『ヘアカットさん』 / 『朝焼けサンセット(朝公演:朝食付き)』
岡崎藝術座
こまばアゴラ劇場(東京都)
2009/10/16 (金) ~ 2009/10/25 (日)公演終了
満足度★★★★★
ドラマじゃない"演劇"
神里さんの繊細さと、彼の作品から客が感じうる疎外感は
同じものから発生しているように思います。
作家の孤独に寄り添うことは永遠にできないし、簡単にわかるとか言えないけれど、でも、簡単にわからないとも言っちゃだめな気がする。
神里さんの描く、"心の中の動き・風景"に、ぐっときてしまった。
オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト(カタログ版)
ロロ
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2023/10/07 (土) ~ 2023/10/15 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2023/10/07 (土) 18:00
三浦直之が生み出した50名以上の人物の、プロフィールそして短いエピソードをもとに俳優たちが立ち上げ演じ分けるオムニバス・ストーリー。長くて5分、短くて1分少しの“超短編”の連なりが織り成す群像劇は、笑えたりちょっと面食らわされたり。重なりかけて重ならない、彼らの生活を形つくっている網目を俯瞰して思う。世界には何と多くの人間たちが暮らし、ひとりひとりに物語が影のように伸びていることだろう。すべてのシーン、すべての人物に慈しみとユーモアを持って接するロロメンバー、出演者たちの愛のみずみずしさが清らかだった。置かれた無数の点を結んで、作る人々が線を引き、これからも星座のように次々物語が生まれる、新しいフォーマットがここに誕生した。見えないものを見せ、瞬間より長く永遠よりは少し短い時間を感じさせるロロ・マジックはどこまでも進化する。
点の連なりから物語を立体化した俳優たちが素晴らしい。田中美希恵、端田新菜はとびきりの幸福感を漂わせる存在でありながら素っ頓狂な一面も見せ、ギャップで切なさまで振り切っていくし、大場みなみは強い推進力でオープニングからラストのエピソードまでぐいぐい客席を引っ張る。北尾亘は強い芯と軸があって、走ったり這ったりストレッチをするだけで、躍動感という言葉からはみ出すくらいの振動を舞台上に出現させていた。松本亮は他者を限りなく許容し受け入れる器があって、存在そのものが、人間同士関わって生きる群像劇の本質に一番近かった。福原冠は自分から切り込む芝居も、相手の勢いを受けて流れを作る芝居もどちらもきめ細やかで、振る舞いの太刀筋が美しい。
YouTuberのクイズノックが昔、『架空の友達(虚友達)のプロフィールを100人記憶する』という企画をやっていて、動画を見ているだけでこっちもかなり虚友達に親しみがわいてエピソードを覚えたり気になったりしたものなんだけど、それを思い出した。超短編のスピード感、読後感はリディア・デイヴィス『ほとんど記憶のない女』が私は大好きで憧れてもいるから、重ねて観ていた。三浦直之さんの本棚にもきっと絶対あると思うな。
私が踊るとき
珍しいキノコ舞踊団
世田谷パブリックシアター(東京都)
2010/01/22 (金) ~ 2010/01/25 (月)公演終了
満足度★★★★★
わたしたちは踊る
ひさしぶりに、ダンスを観てぼろぼろと涙が出た。
朝も昼も夜も山でも街でも、わたしたちは踊る!
紙吹雪散らして。両手を叩いて。死がわたしとダンスを分かつまで。
確信に満ちた、明るいステージでした。
ディズニーランドからキャラクタ性をまったく抜き去ると
珍しいキノコの雰囲気になる。うまく説明できないな。
春琴(しゅんきん)
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2010/12/02 (木) ~ 2010/12/11 (土)公演終了
満足度★★★★★
陰影の奥
物語が春琴抄、全体のビジュアルコンセプトが陰翳礼讃、というイメージ。
クライマックスになだれ込んでいくくだりは春琴抄の文体そのものの、句読点や改行が省かれていても、けっして躍動的というのではなく、じわじわ上り詰めていくあの感じが見事に舞台に乗っていて美しい。
薄暗く湿り気をおびて光る、役者、人形、畳、着物。鳴くように響く三味線。サイモン・マクバーニーは、作品解釈や演出手法を見せるよりも、わたしたちが美的感覚を研ぎ澄まして谷崎の作品を「感じる」ようにしてくれたみたいだった。
緑茶すずしい太郎の冒険
(劇)ヤリナゲ
王子小劇場(東京都)
2016/03/24 (木) ~ 2016/03/28 (月)公演終了
満足度★★★★★
誠実で新しい才能
主人公の妊娠がわかる冒頭の場面のようなコミカルさ、ドーナツ化症候群というテーマのシリアスさのスイッチの切り替えが、抜群にうまい。胎児が母に話しかけてくることや、胎児同士の会話など、演劇的な魔法を舞台上で見せる手際のよさにも感嘆した。出生前診断というきわめて難しいテーマに、誠実に向き合っていたと思う。
先日、東洋経済オンラインでの記事で「子どもを産むことに覚悟がいる時代」(http://toyokeizai.net/articles/-/115149)という平田オリザの発言を読んだ。実際、数十年前、たった数年前よりはるかに、子どもを産み育てることはコストと覚悟がいることになってしまったと私も痛感する。そうした自然な人間のいとなみにも、斜に構えて安穏としてはいられず、覚悟をもって挑まなければならない。ヤリナゲの新しさとは、そうした時代に政治状況や社会問題、倫理の問題を「自分ごと」として捉える新しさである。従来、ある特定の人たちの(この場合は、知的障害を持って生まれた子どもの親たちの)切実さだった問題を、いかに誠実に自分ごととして引き寄せるか。作・演出の越寛生は一歩一歩、踏み込んでゆく。ハイバイ・岩井秀人の作品のように自分の人生をモチーフにするわけではないが、すべてを「自分ごと」として捉え、想像する能力が抜群なんだろう。脚本の言葉の鋭利なセンス、俳優がそれを口にした時のイメージのふくらみ方、進行のテンポの良さも魅力である。
足りない部分があるとしたら、主人公の母親が、かつて第一子(主人公の姉。ドーナツ化症候群を患っている)を生んだあとにどのように葛藤したか、それをもとに主人公に何か果たせる役割があったのではないか。
バッドエンドの衝撃は凄まじいが、きちんとこの世の絶望を描いている。個人の問題を扱っていながら個人の感傷に留まらず、普遍的な人生の問題に取り組んでいる。ひとの生きる姿の奥深さにリーチしないものは、エンターテイメントではないと私は考えるけれど、今作は「笑えるエンターテイメント」を超えた、芸術につながる「演劇作品」だった。
越寛生の作品は、人間の汚い同調圧力、「世間一般」とされる狭い尺度を浮き彫りにする。彼はけっして、問題を俯瞰したり諦観したり、解説しようとしたりしない。ただ、誠実に悩むのだ。その姿は、果たしてわれわれは、こんな狭い尺度で測れる世界にいていいのか? どのように世界と向き合えばいいのか? と問いかけてくるようである。
あたらしい朝
うさぎストライプ
こまばアゴラ劇場(東京都)
2023/05/03 (水) ~ 2023/05/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2023/05/10 (水) 19:00
平田オリザの演劇ワークショップで使われるもっとも有名な台詞に、見知らぬ人に「旅行ですか?」と話しかける、っていうのがあって、私も実際に見たことはないんだけど書籍や講演で死ぬほど語られてるし周囲も分かりやすい例でよく引用するからもう漫談というか伝統芸能というか、知ってたらちょっとしたギャグにすらなりうるやつ、なんだけど、行きつ戻りつのオープニングを経て妻(清水緑)が言ったこれは、まさにその "本歌取り" で、これから演劇が始まるんだ!と思ってすごく嬉しくなった。2020年の初演を、春風舎に観にいったことはたしかに覚えているけれど3年のあいだに世界はあまりに変わりすぎた。ここからどこへ「戻って」いくのか、それとも「変わって」しまったままなのか。初演の枠組みは残したまま、登場人物やレイヤーがあらたに加わったリライト上演。私たちがしばらくできなかった「旅」というモチーフに向き合わせてもらって、あたらしい時間を過ごした。小瀧さんが登場して、最初のあれが始まったとき、ああこれがうさぎストライプというカンパニーだなあ、意味の見えづらいこの突拍子もなさ、味わうたびに意味になっていくんだよなあ、と噛みしめた。葬式帰りの男と女を演じた亀山浩史さん、菊池佳南さんを見ると、うさぎストライプの歴史と足跡、彼らが舞台に立っていてくれる安心を感じます。これも観劇の年月を重ねる醍醐味ですね。制作者でありながら流しの歌うたいでもある変幻自在の金澤氏は、前説から客出しまでもっとも長い時間観客に寄り添ってくれる存在。一人旅に出る女(北川莉那)はどの年齢にも見える、少女と女と母のどの面も持つような人でしたし、清水と夫婦役を演じた木村巴秋は人懐こさのあまり、劇中では酒飲まないキャラだったけどこれで酒癖悪いキャラだったらマジで人間の憎めないけどちょっと手が掛かるからそれでモテまくるひとあるある全部盛になってうっかり私も好きになってしまうところだった、あぶなかった。
見立て、生死や自他の境界を瞬時に曖昧にする台詞や演出、比喩やほのめかしの散りばめ方が緻密にして濃密で、まるでデッサンから色付けまで、熟練した技術の重ねられた絵画のよう。タイトルや戯曲における大池さんの言葉選びはとてもドライなものを感じるけれど、乾燥したものって極限まで乾燥させると発火するから、そういう燃え広がる瞬間、みたいなものが見えるのが私はすごく好きなのかもしれない。
わが星
ままごと
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2009/10/08 (木) ~ 2009/10/12 (月)公演終了
満足度★★★★★
立ち会えた幸せ
こんな舞台に出会っちゃうから、演劇ってものすごい。
「わが町」へのオマージュとしても、素晴らしい作品でした。
涙とまらなかったです。
日本語を読む その3~ドラマ・リーディング形式による上演~『老花夜想』
世田谷パブリックシアター
シアタートラム(東京都)
2010/05/07 (金) ~ 2010/05/09 (日)公演終了
満足度★★★★★
今更すみません。でもすばらしかった。
若さを失った娼婦が月蝕の夜に見た儚い夢を描いた作品。
8人の俳優陣が白シャツ、黒ボトムスで現れて椅子に座る。抑制された"身体"をちゃんと認識していることが見て取れる。やはり、身体を操ることに長けている演出家は、そのあたりに敏感なのだ。リーディングの"制約"を正しく意識して魅力に転化できていたし、これは普通のストレートプレイとして上演するより絶対良かったと思う。
朗読の中から、月光と水底と人魚のモチーフがゆらゆら見えてすごくロマンティック、かつ、しめつけられるほどせつなかった。
「踊りにいくぜ!!」vol.10 川崎
JCDN
川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)
2009/12/02 (水) ~ 2009/12/02 (水)公演終了
満足度★★★★★
◎
大橋可也&ダンサーズは、肉感あふれて(男女ふたりの世界だからかも)
つかまれる指の感触までリアルに迫るようなパフォーマンス。
福娘は祝祭の匂い。ソロの静謐さとはまた違った躍動感がたまらない。
3人で踊る意義深さを感じた。
ミリ・ビッテルリは、生活の中で自分(=ダンス)が受け入れられたときの
うれしさにこちらまでうれしくなるようなパフォーマンス。
でも、オーストリアの人、って感じ。
日本人はコンテンポラリーダンスにああいう明るいものは背負わせない。
室伏鴻さんの身体性はさすがの重厚さ。
若いからだに宿る未来ではなく
経験をつんだ身体の向こうに見える過去を思い起こさせるような踊り。
露出狂
柿喰う客
王子小劇場(東京都)
2010/05/19 (水) ~ 2010/05/31 (月)公演終了
満足度★★★★★
女豹の群れ
新興強豪女子サッカー部でのあれやこれやを明快な台詞と身体でぶった切りちょっと乱雑にセックスを混ぜ、その上に絵の具チューブをぶちまけたような勢いある作品だった。
本来「稚拙」とか「鬱陶しい」と言われがちな"状況説明台詞"に必然性を持たせ、まるで琵琶法師が謡いながら語るように、それ自体ドラマティックな味付けで楽しめるようにしているところに、柿喰う客の醍醐味がある。今回は特にそれが顕著で、いつもよりあらすじは別にないけど、構造がすごくあざやか。
女の子しか出ない場合にたまにある、鼻につく女くささがまったくなくて爽快。かっこいい。私たち、簡単には性的な見せ物になんてならないわよ、というかんじ。笑
どどめジャム
甘もの会
MAREBITO(東京都)
2010/04/23 (金) ~ 2010/04/25 (日)公演終了
満足度★★★★★
記憶があふれてくるような
茅場町にこんなすてきなスペースがあるなんて知らなかった。
夜の回を拝見したのだけど、明かりの雰囲気がとても素敵でした。
記憶は過去にわたしを引き戻す。でもいつからか未来に引っぱってくれるようにもなっていたのだ。昔を思い出すと涙が出るようになるような歳になったのだなあ、としんみりしてしまった。
思い出せないことと、なんにもないことは違うから、どうかいろんなものをからだにしみこませて生きていたい。そうすれば、ふとしたときに滲んで、わたしを助けるちからになってくれるかもしれないし。
あと、終演後に試食させていただいたどどめジャムがすごくおいしかった。
東京ノート
ミクニヤナイハラプロジェクト
吉祥寺シアター(東京都)
2016/03/24 (木) ~ 2016/03/28 (月)公演終了
満足度★★★★★
2016年の『東京ノート』
21名の俳優が舞台上を駆け回り、フォーメーションを組み、高速で台詞の矢を放つ。まさにミクニヤナイハラ流の『東京ノート』だった。
これまで何作もミクニヤナイハラプロジェクトの作品を観ているが、これほどの大人数が登場するものは初めてだった。しかし彼女の演出は薄められるどころか、よりダイレクトに、痛切に2016年という時代を貫くものになっていることを実感した。
彼女の独自の身体・台詞の演出が、本家の青年団・平田オリザ演出の「間」を成立させるのか、という問いに彼女は「成立はしません。成立なんて目指さないです。青年団のファンは怒るでしょうね。でもいいんです。駆け抜けます。そんなに「間」が欲しけりゃ戯曲を読めばいい!」と、答えていた。(演劇最強論-ingインタビューより。http://www.engekisaikyoron.net/mikuni_yanaihara/)
しかし本作を観ながら私は、90年代初頭、平田オリザが初めて現代口語演劇の同時多発会話劇をやった時は、観客たちから同じように「何を言ってるのか聞こえない」と言われたのだろうな……と想像した。そういう意味で、矢内原版『東京ノート』は、まぎれもなく現代口語演劇であったと言っていい。
しかし、そんなカオティックな演出が持ち味の矢内原美邦だけれど、重要な台詞は「全部聞こえるように」緻密につくられていたと私には思えた。「離婚しそうになっている夫婦」「家庭教師と元教え子」「絵を寄贈したい人と学芸員」などなど、いくつもの人間関係が美術館という場に集まっている。その状況は、観客には伝わったはずだ。逆に、それさえ伝われば、あとは聞こえた言葉をつなげて、イメージの中で観客自身が泳げばよいのだ。
単なるスペクタクルに留まらない、圧を持った空間構成に、俳優たちもよく応えていた。台詞と動きの分担で2つの集団がひとつのシーンを演じた、学芸員がカメラオブスクラについて語った場面は見事だった。「ブリュッセル」「福島」など今聴くとドキッとする地名の出てくる台詞も多い。1994年に書かれたとは思えない言葉の数々が、超高速で迫ってくる。映像も華やかで、日の丸を模したラストの場面などは、こんなに直接的でいいのかと思えるほど政治性を帯びていた。しかしそれよりも、そうした苛烈な映像と俳優の身体のコラボレーションの美しさを見せることの方に、作り手のプライドを感じたのだった。
ラッコサイズラッコ【公演特設ページ公開中】
トリコロールケーキ
シアター711(東京都)
2013/03/13 (水) ~ 2013/03/17 (日)公演終了
満足度★★★★★
いつだって
真顔でボケ倒す人がいちばん面白い。
脚本の人のセンスとスタンスに、しみじみ浸る。
小劇場にこういう人たちがいてくれないと楽しくないじゃん。
こういう芝居があったから私はこれまで演劇を見てきたんだと思うし、好きでいたんだと思うってことを、久しぶりに考えました。
日曜日、あと一回ですが多くの人に見てほしい。
葬送の教室
風琴工房
ザ・スズナリ(東京都)
2010/10/06 (水) ~ 2010/10/13 (水)公演終了
満足度★★★★★
ドラマの力
わたしが、演劇のちからを信じたくなるのは、こういうときだ、と思う。
ひと一人の身体や心のサイズをこえて、何か大きなもののために作品が存在し
観客が立ち会っている、このとき。そのことを感じられただけで、心ふるえるような時間を過ごせました。
【無事終演しました】荒川、神キラーチューン【ご来場ありがとうございました!】
ロ字ック
サンモールスタジオ(東京都)
2014/05/14 (水) ~ 2014/05/25 (日)公演終了
満足度★★★★★
突き放して描く少女時代
主宰であり、作者である山田佳奈がティーンだった頃の(それは私もそうなのだけど)90年代後半の音楽、中でもブランキー・ジェット・シティの曲が印象的に使われるのだけど、それは現在の郷愁や感傷を描くために使っているわけではない。 主人公が終盤で、ストーキングされている教え子に向かって「……子どものくせに。」と吐き捨てた台詞にそのことがはっきりわかって、心撃ち抜かれた。この作品は、きちんと「大人」になった作家が書いている。もう戻れない子ども時代を残酷に見つめ、そこから脱皮する瞬間の訪れを捉えようとしている。きっちり、過去の回想の中にパッケージングされ、作者が突き放して描いていることは、とても大切だ。過去の記憶や思い出をモチーフにする場合、作者が「今もその思い出の延長を生きている」と、物語は非常に独りよがりな酔いどれ節になってしまうからである。そうそう、日本全国の「ショウコ」という名前の女の子はあの頃、あの忌まわしくもキャッチーなオウム真理教ソングで囃し立てられたものだった……。
さえない漫画家志望の女子中学生を演じた小野寺ずる、体育教師の日高ボブ美(彼女たちの芸名のセンスもちょっとぶっ飛んでいてすごい。笑)の劇団員ふたりが俳優陣をぐいぐい引っ張る。日高ボブ美の演じた体育教師の彼氏は売れない俳優ということで、またフリーターの彼氏か……と「小劇場演劇あるある」にうんざりしかけたところ、その彼氏がテニミュ(『テニスの王子様』ミュージカル)に出演しているイケメンであるという設定がぽろっと明かされ、大爆笑した。貧乏は仕方ないけど、貧乏くさくないのがすごくいい。素晴らしい。主宰の山田佳奈が演じた、くせのあるハブられっ子も目が離せなかった。
アフターイベントの、チーム対抗カラオケ大会も大変楽しかった。今まで経験したアフタートーク、イベントの中でもダントツに印象深く、本編の余韻は損なわれたが(笑)、時間的にも構成的にもしっかりまとめられたものだった。残って観て良かった! と思った。都合により予約の回を変更したのだが、こちらもとても丁寧に対応いただけて感謝している。全体として、劇団としてのパワーとまとまりを強く感じた。
て
ハイバイ
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2009/09/25 (金) ~ 2009/10/12 (月)公演終了
生きてるものか【新作】
五反田団
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2009/10/17 (土) ~ 2009/11/01 (日)公演終了
八百長デスマッチ/いきなりベッドシーン
柿喰う客
タイニイアリス(東京都)
2010/04/15 (木) ~ 2010/04/18 (日)公演終了
満足度★★★★★
媒介としての身体
新作と再演の短編連続上演。
すがすがしさと毒々しさが、もっともピュアな状態で混在していた。
身体性を操ることにかけては、やはり随一の劇団です。
玉置さんや村上さんや七味さんの、媒介としての身体があってこそ、中屋敷さんの世界はわたしたちの眼前に具現化するのだと実感。
わたしたちは無傷な別人であるのか?
チェルフィッチュ
横浜美術館レクチャーホール(神奈川県)
2010/03/01 (月) ~ 2010/03/10 (水)公演終了
満足度★★★★★
即興の意味
なんとなくわからないままでいた『即興』でやることの意味が
クリアになったのでとても発見的な体験だった。
切実さを排除しようとしているように見えて、実は岡田さんは
誰より、演劇の切実さを追っている。
叫んだり飛んだり走ったりするだけが切実なんじゃない。
いかにそれを想起させるか。
言葉、身体、から逃れられないわたしたち。を、こんなに強く感じる体験は他にない。
合唱交響曲「わが星」
北九州芸術劇場
J:COM北九州芸術劇場 小劇場(福岡県)
2010/11/27 (土) ~ 2010/11/28 (日)公演終了
満足度★★★★
ずっと、見ていた
縁と機会にめぐまれて観劇。
音楽と、脚本の持っている、機微をすくいあげる構造の力から、よいものにならないわけがなかったけれど、リーディングというスタイルでそれがどういうふうに見えてくるのか、当日パンフレットで23名が役柄を割り振られているのを見てもぴんときていなかった。
俳優陣は、みんな白いシャツ、黒のスカートあるいはパンツスタイルで、胸には役柄をあらわすニットアクセサリをつけて入場。手にもった台本を、ときどき丸めて望遠鏡みたいに目に当てる演出が、とてもチャーミング。
台詞と役柄の1:1の関係を崩してもなお、台本の縦糸と横糸がしっかり見えて、わ、これリーディングでもいけるんだ、と素直に感動。
ラップの台詞って今までどういう働きをするのかよくわかってなかったけど、個と音高を払って、否応なしに進行する台詞が感情をさらうことを、人数が多くなったことで強く実感することができた。声を頼りに立ち上がるドラマから、世界観が立脚するところの普遍性を見て思ったのは「うますぎない」脚本には「日常生活のイデア」みたいなものが閉じこめられているのかも、ということ。
初演のフォークダンスもよかったけど、全員でのユニゾンが大きな群唱となって響く空間は、ちょっとほかでは味わえないものだったな。
北九州でオーディションをして決められたという俳優さんがたは皆、それぞれこの地に自分の生活をもっているのが透けて見えて、それがまたとてもよかった。それが地域で俳優をあつめるということの、大きな魅力だと思う。
演奏していた柴さん御自身も、たのしそうにしながら、常にしっかり舞台を見つめていた。冷静な演出家の目を持っているからこそ、こういう音楽のちからを正しく使った芝居が作れるのだと思う。
わたし、客席でいちばんないてしまっていた自信が、あるなあ。