トーキョービッチ,アイラブユー 公演情報 オーストラ・マコンドー「トーキョービッチ,アイラブユー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    今を生きる物語
    生演奏が心地よい、古典をリメイクした人生讃歌劇。現代版「曽根崎心中」はシリアスで生々しい。でも、今を生きる人達にこういう形の応援の仕方もあるのかなって思った。

    ネタバレBOX

    父親は死んで、母親はアル中で、父親の借金のせいで風俗で働く女、お初、21歳。惚れた相手の徳兵衛は結婚している。好きだけど添い遂げられないと一歩身をひき、徳兵衛との間に出来た子も人知れず堕ろす。一方で、友人の作った借金を肩代わりさせられ、親戚からも金を借りまくり首が回らない徳兵衛。

    さて。舞台上には、幾つかの箱馬が並んでおり、お初と徳兵衛の2人は物語のクライマックスまで、他の役者が動かして並べていく箱馬の作られた道を進み続ける。自分で選ぶことの出来ない、流されて進む道だ。現実に追い詰められた二人は物語終盤で手を取り合い心中しようとするも、徳兵衛は直前で躊躇し箱馬を降りて妻の元へ帰る。残されたお初は、周囲で「死ね」「誰も必要としてない」等と罵られ続けながらも、死なずに笑う。そして終わらない日常を生きる。

    江戸時代と比べれば、当然我々はやり直すチャンスが多い時代に生きている。相対化すれば絶望は浅いなと感じる。でも、裏を返せば挑戦を求められ続け停滞を許さない息苦しさを内包している。そんな中自分の置かれた環境から抜け出せず、周りが皆自分を罵倒していると感じ、進むべき道がなくなった時に、死んでしまいたいと思う人をどうして責められようか。そして、それでも笑えるだろうか。お初のその姿に、観劇後何だか底知れぬ力をもらったのは僕だけではないはずだ。

    ただ、その上で。やはり箱馬の上でしか生きられない2人の生き辛さを痛感してしまう。箱馬に乗って移動する姿は、常識や社会通念といったものに縛られた道の様に思えるからだ。箱馬を降りてみたり、自分で箱馬を動かしたり、舞台一面が箱馬に覆われている様な選択肢が許容されるような世の中を願ってしまう。単なる純愛ものに収めてしまえば、少し前に流行ったケータイ小説みたいな安直な不幸の羅列と同一視されかねない。差別化を図るために、もう一つ何かあればと期待してしまったのはゼイタクだろうか。

    0

    2011/12/08 20:33

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大