ふじたんの投稿したコメント

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トッチー トッチー 会場側のふてぎわがあったようで、かわっておわびします。気持ち良く観劇できなくて、なんのアゲタガリかと。またのおこしを、お待ちします・・・
2016/12/23 05:22
ガチャピン ガチャピン アゲタガリって,なんなんでしょうね。ロボットの機械仕掛けが好きな人向きなのでしょうか? オスカー・ワイルド『幸福な王子』の一部パクリ作品かもしれない。自分の身体の金箔を分け与えていく。その博愛とか,自己犠牲に,子ども相手の演劇を,仙川劇場で観たときほどの感動,涙は,今回,私も出なかったのはなぜか? 初めて来訪する演劇しろうとには,いろいろな対応・発見が新鮮で,感動できる。ところが,たくさんの演劇を観てレベルが高い方たちには,たいへん愚作に感じられる。 書き込みに出現する,常連・熱烈ファンは,宝〇・四〇ファンと同じで,前半の不入りに焦って動員して,ほめちぎって・・・いるだけでしょうから。あてにはなりません。いずれにしろ,飽きられるのは目に見えています! ところで,座席らしい座席を設けないのも,パクリ。(投げ銭も) 座席を確保できずに地べたにすわるのは,花園神社・花やしき(唐十郎)に参加するときは,もっとひどいので覚悟しておいた方がいいですよ。テントなので,エアコンがなくて,厳冬・酷暑での観劇は苦痛です。しかし,それでも,最後にテントが壊れて,遠くに東京スカイ・ツリーが見えたりすると爽快! このおぼんろも,最初は,今回のような座布団すら用意しないで,丸めた段ボールで,客に対して,SM感覚で迫っていたのです。でも,私が,持参クッションを見せたら,考えを変えた・・・かもしれません。 今回の作品は,私は,一番よくわかんない!ものだった。過去の勇姿を,同じ劇団,同じ俳優の中に,思い出してなんとか90分を過ごしたものです。我慢して,次を見たいと思うのは,勝手ですが,今回は空振り・・・だろう。
2016/12/09 21:35
Eiche Eiche おぼんろは,さらに,多くの人に見に来てほしい!と訴える。しかし,その真意は,どのようなものか。 まず,倍々作戦などは,単なるジョークでしかなく真実味がない。そのような「ネズミ講」的な勧誘は,美しい観劇集団にもっともふさわしくない。 ぼくたちのやってることは,子どものような美しい心を取り戻したい活動なのです。劇場の規模も,「D倉庫」規模がちょうどよく,それ以上のおしゃれなシアターは苦手です。そこに来て,ケツが痛くなるのを忘れて,無邪気な気持ちになれる「しあわせなる少数のものたち」が必要なのです。あなたがたは,スタンダールが,To the happy fewといった観客!その仲間をひとり,ふやしたい! といったら,いかがでしょうか。チョウカク・チョウカク,も,よくやったヒロシ!はもはや,いらない。(だれが,ばばあじゃ!は,いいかもしれない・・・) そもそも,演劇を見に来るおじさんなどは,社会的に多少のたくわえはあるが,芸術的な場をあまり知らない。お友達も仕事仲間,同窓生くらいしかなく,どこぞから大量動員してほしいなんて要望はむちゃぶりですね。(親戚すじのおねえちゃんが,ストリートライブを始めたから,毎週通ってほしいとツイートしていますが,うんざり!それに似てる) 『ビョードロ』で到達した格調の高さには,敬意を払うものの,それはその作品にロジックやら,展開,個性的な演技力が多々あったからでしょう。公演そのものに,力があった。 たとえていえば,チェーホフ『かもめ』を,あまり崩さないで上演し続ける方が,成功する。イプセン『野鴨』を,手を加えず,静かに演じた方が良い。おんぼろは,金太郎飴劇団です。でも,『ビョードロ』は,最高傑作です。その類似品は,もう見たくないのです。 なのに,かもめを,ニワトリ版にしたり,七面鳥版にしている。さらに,「野鴨」を,帰り際に,グッズで売るような無神経さが垣間見える。自殺した少女を悼む観客は,観劇のあと,失望してしまう。どこか,視点がずれ始めているのです。 スタニスラフスキーとか,チェーホフは,『かもめ』について,必ずしも一致した見解をもってはいなかった。しかし,モスクワ芸術座は,その看板に,「カモメ」を掲げることになった。「カモメ」は,とても神聖なシンボルとなったのです。 『ビョードロ』にも,同じようなものが現れましたね。『ビョードロ』「ジョウキゲン」の,狂気,生まれながらに,タネを滅ぼすことしか知らない純粋な「魂」の矛盾した輝き,美しさ,それが忘れられません。
2016/12/06 11:56
たらい たらい 「おぼんろ」劇団の上演方向で問題が浮上! 美しい作品観劇集団を形成していくには,決して方針は変更してはいけない。いつもの仲間が,いつもの小道具の山で,静かに公演を見て感激すればよい。とくに,メンバー変更があったり,プログラムを変えてしまえば,「寅さんシリーズ」は中核を失う。このままいけば,自分たちの宗教的会合はマンネリで永遠に続いていくのだろう。 メンバーは,女性が多い。その場所は,イケメンのお兄さんが,ホスト・クラブ的に,おもてなしをしてくれれば彼女たちは,癒されるのだ。そして,演劇のなんたるかを良くわかってない,ぼくのようなおじさんたちは,圧倒的に女性のいるグッズまで売っている,ジャニーズ系の集会所に,混じって快感を得ているのかもしれない。 では,『ビョードロ』のような傑作は,まさにセレンディピティというわけか。彼らは,たしかに力ある役者ばかりだ。しかし,主宰にひっぱられて,大衆演劇に落ちていくということだろうか。なんと,惜しい! 大衆演劇でいいじゃん。金太郎飴でいいじゃん。
2016/12/05 20:59
ふじたん ふじたん 生死という観念は,どんな論理があるのだろうか。浄土と娑婆(しゃば)の問題には,深い思考がある。生死など,もともとないという考えもある。 生死とは,たいてい何であろうか。生死は,自然界での変化に過ぎない。とくに,これを生死といって騒ぐのは,動物の中でも人間くらいのものだ。犬や猫は,確かにそのようなことはない。 人間以外の,生きているものにも変遷はある。推移,転化はある。しかし,生死とは呼べるようなものがあるようで,ない。このことは,相対的なものではなく,宗教的な問題を考えるとき,重要なのだ。 生死とは,人間がある意識の状態を,一つの立場として,名前を与えたものといえる。それゆえに,生死のうらには,人間の意識がおおきな存在として動いている。生死そのものは,元来,客観的にはないのかもしれない。 浄土宗も,浄土真宗も,ともに浄土系である。阿弥陀の本願をどこまでも,信ずるにおいて,弥陀の称号を何度もとなえるのが,浄土宗だが,真宗は,信を強調する。さらに,浄土宗の他力に比べ,真宗の他力は徹底している。 真宗信者の目的は,浄土に往生することにある。一心一向に,弥陀を念ずると,死後浄土に往き生まれる。正覚を生ずるに最適な環境であるのだ。浄土の問題は,宗教の根本問題である。盲目的に従い,真理にめざめる。 在家宗,俗人宗の区別は,浄土真宗においてはない。そこには,僧侶というものがない。もともと,仏教は難解に向かいインドにおいては滅んだ。中国をへて,日本にあって,親鸞上人によってわかり易いものと昇華した。 真宗信者は,キリスト教のような意味の,祈りは認めない。純粋に他力だから,この世のあらゆる出来事を甘受すべきなのだ。極楽と,娑婆(しゃば)の問題は,宗教生活の根底である。穢土(えど),と浄土といってよい。 極楽は,霊性(れいせい)の世界,娑婆は感覚と知性の世界である。娑婆から,浄土が見え,浄土から,娑婆が見える。時間的には,隔てはない。自己同一にして,同一ならざるものを,一如という。それが,「自然」となる。
2014/09/18 04:05
ふじたん ふじたん 『演劇論の変貌』という本の序で,毛利三弥氏は,われわれが日常的に楽しんでいる演劇について,大学ではどう研究されているか,説明している。 世界で最初の,演劇学科は,1923年に,ベルリン大学で設立された。このときまで研究者は,文学科の中にいて,ドラマ研究をしていた。演劇研究の中心は,テキストである「文学」ではなく,上演されたものでなくてはならない。 しかし,舞台表現は,完成と同時に消滅する。過去の舞台表現を再現することはできないのだ。演劇学科が出現する頃には,「演出家」の台頭というものがある。演出そのものの定義があいまいだが,それ以前にも,座長演出みたいなものはあったようだ。スタニスラフスキーなどは,役者兼演出だった。 文学テキストとしての戯曲が,読むだけでは想像できない舞台になる。そのとき,演劇は,文学の領域を飛び出してしまう。確かに,イプセンの戯曲を何度も読んでいるので気がつく。実際に目の前で上演されたものは,戯曲を読めばさらに理解が深まる。しかし,そうでない作品は,どこかぼやってとしている。 パフォーマンスということばは,大道芸みたいなものをイメージするだろうか。このパフォーマンス(performance)という言葉が,演劇・音楽・ダンスなどを総称して呼ぶうちに,いろいろな使い方がされ,キーワードに利用された。パフォーマティヴィティ(performativity)と抽象名詞化していく。 新しい演劇・ミュージカルの傾向には,いろいろな特徴がある。工業資本による娯楽性付加には,「お話」が重要で,保守的と思われるドラマ回帰が目立つ。(『ニッキー』みたいなものでしょうか?)。異文化接触上演intercultural performance(『ライオン・キング』が該当するかもしれません)。 先端テクノロジーに依存する舞台表現。これは,何を言っているのか。『ミス・サイゴン』で,ヘリコプターが飛ぶような仕掛けのことでしょうか。演劇よりダンス,あるいは,ダンステアターに,現代的前衛上演のあり方を求めている風潮。例えば,『葉っぱのフレディ』も『ココ・スマイル』もそうですね。一番すごかったのは,やっぱり,『ニッキー』でしょうか。 『演劇論の変貌』の一著者は,演劇の上演的側面をいかに美学的にとらえるかが,関心の中心となってしまう。ということは,論理的な問題,ストーリーは,二次的に観て良い,演劇・ミュージカルもあるということでしょうか。ただ,ストーリーも,大事なのだと私は思うのですが。
2014/09/05 09:09
ふじたん ふじたん ぼくの創作のスタンスは,常に,社会の底辺で生きているひとたちへの応援歌。 つかこうへい(1948-2010)の,追悼冊子から, 「口立て」,つか君の芝居の作り方は,演出しながらどんどんセリフを変えていく。近代演劇史にあっては,つか前,つか後に区切られるほどの存在である。 つかは,厳密には演出家ではない。文学・戯曲をむこうに回し,思想的に対決することで良い舞台ができる。純粋に演出家であろうとする者,たとえば,蜷川幸雄などは戯曲を書かない。 つかは,S.49.に,『熱海殺人事件』で,岸田戯曲賞を,S.57.に,『蒲田行進曲』で直木賞をもらった。 『ストリッパー物語』(1975)は,明美と重の物語だ。ヒモである重は,明美を,劇場支配人などを有力者に当てがい屈折した関係を続ける。この関係は,『蒲田行進曲』での,銀ちゃんと小夏の関係でもある。そこに,ヤスが割り込む。 つか芝居の魅力は,二人の俳優が二つのセリフを同時にしゃべって,掛けあいになることがある。 唐の戯曲は難しい,赤テントなどが役者が濃すぎたり,客席が窮屈とか,野外であつかったり,寒かったりした。ほかにも,どぎついものを避け,元気がなくなるようなものも敬遠する。そこに,つかが楽しく笑えた。 新国立劇場の小劇場のこけら落としで,つか作品は上演される。つかの背景にある思想について,騒動となっている。その後,二度とつか作品は呼ばれていない。 つか作品では,俳優が役作りをする過程こそが演劇である,という気がする。また,つか作品では,舞台装置が俳優より目立つことはほとんどないだろう。階級と役割を意識し続けるのは,別役実から引き継いでいるが,別役の方が乾いているのに比べ,つかは湿っているといえる。つかの作品は,恨みがましい。 悪久悠との対談。言葉の力が弱っていることについて共感する。劇画とゲームで日本語を覚えると,フォルテしかない。しかし,実は,ピアニッシモで語られる部分にこそ,すごいインパクトがあるのだ。「うるせー」「てめー」「このヤロー」しか知らないから,次は刺すしかない。そこで語れる言葉をもっていて欲しい。 僕の芝居,一回も暗転やったことないんですよ。最初に役者があって,その役者がどうしたら一番魅力的に輝くか,そこで演出家は活躍する。 『ハムレット』には,墓堀りの場面は不要。なぜなら,当時有名な道化役者を出すために作った場面だから,あんなものはいらないと思う。 幸せになるということは,誰か他人を無意識に奈落の底に落とすことで成立するものかもしれません。 地方の市民会館は,たいへん豪華で,贅沢にできている。そこでは,建築デザインばかりが優先される。しかし,音響効果についていまいちである。声のデッドゾーンなどがあることが多い。芝居は,デッドゾーンのない,小劇場が好き。 ぼくの創作のスタンスは,常に,社会の底辺で生きているひとたちへの応援歌。
2014/09/04 07:47
ふじたん ふじたん 『海辺のカフカ』村上文学の,文体について・・・ 翻訳とは何であろうか?日本語と,英語という,隔たりのある言語系統では,ほんとうのところ意味をスムーズにおきかえることは難しい。『英語圏の言語と文化』井口篤は,『ノルウェーの森』の文章は,会話の舞台がアメリカであってもおかしくない,登場人物はアメリカ人が,アメリカでおしゃべりしているがごとき雰囲気がある,と指摘する。 このことは,どういう理由から来ているのだろうか。単なる印象であるわけではない。村上の文体そのものは,根底にアメリカ性が内在していて,彼自身は,多くのアメリカ作家の小説を読んでは翻訳して来た結果獲得された特徴なのではないか,という。彼の文体は,いきおい半アメリカ人の小説であり,西洋人に親和性がある世界となり,人気がある。 自分のことを理解してもらうことは,さほど重要だとは思わない。もちろん,理解されるならば,その方がいいだろう。しかし,現実には,どうにもならないことは多い。しかるべき時期が来れば,おのずと,答えは出るものなのだ。永沢,渡辺は,そういう諦観がある。無理に願うのは,恋をしているようなものだ。ハツミには,まったくわからない話。 今回,『海辺のカフカ』は,蜷川幸雄脚本・フランク・ギャラティ演出で観劇した。その前後に,村上春樹の原作を比較的じっくりと読んでいく。演劇は,原作にかなり忠実に行われていた。『海辺のカフカ』そのものは,文学・演劇に精通したひとに受けるような趣向がいたるところにある難解な作品にちがいない。でも,演劇は痛快であった。 『海辺のカフカ』という作品は,実に魅力的で不思議な作品だった。しばらくこの作品の構造などについて考えみたい気がする。いつの日か,ほかの作品にも手を出すかもしれない。しかし,おそらく彼の作品中で,一番わかり易く,親近感がわくのは,『海辺のカフカ』となると直観する。本作品は,原作において,たいへんおしゃれで,深遠である。
2014/06/12 21:38
ふじたん ふじたん オペラ座は,1669.6.28.誕生した。ルイ14世は,オペラを上演する「アカデミー」創立に関する勅許状を,ピエール・ペランに送る。独占営業権を認めたことになる。バレエを重視したルイ14世は,1661年に,王立舞踏アカデミーを創立した。この頃,イタリアでは,オペラという新しいジャンルの舞台芸術が発展する。近年イタリアでは,アカデミーができ,オペラを上演する。イタリア風のオペラを,フランス語で創作し,それを実演するオペラ座が必要となる。 アカデミーは,「組織」「団体」,要するに「歌劇団」。初代総裁は,ピエール・ペラン。彼は,球戯場の誓いで有名な,ジュ・ド・ポームを借りる。客席は,1200-1400ほど。彼は,負債で投獄され,かわって,ジャン=バティスト・リュリが浮上する。リュリは,まず,フランス語はオペラに向くか疑問視する。ペランから,オペラ座の営業権を買い取る。「王立音楽アカデミー」となる。 モリエールが死ぬ。パレ・ロワイヤル劇場がオペラ座になる。ここから,リュリは独走する。モリエール考案のコメディ・バレエ=舞踏歌劇は発展していく。演劇と舞台の統合。もともと相性は悪いかもしれない二つの芸術は融合する。ここに,振付師として有名な,ピエール・ボーシャンの名前があがる。 ロイヤル・オペラ,ロイヤル・オペラ,などとイギリスでは言う。イギリスでは,このロイヤルの使い方は結構おおらかだ。王室が経営していないものでも,宮廷御用達的に名乗る場合も多い。ロシアに比べて,イギリスは少しゆるい。 オペラ座は,1669年前後を境に,宮廷バレエは,新しい時代に突入する。オペラ座は,中心はあくまでオペラである。やがて,アマチュアは消え,プロが踊る時代になる。オペラ座に史上初の,四人のダンサーが登場する。そして,ジャン=バティスト・リュリは亡くなる。宮廷バレエは,場面の連続だ。ひとつひとつアントレがある。やがて、ロココ時代になる。 オペラや,バレエの多くは,この時代,神話ものばかりだった。1713年,ルイ14世は,オペラ座に関する規則を定めた。オペラ座の歌手は,14人。ダンサーは24人となる。バレエ学校が正式に設立する。1715年に,ルイ14世は死に,軽佻浮薄なロココ時代にはいった。一方で,仮面舞踏会も頻繁となる。 ここで,ルイ・デュプレが登場する。衣装革命も起きる。ここから,名手の時代が始まる。 デヴロッペ=片足で立つ,もう一方の足を頭上にもちあげる。 また,デュプレの後で,アントルシャ=跳びあがりながら,両足を交差させる。女性の踊り手に注目が集まる。 参考:オペラ座の迷宮(鈴木晶)&バレエの歴史(佐々木涼子)
2013/07/10 20:38
ふじたん ふじたん 発祥当時のバレエは,フランス王の権力と光輝の芸術的表現そのものだった。 最初のバレエは,1581年10月15日に,カトリーヌ・ド・メディシスによる『王妃のバレエ・コミック』(ボージョワイユ作)だった。フランスを統一したフランソワ一世も,国内で,カソリックとプロテスタントの対立が激化して,これに頭を悩ませていた。このころ,聖バーソロミューの虐殺もあった。 『ポーランド・バレエ』は,体裁は,ほとんどバレエであったが,そこに,スケールとか,輝かしさが不足していた。1578年バレエballerという語が,文献に出現する。中世フランス語の踊るという動詞である。『王妃のバレエ・コミック』は,スペクタクルである理念を明確に打ち出した最初の作品となる。バイフは,音楽にアクション(演技・筋)や,ドラマチックなスペクタクル(演出)と結びつけて,古代ギリシアの演劇を再現しようとした。異端視されたガリレオ・ガリレイが,まだ少年だった頃の話である。 「諸芸術の融合」こそは,バレエに欠くことができない重要な理念であった。『王妃のバレエ・コミック』は,どのようなバレエだったのであろうか。神話の人物は,台車に乗って観客の前に登場する。演技者と観客の交流は,直接的で密度が高く,細心に計算されていた。泉を模した台車の上には,12人のネレイス=海の精がいる。その周りに8人の半人半神海の精=トリトン。ネレイスたちは,ヴァイオリンの音に合わせて,幾何学的な図形のバレエを踊る。最期は,王の勝利を40の行進と,図形からなるグラン・バレエで祝う。 乱世から,平和で秩序ある世への移行を王権に託し,その希望を快い音楽と一糸乱れぬ整然としたダンスで彩ってみせた。諸芸術の要素を融合させ,神話を用いて哲学的な観念を表現し,政治の安定を表現する道具としての『バレエ・コミック』が完成した。バレエに,スケールとか,輝かしさが重要視された理由は何か。それは,発祥当時のバレエは,フランス王の権力と光輝の芸術的表現そのものだったからだ。 参考文献:佐々木涼子『バレエの歴史:フランスバレエ史,宮廷バレエから20世紀』
2013/07/10 06:11
ふじたん ふじたん 『ドリアン・グレイの肖像』のプロットは,ドリアンが,ヘンリー卿とバジルの欲望をかきたてる存在であることを前提としたものである。その点では,確かに,不道徳きわまりない出だしなどであるが,作品全体は比較的静かだ。美青年を愛するとか,少年愛とかの作品かと思うと,これは少し違うのだ。 ドリアンとシビル・ヴェインの恋は,身分ちがいの恋だけなのだろうか。ドリアンが愛したのは,シェークスピア劇のロザリンド,つまり男装した美少女だったともいえる。ここで,ジェンダーがあいまいになっている。ドリアンのキスによって,シビル・ヴェインは,シェークスピア劇の世界からも目覚めると同時に彼女は,ドリアンの愛を失うのである。 というわけで,普通の童話では,目覚めて,王子の愛にしわあせを得るのが,逆になる。同性愛者が,いたずらで書いた物語と言われるゆえんである。この物語に終わりで,肖像画は,決して戻ってはいけないとの批判もあった。それは,肖像画が醜くなってしまうのでは,ありきたりの老醜の物語になってしまうからだ。それもまたひとつの意見ではあろう。 いずれにしても,作品自体はさほど背徳的でもないが,オスカー・ワイルドが性倒錯者であったと評価があったので,この作品はひどく批判された。私生活が乱れている輩の書く作品にろくなものはない,ということかもしれない。 ドリアンは,画像と入れ替わりたい願い,その願いは叶った。だが,彼は,醜くなった画像と永遠の美しさを保つ肉体の落差に耐えられなくなり,画像を刺すことによって,自らの死を招く。物語は,やはり,ドリアンを主人公として,ワイルドの分身を描いているものなのだと思う。 ヘンリー卿は,明らかに全能の語り手ではない。彼は,物語の最後まで,テキストの冒頭の画像の青年の美青年を見つめている。読まれることを拒むテキスト。ドリアン自身は,いつでも美しい芸術作品になりかわりたい。時間を消去したい物語でもある。18年の物語。生ける画像,とインペイされた物語。 ドリアンの生は,蜘蛛の巣だらけの屋根裏部屋に隠される。彼の生は,読まれることを拒むテキストとして,画像という棺に封じ込められ,屋根裏の墓場に埋葬される。ヘンリー卿はいう。バジルについて,魅力的なところは,すべて作品に注ぎこんでしまい,実人生は,偏見・主義・常識だけの人物なのだ。
2013/07/10 06:07
ふじたん ふじたん オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』という文学作品は,演劇・ミュージカル・オペラ・バレイ・映画と,広汎に作品化される世界の名作となっていきます。この小説は,1890年頃に最初に出版されています。 オスカー・ワイルドは,子どもの頃から女の子の服を来た写真も残っていて,大人になっては,本当の性倒錯作家になったといわれています。たしかに,『ドリアン・グレイの肖像』のはじまりは,画家バジルと,ヘンリー卿が,ドリアン・グレイの美貌にのぼせあがっていますので,危ない傾向は見えます。 しかし,画家バジルは,純粋にドリアン・グレイの肖像に愛着を持っているだけだったり,ヘンリー卿も立派に妻が存在する人であったようで,作品内には,たとえば,プルーストの小説的なけったいな場面はありませんでした。 作品は,後半部分は,私には,少し複雑であり,やや退屈になっていくので,そろそろ終幕とします。 ロザリンドを演じていた娘に対する愛は少しはあったと思います。偽名を使っていたのも少しのいたずらッ気だと思います。ただ,このため娘の弟は,苦労して,ドリアン・グレイを探しあてますが,結局,若すぎる彼が当人とは思えないのです。彼も非業の最期を遂げますが,ドリアン・グレイのナイフ自殺は劇的です。終わってみると,見事に絵は絵にもどり,ドリアン・グレイは,老いた彼自身になっていたのです。 参考文献:『ドリアン・グレイの肖像』OscarWild(光文社古典新訳文庫)
2013/07/04 20:08
ふじたん ふじたん ドリアン・グレイと,娘は,相思相愛になっていいムードにもりあがっていきます。ここで,ほんのちょっとしたいきちがいがあって,ふたりは,ロミオとジュリエットを現実社会で実演していきます。 まず,娘は,さほど芸術的なものを志向してシェークスピア劇を演じていたわけではありません。とりわけ,悲劇関係では,なんとなく悲しみを演じていたわけです。母親たちとの貧乏暮らしを救ってくれたのは,しがない座長だったわけで,いつかそのような厳しい演劇から足を洗い普通のママになりたかったのです。それが,もしかして,今訪れ,演劇そのものがいわばどっちでもいいものになってしまったのでしょう。 これに対し,ドリアン・グレイは,出会いが,女優としての輝きを持つ娘に恋していたので,シェークスピア劇を,その悲劇を満面の笑みを持ってぶちこわす演技となったことに深い失望を抱きます。それは,彼女に対し,激しい怒りとなり,声を荒げて批判します。部屋に戻って,ただただ哀れみを請う娘の姿を思い出し,自分も少し悪いことをしたのではないかと反省しますが,時すでに遅し,娘が毒を飲んで,自殺してしまったことを知るのです。 画家バジルは,このような時に,のーてんきに,自分の絵をいよいよ出展しようかと気が変わったから,どうせ飾っていないなら一ヶ月貸してくれとしつこくせがみます。しかし,ドリアン・グレイの肖像画は,この時点で,醜く変貌し始めていたので,彼は,もはや誰にも,絵を公開できないと考え始めていたのでした。ドリアン・グレイ,実際には,老化し,醜くなっていくのですが,この小説では,トリックが働きます。ドリアン・グレイは,いつまでも肖像画の書かれた時期のままだったのです。このあたりから,この小説は,怪奇オカルト小説に変貌していきます。 これで,やっと第九章まで来ました。半分くらいでしょうか。
2013/07/04 20:08
ふじたん ふじたん ドリアン・グレイは,ある日ぼろ劇場の前で,客引きにあって,くさいシェークスピア劇をみるはめになった。だが,そこにいた少女に完全に心をつかまれて,彼女が出る舞台を毎日みるようなことになってしまった。これって,よくある話かもしれませんね。 ロンドンの街を歩きまわるドリアン・グレイ。そこで,何かがぼくを待っている。美の探求こそ,人生の真の秘密だ。ぼくは,生まれて初めて,美しいものを見た。単に美しいものは,見ているだけで目に涙が浮かんで来るんだ。演劇では,よくあることですね。 ある夜,少女は,アーデンの森で,ロザリンド(お気に召すまま)を演ずる。女優こそ愛すべき存在と思って,ドリアン・グレイは,少女と婚約にいたる。 ここで,ドリアン・グレイは,画家バジルを批判する。彼は作品に自分の魂を注ぎこむから,実際の生活ではきわめて凡庸な男でしかないのだ。なべて,世の優れた芸術家はみな彼のような欠点が見えると指摘する。 画家バジルは,自分に美しい肖像画をプレゼントしてくれた。しかし,ぼくは,この肖像画に嫉妬している。だって,半月もたつと,自分は少し年老いている。なのに,肖像画の中の自分は,少なくとも今より若く美しい。その関係が逆転するなんてことは,絶対ないのだから。 これで,第六章まで来たことになります。
2013/07/04 20:06
ふじたん ふじたん オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』を読み始めてみよう この小説の最初の方は,美貌のドリアン・グレイに対し,画家バジル・ホールワードと,芸術の命は,新しい手段の出現,あるいは,魅力ある芸術の対象となる人物の出現,であると信じているヘンリー・ウォットン卿が,火花を散らす三角関係の話から始まる。 初めて画家バジルが,ドリアン・グレイに会った印象は以下のようなものである。 「ちょっと振り返り,そして初めてドリアン・グレイを見たんだ。目が会った途端,自分が青ざめていくのがわかった。奇妙な恐怖に襲われたんだ。」 これって,恋した少年のようなもんですね。ほとんど。 ヘンリー卿は,ヘンリー卿でこのようなことだ。 「ヘンリー卿は隙のない微笑を浮かべながらドリアンを眺めていた。彼は,どんな時に黙っているべきか,心理学的に正確に心得ている。彼はとても興味を惹かれていた。自分の言葉がドリアンに突然与えた印象に驚き,・・・」 ヘンリー卿は,ドリアンの心をすっかりキャッチしてしまうのですね。 できあがった一枚の絵を見て,ドリアンは,自分はこんなにも美しいのだという思いに茫然とするし,自分の美しさの影にその意味を探ろうとするわけです。 ちなみに,ドリアン・グレイの母の恋は,どのようなものだったか。 それが,作品の第三章で明らかにされます。 マーガレット・デヴァルーは,ケルソーの娘だったのですが,娘が意にそわない駆け落ちをしたことに父は腹をたて,やくざに決闘をしかけ,娘を奪還するのです。娘は,戻っても,父とは口もきかず一年もしないうちに子どもだけ残して,ドリアン・グレイだけ残して死んでしまったということでした。 『ドリアン・グレイの肖像』は,第三章まで読みました。
2013/07/04 20:05
ふじたん ふじたん オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』序文を読んで, 芸術家は,美しいものを創造する。批評家は,美しいものから受けた印象を,別の手法で伝えるだけだ。美しいものの意味をあえて否定するのは,まちがっている。本は良く書けているか,いないかが大事で,倫理的なんて観点はさほど意味を持たないだろう。シェークスピア,テンペストの怪物キャリバンのことを誰が笑えるのかい? 芸術家は,何かを証明しようとする科学者ではありえない。 芸術家は,悪徳も美徳も自らの素材,作品のネタでしかない。 すべての芸術にある表層と象徴。危険を冒して,表層の下にもぐりこむ。危険を冒して,象徴を読めばいい。ある作品は,多様であれば,作品は新しく,複雑,活力があるだろう。でも,いずれにせよ,芸術というものは,ひとびとの心のなぐさめになって,カタルシスにはなるが,なべて,実用的な役にはたたないことを知るべきだ。 オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』序文を読んで,
2013/07/04 20:03
ふじたん ふじたん 高萩 宏(たかはぎ ひろし)は,東大演劇研を母体に,野田秀樹とともに,『夢の 遊民社』設立した人である。この人の本に出て来る事件を追っていくと,現代演劇 界の舞台裏が少しわかるような気がする。 高萩によれば,演劇に感動するとき三つのリアクションがあるという。まず,「ぜひ,もう一度観たい!」と叫ぶ 人がいる。次に,役者をめざしていたりして,「この劇に自分が出てみたい!」 とつぶやくひとがいる。最後に,「この劇を広くひとりでも多くの人に 見てもらいたいものだ!」などと考える人がいる。 そこで,最後に,登場するタイプが,自分のような「制作」に向いている人であ ろうと,高萩は言うのだ。実際には,彼は,演出家になりたくて,演劇をやって 来たひとで,当初は,雑用のような「制作」に興味が持てなかった。野田秀樹 と組み,野田が演出の部分を一手に引き受けるうちに,仕方なく「制作」に向か っていったという感じもするのであるが。 高萩は,紀伊国屋書店の洋書部に一時いた。芸術で何かを生み出すのは「創造力」。制作などには,「調性力」が要求される。高萩自身に高い「調性力」=劇団マネジメント能力が,あったか,自分でも懐疑的ではあるが,野田秀樹 と組んだ『夢の 遊民社』が,快進撃を続けるうちに,お金の出入りが想像を越えるレベルに達する。小劇団時代は赤字覚悟,少し儲かったとしても,さほど拡大再生産など意図する組織ではなかったのだと思われる。 劇団四季というのは,日本一有名なミュージカル劇団である。 ここに,浅利慶太という人がいる。宮島恵一は,長くこの団体で「経営」を担当し,多くの成果を収めてきた。宮島は,やがて劇団四季を離れ,PSDという会社をやるようになる。劇団四季に入る道も考えたことがあった高萩は,懐かしい再会をする。そこで,拡大再生産に向かう『夢の 遊民社』の経営部分を,彼に全面的にまかせる決断をする。 再確認すれば「野田が,演出!高萩が,制作!」という役割分担でずっと,『夢の遊民社』はやっ て来た。「駒場小劇場」から,二人を中心に劇団は進んで来た。本多劇場に移っ てから劇団は成長し,念願の紀伊国屋ホールにも出られたのだ。ただ,紀伊国屋ホールなどに出られるというポジションになると,巨大有名劇場ゆえに,予約金などが馬鹿にならない。会社組織でないと,お金が自由にまわっていかないのだ。 劇団四季でも抜群の経営戦略をもっていた宮島恵一のやり方は,まちがっていたわけではないだろう。しかし,『夢の遊民社』は,もともと小劇団からスタートし,おそらく採算をどがえししても,芸術性の高いものをめざしていたのではなかろうか。劇団四季は,名作を中心に安定したミュージカルを日本に普及させていたので,そこから学ぶべきこともあった。しかし,劇団四季的経営は,少なくとも,『夢の遊民社』には向いていなかったようだ。 気がつくと,高萩は,宮島に何もかも任せた自分を呪うようになっていく。ノイローゼになり退団を心に決めて動き出すが,まわりがそれを止める。他にも,『夢の遊民社』が,変質し,「これじゃあ劇団ではない!」と思うメンバーがいたのだ。ことここにいたって,PSDという会社への委託などは,すべて打ち切る。稽古場も移転。社長野田の新会社を設立し,高萩を中心とする幹事会での『夢の遊民社』運営を始める。 この後,段田安則や上杉祥三の故郷である関西で の公演をした。代々木体育館でも公演する(もはや小劇場とはとてもいえない)。つくば万博でのイベント がらみで,NTTやら,セゾンにスポンサーを要請(どこか,商業主義化する)。日本人としては,夢の海外公演にも進出するが,言葉の壁は厚かったという。海外有名新聞に,劇評が出た!というだけで,喜ぶも後で,十分に理解されているとはとても思えなく,失望したりしている。 『夢の遊民社』のスーパースターは,野田秀樹にほかならない。役者は,急病などで,舞台に出られないのは一番怖いことだ。野田が,舞台のハシゴから転落し,緊急入院したこともあり,「制作」者として,緊急事態の対応に苦労したことを述べている。また,映画に野田が魅せられて出ていくと,残された『夢の遊民社』は喪失感が大きかった。とはいえ,やがて,野田は演劇界に戻って来る。 ・・・この本は,そのようなところで終わり になっている。 参考文献:『僕と演劇と夢の遊眠社』高萩宏(日本経済新聞社)2009
2013/06/15 05:22
ふじたん ふじたん やがて,『夢の遊眠社』には,マネージメント部門ができた。これが,映放商会 という意味で,「えーほーしょう会」である。北村明子(元女優)が登場する。 『夢の遊眠社』は,1992年,17年の歴史に幕が降りた。野田秀樹は,一年 間イギリスに留学をし,戻ると,演劇企画制作会社である「野田地図(NODA  MAP)」を始める。「野田地図(NODA MAP)」は,その後のプロデュース公演のさきがけとなる団体 である。ワークショップは,役者の体験型講座ともいえるが,ここで出演者が決 まっていくことが多い。 北村は,「野田地図(NODA MAP)」の経営を担当する会 社として,別に「シスカンパニー」を設立する。「シスカンパニー」は,情報戦略システムを重視した。そのため「SYS」という会 社名となった。北村は,この会社の前身である「えーほーしょう会」を立ち上げ るときは,野田に,マネージャー(営業担当者)とデスク(事務専従者)を置く べきと言っている。「えーほーしょう会」は,シスカンになって,社員は15名 になる。だが,部や課は存在しない。 野田が留学を終え,ロンドンから帰国後,「シスカンパニー」は,野田作品以外 の「プロデュース公演」を多く企画していくことになる。北村は,むしろいろい ろなことをやってみたいと,野田と話し合う。2008年1月に,「シスカンパ ニー」は,野田作品から手を引くことになる。23年間続いた,野田とのパート ナーシップはこうして解消された。 北村にとって,「プレゼン」は何か。お芝居と本質は同じだと,いう。演劇など に興味もない人間に,「企画書」は無力である。「プレゼン」で,書かれた言葉 に命を吹き込み,言葉をリレーさせる・・・。さらに,「シスカンパニー」にお いては,マネージャーは役者のクオリティや価値を守るためにのみ活動すべきで, 無用な人脈は持たない方がいいし,役者とも少し距離を置くべきと言っている。 「制作」者は,配役を決める。演出家を選定する。劇場をおさえる。公演回数を決 める。観客を上手に集めたい。だが,作者・作品を最初に選ぶとき,ある意味哲 学者・社会学者にならなければならないため,「制作」者には高い見識が求めら れるだろう。又,演劇というものは,集団行為なので,文豪や,画伯のように, 個人で達成・到達される世界ではない。 役者こそ,主役で,演出家は脇役で,「制作」はさらに周辺の出来事かもしれな い。しかしながら,「自分の魂と向き合えるような作品」に,役者をあわせたい。 そこで,その役をすっかり自分のものにしてほしい。長期的には,そのひとに, ながく役者でいてほしい。所詮,頭の中に残っているものは,やがて消えていく が,その儚い世界に「制作」はある。 参考文献:だから演劇は面白い:北村明子(小学館)2009
2013/06/15 05:20
ふじたん ふじたん ミュージカルは,ミュージカルで完成度が高い素晴らしい芸術にちがいない。一 方,演劇の原点でもある「ストレートプレー」と呼ばれるものにも引かれる。 レーマンの本では,演劇のことが書かれている。そこでは,演劇は,演じること と,観ることが,同時に起こる空間である。同じ空気を感じながら,役者と観客 は,生の時間を共有し,消費するのだ。ここでは,発信と受信が同時に起こる。 舞台と観客席の間で,共有されるテクストがある。といった趣旨だ。 たしかに,現代は,映画やテレビになれてしまった人が多い。だから,分厚い文 学書をゆっくり読むこともない。ましてや,その名作に心引かれ,劇場で演劇を 鑑賞するのも,面倒であろう。演劇そのものが,市場化されにくいものであるの は,皆言うことだ。さらに,演劇人は,いつの時代もどこか反体制的だったから, 助成金ともうまくおつきあいできない人たちなのだ。 演劇の一番良いところは,ずばり,演じる行為と観る行為の一体化にある。芸術 的行為の中でも,この点がどうやらずば抜けて優れている。ただ,この美点は, そのままデメリットにもなってしまう。新しいテクノロジーは,なんでも大量頒 布して,撒き散らすような特徴があるが,演劇行為は,この点重くて動きが悪い。 劇場(舞台)というものに,制約されることが大きい。 「制作」というものを考えても,絵画・音楽という場合によっては,単独でもで きそうな分野とちがって,人間くさくて,重たい。テクノロジー,メディアの力 を借りて,非物質化し,大量生産的なものに向かう,たとえば,DVD化などをする と,演劇(Straight Play)の本質は,どこか色あせていく。 思想やその描写は,理想的に翻訳され,十分な理解で読まれてもなお,ひとつの 言語空間から他の言語空間への,あるいはひとつの文化・地域から他の文化・地 域への移行において,別のものになってしまうことはままあることだ。(Hans‐ Thies Lehmann)。 たしかに,演劇行為というのは,ひとつには,海外に持っていくと,どうも別の ものになるらしい。劇空間をそこに求め,決めて上演する場合,カメラなどに焼 付け,商品化すると,別のものになる。いずれにせよ,演劇が死んでしまうこと になる・・・ということになるだろうか。
2013/06/15 05:17
ふじたん ふじたん ひとりの人間が,なにもないところで,なにかをつぶやく。そして,そこにもうひとりの人間がちかづき,そのひとを見つめる。演劇行為の基本は,これで必要にして十分かもしれない。 ピーター・ブルックが, 『なにもない空間』でいわんとすることは,こういったところかと,思う。 だから,そこには,大掛な装置もいらない。そのようなもので,厚化粧されたもの,それが映画であるなら,演劇の本質は,死んでしまうのかもしれない。演劇とは,いつも自己破壊をともなう実験で,風に記された文字かもしれない。それを,定まったところにおしこめると,目に見えないなにかが,死に始めるのだろう。芝居は,固定されたら,退廃に向かう・・・ 演劇の意味は,ますます多様になる。社会の中で,明確な位置が,目標が,ありそうでないものが,演劇なのだ。俳優は,一度その道を走りだすと,自分を助けてくれる者はいない。運が良くて,食べていけるだろう。でも,どこかで,同じことをくりかえすようになって,動けなくなってしまうかもしれない。演劇という芸術を学ぶ場所,正しく学ぶ場所がありそうでないのだろう。常設の劇団に所属できることはしあわせだろう。養成所があって,ずっと修練するところができることは,可能なのだろうか。 演劇は形式的にやっかいな表現にちがいない。小説なら,退屈なところを読み飛ばすこともできる。しかるに,二時間の演劇では,観客が退屈する場面があると,すべてがぶちこわしになってしまう。 世界中にいい芝居がどのくらいあるのだろう。これは,ひとつには,良い戯曲がどのくらいあるのか,ということになる。劇作家は,対立する人物の精神にとびこみ,かたちにしないといけない。これが,演劇の本質だと思われる。駆け出しの作家に,荒削りな良さがあるかもしれない。ベテランの作家はうまく出き過ぎて,うさんくさいかもしれない。でも,劇作家は,自由なはずだ。全世界を自分の舞台に呼びよせるのだから。 舞台とは,普通にしていると見えないものが,見えて来る場所であろう。俳優は,身振りで,自分自身のために演技をし,同時に,そこにいても,見えないことになっている「観客」のために行為するということになるだろか。俳優は,どのくらい長く観客の注意力をひきつけられるのだろうか。俳優と観客の関係は,教えるものと,学ぶものとの関係にも似ているかもしれない。神秘的なものを明るみに取り出してあげる・・・演劇とは,観客が自分の頭を働かせるようにするものだ。演劇は,おしなべて社会的な存在である。そこで,観客の脳に「化学反応」を起こさせる。社会を分解し,そこに介入する。そして,価値あるものに光を当てる。観客に注目させること。それから先は,観客自身が,自分の目に入ったものに次第に責任をもって,真実を受け入れるようになる。演劇は,素朴であるべきだ。劇をまとめあげる行為も,一種の遊びで良いのだ。劇を見るのは,遊びなのだと。劇は,Playなのだから。それで十分なのだ。 社会が,全地球的に移っているのに,劇場の大ききは変化していない。出演者もさほど増えていない。芸術などなくても,生きていけるだろう。ただ,舞台で起こることは,全部人生の反映である。そして,舞台でも,実際の人生でも,人はある種の価値判断を下しながら行動している。それが生きることだから。劇団員であれ,プロデュース公演の公募員であれ,最初の稽古は,みんな悩んでいる。そこには,コワイ演出家がいる。でも,演出家は,俳優たちが,理想的な状態に進んでいくのを助けるために存在しているだけなのだ。初日が来れば,彼の出番はなくなる・・・子どもは,しばしば,生来の自然な才能で,演技をすることがある。これが,名演技といわれたりする。 いずれにしても,演劇は他の芸術と決定的にちがう。芸術家独自で完成するようなタイプのものでは,ない。観客が来るまで,作品は完成したことにならない。俳優が,真に自分のために仕事をするのは,多くの観客に取り囲まれている瞬間なのである。上演が終わってさて,何が残るのだろうか。それは,ある種のイメージである。これが,心に焼き付いて残る。劇中のシルエットが残る。劇のシナリオは忘れても,イメージが残る。
2013/06/15 05:11

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