページのQRコードです。

拡大