日本の問題 Ver.311<公演終了しました。ありがとうございました!> 公演情報 日本の問題「日本の問題 Ver.311<公演終了しました。ありがとうございました!>」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    じゃぁやるなよ
    開幕冒頭で、荒川チョモランマ(たぶん)の役者さんが、被災地に行って感じたこととして、「演劇は意味がない」「(被災地の支援のためという)演劇は、被災地から見るとギャグでしかない」ということを語っていた。

    なるほど、そういうモノを被災地で感じとってしまったのか、と思った。

    ネタバレBOX

    思ったのだが、じゃぁ、これから120分間見せられるのは「意味がなく」「ギャグでしかないようなものなのか」ということ。

    彼の気持ちはなんとなくわかるが、公演を行う上で、そういう発言の影響力を考えたのだろうか。「演劇は意味がない」と彼個人の意見として繰り返し述べていたが、本気でそう感じたのだろう。
    だったら、この公演は止めるへきだったのだはないだろうか。冒頭こういう形で観客に対して述べているということは、彼個人の発言としているが、公演全体の総意ではないだろうか。そうでないとすれば、誰かがこの発言を止めるか、「いや自分はこう思う」と述べるべきだろう。

    この公演を行っている皆がそう思っている「意味のない」ことを金を払って見せられるほうはたまらないじゃないか。全額寄付だっていうエクスキューズは通用しない。
    そう思ったのならば、「ごめなさい、できません」と謝るべきだし、個人的にそう思っているのならば、個人的にでも辞退することはできたのではないだろうか。

    「意味のない」は「無力である」ということなのだろう。「ギャグでしかない」も同様だ。

    あまりにも無責任な公演であると言わざるを得ない。
    「意味がなく」(無力であり)「ギャグでしかない」と感じてしまったところをスタートとして、作品を作り上げ、せめて「そう感じたのですが、自分なりに考え、意味を見つけようとしました」、あるいは「ギャグにしか見えないのではと感じましたが、そう見えないモノを見せたいと思います」という意気込みにまで仕上げて観客の前に出すべきではなかったのか。

    それを早々に白旗を上げて「意味がないと思います」といい、「どう感じたのか教えてくだい」とまで言った。自らが「意味がない」と言っているモノにそれ以上の感想などあるわけもなく、ただちょっとムカついただけだった。

    観客への問い掛けにしては、自らの意気込みが感じられず、挑発にしては、内容が伴わないだけに寒々しい。

    現実を前に「壁にぶち当たった」のかもしれないのだが、世界では紛争だの飢餓だのと、今もいろいろなことが起こっているし、個人だって、病気だったり災難だったりといろんなことは起きている。

    今までそういう「世界」や「社会」と無関係にやってきて、初めてそれを意識したら身動きできなくなってしまったのかもしれない。
    だったら、それを演劇で見せるのが、本当ではないのだろうか。
    それができないのならば、少なくとも今回の公演は辞めるべきだった。

    つまり、一番哀しいのは、演劇をやっているのに、それを信じていないことだ。

    「意味がない」「ギャグでしかない」と感じたことを、演劇で見せたり、挑発するのではなく、薄っぺらい言葉で、しゃべっただけ。

    この言葉の後の120分もの時間は、一体何のためにあったのか、演劇って何のためにあるのか、ということを、自ら放棄してしまったことだ。
    その手段も場も用意してあるというのに。

    そして、その言葉のとおり各内容は、そういうものだった。

    1.まだわかんないの。
    長台詞が入ってこない。気持ちが余所に行ってしまう。だから最後のふっ、と浮かび上がるような台詞が決まらない。

    2.指
    先にオリジナルを観ているので、それと比べると生活感、2人の密度が薄く感じられてしまう。女を演じた小澤さんはいいところもあった。

    3.3.111446・・・
    散々新聞やテレビや週刊誌で見聞きしたことに、メロスを入れてみてもそれ以上のものは感じない。観客も当然そういう情報は大量に見聞きしているのだから、それに「何か」がないとそれこそ「意味がない」。

    4.アカシック・レコード
    考え抜いた上での、この内容だと思うのだが、正直なぜこれだったのかわからなかった。内容的にも特に面白いとは思わなかった。

    5.止まり木の城
    過去から現在、未来に続く宿題。だけど、宿題は「大人」に答えてもらうのではなく、自分で解くのだろうと思う。そこが他人事のように感じられてしまった、のは私の意地が悪いからかもしれないのだが。


    今回思ったのは、冒頭の言葉を脇に置いたとしても、彼らは、なぜ、自分の立ち位置から、生きている場所、生活している場所から311をとらえられなかったのか、ということだ。それがないから言葉だけが上滑りしている。
    被災地に行ったという人たちがいたが、そこで「自分が感じたこと」を「自分のところから」見せてほしかったと思う。
    「311を思い出してほしい」ということのようだが、誰も忘れてはいない。忘れているわけないだろう、と思う。この公演では、思い出し方のひとつとしての、「自分」を見せてほしいのだ。

    期待感が大きかっただけに、その落胆はさらに大きい。

    本当になんで演劇やってるの? と思う。
    学生だからという言い訳は許さない。意味ないと思うのならば、辞めなよ。ホントに。


    PPTで、どこかの団体の偉いさんらしき人が出てきて、今回の企画に賛同したので寄付を、と言い白封筒を代表者に渡してパチパチバチだって。なんだこれ? そんなこと観客の前でやる必要あるのかな。関係者だけで「ありがとうございます」でいいんじゃないの。

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    2012/03/08 05:32

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