Kと真夜中のほとりで 公演情報 マームとジプシー「Kと真夜中のほとりで」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    絶妙な心理描写
    田舎街の中心にあるシャッター商店街や、そこから見える丘の上の家並み、そしてその先にある湖、これらの風景は3年前となんら変わらない。変わったのはKが突然として居なくなったことだ。Kの兄のかえでは、あれ以来、夜中になると街中を何かあるんじゃないかと思ってうろつく。同じように、Kの同級生や友人たちも夜中になると、うろつく。まるで絶滅する恐竜が広い草原をかつて自分たちが繁栄してた頃を懐かしむような悲しさだ。

    以下はネタバレBOXにて。。

    ネタバレBOX

    裏日記はこちら→http://ameblo.jp/misa--misaki/

    Kは3年前に湖のほとりに靴を残したまま失踪した。誰かが突然、居なくなるということ。それは衝撃のなにものでもない。彼らの記憶が消滅するまで、Kは彼らの中で生き続けているのだ。記憶の欠片は、大切な何かを求めるように揺さぶられて、今でも彷徨い続ける。

    高校生であったKは多感な年頃で、何かに泣いたり、夜中に電話をしたり、誰かを訪ねたりと眠れない夜を過ごしていた。そんな妹の行動を何も知らなかったかえでは、街中に尋ね人のビラを貼り、彷徨う。そうして歩きながら湖にたどり着くのだ。他のみんなと同じように。

    それでも朝はやってくる。しかしその朝は本当の朝じゃない。彼らの夜はずっと終わらないのだ。街はあらゆるものを飲み込み、猫の屍骸やゴミも飲み込み、汚いものも漂っている。そして歴史も。

    昼間は普通に暮らしながらも、夜中になるとKを思い、Kとの思い出の儚さに憂い彷徨いながら、現実の悲しさに打ちのめされた孤独な人間の心理を描写していた。その表現方法は繰り返される言動と行動だ。

    ワタクシは藤田貴大の本が好きだ。彼の描く世界はいつも一つだ。今回はKという失踪した少女を軸に彼女に関った人たちの心を描いていた。何度も繰り返される同じセリフと行動に、意味がないように思う方もいるかも知れないが、何度も繰り返されるその刷り込みで、じわじわ~っと彼らの心情が痛くなるほど響くのだ。
    だから今回も、その痛みを察して悲しくなり、この舞台全体が放つ悲壮感にも似た後悔や、それぞれが抱えた想いが錯綜するのだ。

    キャストらは、汗ダクダクで頑張っていた。序盤、その動きは無駄のように感じたが、ある瞬間から、彼らの動きが、彼らのもがく心の動きだと感じて、のめり込んだ。
    ハアハア、ゼイゼイしながらセリフを吐くので聞き取れない部分もあったが、まあ、生身の「「人間だから」(みつお)笑

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    2011/12/08 01:33

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