満足度★★★★★
町を立体的に浮かびあがらせる演劇の力
開演が5分早まった。というのも、予約をしていた人たちが全員集まったからだ(基本は予約制だったことに加えて、もしも急遽参加したいという地元の人が突然現れても、それはそれで受け入れ可能だと判断したからだろう)。開演時間が遅れることはあっても、早まる、という経験はおそらく初めてで、ちょっと新鮮というか、なんだか微笑ましいものを感じながら、『枝光本町商店街』は始まった。
参加者(観客)は、案内人・沖田みやこに導かれて、北九州にある枝光という小さな町の商店街をめぐっていく。回る順番はいちおう決まっているけれど、そのあいだ、商店街で買い物をするのは自由。ゆるやかな枠組みの中で、上演時間も特に決まってないので、参加者がどういうメンバー構成か、によっても体験の質(時間感覚など)はおそらくずいぶんと異なるものになるのだろう。
実はわたしはすでに1年ほど前に、この『枝光本町商店街』を経験している。基本のルートやゴールは今回も変わっていない。けれども、以前にはなかったエピソードや登場人物が加わっていて、特にあるエピソード(ネタバレBOXに書きます)は、この作品を以前よりもさらに「フィクション」として立体化させることに貢献していたと思う。
この作品はこれで80回目の上演になるらしい。それだけの回数、出演者(町の人)たちは外からやってくる人たちを迎え入れ、同じような話を繰り返し語ってきたことになる。そうなると最も危惧されるのは、語りを反復していくうちに町の人が「語り部」として固定化・パターン化してしまうことだ。そうなると倦怠感が漂うのは避けられないだろう。しかし驚くべきことにこの作品は、1年前に観た時よりもさらにフレッシュに感じられた。彼らがこうしてモチベーションを失うことなく、新たな参加者を迎え入れるためのホスピタリティを発揮できているのには、幾つかの理由があると思う。
(1)演出家の市原幹也が出演者たちとの関係を日々構築・刷新してきたこと。わたしはこれをこの作品における「演出」と呼んでいいと思う。演出の目的のひとつは「俳優をフレッシュに保つこと」なのだから。
(2)案内人の沖田みやこが登場人物たちとの信頼関係を深め、阿吽の呼吸が生まれたこと。
(3)登場人物たち自身の技量がアップしたこと。単に語る技術が向上したというだけのことではない。上演を繰り返す中で、彼らはその身体を通して、これまで町を訪れてきた人たちとの関係やエピソードが記憶(レコード)しているはずだ。
この作品の中では、様々な、心を通わせる瞬間が生まれうる。幾つか、それが起きやすいシチュエーションが用意されてはいるけれども、最終的にはそれはある程度の偶然性に委ねられている。誰が訪れても必ずそれが起きる、という仕掛けを用意したほうが、アトラクションとしては楽しめるのかもしれないけれども、この作品はそうではない。観客は一方的なお客様(消費者)としては考えられていないのだろうと思う。わたしはそのことを魅力的だと感じる。観客はこの町でいろんなものをもらう(具体的にも、おまけでモナカやコロッケや珈琲をもらったりする)。でもたぶん外からやってきた人の訪れは、少なくとも彼ら(出演者である町の人たち)には何かしらの栄養分にもなっているのではないだろうか。町の人すべてがその恩恵に預かっているとはかぎらないとしても(でも目に見えない形で循環はしているはずだ)。こういうことは、「お金を払えばなんでも手に入る世界」ではなかなか起こらない。