ミスターの観てきた!クチコミ一覧

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なだぎ武・山田菜々主演「ドヴォルザークの新世界」

なだぎ武・山田菜々主演「ドヴォルザークの新世界」

劇団東京イボンヌ

スクエア荏原・ひらつかホール(東京都)

2016/06/07 (火) ~ 2016/06/10 (金)公演終了

満足度★★★

前回よりも進歩した上演
7日夜、スクエア荏原ひらつかホールで上演された東京イボンヌ『ドヴォルザークの新世界』初日公演を観てきた。東京イボンヌとの付き合いは、だいぶ以前に主催者の福島真也氏と知り合って以来続いている。

あらすじは、それほど難しくはない。ヨーロッパからアメリカの音楽学校教師としてアメリカに渡ったドヴォルザークが、アメリカ人のインディアン迫害という現実に直面しつつ、偶然知り合ったインディアンとイギリス人とのハーフでインディアンの一人として居留地で暮らすサラと知り合い、アメリカという新世界にふさわしい交響曲をインディアンの音楽を取り入れることで作り上げていく過程を、コメディタッチで描いている。

劇の内容としての深みは、全体を包むドヴォルザークの音楽創作活動というより、後半に出てくるサラとその母の数奇な運命にある。従って、クラシックコメディという笑いは主に前半に集中し、笑いは後半に行くに従って悲しみへと変わっていく。と同時に、観客の舞台への集中力徐々に高まっていく。

舞台成功の鍵は、ドヴォルザーク演じるなだぎ武とサラを演じる元NMBの山田菜々の絶妙なやりとり。ただ、全体的には会話やシーン転換の際に妙な間ができる瞬間が数回あって、脚本と演出に若干問題があるなぁと感じさせられた。脚本に関しては、話の展開に破綻が観られる箇所もあって若干不満。
前回公演に比べ、舞台上の演奏者の扱いや、必要最小限の大道具による場面転換は格段の進歩を見せていて喜ばしい。演技と音楽のバランスというか、演技の中に音楽が出てくるタイミングも前回より良くなっている。
また、今回は歌や演奏だけでなくダンスも加わって、舞台が華やかになっていたのも特徴の一つ。
品のある笑いと、それに対比できるだけの悲しみ、そして適度な音楽を、広さに制約のある舞台上でこなす東京イボンヌの基本的な上演形態の基礎は固まったように思う。次回は『酔いどれシューベルト』の再演。初演を観ていないので期待しているが、再演にどれだけ観客を動員できるかも劇団としての将来に関わる重要なポイントとなるだろう。

SEN-RITSU

SEN-RITSU

座・間座

Geki地下Liberty(東京都)

2016/06/03 (金) ~ 2016/06/09 (木)公演終了

満足度★★★

テーマが混沌としている
7日午後、下北沢のGeki地下libertyで上演されているJOHN DOES Produceの第一回舞台『SENーRITU』を観てきた。これは、知人の役者・麻生敬太郎が出演していた関係からである。ちなみに、この公演の目玉は元猿岩石の森脇和成の出演かもしれない。

あらすじは、おおよそ下記の通りだろう。
原発スラム出身でオーディションに合格し、今は有名なシンガーになった女性が、スラム時代からの知り合いで今はマネージャーである男と、かつて自分が生活し今は廃墟となっているスラムを訪れ、かつての生活を思い出すことから舞台は始まる。そう、その回想シーンが舞台の中心なのだ。
中国マフィアから警察が押収した偽札製造のノウハウを記録したUSBメモリーを老警官がヤクザに横流しし、それをヤクザの一人が組織から持ち逃げ。それを奪回して中国マフィアに戻すという、警察、ヤクザ、マフィア、そしてスラムの荒くれ者たちによる四つどもえの葛藤劇。恋愛あり、友情あり、家族愛、組織愛、そして騙しあいに裏切り。暴力と優しさ。その中で音楽に打ち込む女性。結局、その抗争の中で多くに人間が傷つき、死んでいった。
女性の歌う歌をバックに・・・・・

そんな回想をしていた女性は、マネージャーの声で我に返る。そして誓う。歌うこと、そして自分が生きてきたスラムの生活とそこに暮らしていた人々のことを忘れないと。

テーマが壮大かつ混沌としていてわかりにくい部分が見られたこと、そして話の展開に余談的なシーンが多すぎる傾向にあったこと。歌手を目指す女性が歌うシーンが数カ所あったが、歌の音程が悪くせっかく盛り上がるシーンが停滞してしまったこと、出演している役者にキャリアの差があって演技にそれが出てしまっている点など、この劇団の1回目の公演としてはつきものの諸問題があぶり出された舞台と言えるだろう。
全体的な話の中でのクライマックスは、女性がオーディションで気分の気持ちを語るシーンだろうが、盛り上がりに欠ける何かが足りない。そしてもう一つのクライマックスは抗争主たちが死んでいく戦いのシーン。これはちょっとアッサリと人が死んでいきすぎ。
話の内容をもう少し厳選して内容を凝縮する必要がありそうだが、その責務を負うのは脚本だろう。
BGMにキーボードの生演奏を取り入れたというのは、この劇場の使い方としては成功していたと思う。立体的な舞台の使い方もベター。特に目立った役者の名を挙げるのは難しいが、シンガーを目指し夢を現実の物としたヒロイン役という立場の女性を演じた香月ハルの名前を挙げておこう。

それにしても、タイトルのSEN-RITSUだが、自分はてっきり戦慄かと思っていたのだが、見終わって旋律か?という思いが。いや、おそらく作者の思いは、旋律と戦慄の意味を兼ね合わせたくてローマ字表記にしたのだろうね。

MASTER IDOL

MASTER IDOL

u-you.company

Geki地下Liberty(東京都)

2016/05/25 (水) ~ 2016/05/30 (月)公演終了

満足度★★★

脚本・役者に粗さはあったが着想が面白い
30日午後、下北沢のGeki地下Livertyで上演されたu-you.company 16th STAGE 稲森美優presents『MASTER IDOL』の公演を観てきた。この劇団はアフリカ座系列の一つで、杉山夕が率いている。

さて、あらすじはというと・・・・・
アイドルである柊透子は精神的な病で入院中。どういう病かというと、正式な病名はあるのだが、分かりやすく言えば多重人格障害。つまり、透子の頭のなかには14人の人格があって、時々その中の人格が透子の精神を乗っ取って行動するというもの。時には、透子とそれらの人格は頭のなかで交流を持つことも。そもそも何故そういう病気になったかというと、本当はアイドルにはなりたくなかったのに人生の流れでアイドルになって活動するようになったことへの悩みの持って行きどころがなかったから。
透子と女性医師、透子と頭のなかの人格たち、そしてその人格立ち同士の交流の中で、透子は自分の本当の気持、つまりアイドルを辞めるという自分の心に一番素直な結論を導き出し、頭のなかにあった人格たちを消し去り病から立ち直る。

医師や頭のなかの人格たちとのやり取り、そしてその人格同士のやり取りの中に笑いありしんみり有りの面白い舞台。ヒロインは透子であるが、出番の多いのは透子と一番多い接触をする人格・沙月(稲盛美優)。個々の女優の持つ個性を生かした舞台で味わいはあるのだが、問題は結末。透子はアイドルをやめると決心したのにも関わらず、ラストシーンはアイドルとなってファンの前に復帰し、登場人物全員がダンサーになって繰り広げられるライブステージ。あれれ、どうなっているのかな。舞台終結の盛り上がりとしては流れ的に良いのかもしれないが、ストーリー的に破錠しているような・・・・。
人格たちは、日常生活、アイドル生活、理性、本性という4つのグループに分かれてお互いが緩衝しあうという発想は脚本として成功ではあるが、細かな点で粗さが目立つ。まぁ、演じるのがアイドル的女優陣のみであるところに限界があるのかもしれない。
この劇場を使う団体の演出を観て毎回思うのだが、客席入り口上のシャッター内も舞台の一部として使える空間であり、これをなぜ活用しないのだろうか。特にこの団体は舞台上の大道具が壁の組み合わせのみで構成されているので、舞台転換には入れ替わった時の女優の第一声がけっこう重要なポイントになるのだが、それが成功していたかどうかは評価が難しい。
中山浩が演出を担当しているのだが、ちょっと演出方法がマンネリ化してきたように思う。マイナー的でもよいので、何かテコ入れが必要ではないだろうか。

当日、受け付け・場内整理には、同じアフリカ座系列の別団体のメンバーも参加していた。

タカナシ家、明日は晴れ

タカナシ家、明日は晴れ

Gフォース

Gフォース アトリエ(東京都)

2016/05/22 (日) ~ 2016/05/29 (日)公演終了

満足度★★★★

ほのぼのとした家族愛の再生物語
25日午後、東京・蔵前にあるGフォース・アトリエで上演された『タカナシ家、明日は晴れ』を観てきた。
これは、作品の作と演出が加藤英雄ということで興味を持ったからである。加藤の作品は、これまで浅草リトルシアターで幾つか観て、おおよその作風というか癖はわかったのだが、リトルシアター以外の公演で、しかも彼の作品としては上演時間約90分とやや長めの作品がどうようなものなのか知りたくなったわけだ。
会場はマンションの屋上に増築されたような場所で、座席数は40。舞台は比較的広めだが、浅草同様大道具というのはベンチに見たてた横長の長方形の三人ほどが座れる箱のようなもの一つ。周囲は、黒い壁がそのまま使われているという実に簡素なものであった。

あらすじは以下の通り。
口下手の小説家・タカナシゲンイチロウは断筆宣言と共に一時入院。同時に今まで住んでいた家を建て替え始める。彼には母親が全員違う3人の娘がいるのだが、家に残り彼の面倒を観ているのは長女のカズミ1人。次女のツグミは父親が嫌いで家を出、三女のサトミは駆け落ち同様に結婚して家を出た。そんな3人娘が、父親の退院前日に家に集まってくる。次女は結婚しようと思う男性を連れ、三女は夫婦仲が悪くなり別れ話の相談のため。そして長女にも、好きな男性ができて手作りの料理を食べさせるために彼を家に呼ぶ。そんな3人の集まった所に、これまた偶然に父親が一日早く退院して戻ってきた。思いがけず、三人全員揃った娘達と会うゲンイチロウ。そこで執筆を頼みに来た出版社の社員や隣りに住むゴンドウ一家も巻き込んでのドタバタ劇。しかし、いつになく饒舌なゲンイチロウは娘達への思いを語り、特に長女の母親失踪の真実や兄がいて早逝したことを明らかにし、一同しんみりしたのがきっかけとなって娘達とゲンイチロウの間に家族の絆が戻ってくる。そして、ゲンイチロウは彼にしか見えない長男の亡霊と語り、家族全員の纏まった姿に安堵する。

家族愛と夫婦愛は、日常の些細な出来事で壊れかけても、お互いが素直になって相手の気持を思いやれば修復が可能だという暖かな家族物語。突出して出来の良い役者はいなかったが、ゲンイチロウ役の上田茂の雰囲気は、父親役にあっている上手い配役。
また、隣の家に住むゴンドウシズコ役の桂山みなは35年ぶりの舞台とのことだが、半ば舞台の進行役的な役目も担いなかなかの好演。
人物間のやり取りや、亡霊が一役買っている点は、いわゆる加藤英雄調全開という趣。
個人的な加藤英雄探求も、これで一区切りついたようだ。

余計者

余計者

teamキーチェーン

d-倉庫(東京都)

2016/05/18 (水) ~ 2016/05/23 (月)公演終了

満足度★★★

脚本の風通しの悪さは家族愛のとらえ方に問題か?
昨日から日暮里のd-倉庫で上演しているteamキーチェーン第11回本公演『余計者』の招待券が当たったので出かけてきた。この団体を観るのは初めてで、知り合いの役者も一人としていない。

ネタバレBOX

幼い時、借金に追われ幼い妹は借金取りに連れて行かれ、両親はその借財を生命保険で返すために自殺を図った。その少年が17年を経て、両親と別れ際に約束した「自分も妹も幸せになる」という約束を果たすため、妹を奪った借金取りカップルの住む地元に戻ってくる。地元だから、当然ながら幼なじみもいて、その幼なじみの家に出入りしながら借金取りカップルや妹を金で買っている会社員(その息子は引きこもりで借金取りの家を盗聴・盗撮している)、そして自分の正体を知られた幼なじみの家で知り合った女性までも殺してしまう。そして念願の妹を救い出した・・・と思った時、彼のことも本当の両親のことも幼すぎて記憶に残っていない妹は、自分を育ててくれた借金取りの女性の遺体にすがり「お母さん」と泣き崩れる。それを見た兄である元少年は、こんなはずじゃなかったと呆然と立ちすくむ。


借金取りカップル、妹を買う会社員一家、そして幼なじみ兄弟一家という3つの家族といえるべき人間関係に刑事も加わる複雑な人間関係は、脚本家が考えていたというか計算していたようには風通しの良い整理がなされておらず、どこか混沌として見ていてしっくりこないのが最大の問題点。特に、幼なじみの事件の真相を知っているようなそぶりをさせる理由や、引きこもり少年の存在意義というものが明確に示されていないのが気になった。
役者たちは皆熱心に演じていのには好感が持てたが、細かい仕草や個々の人物設定やその仕草の違い(使い分け)が乱雑であったような気がする。例えば、少年がいつもメモ用紙をなぜ持ち歩いていたのか、刑事が借金取りカップルの女性にだけは連絡先名刺を渡さず女性自身に連絡先電話番号を書かせたのか、警察手帳を上着のポケットではなくズボンのポケットに雑に持ってたのかなど、細かい点までもっと丁寧に演出すべきだろう。
主役とも言える少年や幼なじみの学生やその同級生たちの演技全般は、見ていて一応手応えがあった感じ。

この数週間充実した団体の舞台を見続けてきたせいか、今回はそうした細かな点で若干失望したと言わざるを得ない。
皮肉にも雨は降る

皮肉にも雨は降る

劇団時間制作

劇場MOMO(東京都)

2016/05/11 (水) ~ 2016/05/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

人の思いと行動の矛盾を鋭く突いた問題作
東京・中野にある劇場MOMOで上演されている劇団時間制作公演『皮肉にも雨は降る』を観に行った。この公演は完全ダブルキャスト制で、自分の観たのは知人・古川奈苗が動物愛護センターの中核職員役を務めているBチームの公演である。
いつもならあらすじをを簡単に紹介するのであるが、今回の公演でのあらすじ解説は難しいので省略。この公演はいわゆる主人公と呼べる存在がいない。いや、登場人物すべてが主人公と言うべきか。ミントという老犬をペットとして飼っており、女で一つで育てた姉妹と長男のいる桜井家。長女は引きこもり、次女は動物愛護センターで働き、長男は悪徳ブリーダーから動物を仕入れているペットショップに勤め、その彼女はライターという設定。それに、その次女が勤めている動物愛護センターとその職員たち。この2つの場の人間たちが複雑に交差しながら、動物愛護というものの表と裏、人間がペットに期待し求めるエゴというものがあぶり出されていく。動物愛護運動の真実、ペットへの愛情の本質を知れば知るほど矛盾を感じ、力のなさを思い知らされる登場人物たち。観るものに動物愛護って何?ペットを思いやる気持ちって何?という課題を問いかけつつ、100分ほどにその難問の提示とひとまずの解決(本質的な解決ではなく、ひとまずの落としどころ)にまとめ上げた脚本をまず褒めたい。また、そのテーマの選択・設定も見事である。
登場する役者たちも、それぞれが担う役をうまく演じ、時には笑いも起こすが肝心の見せ所ではおちゃらけは消え、まじめな、それはまじめな本質を突く台詞を口にして観客の心にくさびを打ち込み涙を誘う。まことに見事な演出と言って良いだろう。
特に目立った役者を挙げようと思ったのだが、今回は全員が健闘していた。
自分の観たのはダブルキャストのBチーム。Aチームではどのようになるのか、観てみたい気が起こった。

アンコールの夜★ご来場ありがとうございました★

アンコールの夜★ご来場ありがとうございました★

KAKUTA

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2016/05/07 (土) ~ 2016/05/22 (日)公演終了

満足度★★★★

朗読劇の深みを味わう
演劇口コミサイト・コリッチで招待券が当たったので、KAKUTAの朗読劇『アンコールの夜』を観てきた。
今回の公演は、「男を読む。」「女を読む。」「猫を読む。」という3種のプログラムが準備されており、自分の観た初日昼間の舞台のプログラムは「男を読む。」。地の文を朗読するのが男性のプログラムである。

取り上げられた作品は4つ。
○空手道場で優しくイケメンの井戸川が、その死を契機に本性が暴かれていく桐野夏生「井戸川さんについて」
○新宿で世にも可憐なダッチワイフを助ける、いしいしんじ「天使はジェット気流に乗って」
○友人を死から救おうと現在から過去へ繰り返し行き来し、結局は運命を受け入れる朱川湊人「昨日公園」
○そして、劇団のオリジナルで離婚し別居直前の元夫婦の複雑な心境を描写する、桑原裕子「男を読む。」

オリジナル作品は最後に置かれ、他の作品は笑いから悲しみへと舞台の趣が移っていくように配置されていた。井戸川さんの本性に翻弄される僕を演じる岸野健太、ダッチワイフを助ける僕を演じる実近順次とダッチワイフを演じた四浦麻希のけなげなやりとり、友達を救いたいがため必死になる遠藤を演じる成清正紀の演技が舞台の核となり、全体を盛り上げていく。客席からは時折笑いも起きるが、話が進むにつれ笑いは消え舞台に釘付けになってついには目を潤ませる。まったく憎い構成である。初日最初の舞台とあって、役者が台詞を噛む場面もあったが、そのしゃべり、表情は実に表現力に富んでいて感心。簡素な作りの舞台であったが、役者の力がその不足を十分に補っていた。今、名前を挙げなかった役者たちもなかなかの実力。いやぁ、偶然見つけた劇団だったが、創立20周年、鶴屋南北戯曲賞を受けただけのことはある。良い舞台を見せてもらった。

楽屋

楽屋

ママーズ

梅ヶ丘BOX(東京都)

2016/05/05 (木) ~ 2016/05/08 (日)公演終了

満足度★★★

楽屋での女優たちの生態を垣間見た
燐光群アトリエの会が主催して小田急線の梅ヶ丘BOXを会場に開催されている清水邦夫作『楽屋』フェスティバルのママーズ公演を観てきた。これは、大道具や照明・音響オペレーターは共通とし、上演時間を1時間10分以内で『楽屋』という作品を複数の演劇ユニットが競演するするという催し。今回ゴールデン街ガルシアのママである水原香菜恵がママーズというユニットの一員として参加するというので出かけてきた。後で知ったのだが、間接的に交流のある別の役者もこのフェスティバルに獣神というユニットの一員として参加するらしい。
ちなみに、この催しに参加する団体は18,つまり、18通りの『楽屋』を観ることができるわけだ。

この『楽屋』という作品は、ある劇場の楽屋で女優1名、一人前の女優になれずに亡くなり成仏できず楽屋に居座る幽霊2名、そして女優の知り合いで劇中後半から幽霊となる1名の4人で演じる女優の本音の語り合い?的なもの。ママーズは子を持つ女優が集まってできたユニット。元新宿梁山泊で活躍した孫貞子、映像・舞台に活動する水原、俳優座所属の桂ゆめ、劇団を組んだりニューヨークでも活動していた西入美咲と様々な経歴の持ち主の集まりで、舞台を観ているとそれぞれの出身と経歴による演技の質の違いがわかって面白い。舞台の山場の設定の仕方に弱さは感じられたが、それはそれでよかったかも。演技では桂の演技が質的に圧倒。西入の演技はもう少し熱が入ってもよかったかなぁ。孫と水原の掛け合いは、なかなかの見物であった。
会場が若干狭く、遅く入場した客は桟敷席になってしまうのが大変だなぁと言う思い。自分は桟敷になるのがいやだったので、早めに受付を済ませ椅子席最前列で鑑賞。

ドン・キホーテ

ドン・キホーテ

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2016/05/03 (火) ~ 2016/05/08 (日)公演終了

満足度★★★★

米沢の出来に満足
新国立劇場今シーズンの目玉の一つであろう『ドン・キホーテ』の初日を観てきた。

『ドン・キホーテ』という作品、作曲者のミンクスの音楽は例えばチャイコフスキーの作品のように音楽的に魅力あふれるメロディーに溢れているわけでもなく、もっぱら振り付け(特に第3幕)に魅力のある作品で、そういう意味ではクラシック音楽ファンよりバレエファンの間では人気の定番となっているものである。

さらに、粗筋としてはドン・キホーテと家来のサンチョ・パンサが旅の途中で父親の反対で結婚が難しいキトリとその恋人バジルの仲を取り持ち無事に結婚させるというもので、このように書くとタイトル通り主人公はドン・キホーテのように思えるのだが、実際はドン・キホーテもサンチョ・パンサも道化的な役割で振り付けもごく控えめな感じであり、作品の主人公は全幕にわたって派手というか難しい振り付けで観客を魅了するキトリ(今日は米沢唯)とバジル(同・井澤駿)なのである。
というわけで、今公演のプログラムには米沢と福岡雄大によるインタビュー形式の振り付け解説が掲載されていて、鑑賞に一役買っていた。

そこで今日の公演の感想なのだが、いつになく米沢が安定した踊りを見せ、特にクライマックスである第3幕では完璧と言うべきもので、客席からは盛大な拍手とブラボーを受けていた。米沢、井澤以外では、街の踊り子の踊り(長田佳世)とカスタネットの踊り(堀口純)がなかなか良かった。個人的なファンである本島美和はメルセデス役で登場したが、彼女の持ち味が必ずしも生かされていない踊りのような気がして残念。
演出的にいえば、各シーンの間がなんとなく長すぎるというか、開きすぎるというか・・・。
しかし、まぁ個人技も見れたし集団技も良かったし、初日としては大成功だろう。正直言って、米沢を見なおした。

ロザリオと薔薇

ロザリオと薔薇

劇団虚幻癖

明石スタジオ(東京都)

2016/04/20 (水) ~ 2016/04/24 (日)公演終了

満足度★★★★

人間とは複雑で厄介なのもだ
タイトルに興味を持ち、招待に応募した所当選したので21日午後に出かけてきた。

この作品の粗筋は難しい。パンフレットの掲載されている粗筋だと、

2つに分かたれた世界。その片側でエレンは目覚めた。
見覚えの無い場所に狼狽する彼女に対し、傍らに立っていた見知らぬ男・アベルが告げる。「ここは異界です、お嬢様」
しかし居合わせた姉妹は、ここは夢だ、現実だ、と口々に違うことを言う。動転するエレンをよそに、あちらこちらに次々と現れる人々。その中に誰一人彼女の知る顔は無い。
互いの世界について分かっていることは、姿は見えるし会話も出来るが触れられないということ、人々は相容れない価値観を持っていること。それだけにも関わらず、みんな世界の在り様を疑うことなく、異世界の人々と時に言い争いをしたりしながら、曲がりなりにも平和を保っていた。しかし或る時、いつの間にか接触が可能になっていたことが発覚する。
人々は喜ぶが、アベルが発した、「異なる空間の融合は不可能であり、どちらかの世界が消える筈だ」という言葉を境に、軽い口喧嘩だったものは熾烈な論戦へと変わり、諍いは激化していくーー。

現実は、夢とは何か。今と過去と未来とは何か。人の表と裏は何か。そんな謎を秘め、一人ひとりの人間の本性は細分化二分化されて2つの世界で行きている。それぞれの世界の人間は、もう一つの世界の誰が別の自分なのかわからない。そこに決して死なない(というか死ねない)王として存在するアベル。そして意味もわからず対極の世界の王としてこの世界に引き込まれたエレン。観客に、人間の本性とは何か、死とは何か、生とは何かを問い対峙するような舞台に、自ずと観るものの神経は研ぎ澄まされていく。
と、ここまで書いて、さて、この舞台で一体我々に何を言わんとしているのか。舞台内容とタイトルとはどんな関わりがあるのかがちょっと分かりにくいというかきちんと提示できていないのではないかという想いが心の片隅に生まれている。いや、観ている最中からその疑問は沸き起こり解決されていない。しかし、不思議なもので観終わった時、難解な舞台という思いはなく、何かがわかったような気になる。
それにしても、エレンのハイテンションには参った。人間、本当に不可解な事に出会った時ほどテンションは肺にはならずもっと暗く静かなものになると思う。そこに人間の本誌地の不気味さ、理論的に無解決なことへの恐怖というものを表すことが出来るのではないかと思う。
こういう題材を扱うには、もっと人間の対する深い洞察とセリフの厳密な選択が不可欠である。

無意識に観客を舞台に引き込んでいく力は、演出と役者の力量だろう。ある意味、面白い舞台を観させて貰った。

ピアソラータ

ピアソラータ

劇団 浪漫狂

恵比寿・エコー劇場(東京都)

2016/04/20 (水) ~ 2016/04/25 (月)公演終了

満足度★★★

各シーンの繋ぎ方にもう一歩の何かが不足
20日、劇団浪漫狂の第40回公演『ピアソラータ』を観てきた。今回も劇団の若手中心に若干の客演を加えての公演であった。

プログラムには、粗筋と登場人物の相関関係図が載せられていたので、参考までに粗筋をアップしてみる。

街の大規模開発を仕掛ける大企業と街の個人店、街の住人やホームレス達…
それそれの生き方や思惑が交錯し、世知辛い世の中で それぞれの立場から"何が本当の幸せなのか"考え、苦悩する人々の人間模様を…
笑いあり、涙ありでお贈りする 劇団浪漫狂のハートウォーミングストーリー

とあるのだが、具体的には街のしがない洋食屋を営む総介とその息子歩を軸に、宗介に行為を寄せている幼なじみのちなみ、店の近辺の開発を進めている会社の社長以下の社員たち、そして実はその会社の元会長がリーダーとなって店のそばのダンボールハウスに住み着くホームレスたちが起こす、地上げ立ち退き阻止騒動と恋愛問題の絡みあったドタバタ劇。
個々のシーンの出来は良くて、時には笑い時には目をうるませられる瞬間もあるのだが、そのシーンが繋がるとど、ういうわけか間延びするというか緊張感が薄れてしまうというか。これは、原作・脚本・演出上の問題なのだと思う。とにかく、無駄な間と笑えないくだらないギャグがやや大すぎるきらいがあるのだ。

役者たちは熱演。特に主人公・宗介を演じたJ田平と彼を慕う幼なじみ・ちなみを演じた伴優香は秀逸な出来。ホームレス集団のリーダーである通称エリート役の成島有騎はもう少し謎めいた影が欲しかったし、歩の実母・貴子を演じた宮島歩はどことなく幸の薄いイメージがあって役柄にあっているのかどうか微妙。時間的に80分ほどに仕上げていたが、内容的には妥当な尺と言えるだろう。シーンの持ち味を、もっと喜怒哀楽の感情の昂ぶりのバランスを考えて繋いでいけば、もっと面白く泣ける作品であったに違いない。そこが惜しかった。

以前観た時も思ったのだが、脚本と演出を分けて行ったほうが、劇団としては生きるように思えるのだが…

ウェルテル

ウェルテル

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2016/04/03 (日) ~ 2016/04/16 (土)公演終了

満足度★★★★

後半からが秀逸
新国立劇場で公演しているオペラ『ウェルテル』の中日に出掛けてきた。
ゲーテ原作の台本にジュール・マスネが作曲したフランスの作品ある。

粗筋は、一言でいえば婚約者のいる女性・シャルロットに恋したウェルテルが、婚約者と結婚して人妻になっても彼女の事が忘れあれず、結果として自殺することで彼女への思いを清算するまでの葛藤を描いた作品。ウェルテルの自分に対する思いに応えたい気持ちと婚約者(後の夫)への思いの間で苦しむシャルロット。シャルロットの婚約者でウェルテルの恋心に感づいたアルベール3人の、本心を隠したままで対峙する2重唱が秀逸な2幕や、シャルロットと自殺に向けて決意するウェルテルの想いが工作する3幕が見所といえるだろう。

実は、観に行く事前勉強で粗筋だけは頭に入れて劇場に行き、特にプログラムを買うこともなく1幕を観た段階では、今まで観てきた様々なオペラと違い退屈だし穏やかな作品で最後まで飽きずに見終えることが出来るだろうかという思いがあったのだが、2幕の内容がかぜん緊迫した物となって気分は一新。あわててプログラムを買い求めて、マスネがこの作品をオペラではなくドラム・リリックと名づけて作り上げた事を知り、なるほどそこが従来のオペラとは違った印象を受けた根本的な理由だったのだなぁと納得した次第。

さて、公演ではウェルテルを演じたテノールのディミトリー・コルチャックと、シャルロットを演じたメゾソプラノのエレーナ・マクシモアの歌唱と演技が圧巻。日本人では、シャルロットの妹であるソフィーを演じたソプラノの砂川涼子の出来が素晴らしかった。動きが比較的少なく、登場人物も少ない本作では、感情を込めた歌唱のシーンが多く、その歌唱に緊迫感がよく込められていて上演のレベルとしては秀逸の出来ではなかったろうか。

指揮は当初ミッシェル・プラッソンだったが、急遽来日不能になり息子のエマニュエル・プラッソンが担当。これまで新国立劇場にはバレエ公演指揮者として2回登場していて、オペラ公演を指揮するのは今回が初めて。ネット上ではバレエ指揮者と軽視する向きもあったが、なかなかどうして上手くオケと歌手をコントロールしていたように感じた。特に後半のドラマティックな音楽作りには感心。若手指揮者として、もっと招聘してもよい人材なのではあるまいか。

「コンサートと無伴奏」

「コンサートと無伴奏」

劇団東京イボンヌ

北とぴあ カナリアホール(東京都)

2016/03/29 (火) ~ 2016/03/31 (木)公演終了

満足度★★★★

久しぶりの『無伴奏』に泣く

「クラシックの楽曲をテーマに、曲に込められた魂を物語に紡ぎだす演劇集団」と、これまでの「クラシック音楽と演劇の融合」という表現とは異なる結成・存在趣旨を明確に打ち出した東京イボンヌによる3回めの企画公演。2回めの企画公演は、いわゆる初期の東京イボンヌの公演という位置づけになるだろうから、今回が現在の東京イボンヌによる初めての企画公演と言えるだろう。ただし、公演内容は、後半に初期からこの集団の財産ともなっている舞台で何度か再演されている『無伴奏』のダイジェスト版を置き(ある意味、これがメインプログラム)、前半に器楽と声楽曲によるコンサート、後半頭に高村光太郎の『智恵子抄』の一部を生演奏の伴奏付きでによる朗読という構成。

前半のコンサートは、ソプラノ4人にテノールとバスという声楽家に加え、集団の音楽監督である小松真理のピアノを中心に、フルート、クラリネット、トランペット、チューバそしてコントラバスという編成で全13曲を披露。面白かったのは、別宮と中田による『さくら横ちょう』の聴き比べだったかもしれない。小さなホールだったので身近に歌を聴くということでは満足の行くものだったが、よほど音楽通でないと原語で歌う歌の意味がわからなかったのではないだろうか。パンフレットに対訳をつけるか、対訳のみ有料で配布したほうがより親切だったと言えるだろう。その点から、イボンヌは物販という分野にも目を向ける必要があると感じた。

ソプラノとチェロによる一部伴奏付きの『智恵子抄』の朗読は、続く『無伴奏』への橋渡し的意味合いが込められていたように感じた。
そして『無伴奏』。10年以上も前にバイトしていた山奥のペンションに姿を表した天才チェリストと言われる女性。密かに彼女に惹かれていたオーナーとの久しぶりの再会は、彼女が重病の身から、心の拠り所としてペンションのオーナーを求めていたからなのだろう。素朴というか朴訥なオーナーと利発なチェリストが織りなす心の交流と運命。全編を観たことのある者にとって、後半部でグッと心にこみ上げるものがあって思わず涙ぐんでしまった。
一般役者と声楽家を交えた舞台は、役者の演技の質にいびつさは感じられたものの『無伴奏』の魂は観客に伝わったのではないかと思う。この作品、イボンヌの財産として貴重である。将来、新生イボンヌの本公演として改訂再演されることを望みたい。

センスがないから死にたいの

センスがないから死にたいの

鳥の首企画

新宿ゴールデン街劇場(東京都)

2016/03/25 (金) ~ 2016/03/28 (月)公演終了

満足度★★★

エロとグロが吹き出す波乱万丈な生き様
何時何の舞台だったか忘れたのだが、その時貰ったチラシの中に鳥の首企画の旗揚げ公演というのがあった。パッと目にした時は気に留めなかったのだが、よくよく見ると「元AV女優の母親から生まれた少女。私は、お母さんから生まれたことを誇りに思います。お母さん、私は、ワタシは、わたしは、貴方になる」という文章が書かれていて非常に興味を持ったのであった。

元AV女優で今は引退している皆川サナエ(一ノ瀬蘭)とその娘ここね(桃谷蜜)のダブル主演の舞台。母に憧れ自らもAV女優になることを夢にみてついには実現することに。その過程で、ここねの兄・ひろむ(中谷篤基)と日根野ゆうこ(柚木春子)のカネ目当て?孤独からの逃避?の擬似恋愛、ここねの友人リコ(衣純)の波乱な半生、彼女の兄・ケンジ(坂内陽向)と教員・夢野みゆき(中村沙羅)の恋愛・結婚・妊娠と、様々な出来事が繰り広げられる、2時間余の舞台。やや出来事を詰め込みすぎてテーマが散漫になった点もあったが、大きな破綻もなく「人と言うのは孤独。決して他人(肉親も含めて)の真似や代わりになることはできない」ひいては「自分をもっと見つめなおすことが大切」という事を繰り返し表現しているような舞台であった、
小劇場系の劇団の旗揚げ公演。脚本・演出か役者の演技の質のどちらかが良ければ合格点を付けて良しとしたいが、今回の舞台は旗揚げとしてはどちらも及第点を取っていたと思う。内容的にエロチックな場面もあるしグロテスクな場面もあったが、これは脚本・演出の南条ジュンの経歴を見て納得の演出。
役者では、主役を演じた2人とリコ役の衣純の演技が光っていた。まだ現役学生もいる役者陣。今後、更なる精進を望むとともに、代表でもある脚本・演出の南条ジュンの新作に期待したい。

負け犬ポワロの事件簿

負け犬ポワロの事件簿

東京AZARASHI団

サンモールスタジオ(東京都)

2016/03/04 (金) ~ 2016/03/13 (日)公演終了

個性豊かな役者の演技を堪能
演劇クチコミサイトのコリッチで告知していた東京アザラシ団のチケットプレゼントに応募した所、見事?に当たったので9日午後に出かけてきた。前々から思っていたのだが、平日昼間の舞台を観に来る時間を作れる人というのは、どんな職業の人なんだろう。

それはさておき、東京アザラシ団という団体は今回はじめて観る団体で、口コミサイトに掲載されていた今回の公演感想が唯一の情報源。どうやら、スタートから楽しめるサスペンスコメディーらしい。

ネタバレBOX

舞台はとある映画の撮影現場。そこで主要な出演者の1人が控室で頭から血を流して死んでいるのを女性プロディーサーと監督が発見したことからドタバタ劇が展開していく。癌で余命の短いプロデューサーは何としてでもこの映画を撮り終えたく、監督に懇願して死亡事件を撮影後まで隠すことにして撮影を続行。ちょうど撮影現場の宿泊施設に日にちを間違えてやってきた宿泊客がその殺された役者そっくりをいいことに、台本の急遽書き換えなどの騒動を経ながら彼を代役に使って映画の撮影とラジオの収録は続けられる。しかし、ついに出演者や他のスタッフに殺人事件が発覚し、さてどうしようというところで舞台内容は大きく変動。出演者の1人が別件の殺人事件で逮捕され、一同唖然とした所に殺されていた役者がやってきてさらにびっくり。実は彼、出演者の1人であるスポンサーの息子が作った人間を仮死状態にしてしまう薬の実験台にされていたことが明らかになり、プロデューサーの癌告知も患者取り違えの誤診出会ったことが分かり一同安堵して幕を閉じる。

小劇場系の典型的な元気ある動きと発声で進められる舞台は、登場人物の個性をやや誇張した感じで表現している分、それが舞台にメリハリをつけていて個性だけでなく人間関係も分かりやすく、笑いを誘う場面では大いに笑わせられる。特にプロディーサー役の阿達由香、監督役の坂本七秋、スポンサーの息子役の中尾優志、宿泊予定客兼殺されたと思われた役者役の樋口太樹、それにラジオディレクター北野満役の渡辺シヴヲの演技はなかなかのもの。
ただ、現擬人のがんばりと適切な演出に反し、所々で原作というか脚本の小さな綻びが多々観られたのが残念。幾つか例にとれば、仮死状態になる薬を役者にどうやって持ったのかの種明かしや、この役者が頭から血を流していたという設定なにのその点についてなにも触れたいなかったり。いや、最大の問題は、仮死状態だった役者が現れた時の一同の反応がやや淡白すぎた点。もっと驚いても良かったんじゃないかな。その驚き方は演出に掛かっているかもしれないが。
それと、タイトルが舞台内容をうまく反映していないようにも感じた。
それにしても、芸達者な役者の集まった楽しい舞台。よい団体を知る機会を作ってくれたコリッチに感謝である。
池袋モンパルナス

池袋モンパルナス

劇団銅鑼

俳優座劇場(東京都)

2016/03/02 (水) ~ 2016/03/06 (日)公演終了

満足度★★★

熱演ではあるが訴えかけが弱い気が
3日午後、六本木俳優座劇場上演された劇団銅鑼『池袋モンパルナス』の公演を観てきた。これは、題材に興味を持ったからである。
というもの、現在自分は千葉県袖ケ浦市に住んでいるが、以前は東京都北区に住んでおり、自宅周辺あった作家たちの集まる地域「田端文士村」と画家たちがあつまる地域「池袋モンパルナス」に興味を持っていたのだ。小熊秀雄が命名した池袋モンパルナスに関しては、CATVが俳優・寺田農(彼の父・洋画家の寺田政明はモンパルナスの代表的な存在だった)をMCとして特集番組を組んだこともある。
そこを舞台にした小説を書いたのが宇佐美承で、劇団銅鑼はそれを基に小関直人が戯曲化して1997年に初演。今回は脚本を改定し、演出に野﨑美子を迎えての再演ということだった。

舞台は、モンパルナスの画家たちが求めるシュルレアリズムの運動が弾圧されていく太平洋戦争時代の画家たちの行動や思想的葛藤を2時間余にまとめ上げたもの。

ただ、扱った内容が広く浅くという印象で、結局全体で何を言いたかったのか焦点がボケてしまったような舞台だった。これは、登場人物個々が熱演すればするほど焦点が曖昧になってしまうという問題を内在したままの演出に起因しているのだろう。いや、演出だけでなく、脚本的にももっと的を絞るべきではなかったろうか。

場面展開や女優陣(特に、土井真波)の熱演には感心させられたが、男優陣の熱演は、熱の入れ方がちょっと違うのではないかと思わせられる場面が度々あったのが残念。
音楽的には生演奏の部分や土井の歌などが舞台を和ませたり緊張感を盛り上げたり。
昨年別の劇団でうあはり画家を取り上げた作品を観た時に感じたのだが、画家の生涯や活動を舞台で取り上げる時の方法論を、もっとしっかり確立しなくてはならないだろうと思うのであった。

そして母はキレイになった

そして母はキレイになった

ONEOR8

シアタートラム(東京都)

2016/01/27 (水) ~ 2016/01/31 (日)公演終了

満足度★★★

絆をめぐる人間模様
世田谷のシアタートラムで上演された、劇団ONEOR8の『そして母はキレイになった』東京公演千秋楽を観てきた。これは、女優の高橋恵子が珍しく小劇場系の舞台に主演で立つというので、彼女の生の舞台を観たかったので出掛けたわけであるが、結果的に期待が大きかっただけに出来が平凡だったような気がしてならない。

プログラムによると、本作誕生のきっかけは、京都・清水寺の住職(ママ)が前年のイメージを漢字一文字で表すという催しで、2011年のイメージを「絆」としたことだとか。今回のテーマは確かに、夫婦・親子・恋人同士の絆というものに触れている。

駆け落ち同然にある街に住み着き喫茶店を営む夫婦。女の子二人という子宝にも恵まれながらも、妻(本作の主人公)は好きな男ができ、夫と子供姉妹を残して男と消え去る。
やがて夫であった男も亡くなり、残された姉妹が喫茶店を引き継ぐのであったが、或る日母がひょっこり立ち寄り、連日通ってくるようになる。その母に冷たく対応する妹と、暖かく迎える姉。母は近所の人からずっと姉妹のことや喫茶店の情報を得たいたらしい。たとえ目の前から消え去っても、親子の絆は断ちきれなかった。では姉妹はどうか。実は冷たく当たる妹のほうが母を思い、姉の方が内心母を許していなかった。姉妹にとって、自分たちを裏切った母を許せるかどうか。これが絆の強さ弱さの問題と言えるのか。まして、亡くなった夫はどうだったろう。結局、母親は海に身を投げる。(舞台ではその後が語られないので母が助かったのか亡くなったのかは不明。まぁ、亡くなったというのが暗黙の了解ごとなのだろう)
最後まで妻の行動を自分への裏切りと受けとりたくなかった夫の行動や、姉妹の母への応対がこの舞台の鍵であり、戻ってきた母の子どもたちへの想いが彼女にとって子どもとの絆の深さ(一方的かもしれないが)を物語っている。舞台はその夫婦・親子の絆を軸に姉妹の恋愛にも触れていたり、隣家親子や常連の会社員たちの演技で笑えたりとかなりヴァラエティに富んだ仕上がり。
ただ、それが総じて舞台全体のテーマを散漫なものにしていたことも否定出来ない。笑いとちょっと間延びした演技の間のあり方の問題なのだろうと思う。
そして、その結果高橋恵子の演技も表面的なものに終わってしまった感があった。
それと、舞台内容とタイトルがどうも一致しないような気がしてならなかった。素直に『家族の絆』とでもした方が妥当だったろう。もしタイトル通り「母がキレイになった」なら、夫や子供を裏切った行動を肯定してしまうことになりかねないからだ。ラストで海に飛び込んで亡くなった結果、姉妹の記憶の中で母がキレイになったと解釈すれば、また話は別なのだが・・・・

まぁ、作家が本作に投影した絆のイメージが曖昧なものであった結果なのかもしれない。
なお、出演者各位はなかなかの熱演。作品の不備を少なからず薄めてくれた。

くるみ割り人形

くるみ割り人形

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2015/12/19 (土) ~ 2015/12/27 (日)公演終了

満足度★★★

新人・木村優里の踊りを堪能

26日の午後、新国立劇場で上演されたバレエ公演『くりみ割人形』を観てきた。主な配役は画像を参照されたい。この日、主役である金平糖の精を踊ったのは、今年春に新国立劇場バレエ研修所を終了し、すぐにソリストとして入団した新人の木村優里。ファースト・ソリストの寺田亜沙子を押しのけ、小野絢子、米沢唯に次ぐ次世代の主役として期待される逸材。実は別に彼女が踊る日を選んで出掛けたのではなく、購入したチケットの公演日がたまたま木村の踊る日だったというわけだが、正直こういう有望な新人の踊りを見ることの出来る日に当たったというのは誠に幸運というか有りがたかった。
肝心の踊りであるが、しっかりした動きで基本・応用とも十分に身についているという印象ではあったが、やや小ぢんまりとまとまってしまった感が無きにしもあらず。もう少し大きく大胆な踊りへと成長していって欲しいものだ。笑顔の表情もなかなか美人であり、確かに次世代のホープとしてみて間違いないだろう。
王子役の管野英男もよくサポートしていたし、王子役としても踊りもしっかりしていた。惜しいかな、もう少し慎重があれば文句なしである。
クララを踊ったのが広瀬碧。彼女の配役もある意味抜擢と言えるものであったが、いわゆる役柄に徹しきれていたとは言えないような印象を受けた、彼女の場合、顔の表情で損をしてるように思われる。

そのほか、この日はくりみ割人形役の小野寺雄が転倒するミスが有ったりしたが、大きな破綻は無し。
問題は、演出全体がちぐはぐで、ストーリーを追うことが難しいというか支離滅裂な部分が出てきてしまう点。牧版の欠点とも言えるクララ・金平糖を分けたことや、舞台上の踊りての配置がスカスカであるというのは誰もが認める所。さらに1幕先後にクララが1人で馬車に乗って退場したのに、2幕ではクララだけでなく王子まで馬車に乗って登場というのは前後の脈絡無視の演出としか言いようがなかった。
結局のところ、2幕はバレエ小品集を集めたものと割りきって観るよりほかはなかった感じ。
その中で、アラビアの踊り、中国の踊り、そして花のワルツはなかなかの出来栄えであった。特にアラビアの寺井七海と中国の奥田花純の出来栄えが素晴らしかった。

次回のバレエ公演鑑賞は、来年5月のドン・キホーテになりそうだ。

ノー キディング

ノー キディング

円盤ライダー

鶯谷・HOTEL SHERWOOD(東京都)

2015/12/14 (月) ~ 2015/12/30 (水)公演終了

満足度★★★

観客参加型芝居の難しさと楽しさの間で
29日夜、東京・鶯谷にあるビジネスホテル・シャーウッドを使っての演劇公演、円盤ライダーの『ノーキディング』を観てきた。この演劇は、ホテル最上階の宴会場を主会場に、一階下の数部屋も使い、観客を移動させたり謎解きをさせながら進行させる観客参加型の舞台である。
舞台の設定は新人警察官合同交流会(新人警察官とは観客のこと)の最中に、交流会で演劇を披露する予定だった劇団員の関わる殺人未遂(暴行)事件が発生し、観客と役者が一体となって犯人を明らかにしていくというもので、観客は公安・鑑識・マル暴・捜査一課のフループに分かれ、それぞれリーダー役の役者にリードされて階下の部屋にいる容疑者の元に行き話を聴き、主会場で合同会議を行って犯人を明らかにしていく。
とは言うものの、スタート直後で直感から犯人と思われる人物は容易に想定でき、結局は想定通りの結果に終わるので、劇自体の筋書きというのはあまり楽しめない。観客の楽しみは、劇中に参加して捜査の真似事をしていく過程にある。その楽しみからか、自分の出掛けた日にも数人のリピーターがいて楽しそうに出された問題を解いていた。逆に、初めてしかも1人で参加した自分は、グループ連れやリピーターなどが問題を解いている姿を観つつ、「結局犯人はアイツかアイツでしょ!」みたいな思いを抱いていた。

参加型ではない部分に関しては、よくありがちな大声を出して元気よく演技するスタイルのもので、ラストになかなかしんみりさせる部分もあるのだが、観客参加部分を含めた雑踏の直後だけに、そのしんみりさが会場に溶け込めない印象を受けたのが残念。
ついでに小さなことながら、チケットは1ドリンク付きで、捜査途中に休憩タイムのような時間が設けられ注文したドリンクがサービスされた。しかし、自分と自分の隣の男性は注文したドリンクを受け取れなかったのだよね。

SEX

SEX

劇団時間制作

サンモールスタジオ(東京都)

2015/12/16 (水) ~ 2015/12/23 (水)公演終了

満足度★★★★

性同一性障害者を中心に様々な愛の形に悩む人々を好演
知人の役者・奈苗が、初めて普通の女性を演じる舞台ということで観に行った。もっとも、彼女の舞台を観るのは今回が初めてなので、普通じゃない女性を演じた時との比較というのは出来ないんもであるが・・・・(苦笑)

さて、『SEX』とうなかなか過激なタイトルなのだが、これは性行為を意味しているのではなく、性別ということ。それは、この舞台の中心にいるのが性同一性障害の女性が、結婚をすれば自分が男から女になれるのではないかと結婚をし、頭ではわかっているものの感情的に女になりきれずに悩むということにあるから付けられたのだ。
しかし、この舞台となっている長瀬貴子が切り盛りする銭湯には、弟の嫁であるこの性同一性障害の麗美だけではなく、同性愛に対する周囲の目に悩むレズ関係の客や、父親をホームレスにし結局死なせてしまったという負い目から無料で入浴させているホームレス男性久我など、周囲から観ると厄介な客で溢れている。しかし、その厄介という見方が問題で、もっと本人を人間らしく観てあげられないのかという問題が一方に有り、理解しているように言うこと・接することが本心からなのか偽善からなのかという問題も付きまとってくる。それを明確に口に出し、舞台後半では何となく悪者的な存在になってしまう貴子の従姉弟・聖也の「人は上でな動かない」「口に出している時分はまだマシで、厄介かのは口に出さずに偏見の目で観ている人たちだ」というセリフは、なかなか現実を鋭く捉え突いているといえるだろう。
今年は、マイナンバー制度や、各地で同性婚許容の条例化などが問題となっており、まさにタイムリーな内容の舞台である。扱う内容が深くかつデリケートな問題であるのだが、時折笑いを誘う演技を交えてそれを上手く中和しつつ、肝心な場面では的確なセリフと演技で観客を泣かせ90分の作品に仕上げた脚本・演出の谷碧仁の努力には拍手を贈るとともに、熱演した役者たちにも賛辞を贈りたい。

最後に、自分の嫁が性同一性障害と知っても愛し別れないと抱きしめた夫の明人がポツリと「でも、ちょっぴり嘘をつきました」と漏らす本音と、舞台に涙したした観客たちが部外者でなくこうした問題の当事者になった時涙を流せるのかなぁという思いを抱いて、劇場を後にした自分。自分の周りには、実はこうした障害を持った人や同性愛者が少なからずいて交流を持っており、観客の涙がただ偽善でないことを祈るばかりだ。

役者についてみると、舞台全体のまとめ役的な存在の長瀬貴子役の奈苗と、性同一性障害者の悩みを好演した長瀬麗美役の森田このみが秀逸の出来。思ってことをズバズバ言う小澤聖也役・倉富尚人、母子家庭でレズであることを母親に打ち明ける事に悩む北村直美役・永井李奈もなかなかの演技を魅せてくれた。長瀬麗美の夫役で長瀬明人役・小川北人は、受け入れるまでの悩みをもう少し演技で見せて欲しかったが、これは役者の問題ではなく脚本の問題と言えそうだ。

この公演、Aチーム、Bチームの完全ダブルキャストで、チームが変わると舞台から受ける印象もかなり変わるらしい。自分の観たのはBチーム。時間があれば、両チームの比較という見方も面白いだろう。

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