枝光本町商店街 公演情報 枝光本町商店街」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★★

    町を立体的に浮かびあがらせる演劇の力
    開演が5分早まった。というのも、予約をしていた人たちが全員集まったからだ(基本は予約制だったことに加えて、もしも急遽参加したいという地元の人が突然現れても、それはそれで受け入れ可能だと判断したからだろう)。開演時間が遅れることはあっても、早まる、という経験はおそらく初めてで、ちょっと新鮮というか、なんだか微笑ましいものを感じながら、『枝光本町商店街』は始まった。

    参加者(観客)は、案内人・沖田みやこに導かれて、北九州にある枝光という小さな町の商店街をめぐっていく。回る順番はいちおう決まっているけれど、そのあいだ、商店街で買い物をするのは自由。ゆるやかな枠組みの中で、上演時間も特に決まってないので、参加者がどういうメンバー構成か、によっても体験の質(時間感覚など)はおそらくずいぶんと異なるものになるのだろう。

    実はわたしはすでに1年ほど前に、この『枝光本町商店街』を経験している。基本のルートやゴールは今回も変わっていない。けれども、以前にはなかったエピソードや登場人物が加わっていて、特にあるエピソード(ネタバレBOXに書きます)は、この作品を以前よりもさらに「フィクション」として立体化させることに貢献していたと思う。

    この作品はこれで80回目の上演になるらしい。それだけの回数、出演者(町の人)たちは外からやってくる人たちを迎え入れ、同じような話を繰り返し語ってきたことになる。そうなると最も危惧されるのは、語りを反復していくうちに町の人が「語り部」として固定化・パターン化してしまうことだ。そうなると倦怠感が漂うのは避けられないだろう。しかし驚くべきことにこの作品は、1年前に観た時よりもさらにフレッシュに感じられた。彼らがこうしてモチベーションを失うことなく、新たな参加者を迎え入れるためのホスピタリティを発揮できているのには、幾つかの理由があると思う。

    (1)演出家の市原幹也が出演者たちとの関係を日々構築・刷新してきたこと。わたしはこれをこの作品における「演出」と呼んでいいと思う。演出の目的のひとつは「俳優をフレッシュに保つこと」なのだから。

    (2)案内人の沖田みやこが登場人物たちとの信頼関係を深め、阿吽の呼吸が生まれたこと。

    (3)登場人物たち自身の技量がアップしたこと。単に語る技術が向上したというだけのことではない。上演を繰り返す中で、彼らはその身体を通して、これまで町を訪れてきた人たちとの関係やエピソードが記憶(レコード)しているはずだ。

    この作品の中では、様々な、心を通わせる瞬間が生まれうる。幾つか、それが起きやすいシチュエーションが用意されてはいるけれども、最終的にはそれはある程度の偶然性に委ねられている。誰が訪れても必ずそれが起きる、という仕掛けを用意したほうが、アトラクションとしては楽しめるのかもしれないけれども、この作品はそうではない。観客は一方的なお客様(消費者)としては考えられていないのだろうと思う。わたしはそのことを魅力的だと感じる。観客はこの町でいろんなものをもらう(具体的にも、おまけでモナカやコロッケや珈琲をもらったりする)。でもたぶん外からやってきた人の訪れは、少なくとも彼ら(出演者である町の人たち)には何かしらの栄養分にもなっているのではないだろうか。町の人すべてがその恩恵に預かっているとはかぎらないとしても(でも目に見えない形で循環はしているはずだ)。こういうことは、「お金を払えばなんでも手に入る世界」ではなかなか起こらない。

    ネタバレBOX

    新たに加わったエピソードに、モナカ屋のみずまさんが語る「赤いソファ」の話がある。路地にある古い家からある日、目を惹く豪奢な赤いソファが粗大ゴミとして道路脇に棄てられてあった、というもの(いったいどこまでが真実なのか……?)。これは、その道路がかつては「白川」という川であり、遊女たちが2Fの窓から手を引くような地帯であった、というエピソードと絡めて語られるので、「赤」と「白」というカラーと共に、町の淫靡な記憶が立ち上がってくる。ラストシーンでは、取り壊されることになっているかつての旅館の屋上にのぼり、この白川の跡である道を、ランドスケープとして眺めることができる。かつてそこにあり、今はもうないものが、一瞬、幻視されるような気がした。これこそが「フィクション」の力ではないだろうか。
  • 満足度★★★★

    演劇の生まれる町
    かつては八幡製鉄所のお膝元として栄えたものの、今はもう、ずいぶんと寂しくなってしまった商店街を、劇団員の女優さんのナビゲートで散歩します。実際にこの町で生活する人たちのお話は、そのどれもが演技のようで演技でなく(演技でないようで実は演技でもあるのですが)、そこで生きてきた時間、町の歴史を感じさせる、味わい深いものでした。また、そうして出会ったいくつかの「現実」が、終幕に用意された明確な「虚構」(演劇)によって、重なり合い、より遠くを、過去や未来を想う「想像力」をもたらすーーという仕掛けにも、驚き、感動を覚えました。

    ネタバレBOX

    行く先々で見聞きするのは、人で溢れかえったかつての町の姿、隣接した花街、アイアンシアターや劇団(のこされ劇場)との交流をめぐるエピソードの数々。そして、最後に訪れた元料亭の屋上で、私たちは、これまでの町歩きの時間、そこで語られた歴史、過ぎ去った時間(と、これから)を一気に体感するような、体験をすることになります。最後に用意された仕掛けは、ともすればあざとくも感じられる危険性を孕んではいると思いますが、それでも、この町で生きる人々とその歴史と、観客のそれぞれの現実を繫ぐ”想像力”を発動させるものとして、鮮やかに印象に残りました。

    事前の情報もあまり持たずに参加したので、後になって、一見、自然に話しているように見えた町の出演者の方々が、実はこの「芝居」のために、さまざまな工夫、演技をしていたことを知って驚きました。長い時間をかけて、コミュニケーションを重ねて育てられた作品でもあるのですね。
  • 満足度★★★★

    私もいつか地層になる。商店街で、時空を超える演劇的体験。
     電車、モノレール、飛行機、バスを乗り継いで、最寄駅から徒歩でアイアンシアターに辿り着きました。長旅でした。劇場に着くと、まず今回の散歩型演劇についての説明と、参加者の簡単な自己紹介。いわゆる劇場での演劇公演とは全く違うオープニングはとても新鮮で、非日常への切り替えスイッチが一瞬で入りました。

     枝光という街を媒介にして、自分の生まれ育った街の思い出を引き寄せ、重ねるような体験でした。今、ココを生きている生活者と交流し、彼らの語る過去と現在が鮮やかに記憶に刻まれ、私の過去とともに血肉になったように思います。

     公演が終わった帰り道、街に隣接するテーマパーク「スペースワールド」を横目に見ながら、私自身と街を全部飲みこんで、周囲の全てが地層になったような感触を味わいました。それは遠い、遠い未来の視点から世界と私を見つめる行為です。枝光の土地と一体になれたから、遥か遠くへと思考をジャンプさせることができたのだと思います。

    ネタバレBOX

     和菓子屋さんでは、昔の枝光には遊郭があって300人のおいらんがいたという話を聴きました。そして名物もなかの実習を受け、完成品をご馳走になりました。八百屋さんでは元気で陽気なお父さんに歌を詠んでもらいました。お肉屋さんで美味しい自家製コロッケを買い、からあげをご馳走になりました。そば屋「鶴亀」ではおそばを…食べたわけではなく(笑)、枝光本町商店街アイアンシアターがこの商店街で行ってきた活動の記録を見せていただきました。枝光にやってきた劇団、ダンサーの写真や、商店街が採り上げられたテレビ番組の映像など盛りだくさんで、壁には多数の展示物もあり、店内はまるで資料館のよう。店主の井上敏信さんは枝光の歴史も研究されており、製鉄所があった時代の白黒写真から、当時の風俗についての詳しい講義もしてくださいました。洋装店さんでは、古いアルバムの中から枝光の街の変化がわかる写真を見せていただきました。製鉄所の街として大いに栄えた枝光は今や過疎の街ですが、商店街をめぐる割安バスの運行を始めたことで、買い物客が増加しているそうです。

     街歩き演劇の最終地点は廃屋になりかけた元料亭。宿泊可能な和室や広い調理場などには、家財道具が放置されたままで、当時の生活の香りが残っていました。小さな台所の食器棚に、私の大阪の祖母の家にあったのと全く同じ食器があり、見覚えのあるデザインのガラス戸もあって驚きました。戦後の高度成長期に作られた商品たちは、日本全国津々浦々に広まったんですね。そして流行遅れになり、棄てられて失われていった。炭鉱の廃坑や製鉄所の閉鎖とも重なります。
     建て増ししたビルの屋上に登ると、枝光の街が一望できました。80代になるまでそこに住んでいたというオーナー女性の名前は「ゆきこさん」。最後は案内人だった劇団員の役者さんが、屋上で「ゆきこさん」を演じ、料亭の外に出た参加者たちに手を振るという「お芝居」が用意されていました。今はもういない「ゆきこさん」を通じて、掘り起こされた料亭の歴史と記憶を共有することができました。

     料亭はいつか取り壊され、「ゆきこさん」との出会いは参加者の記憶の中だけに残ることになるのでしょう。そば屋「鶴亀」で見た白黒写真に写っていた木造の劇場の跡には、製鉄所の購買部が出来て、製鉄所がスペースワールドになった今では、スーパーマーケットが営業されています。人が死んで、物も建物も朽ちて無くなれば、商店街の人たちと過ごした優しい時間も、忘れら去られ消えてしまいます。でも、土地だけは、そこにあり続けるんですよね。
     アイアンシアターから枝光駅へと向かう帰り道、向かって左にスペースワールドを見ながら、枝光中央商店街での旅を思い返した時、自分が地層の中に埋もれて行くような感覚を覚えました。地面から上空までが地層になったように感じたのです。同時に、海底に沈んだ幻のアトランティス大陸も思い浮かべました。海底に沈む私、やがて土になる私…それが積み重なって蓄積されていく、地球の歴史。街歩きから宇宙規模にまで想像は広がり、身体的にも不思議な体験をすることができました。

     以上のように、演劇の効果として得られた体験には非常に満足だったのですが、演技や演出についてはもっと練る必要があると思いました。お散歩演劇といえば岸井大輔さんの『ポタライブ』、リミニ・プロトコルの『Cargo Tokyo - Yokohama』、廃屋めぐりだと飴屋法水さんの『わたしのすがた』などを私は拝見しています。街の探索がメインだったとしても、お芝居として用意されたのが最後に「ゆきこさん」を演じることだけだったのは、取って付けたようで物足りなかったです。できれば旅の最初や途中にも、仕掛けや伏線を張るなどの演出が欲しかったですね。役者さんの演技やせりふも改善の余地があると思いました。
  • 満足度★★★★

    ふと、また観たくなる、また会いたくなる
    まず、街を探訪するだけで楽しかったです。
    そこに住んでいる人がいて、土地に染みついているものがあることを実感できました。
    枝光に住んでいない人(のこされ劇場≡の劇団員)が作っているという構造も面白いですね。
    街に縁のない人がつくる街の物語。
    街を愛していないとできないことだと思います。

    商店街で働く方々が出演されているのは、
    最初にさいたまゴールドシアターを観た時の感覚に近かったです。
    なぜか、プロの俳優とは違う、少々たどたどしい演技をする姿に胸打たれるんですよね。
    生きてきた年輪が重要なのだと思います。
    この作品では、目の前でしゃべっているのは市井の人だけど、俳優でもある。
    そして観客の私自身も物語の登場人物の一人になる、面白い体験でした。

    俳優に自由に質問ができるので、公演の進行が参加者の采配次第なのも新鮮でした。
    時間が決まっているような、決まっていないような…、偶然を装っているかというと、そうでもなくて…。
    ジャンル分けが難しいですが、演劇って何だろうと考えるきっかけにもなりました。

    明確な意図を持ってルートを決めて観客を案内し、最後にあの場所に連れて行って帰結させるのは演劇の演出と言えると思います。

    人に会うと心が動いて、恋情のような気持ちが生まれますよね。
    ふと、また観たくなる、また会いたくなるんじゃないでしょうか。
    そんな後を引く感覚があります。
    北九州まで行った甲斐がありました。

    ネタバレBOX

    体験型演劇というとリミニ・プロトコル「Cargo Tokyo-Yokohama」を思い出します。
    トラックに乗って品川から横浜をめざすのですが、車窓から外を眺めると、道に立って歌う女性がいました。
    また同じ女性が自転車に乗って追いかけてきたりするんです。

    『枝光本町商店街』の場合は案内役の俳優は1人だけで、最後に付き添いだった人が作品に参加することで演劇の効果が生まれます。
    欲を言えば、もっと前から仕掛けがあって欲しかったですね。
    商店街で「八百屋さん」を演じる俳優もいるのかなと想像していました。

    古い旅館に着いた時、思い描いたのは自分の両親のことでした。
    私には自分の故郷の記憶がないので、知らない古い街を訪れることは父母の故郷に行くのと似た感覚があります。
    最後にお嬢様が手を振る姿を見て、私の父と母にも、自分たち自身の意志で、故郷から東京へと出てきた日があったんだと思い起こしました。
    思わず『ベルサイユのばら』の「さらば!もろもろの古きくびきよ・・二度と戻ることのないわたしの部屋よ・・父よ・・母よ・・!」というオスカルのセリフを思い浮かべたりも(笑)。

    どんな街でもそうですが、住む人がいなくなったら、街について語る人がいなくなります。
    人が生きていない古い街…たとえば遺跡がそうですよね。
    この公演が、街を“人の記憶の集合体”として残す試みであると考えると、とても興味深いです。

    見る人によって印象に残るところはバラバラですが、記憶が集まると、
    目の細かいジグソーパズルみたいに細部にわたって街が再生されるんじゃないでしょうか。
    ピースが多ければ多いほど、奥行きが広がって立体的になり、陰影が出てきますよね。

    美味しいひょうたん最中をご馳走してくださった和菓子屋みずまの店長さんが、
    「地獄横丁に赤い大きなイスがあった」というエピソードを披露されましたが、
    果たしてそれが事実だったのかどうかは、確かめようがありません。
    記憶はいつでも作りかえられたり、脚色されていくものです。
    ある時代に生きていた人の証言が、口伝えで未来へと受け継がれていきます。
    今、生きている人のしゃべることも絶対じゃないですよね。
    じゃあ、真実って、何…? そんなことを考える契機になりました。
    演劇に出会えたのだと思います。

    こう考えていくと、のこされ劇場≡というネーミングはうまいですね。
    劇団を「劇場」と呼ぶところもいいと思います。
    劇場での演劇作品も観てみたくなりました。
  • 満足度★★★★

    町はこんなにエキサイティングだ
    この街歩き演劇ツアーは、街歩きのおもしろさを演劇にまで高めていて、枝光本町商店街の積み重なり埋もれた時間と空間に分け入って、この土地に生きた人々の生活の息吹を感じる。そんな時間旅行の楽しさをたっぷりと味わせてくれた。

    詳細は、演劇感想サイト「福岡演劇の今」 http://f-e-now.ciao.jp/ に書いています。

  • 満足度★★★★

    まちを演劇にするという試み。
    劇場を飛び出し街中で演じられる芝居はたくさんあるが、この作品は街が持つドラマを観せてくれるというところが斬新。

    街の中にはドラマがあり、街の中には名優がいる。それを演出家がピックアップして、われわれに体験させてくれる。壮大で心優しくしかも感動的だった。その感動を作為的なものにしない絶妙のバランス感覚も感じた。



    ネタバレBOX

    単に商店街の芸達者や、名物的人材を紹介するというのではなく、商店街で働く人たちを通じて、ひとつのまちが持つドラマを垣間見せてくれた。

    案内してくれた女優の方々の目が澄んでいたのが特に印象的だった。

このページのQRコードです。

拡大