monzansiの観てきた!クチコミ一覧

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キスしてほしい。

キスしてほしい。

劇団 浪漫狂

紀伊國屋ホール(東京都)

2014/04/10 (木) ~ 2014/04/13 (日)公演終了


終わりよければ、舞台よし。


「結核病棟ってマスクを装着しなければ いけない施設?

パンフレットを読みましたよ。するとね、注意事項と一緒に『マスク着用!』とか記載ありました。役者もマスク姿で大変そうでしたね。

でも、客は劇場へ来る前からマスクを着用してます。
言っときますけどね、他人様にうつしたら申し訳ない謙虚さじゃないですよ。


客は風邪予防なのか、花粉症なのかね。『浪漫狂』の一流のエスプリに接すれば、原発作業員のように防御する自分をどう感じるか…。新宿は結核患者の溜まり場かってね…。パンフレットにエッセンスがありました」


一発ギャグするコメディアンより先に、現代社会がそのオーダーを済ませてしまう逆説。これを滑稽な先見性ともいいますがね…」



「キャスト陣の多さには驚いた―

お笑いやってる『ジョイマン』とかいうコンビの出演回なら、総勢ざっと28人。

ひたすら劇団長・中村隆天と統括プロデュースの壱位仁井が絶大な権力握ってるんでしょうけど。(これは憶測ですよ)
しかし、何ですか、『バクステ外神田一丁目』とかいう女性アイドルを出演させたあたり、『紀伊國屋ホール』を意識した、つまり芝居だけじゃ心配ですよという保険型エンターテイメントだよね。

アタシはね、彼女たちには生声でパフォーマンスしてもらいたかったと本気で思っています。録音テープ再生してもね…。

彼女たちはプロフェッショナルなんでしょう?
まあ、日本のアイドルの普遍的テーマ性は『素人』だったり『普通の女の子』だったりするのかもしれませんがね。それをマネージャーに反論されたらお手上げですよ。

別に録音テープを認めたわけじゃない。だって、これはミュージカル俳優の否定なんです。

ちなみにパフォーマンスですがね、『浪漫狂』劇団員が混在していましたね。誰が『バクステ外神田一丁目』なのかね…。『素人』はパフォーマンスを邪魔しちゃダメ。『バクステ外神田一丁目』のステージにしないと」


「結核病棟の集会室…。ハートフル・コメディが貫かれ、オジサンたちを自己陶酔させる舞台としては良かったんじゃないですか?

ただし、宮内見と工藤謙太郎の兄弟関係とか、ちょっと20年前だよね。スマートフォンは登場しませんでしたけど…。携帯が登場したから、まあ、一応は現代なんです」

ぬれぎぬ

ぬれぎぬ

アマヤドリ

シアター風姿花伝(東京都)

2014/04/01 (火) ~ 2014/04/23 (水)公演終了

満足度★★★★

白ネコとはんぺん のような境界線
私は 酔っ払いサラリーマンに対しても、「丁寧」に対応する。

相手がへべろけに解らないことを質問すればすぐ教えるし、世間話を求めてくれば、熟睡するまで繰り広げてしまう。


ピンク色の肌をした男性は 私に こう語った。

「あんた…本当に親切な方だね、親切な方だねえ。こんな どうしようもない酔っ払いをさ…」




酔っ払い に限らず、人は老人だとか、ホームレスだとか、そういった弱者と接する時、明確に、その存在を区別しているのではないか。つまり、友達グループのような「輪」にいる、共感者としての自分自身はいない。

私は それができず、場合によっては子供にも敬語を使う。



『アマヤドリ』は 世の中の「悪人」に接する、「わたしたち側」の皮肉性だった。
民間刑務所収容者を更生させる職業人=限定社員が、境界を明確に区別する「わたしたち側」だとしたら、この構図は相当、挑発的である。

なぜなら、受刑者が陥っている「愛と憎悪」のジレンマを、矯正しなければならい職業人も抱え、それがコーラのバニラアイスのように境界線を曖昧かつ、接合させているからである。


実際の民間刑務所ではまずないことだろう。受刑者と職業人の間に張られたロープが緩む姿を かなり明示的に演技するキャスト陣だった。

ネタバレBOX

ホワイト・デスクが三つ、客席から斜めに配置されている。
照明が当たらない壁には椅子があり、出番のないキャストは そこに待機することになっている。

この空間自体、リーディング公演等にも多用されているが、特筆すべきは 幕外にはけるキャストも 同時にいる点だろう。
これは自然な入り方を守ることで、舞台の哲学、静寂を害さない演出方法である。

私は、『アマヤドリ』を躍動する身体観から高く評価してきた。そして、シェイクスピアより続く演劇の意味である「愛と社会」の相克を問う立派な劇団であると。


しかし、彼らは音響、照明、ダンスを排した空間構造のなか、は っきりと内面に深く迫るスタイルを表明してくれた。

20ステージ以上を予定し、「一日、一日が新しい作品」(広田氏)らしい。


現在進行形ということである。


アフター・トークでの広田氏は「愛と憎悪はコインの表裏だ。愛が大きいだけ、悪もパワーをもつ」と述べていた。

この視点は戦争、民族紛争にも通じる。だからこそ、『アマヤドリ』という団体が政治劇を扱っても、躍動する身体観とは別に また「人間臭さ」が あったのだろう。

社会派は 彼らのように思想というか、斜めに構える定理なるものを保持する必要はないか。


アメリカに「マシンガン・ティーチャー」がいる。アフリカ内戦地に赴き、誘拐された子供を救出するため機関銃を手に武装組織と戦う牧師だ。

実話映画のラスト。実際の牧師が登場するインタビューが流され、「俺を批判する人々がいる。無関心でいろと。しかし、あなたの家族が誘拐されても同じことが言えるでしょうか?」


私にはこの牧師が広田氏のいう「コイン」を象徴しているように思えた。


理念こそ「子供救出」という まさに「愛」なのだが、それが当事者ではなく、解釈の範囲を無制限に与えられた立場であるため、「武装組織を殺す」という「憎悪」が羽飛び散る。



さて、それでもなお、「愛と憎悪」の相克だと偉そーな仮説を設けても、それを包括するのは「利己主義」だと広田氏はいう。


【悪について書きたい、と思ったのはあまりに自分が善人でイヤ気がさしてしまったからだ。いや、冗談ではない。本気で言っている。嫌なヤツだと思われることは簡単だが、そうと知りつつ悪を行うのは臆病な人間にとってそんなに簡単なことではない。少なくとも善人を演じていたほうが社会というのは過ごしやすくできているし、おかげで僕は、良いと信じて善を行うのではなく、過ごしやすさのために善を選んで生きている。】(ごあいさつ 文より)




バカ正直すぎる。だが、有島(笠井里美)と向井(松下仁)が妊娠中の子供をどうするか議論する場面をみれば、いかに人間は「利己主義」なのか、直面せざるをえない。

「愛と憎悪」はストーリーだった。
せんせい

せんせい

株式会社トキエンタテインメント

上野ストアハウス(東京都)

2014/04/09 (水) ~ 2014/04/13 (日)公演終了

さあ、踊り騒ごう。涙のスポットライトで

日本で公開される商業映画のうち、約10%はEU映画である。


最近、クライマックスに心酔してしまったのが アルゼンチン映画(EU映画ではないが‥)『グロリアの青春』とスペイン映画『マルティナの住む街
』であった。

両者に共通するシーンは深夜の遊園地。主人公がアトラクションに添乗しながら、カメラ・ワークもぐるぐる回転する。伴奏はディスコ・ミュージックだ。

私は そこに、生活に飽きた善良市民が鬱憤を晴らす「開放感」を読む。


『せんせい』は まさしく そうした映画的クライマックス方法であり、久しぶりの100%総感動を誇る青春舞台だった。

女子高生役キャストが号泣したことも、顔面を赤らめた、その涙を観察すれば、一滴一滴が「さよなら」のもつ真実である。

ネタバレBOX


日本人は「卒業」に弱い。

名門大学に入いることが就職対策化している教育プログラムにおいて、「仰げば尊し」は一種の憂愁だし、日常と明確に区分したイリュージョンである。


「母校文化」は2000年代以降、消え去った遺産だろう。ところが、スポンジのように染み付いた「仰げば尊し」は、未だに私たちの身体へ残存している。


つまり、この日本人的感覚を、コミカルに、スピーディに刺激したのが演出・大浜直樹氏である。


個人的には、真野文雄先生(山田古馬)のファイターな時期が好きだ。2014年にしては職員室セットが古ぼけていたが、彼の回想を楽しみたければ それも適切かもしれない。
あぁ、もう一度、目の当たりしたい松岡修造だった。
「髄-zui-」

「髄-zui-」

護送撃団方式

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2014/04/09 (水) ~ 2014/04/13 (日)公演終了

福島は、取り戻せない。
「差別的表現」とは何なのか。


確かに、メイクや、美術衣装等はグロテスクでしたが、差別語が台詞に 含まれていたわけではありません。


従来ですと、それこそ障害者の「害」を「碍」に変更した一部メディアの配慮からわかるとおり、現実に実在したテーマが「差別」でした。ところが、藤森俊介さんのいう「差別」とは、ともするとSFファンタジーの部類に属しています。
これは「来るべき差別」なのです。

ネタバレBOX

落ちぶれたアイドル・なずき( 池松あいみ)が主人公でしょうか。彼女は「触れた相手の記憶を吸収する力」が あります。
2050年代?と2020年?が交差するストーリーですが、中盤ごろから、なずき の立ち位置が不明瞭に
なってしまい、ついていけない観客も多かったように感じます。

もう少し、役を平等に配分するのではなく、「グロテスク・ワールド」に位置する来訪者・なずき を力点にしてほしかった。



さて、3.11福島第一原発事故を扱った作品のようですね。
集英社新書『知っておきたいアメリカ意外史』を読むと、1940年代「マンハッタン計画」は、ルーズベルト米大統領と その側近しか知らない国家機密だったとか。当時のトルーマン副大統領すら把握していない陰謀科学だったのです。


藤森俊介さんは原子力に対し、神学的な論争を提起している。
グロテスクな風貌に騙されず、彼の一貫した、強烈なメッセンジャーとしての役割を私たちは確認しなければなりません。

そして、宗教的、神学論的な原子力論は歴史を紐解けば正しい。


最大規模の原発推進派、何を隠そうアメリカ聖公会でした。
人類の文明を 木っ端みじんにしてしまう その破壊力を「神の火」とアピールする聖職者がいたのです。


だから、私は生命=フランケンシュタインに結び付ける神学性を否定しない。


「キオク」はシナプスの連結を超越した、土地に潜む「想い」なのか。彼は それを模索しているように思います。

財閥・御曹司 奥間(神山 一郎)が運営するという「救済センター」は、どこか企業人への希望でしたね。東京電力は財閥ではありませんが、何でしょう、どこか「良心」に期待する演技でした。


役者を個別に紹介すれば、カプセル内に狭しと保存されていた髄役・ふちのももこさんです。微動だにしない身体に「キオク」の信号がビリビリ発電していました。
大人の麦茶の朗読の時間 「DAY IN A SUN~一日だけ日の目を見る日~」

大人の麦茶の朗読の時間 「DAY IN A SUN~一日だけ日の目を見る日~」

大人の麦茶

紀伊國屋ホール(東京都)

2014/04/03 (木) ~ 2014/04/08 (火)公演終了

天月-あまつき-美声力!この回でよかった

フィギュア・スケートは「オペラ」に似ている。


テノール歌手・秋川雅史 さんは スケーターが氷上でトリプルアクセルするテレビ中継を観ると、歌い手として「ハラハラ」心配するらしい。


「オペラって、“見せ場”は最後の最後に あるんです。
オペラを鑑賞された方は分かるかもしれませんが、それは一番、高い音域です。
しかし、歌い手は それまでに体力を消耗し切っているため、高い音域は辛い。それがオペラの美学といえます」

「フィギュア・スケートを観ますとね、最後の最後にトリプルアクセルなどの 最も難易度が高い技を披露しなければならないんです。
これが“共通点”ですよ」

2月14日、鎌倉芸術館で開催された『秋川雅史コンサートツアー ~夢の架け橋~に』を拝見させて頂いたが、当時はソチ冬季五輪の真っ最中。夜更かしされたのか、風邪が治りかけの秋川さんは鼻声ながらに語った。


フィギュア・スケートは「技術点」「芸術点」の合計得点に基づく競技である。
課題曲すら判定に影響する競技ゆえ、スポーツなのか疑問視する声も存在するが、リンク全体に漂う張りつめる空気を屈せず、秋川さんのいう“見せ場”を披露する選手たちには「シュー」の面影がない。



「朗読劇」は 演劇に比べればランクが低いものだと考えていた。
それは、『劇団EXILE』が青山劇場で行った その番外公演と題し、「新宿シアターモリエール」にて「朗読劇」を開催するという情報で確信したのだった。

劇団からすると人気劇場ではあるものの、稽古期間を設けることの叶わないEXILEメンバーだから、費用対効果、観客側の期待度、商業的インパクトを算出した結果、「新宿シアターモリエール」に設定したのだろう。チケット料金も安価である。

ところが、そうした「朗読劇」に対する考えを変えてしまった公演こそ劇団麦茶『DAY IN A SUN』であった。

先ほどのフィギュア・スケートと関連するが、何というか、じっくり、リラックスしたまま、余韻を同時に感じることのできる、これは「ショー」だ。

ネタバレBOX


一部二部に分かれた朗読劇。
一部は少年「僕」(天月-あまつき-)=〔あらすじでは小学生だが、中学生設定だった〕と家庭教師「ユイコ先生」(清水ゆみ)、「兄ちゃん」(並木秀介)の話である。

これは胸を熱くさせた。

何より、声優 天月-あまつき-が放つ声色に癒された。その心象に寄り添う朗読だ。

決め台詞「ですよね!」が 天月-あまつき-から飛行するたび、私たちは全員彼の 乗客になる。

清水ゆみ が朗読した「ユイコ先生」は 偶像化しえるキラメキだった。


二部は不愉快だ。


6年後、なぜか政治活動とか、フィギュアスケート国際大会の話題がのぼる。どうもリアリティに欠ける展開。

天月-あまつき-の声色も、20歳の男子だとすれば、一部との「違い」を強調するべきであった。
14歳時点で「かわいい系男子」は不具合ないが、大人年齢にもかかわらず、「ユイコ先生」との男女観が 霧に覆われてしまう声である。これは残念だ。


一部だけで完結させるか、二部を一部ラストに圧縮させては どうか。
グローブ・ジャングル

グローブ・ジャングル

虚構の劇団

座・高円寺1(東京都)

2014/04/04 (金) ~ 2014/04/13 (日)公演終了

昔は遊具が 子どもたちの「グローバル」だった



鴻上氏には敬服してしまう。

開演5分前に劇場へ到着したのだが、外で迎えてくださったのが鴻上氏であった。
「こりっち」レビューを読むと、あの柄本 明氏も お出迎えする演劇人らしいが、社会一般に認められてなお、現場を厭わない姿勢はブラボーにつきる。


6年前に初演された、インターネットとロンドン・日本人コミュニティを探る作品だ。当時キャスト陣の平均年齢は21.7歳。

それから6年間が経過し、役者を辞めたキャストや新たに入ったキャストも ごった返す再演だから、27.7歳とはいかない。


私もインターネットには悩まされている。確かに計算機能といい、メール機能といい、それらは毎日飲む水のように なくてはならない存在である。
「なし」でも生きていけるが、基本ビジネスに欠かせず、パソコンを「夢の島」に廃棄する日など妄想できない。

本作の冒頭シーンは「炎上」から 始まる。それがインターネット「負のスパイラル」であり、映像を利用されると 余計に生々しいかった。

だが、「なくてはならない」その存在も、遠く離れた地域性から教えてくれたように思う。

また、ロンドンの「外国人」をマネキン・ボードで表現する演出も斬新だった。




「つぶやき は、世界を変えることができるか?」


Twitter、Facebook、LINE、Blogといったソーシャルネット・ワーキング・サービス(SNS)が日本に定着し、内閣府さえも書き込む時代なのだから、その答えはイエスである。


ただし、インターネットそれ自体、東西冷戦を背景とした「軍事の産物」だろう。米国防総省のガレージ内で開発されたエピソードは あまりに著名である。


安全保障政策は国家と国家を平和的につなぐ「ライフ・ライン」だ。自衛隊音楽祭にタイ王国・陸軍が招待されていたが、NATO(北大西洋条約機構)、上海機構 等の安全保障枠組みは その地域の「信用醸成装置」である。


一方だと、安全保障政策は軍事的衝突を招き、防衛研究所が「東アジア戦略概観2014」に指摘するように、日本の防衛力強化も含め「自国の安全を高めるための国防力の増強が他国には脅威とみなされ、結果的に軍事的緊張が高まる」という事実も認めざるをえない。


何が言いたいのか。


それは、インターネットが「軍事の産物」である以上、「炎上」なる集中砲撃や、「乗っ取り」なる相手の中枢施設に忍び込む情報活動、「中傷」なる情報プロパガンダは 安全保障政策と同じく、24時間対処しなければならない「宿名」だ。


国防総省が70年代、カーター大統領の理解を得て、インターネット開発に予算計上したのは「指令機関(コンピュータ・システム)の多極化」である。
そのシステム基盤は潜水艦内の通信技術だった。

顔と顔を合わせるリアル・コミュニケーションの大切さを識者は語るが、要するに、インターネットというのは安全保障上、「非実体生」をメインに構成された革新技術=イノベーションでしかない。


私は、多くの人が傷つく「炎上」「乗っ取り」「中傷」は、インターネット=検索エンジンを まずは国営方式で運営すれは ここまで顕在化しなかった問題だと思う。


海洋貿易、電気事業、郵便事業、タバコ産業、宅地事業などは みな当時の革新技術=イノベーションである。

それらは、国家が責任をもって投資、産業育成し、その後は自由競争のため民間企業への「払い下げ」方式により、「民間化」してきたビジネスモデルだ。あるいは、郵便事業のように、郵便局ネットワークを育てた後、「上から民営化」する例もある。


検索エンジンは それこそビルゲイツ氏などの「秀才」、Googleなどの「頭脳集団」が牽引してきたわけだが、広告モデルを採用したため、「非実体性」に加え、個人情報の面でインターネットモラル崩壊を導いてしまった。


こうした諸問題を避ける政策こそ、政府がインターネット検索エンジン公社を設立する ことだった。世界中からIT研究者を集結する。兆円単位の大規模財政支出をし、システム運営をサポートする。
本来は、中国のように日本も国産サーバーを確保する「別の道」はあった。

「国にとって都合のよいインターネット空間が生まれる!」という声もあるだろう。

だが、Googleを含めた米インターネット関連会社は国務省管轄組織と契約を結んでいる。「匿名性」は 限りなく嘘に近い。
いざ、政府が「ネット遮断」を宣言すれば、いつトルコ共和国のようなニュースが発信されても おかしくなはない。


そして、現在ですら、好ましい発展へ、総務省、文部科学省、国土交通省、内閣府の一部機能を集約した「情報省」が設置されるべき時代ではないか。






あやかし相談承りマス。 萬屋ツジモリ

あやかし相談承りマス。 萬屋ツジモリ

劇団ひまわり 第49期研究科

シアター代官山(東京都)

2014/04/04 (金) ~ 2014/04/06 (日)公演終了

満足度★★★★

演劇界で 再び顔を拝みたいキャスト陣








『あやかし相談承りマス 萬屋ツジモリ』であるが、一年近く前、『劇団だるま座』版を下北沢・劇小劇場にて観劇している。
その空間が爆笑に溢れていたことを重ねながら『劇団ひまわり』版も観劇した。



『劇団ひまわり』は子役のイメージが強く、映画作品クレジットの「協力」に掲載される数は業界随一だろう。


ところが、研修生修了公演に出演するキャスト陣は20歳に満たない若手であり、子役の実習公演とは全く違うアクターだった。



妖怪たち は派手な衣装を身に付け、「呪術」も発揮できるから、その分、存在感は確かである。
そうした妖怪コミュニティに冴えない主人公・○が「埋没」する様子は むしろ確信犯だろう。



パンフレットを読んだところ、ある講師が一年間を総評し、「それなり」を猛省するようコメントしていた。
「外に出たら ひまわり のようにはいかない」
「後半になるにつれ男性が減った」

という、他の講師陣のコメントも載せられれていた。


だから、そのパンフレットを読破した観客からすれば、「研修生修了公演、大丈夫かな?」である。

しかし、そうした「一抹」も払拭するアクターだったと私は思う。




ネタバレBOX

「それなりに」を感じたのは○だ。

学生時代、失恋によるショックで部屋の壁を破壊したらしい。その手段こそ「空手」であった。

コメディ・アクトだとすると、後味が悪い、身体だけのポーズでしかなかった。

Re:verse

Re:verse

アヴァンセ プロデュース

本多劇場(東京都)

2014/04/02 (水) ~ 2014/04/06 (日)公演終了

次のインタビュアーは 私たち自身 かもしれない





東日本大震災を報じるニュースは「美談」に終始してしまったのではないか。


支援物質に行列を作り、暴動すら発生しない日本人を「世界中のメディアが賞賛した」らしい。


ただ、そうした「美談」に隠れ、仮設住宅内での家庭内暴力が 多数あったこともやはり事実である。


ジェンダー活動家Aさんによると、既婚男性を中心に「震災と失業に伴うストレスからアルコール依存症に陥った」例が報告されたという。 その解消方法こそ暴力であった。

福島第一原発が放出した放射線物質から子供を守るため、県在住の母親が「疎開」する例も「美談」とは いかない。

どういう視点で「人の本性」が伺えるのかといえば「被災者同士の敵対心」である。

これは、津波に、または原発事故に呑まれた被災者同士が助け合い、明日へ向かい復興する「美談」とは180℃違う。


いわき市から新宿区内に疎開(2012年 当時)した元薬剤師・女性Bさんは こう教えてくれた。


「言いたくはないですけど、20キロ圏内の住民は一人につき20万円補償金貰ってるそうですね。赤ちゃんも含まれています。一家4人だとしたら月100万円なんです。結構、いい金額ですよね。
家に帰れない苦しみもあるとは思いますが、わたしたち20キロ圏外の住民は1円も補償金貰ってません」


この女性Bさん に「被災者同士、『がんばろう、日本』の精神で助け合いなさい!」と批判するのは簡単だろう。
だが、これが「被災者」のリアルな姿だという真実を忘れてはならない。



坂上忍氏はバラエティー番組等に出演し、「潔癖キャラ」が浸透したタレントである。
最近だと「処世術本」も出版した。

坂上忍氏の「生き方」、それは「孤立を怖れない」だと思う。

本舞台は東日本大震災より一年経過した架空の「茨城沖大震災」を描くわけだが、「美談」なる和紙を破り捨ててしまう人間ドラマであった。

キャスト陣が「感情移入」させる迫真であり、やや本多劇場のキャパシティだと(座席次第で)表情を把握できないが、効果的照明ピッチのためその「空間」は味わえた。


人間は「利益第一主義」である。

あらゆる行動において、自らの短期的、長期的利益を保持するのが「本能」である。

でも「ええじゃないか」。

坂上忍氏の冷たいぬくもり

あした天気になあれ

あした天気になあれ

パンドラの匣

銀座みゆき館劇場(東京都)

2014/03/26 (水) ~ 2014/04/01 (火)公演終了

脚本に真摯に向き合っていた
都内の銭湯が激減している。

ピーク時 昭和43年(1968年)に2687軒 あった銭湯が、平成22年(2010年)になると わずか801軒しか営業していないそうだ。(東京都浴場組合)
スパ、サウナ施設、健康ランドの需要は、必ずしも各家庭に浴槽設備が取り付けらた「豊かになった」その一点が理由ではないことを物語る。


銭湯の煙突から吹くモクモクは、燃料を燃やすさいの「塵」に過ぎないのだろうか。


できれば、家族の絆だとか、地域浴場で育まれる輪だとか、そうした「垢」が大空に昇っていく物理学と考えたい。







60歳、辞める その日まで 家庭を顧みず、ひたすら貢献する生活だったサラリーマンを、「カイシャ人間」という。栄養補助飲料のCMに「亭主 元気で留守がいい」とあるが、近頃は定年退職後、地域コミュニティを遠ざけた「新・ひきこもり」男性が 多く出現してしまうそうだ。


本作『あした天気になぁれ』は そんな「予備軍」が2名、病気のため製材所作業員を辞めた男性が1名、若者が1名 「同居する話」。





佐藤一也氏が終演後に挨拶したとおり、「とても素晴らしい脚本」だった。
これは演出上のハットトリックかもしれないが、佐藤一也氏 演じる◯と◯が「母親」を語り合った時、お互い「敬語」であったのはとても心地よく、「予備軍」の人柄を感じさせた。

女性キャストは 主に療養者の親類である。「自立」を追う夫人がいれば、「お節介な」おふくろさん もいる。
シーン数とは比較できない、「時代の岐路」を、気品溢れる演技により伝えてくれた。





何千回だろうか。
窓ガラスもヒビが割れてしまったに違いない。


「明日、天気になぁれ」


ピクニック前日に、晴天を願うキラキラした眼差しを耐久する窓ガラスの苦労…。



一方、1987年にタレント高田純次氏を起用して翌年、流行語大賞を受賞した栄養補助飲料CMが世間に広めた そのフレーズは衝撃だった。

「5時から男」。


さて、これからの「予備軍」が使うコトバは どちらなのだろう。

ネタバレBOX

それにしても、サラリーマン役・佐藤一也が大声で唱える「明日、天気になぁれ」は 何と似つかわしくないことか。
東京パフォーマンスドール PLAY×LIVE『1×0』(ワンバイゼロ)  NEW VERSION エピソード1&2&3

東京パフォーマンスドール PLAY×LIVE『1×0』(ワンバイゼロ) NEW VERSION エピソード1&2&3

キューブ

CBGKシブゲキ!!(東京都)

2014/03/24 (月) ~ 2014/04/08 (火)公演終了

少女たちは「次のステージ」へ突き進む

「あかり から『一人じゃないよ』と励まされるシーンがあると思うのですが、なんだか本当に泣きそうになってしまいます」(上西 星来)


エピソードvol.2にメインキャストとして出演した脇 あかりと星来。
「相方」がくれたコトバが台詞だとは知りながらも、涙ぐんでしまう少女が いた。


「東京パフォーマンスドール」(TPD)には妹グループがいる。「TPD DASH!!」だ。
平均年齢は公開されていないが、現役小学生メンバー 6名構成であり、中にはTPD以上の大舞台に出演したメンバーもいる。

それが、シアタークリエ『パコと魔法使いの絵本』で、映画やドラマに 引っ張りだこの子役・谷 花音と主演Wキャストを務めたキッド咲麗花だ。


以前、終演後にTPDメンバーより「とても感動した!」と絶賛され、本人も「緊張しました。(『1×0』ステージについても)笑顔で、より良いものを見せていきたいです」と挨拶していたことを思い出す。


リニューアル・シリーズでは、第二部『ダンス・サミット』を中心にパフォーマンスを披露する。


_“満開に育った ひまわり”_



TPDが「洗練されたパフォーマンス」であるのに比べ、激しく、快活なダンスを得意とするユニットだ。
「ダンス教室」に通うPOP系女の子と競ったとしても、全国トップグラスだろう。負けないのは「満開笑顔」である。


CDメジャー・デビューが決定したTPD。
「演劇×映像・LIVE」という、ライブ会場外をスタート地点として半年が経過する。

驚くべきことに、そのデビュー曲はアニメ『金田一少年の事件簿R』オープニングテーマだった。
『1×0』で、各エピソードとタイアップする形をとり、多数のTPDソングが観客を引き寄せたというのに。


「ソング」。
リニューアル・バージョンが私たちへくれた「泣きそうになった」は 実は これだった。
もちろん、プロジェクト効果、照明、音響、演出、TPDメンバーの演技が「進化」したのは言うまでもないが、それが「テーマソング」に総括されていく感覚だ。


一人ひとり、TPDメンバーは違う。


そうした「深さ」と、「つながり」を胸に、今日も全力でパフォーマンスする少女たちがいる。

ネタバレBOX

「妹分かと思いきや、他の誰より大人の二葉」…
「avance!!」

「avance!!」

演劇ユニット ifstay

遊空間がざびぃ(東京都)

2014/03/26 (水) ~ 2014/03/30 (日)公演終了

初舞台も!フレッシュです

三作連続のオムニバス・コメディ集。


一話_[宝剣はどこへ行った?]

【『怪盗ルパン』系統のミステリー・サスペンス。ところが、男性刑事と女怪盗が敵対するのではなく、ある「秘密」を隠そうと共謀する…


ペコリーノ(柾木元一郎)とアイオラ(高橋すみれ)の駆け引きにみる「奇妙な温情」こそ意外性があり、その「相性」は抜群であった。

ただし、屋敷主人・ラグダエル(山口圭三)はオーバーリアクションが過ぎた。また、人物描写を考えると、例えば、もっと「怒る時は怒る」ことが、ラストの「どんでん返し」を 安堵感ある展開にしたはずだ。】


二話_[Avance]

【『女子会』は、女子が集まり本音トークをする飲み会を指す。

「◯◯女子」という便利造語のパターンでしかないが、その新語には社会的自立だとか、「会員制プライベート・クラブ」のような自尊心がある。


本コメディは生態観察としての「たわいない会話劇」だったのだろう。これは観客にしてみれば退屈である。

いわば その「隙」を狙った急転直下が、「女の幸せ」を 特に20代〜30代の同世代観客へ、雑誌『ゼクシィ』よりリアリスティックな課題として提示した。「たわいなさ」は 計算機で導いた布石だった。
20代後半の女性観客はコメディであるにもかかわらず、まるで自分の恋愛観、家庭観を重ね合わせようかのごとく「真剣な顔つき」であった。】



三作_[俺達のFIRE]

【等辺三角形のようなコメディだった。
A、B、Cのキャストが出演するとすれば、三者が 全く同じ役割、台詞量、キャラクターなのである。

『戦隊レンジャー』ではなく、全員モテない系男子であるから、ここは グチャグチャにした新聞紙でもよかったと思う。仮に「当て書き」だとすれば、郡山(桂 裕貴)あたりは間違いなくモテます系イケメンでなければならない。

彼も含めたモテない系 男子が 「台詞」を 次から次に放つわけだが、聴こえない箇所も多々…


もっとも、キャスト陣の熱量は認めざるをえない。その汗でTシャツを濡らしたのだから。】




総評_脚本段階だと 相当、爆笑を誘うコメディであろう。
特に一話[宝剣はどこへ行った?]はキャスト陣もテンポよく「笑い処」を連発したのだが、それが100% 観客に伝わり「爆笑」を生んだかといえば疑問だ。

あえて、そのテンポを抑え、「場を凍りつかせてから融解する」テクニックが必要だったのかもしれない。


また、二話[Avance]に出演された櫻井みお さん(役:早苗)に言及する。
新潟県のスキー場へ滑りにいったか どうかは知らない。
気になったのは目の周り(グラス部位?)は白いままなのに、それ
以外は「焼けていた」?点である。

綺麗にお化粧されているため、「浅黒さ」はないが、やや「パンダちゃん」 だった。


ご本人が「美白」だからいう。

スキー場が関係ないなら単に失礼であるが、「女優靈」を発揮してほしかったと。 そこは残念だ。

結果、合間1分間のみ登場する座役・一晴さん が最も「爆笑」だった。























人皮の本と舞い天狗

人皮の本と舞い天狗

劇団回転磁石

シアターシャイン(東京都)

2014/03/28 (金) ~ 2014/03/30 (日)公演終了

ネットは人間をバカにするのか?

インターネットが「ゴミ情報」を
撒き散らしている。


検索エンジン最大手Googleは「検索ランキング」を自動検出するが、固有名詞を打っているのに、「掲示板」の誹謗中傷が上位検出される例も多い。


「バーチャル」では終わらないことは一連の事件が理解させる。



本舞台『人皮の本と舞い天狗』を観劇して、思わず驚愕した。
20代中心劇団にもかかわらず、「ネット批判」「ヘイトスピーチ批判」を 、かなり踏み込んだ形のもと表現していからである。

美術セットもよい。古びた図書館。そこに百冊近く『本』が陳列されている。
これは私の憶測でしかないが、タイトルのうち、『本』はタブレット、『天狗』は人種差別被害者に、それぞれ入れ替えたのだと思う。また、劇団作風の可能性は あるものの、ファンタジー系アニメーション・タッチだった。
あえて情報社会技術に関係のないシチュエーションから連想させた試みは、肌感覚で認識する「ネット社会の闇」である。



※ネタバレ箇所




出演陣は美男美女。『池袋サンシャイン劇場』で公演をする日を思い浮かべたのは、私だけではないだろう。
アニメキャラクターの「吹き替え」を続け、演劇自体が一種「運動化」(勢い任せ?)していた。

ネタバレBOX


こうした憶測に基くと、「マジカルバナナ」は極めて秀逸な「例え」であり、それを発見された五十嵐朋江氏は「インターネットの本質」を見抜いた人物である。


「マジカルバナナ」は1990年代、板東英二氏のクイズ番組が流行らせたゲームである。

参加者が順番に「バナナ」といったら「黄色」、「黄色」といったら「信号」…といったように、単語により連想されうる新たな単語を回答するのがルールだ。


これを、『本』の読者=インターネット・ユーザーが幾度なく「遊ぶ」。

「会話してるようですけど、独り言に過ぎないのですよ」


そして、私が 「インターネットの本質」とし五十嵐朋江氏を絶賛した理由は「マジカルバナナ」こそ「関連ワード」だったからである。

しかし、「関連ワード」は人間の思考力と結び付いており、それが「自動検出」によって綻ぶ現状があるとすれば、皮肉にも未来は『30億総白痴化』かもしれない。


インターネット・ユーザーが「幼児」であったのも、それは何らかの批判的見解だったはず。


「インターネット批判」「ヘイトスピーチ批判」は 気持ち良いくらい明確だった。




登場人物=「天狗を撲滅する会」会長を掘り下げれば、より差別の構造を 考える一因になったのではないか。


喇叭道中音栗毛

喇叭道中音栗毛

楽団鹿殺し

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2014/03/27 (木) ~ 2014/04/06 (日)公演終了

商店街を練り歩いてほしい

『劇団鹿殺し』は一年間充電中だったはずである。それなのにもかかわらず、『楽団鹿殺し』に名を変え公演を行った。

1970年代「ヒッピー」版『東海道中膝栗毛』だったが、驚いたのは その舞台構造である。
ステージ脇に台本を確認したり、水分を吸収したり、衣装を着替える「楽屋」が。
リーディング公演ではない。
照明をあてないので、狙った末の「演出」でもない。


ただ、何というか、とても「お洒落」だった。



トランペットを吹く『鹿殺し』は商店街を練り歩くチンドン屋さん級の雑踏であろう。
「1970年代」特有の懐かしさを軸に その一頁を書き記すストーリーは、むしろ若い脚本家だからこそではないか。

「ヒッピー」をノスタルジックに現代社会へと蘇らせた。
それは、「いつのまにか社会に溶け込んでいた」ティーパックのような生態系である。


「動的パワー、ややエロス、寺山修司の“アングラ”…」


『劇団鹿殺し』も早いとこ放電を開始してほしい。








大阪万国博覧会1970のテーマは「人類の進歩と調和」だった。


「太陽の塔」「月の石」「動く歩道」「目玉男」…。総来場者6421万人は上海万国博覧会2010まで破られることの なかった一大記録だ。人口比からいえば国民の2人に1人は来場した計算であり、まさに高度経済成長時代を象徴するイベントだったのである。


その公式テーマソングが三波春夫『世界の国から こんにちは』(作詞 島田陽子 作曲 中村八大)だった。
万博特集のテレビ番組は「こんにちは こんにちは 世界の国から」をBGMとしてリピート再生するだけである。
しかし、歌詞を読むと、当時の日本外交が浮かび上がる。


「こんにちは こんにちは
西のくにから

こんにちは こんにちは
東のくにから

こんにちは こんにちは
世界のひとが

こんにちは こんにちは
さくらの国で 」


言うまでなく「西」とは西側諸国、「東」とは東側諸国。
6年前の東京オリンピックは「東洋の魔女」を流行語にさせ、熟語「東西」からすれば「東の くに」が先頭でなければならない。
あえて「西の くに」を 先頭にもってきたのは、日本政府は「西側諸国」にウエイトを置くという表明である。

こうした「西側の日本」を、最後に「さくらの国」とすることにより、第三世界(ユーゴスラビア、インド、インドネシア)の支持も得やすい「独自色」を同時にアピールした。
それは、後の日中友好条約へつながる日本外交の「布石」である。

作詞を担当されたのは島田陽子氏。筆をとったのは間違いないが、「政府公認テーマソング」だったとみるのが自然な理解だろう。







































東京パフォーマンスドール PLAY×LIVE『1×0』(ワンバイゼロ)  NEW VERSION エピソード1&2&3

東京パフォーマンスドール PLAY×LIVE『1×0』(ワンバイゼロ) NEW VERSION エピソード1&2&3

キューブ

CBGKシブゲキ!!(東京都)

2014/03/24 (月) ~ 2014/04/08 (火)公演終了

満足度★★★★

平均年齢16歳を迎えつつある少女たちに訪れた「境地」とは
「この気持ち、わかりますか?」

終演後、涙ながらに語ったのはリーダー・高嶋菜七。劇中ケンカする小林晏夕とともにエピソード1の主要キャストだ。


「踊っている時も、演じている時も、みんなに支えられているんだなって。
今日ダメ…。なんか話せない(笑)」


東京パフォーマンスドール(TPD)。


昨年8月結成時、平均年齢15歳だった少女は16歳を迎えつつある。


同9月より渋谷『CBGK シブゲキ!』で「演劇×映像」の融合をうたい走り続けたのが『1×0』シリーズだった。


「エピソード1は全6回あるんですが、自分的には少ないです」(小林晏夕)


「進化し続けるTPD」は 、3月から始まった『1×0』リニューアル版も変わらない。


「私が演じたのは『セーラムーン』が好きな 女の子。もっと『セーラムーン』に なりきって、千秋楽までには『月に代わって お仕置きよ!』を うまく言いたいと思います」(小林晏夕)




経済新聞で取り上げらるなど、昨年以来、「融合」のシンボルであった『HMD』(ヘッドマウントディスプレイ)が『Smart Glass』(スマート グラス)に。
アイテムはSmart Glassシート(HMDシート)限定だが、リニューアル版からは全席に無線式リストバンド型ライト『FRE FLOW』が新たに登場する。


色はホワイト。腕時計のような形をしており、TPDのLIVEに合わせ 機器内LEDライトが点滅する仕組みだ。

ペンライト不所持の観客も「ファン」である。



また、「演劇×映像」融合のうち、映像部分をリフォームした。



※ネタバレ箇所


リニューアル版は全体のストーリー展開にも。よりシンプル、テンポよく進み、「衝突」一点が強調されていたエピソード1.小林晏夕へ「好奇心」を開花。

あからさまなメンバー同士の「対立」を避ける「素のTPD」であった。



第二部『ダンス サミット』ではCDメジャーデビュー曲となる新曲『BRAND NEW STORY』を披露。
洗練されたダンス、かわいらしい歌唱は「ザ アイドル ユニット」だった。

「異質」だったはずのTPD。
平均年齢16歳へ向かい動き始めた少女たちの これからは いかに。


ネタバレBOX

エピソード1 上空場面。
プロジェクターならではの「拡張感」がリアリティを与えない問題演出だった。
それをリニューアル版だと、クレヨンのような「アニメーション」に変え、「臨場感」のある音響効果が追加された結果、観客も「高度1万mにいる」感覚に陥った。
パラノイアショー op.143

パラノイアショー op.143

hi-pine company

非公開(集合場所:中野駅南口)(東京都)

2014/03/20 (木) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★

「暗闇」を恐れるな
ショッピング・モールの照明は嫌いだ。

ある脳神経学説によれば、商業施設の蛍光色は「消費意欲を高める効果がある」らしく、節電が求められる時代にあっても毎日ピカピカなのは小売業者からすれば それは当然の処置だろう。


健康面に与えるマイナスは「ブルーライト」である。体内時計を狂わせ、身体、メンタルを問わず不調をきたす。


私は、ショッピング・モール等の「見せかけの娯楽」を「ディズニーランド資本主義」と呼んでいる。


日没後の地方都市は、たしかに暗く、寂しく、孤独な街である。しかし、「暗闇」のなかだからこそ、一つひとつの「灯り」が 価値をもつ。


道路を走り、世界遺産『白川郷』へ到着した。
もし、その民家に照らされた「灯り」が米国・ラスベガス市街だったとすれば、誰もシャッターを押すことはしないだろう。


「暗闇の光には価値がある」


それは、「ディズニーランド資本主義」とは違った生き方かも しれない。



不明であった公演場所は地下だった。「中野」からツアーを10分間続けた意図はわからないが、集団で住宅地を歩くのもよい運動だろう。



※ネタバレ箇所



単なる演劇ではない。「リラクゼーション」である。
「ディズニーランド資本主義」反動が若い女性を中心に「サロン・ブーム」を生んだとすれば、その文脈から理解したい公演だ。

「短編集」で、「哲学」と銘打ってるわりには「ライト」であっため、理科室の科学実験を思い出す。
なにかストーリーに基づき「A<B<C」と組み立ててゆくタイプでもない。
上演時間60分強は 「リラクゼーション」される時間に位置付けると適度である。


私は「暗闇」といえば絵本『あらしのよるに』が その「ぬくもり」を教示してくれる代表作だと思っている。

映画作品を 相模原市の小学校で拝見させて頂いたが、「恐怖」と「安心」が 隣り合わせる「平等空間」を よく映し出していた。


作品紹介_ 【あらしのよるに逃げ込んだちいさな小屋の暗闇の中、2匹の動物が出会う。風邪をひいて鼻のきかない2匹は、お互いがオオカミとヤギ、つまり「食うもの」と「食われるもの」であることに気付かない。すっかり意気投合したヤギとオオカミは、翌日のお昼に会う約束をする。合言葉は、「あらしのよるに」。】(Amazon 商品説明より抜粋)




「ヤギ」からすると「オオカミ」は天敵だろう。
喰べられるのがオチである。

けれど、あらしのよる の「暗闇」が、天敵同士に 「友情」を育ませた。20世紀トーマス・エジソン以来、人類が「暗闇」を排除しても 排除しても、未だ どの街にも 「ほのかな暗がり」は残存している。

ただ、「光」は急速な拡大を果たしつつある。

人工衛星から夜間の地球を撮影。
その画像には、日本列島、南朝鮮半島(韓国)、北米大陸、ヨーロッパ大陸、マレー半島などがレモン色に発光する様が記録されている。
例外なく「経済先進地域」が占めるが、同時に「光の地」ほど 現代社会特有の歪みを抱えていることに私は気づいた。


ネタバレBOX


観客には「懐中電灯」などの光る物体を一つだけ持ち込む権利があった。劇団サイドが用意した それは、観客を演出家とさせる全く新しい試み だった。


「見たいと思ったところを照らしてください」


「暗闇」である分、観客は 「照らした方がよい場面」「暗い方がよい場面」を 決断しなければならない。また、「全体なのか」「的を絞るのか」「下から雰囲気だすか」と、最大限 演出効果を高める努力をする。


「暗闇クイズ」などは客席が役者に「影響を与える」差配者としての立場であった。「インターネット・ユーザー」が 無責任にコメントしたり、投票できるのは「匿名性」だろう。


「暗闇」はそういった「匿名性」なのかと、快感に溺れる自分自身から悟った。
いい男と作りたい4つの芝居episode4

いい男と作りたい4つの芝居episode4

WATARoom

キッド・アイラック・アート・ホール(東京都)

2014/03/22 (土) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

むさ苦しく、湿気が充満したコント







「ベルリンの壁」…。スプレーで付着させた その「落書き」に対し不快感を抱く方は少数でしょう。「一体どこの若者だよ!」などとドイツ市民が怒ることは ありませんでした。
逆に、商店ガレージが「落書き」だらけだとすれば、消費意欲が減退します。


今回は美術セットが そうした「落書き」で占有されており、観客は どういった反応を示したのでしょうか?まあ、それは観客一人ひとり次第だった、ともいえますね。


柏進、鈴木省吾、マンボウやしろ さんがタッグを組んだ二0周年企画ですが、私は【コントに近い形式】だと思いました。


もちろん、細かい台詞は あります。

しかし、のりしろに該当する【プリント用紙】が確保されていたので、役者が 【自由に記せる】そういった柔軟度も ありました。


終演後、柏さんは「今回は時間が長かった」とおっしゃっていました。上演時間が いわば役者さんの【テンション】次第で左右するわけですから、新たな展開も欲しいなと感じつつ、【そこで生まれる演劇】を目撃できましたね。








久保田万太郎 「弥太五郎源七」「一周忌」

久保田万太郎 「弥太五郎源七」「一周忌」

みつわ会

六行会ホール(東京都)

2014/03/18 (火) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

拓くのは、「観客力の時代」






「観客力の時代」とは どういったことを意味するのだろうか。


タレント・高田純次氏は週刊誌の連載上、映画観賞後の会話で多用される「難しかたったね」について、「便利だと思う。自分がバカだということを隠す」と分析している。

その通りである。

作品に対する技術的評価、世界観をめぐる批評が あれば、たとえ多摩美大卒業展のようなカオス集でも「難しいかったね」の一言では済まない。




本舞台は二部構成と なっており、前半に『弥太五郎源七』を、後半に『一周忌』を 上演するのだが、休憩中に観客からは「下向いてて 聞こえづらいのよ」「マイクがほしい」「時間が長すぎるわ!」なる批判が続出した。


演劇の「中身」を批評するのなら好ましい。
ただ、役者の台詞を理解したければ補聴器を付けるべきだし、大切なのは上演時間ではなく、「平坦で つまらなかった」という「中身」だろう。



二部『一周忌』は、関東大震災後の昭和3年7月の東京・浅草で、未亡人となった女性(瀬戸 摩純)、保険勧誘にやってきたセールスマン(仲 恭司)を中心に展開される。


「新派」のアンチテーゼとして、新たな舞台様式である「ストリートプレイ」「現代演劇」「プロレタリアート演劇」は生誕した わけだが、それだけに、「純化した新派」を観劇するのは新鮮だった。


長台詞は、役者との「関係性」ではなく、むしろ「文学」であった。文字が記され、初めて「舞台様式」が成立する。


といっても、未亡人の女性が「着付」する場面は、成人式しか葬式くらいしか着物をまとわなくなった日本女性からすると、これは「学習タイム」だろう。
「新派」に存立価値があるとすれば、後世へ伝える「文化様式」に違いない。


戦前の日本を あれこれ言うつもりはないが、服装はファッション・センスがあった。
黒スーツを全員が着こなす企業社会もよい。しかし、茶系だとか、麻系だとか、紺だとか、灰色だとか、戦前の日本企業社会は もう少しオリジナリティが あったと思う。
「UNIQLO」の画一期とは対極である。


私は封建文化を強く叩いてきたが、「色彩文化」こそクール・ジャパンに位置付ける中心だと思っている。














DOLL 後ろむきな人生の前むきな歩き方

DOLL 後ろむきな人生の前むきな歩き方

劇団天動虫

要町アトリエ第七秘密基地(東京都)

2014/03/18 (火) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

元気がでる小劇場!!




「エネルギッシュな ハイテンション・コメディ」である。


設定こそ現代の下町TOKYO(日暮里、新小岩)なのだが、美術セットの蛍光色といい、まるで パラレル・ワールドだった。


若い世代が「夢を追い求めることが困難な時代」とされる。
しかし、それでも、首相がいうように「多様な生き方」を保証する側面があるので、私は一概に終身雇用制崩壊を否定しない。


だって、考えてみてほしい。


主人公・江戸川(浅倉 洋介)は、プロ野球選手を断念し、次なる仕事として選んだのが「何でも屋さん」である。詳しくは本舞台を観劇するべきだが、他の登場人物も誰 一人として「正社員」はいない。

ところが、この『DOLL 後ろむきな人生の 前むきな歩き方』が 編み出すパラレル・ワールドは、愉快で、快活であり、みな颯爽としている。
当然のことながら、「ジワリ」と涙も流させるが、その構成物質は 8月の青空に 蛇口から溢れ出す水道水の それと共通していた。
それは、少年野球のユニフォームを濡らしても、自転車の風圧を受ければ、3、4分くらい経過すると乾く性質だ。

なんだか「青春」である。


そうか、江戸川を含めた登場人物は、20代を迎えてなお、未だ「青春続行中」だったのか。



「かわいらしい笑い」は、『劇団天動虫』のアピール・ポイントだろう。高校生演劇部出身者(特に女子)が集結しただけあり、そこらへんの感覚を彼女たちは熟知している。


高校演劇絶賛者の私とて、実際のところ、現役高校生のコメディを
観劇し、「心から爆笑しましたよ!」は 滅多に ない。
笑うとすれば、それは、家族であるとか、親しい友人だとか、近所の畳屋さん へ向けた「笑い方」だろう。
今、ここに記載する出演者が高校演劇部OG、OBかは存じ上げないが、岩井 梨沙子とか、木崎 真 宥子あたりは「観客が抱かざるをえない好感度」を体現していたように思う。
誤解のないよう表現を変えれば、これは「テクニック」である。


「栄養ドリンク」1本の代わりに、『劇団天動虫』を飲みますか?
両者ともエネルギーを注入してくれるが、どうせならカフェイン抜き がいい。


































Play with Music OUR BLUE PLANET

Play with Music OUR BLUE PLANET

DGC/NGO 国連クラシックライブ協会

国立オリンピック記念青少年総合センター・カルチャー棟・大ホール(東京都)

2014/03/19 (水) ~ 2014/03/19 (水)公演終了

「持続可能性」という、あたらしい つながり方を

「地球憲章」は、(知識人が イニシアティブをとり)人類が初めて平和、人権、教育、環境、経済を包括的に条文化した、かけがえのない知的遺産だと思う。



グリーンランドの雪融け現象が、遠くの地にある日本の海水浴場を消滅させているとしたら。(8mの海面上昇を もたらすらしい _同公演の『環境サミット』で知る)


デトロイトの工場地帯からでる排気ガスが、ニュージーランドに住むこどもたち に紫外線対策用サングラスを装着させなければならない原因だとしたら。



アマゾン川流域の森林破壊が、地球に住む70億人の『宝』である生物多様性を滅ぼしているとしたら。



世界は“つながってしまっている”のである。
環境破壊で、また紛争で。


21世紀を建設する私たちは、この
“負のつながり”を、“正の つながり”へCHANGEしなければならない。
そして、“想像”しよう。


目の前で お腹をすかす高齢者の先に、アフリカのこどもたちを。


板チョコレートをあげる、大切な 恋人の先に、空爆に怯える市民を。


“想像”しよう。
“つながり”を持とう。
経済だけが、グローバルではない。

私たちは この地球に暮らす限り、水を、緑を、資源を 、これからも分かち合わなければならない“一員”である。




国連というのは、一般人にしてみれば謎が多い組織だろう。


UNHCR日本事務局長(母国はヨーロッパ)がクリスチャン音楽家の難民支援コンサートに来賓した際、「お祈り」する時間に どう対処したか。
私も含め 参加者が敬虔に 祈るなか、彼は頭をたれることもせず、手を合わせることもしなかった。(イスに座っていたが)直立不動である。


国連組織の責任ある立場の職員は、全ての宗教・宗派から独立していなければいけない存在らしい。
ちなみに、生え抜きの国連日本人女性職員としては最も上層部を経験した池上・日本大学教授から ちょびっと単位を貰った身だ。
国連についての基礎知識は 把握しているものの、職員という立場での宗教は どうなのだろうか。
いや、少なくとも、パブリックな場所だと、やはり自らの「信仰」を封印する必要があるようだ。



「環境省ですか?」「文科省ですか?」「外務省ですか?」「厚生省ですか?」

国連クラシック協会・小池さんに よると、省庁の直轄公演だと噂された歴史があるらしく、それを振り返った。

どの機関が主催か。そんなことは どうだっていい議論だ。


「地球環境」は、一人ひとりの手に直接、関係するテーマである。

私たちが 所管者だし、行動する当事者に等しい。




アマゾン流域で進む、伝統農業を活かした「持続可能 新農業」にスポットを当てる。

この公演では触れられていなかったが、ブラジル日系人が新農法を開発し、大統領を絶賛させた例もある。




記事タイトル【大統領から国家表彰受ける=パラー州=トメアスーの小長野さん=森林農法の小農普及貢献で=ルーラ「日本人だからできた」】 ニッケイ新聞 2010年12月10日(※サンパウロ市 日系人向けメディア)
[諸先輩の80年にわたる苦闘の歴史のおかげです」。首都ブラジリアの大統領府講堂で1日、国家統合省による「地域発展国家表彰」の授与式が行われ、パラー州トメアスー移住地の小長野道則さん(52、鹿児島)に第2部門賞がルーラ大統領の手から渡された。ニッケイ新聞の電話取材に対して、小長野さんは「15年間、小農のためにコツコツとボランティアをしてきたことをゴベルノ(政府)が見ていてくれた。この表彰は一生の宝です」と感無量の様子で感想をのべた。]



日本から渡った移民者が、地球の裏側・ブラジルで、飢餓や差別に苦しみながらも、現在、その役割を評価する声が政財界などに多い。このことは歓迎したい。



舞台は、このようなサクセス・ストーリーを、貿易流通企業社員、現地ブラジルの農業組合経営者を 通して描かれる。


「ダーク・ワールド」を象徴とした歌・ダンスが彼らを取り巻くわけだが、 嫌悪感を抱かせず、それでいて「排除すべき世界観」を明確に区別したパフォーマンスであった。

私は尾花輝代允 先生のバイヴォリン演奏と、若い世代によるバレエを楽しみに鑑賞している。残念なことに可憐なバレリーナの登場は叶わなかった(プロのバレリーナは出演)が、日本舞踊の「粋」に触れられた。

観客の こうした楽しみを、もし非常灯が奪ったとすれば、私は次回以降の消灯を希望する。


ビジネスマンと「地球環境」のマッチングは意外に思われる方も いるだろう。しかし、これは「価値観」の選択である。

「地球憲章」前文は こう記す。


「私たちは、いま生まれつつある地球共同体のために、倫理的基盤となる共有の価値観を、早急につくらなければならない。」


「地球破壊」か、あるいは「Earth Charter in Action」なのか。
この「価値選択」を、ビジネスマンに込めたのである。


ネタバレに「地球憲章」全文を掲載したので、興味のある方は ご一読を 勧める。

ネタバレBOX

前文
私たち人類は今、自分たちの未来を選択しなければならないという、地球の歴史上重大な転換点にさ しかかっている。世界がますます相互依存を強め、他からの影響を受けやすくなるにつれて、未来には 大きな希望と同時に、大きな危機が存在している。私たちが未来に向かって前進するためには、自分た ちが、素晴らしい多様性に満ちた文化や生物種と共存する、ひとつの人類家族であり、地球共同体の 一員であるということを認識しなければならない。自然への愛、人権、経済的公正、平和の文化の上に 築かれる持続可能な地球社会を生み出すことに、私たちはこぞって参加しなければならない。そのため には、地球上で生をいとなむ人間として、私達は互いに、より大きな生命の共同体に、そして未来世代 に対して、責任を負うことを明らかにすることが必要不可欠である。
私たちのすみか、地球
人類は広大な、進化しつつある宇宙の一部である。私たちのすみかである地球には、たぐいまれな生命 共同体が共生している。自然の偉力は、生き抜くことを困難で予想し難いものにしているが、同時に、地 球は生命の進化に必要不可欠な環境条件をもたらしてくれている。生命共同体の活力と人類の幸福は、 実に様々な動植物、肥沃な土壌、清浄な水、そして澄んだ空気など、すべての生態系を含む健全な生物圏 を維持することにかかっている。限られた資源しかない地球の環境は、全人類にとって共通の関心事で ある。地球の生命力、多様性、その美しさを保護することは、人類に課された神聖な義務でもある。
地球の状況
これまで行ってきた生産と消費の仕方は、環境の荒廃、資源枯渇、種の大量の絶滅を引き起こしている。 地球共同体が損なわれている。開発の恩恵は平等には分配されていず、貧富の差が広がりつつある。不 正、貧困、無知、そして暴力を伴う争いが広がり、人々に大きな苦しみを与えている。更に、かつてない 人口増加は、生態系と社会システムへの重荷となってきている。地球の安全が根底から脅かされつつあ る。これらは危険な兆候である。しかし、避けられないことではない。
私たちが直面している課題
地球規模のパートナーシップを形成して地球と人間を大切にする生存への道をとるのか、それとも、人類 や生命の多様性の破壊に加担する道をとるのか、選択するのは私たち自身である。私たちの価値観、社 会の仕組み、そして生活様式を抜本的に変えることが迫られている。私たちは、基本的ニーズが満たさ れている生活の中にあって、人類の発展とは、私たちが人間的により成長することであり、必要以上に 物を所有することではないことをはっきり理解すべきである。私たちは、すべての人々に必要な物をも たらし、しかも環境負荷を減らすことができる知識と技術を持っている。地球市民社会の出現で、民主 的で人道的な世界が築かれる新たな機会がもたらされている。私たちの環境面、経済面、政治面、社会面、 そして精神面の課題は互いに関連しあっており、私たちは共に包括的な解決を生み出すことができる。
地球的視野に立った責任感
こうした希望を実現するために、私たちは地域共同体だけでなく、地球共同体全体の中の一員であることを考え、共通の責任感を持って生きる決意をしなければならない。私たちは、それぞれの国の市民であると同時に、地域と地球がつながっている「ひとつの世界」の市民でもある。すべての人が、人類家族と生き物全体の現在と未来の幸福に、責任を分かち合っている。存在の神秘に対する畏敬の念、授かった生命への感謝の気持ち、そして、森羅万象の中で、人類はいかに小さな存在であるかという謙虚な気持ちを抱いたときに、人類は強く団結し、すべての生命との一体感も強まる。
私たちは、いま生まれつつある地球共同体のために、倫理的基盤となる共有の価値観を、早急につくらなければならない。それゆえに、持続可能な生活のための、互いに関連し合う以下の諸原則が、すべての個人、団体、企業、政府、国際機関の行動を導き判断する規範となることを、希望を込めて、私たちは確認する。
本文
I. 生命共同体への敬意と配慮
1.地球と多様性に富んだすべての生命を尊重しよう。
a.生きとし生けるものは互いに依存し、それぞれが人間にとっての利用価値とは無関係に、価値ある存在であることを認めよう。
b.すべての人が生まれながらに持っている尊厳と、人類の知的、芸術的、倫理的、精神的な潜在能力への信頼を確認しよう。
2.理解と思いやり、愛情の念をもって、生命共同体を大切にしよう。
a.資源の所有、管理、利用には、環境への害を防ぎ、人々の権利を守ることが義務であることを受け入れよう。
b.自由、知識、権力は、その大きさが増せば増すほど公益推進への大きな責任が伴うことを確認しよう。
3.公正で、直接参加ができ、かつ持続可能で平和な民主社会を築こう。
a.すべての地域社会において、人権、基本的自由を保障し、男女を問わずすべての人に、可能性を充分に活かせる機会を与えよう。
b.すべての人が環境に配慮した形で、安全で有意義な暮しができるよう、社会的、経済的公正さを推進しよう。
4.地球の豊かさと美しさを、現在と未来の世代のために確保しよう。
a.それぞれの時代に享受できる行動の自由は、未来世代のニーズによって規制されることを認識しよう。
b.次の世代に、人間を含む地球上の、生きとし生けるものの長期にわたる繁栄を支える価値、伝統、しきたりを伝えていこう。
以上、4つの大きな決意を実行に移すために、以下の諸原則が必要である。
II. 生態系の保全
5.生物の多様性と、生命を持続させる自然のプロセスに対して、特別な配慮を払いつつ、地球生態系全体を保護し回復させよう。
a.環境の保全と回復が、すべての開発計画に組み込まれるような持続可能な開発計画と規制を、どの段階でも採用しよう。
b.地球の生命維持システムを守り、地球の生物多様性を維持し、自然遺産を保護するために、野生地や海洋を含む、自然と生物の生存可能な保全地域を指定し、これを守ろう。
c.絶滅の危機に瀕した生物種と生態系の修復を促進しよう。
d.原産種や環境に害を及ぼす外来種、あるいは遺伝子組替え品種を規制、根絶し、そうした有害種の導入を阻止しよう。
e.水、土壌、林産物、水産物のような再生可能な資源の使用を、生態系の再生速度を上回らず、生態系の健康を保護するような方法で、管理しよう。
f.鉱物や化石燃料のような再生不可能な資源の採取や使用については、その資源の枯渇を最小限にとどめ、深刻な環境破壊を引き起こさないような方法で管理しよう。
6.生態系保護の最善策として、環境への害を未然に防ぎ、充分な知識がない場合には 慎重な方法をとろう。
a.環境にとって重大な、あるいは取り返しのつかない害を及ぼす可能性がある場合には、たとえ科学的知見が不充分、あるいは不確実であっても、それを避けるための行動を起こそう。
b.環境に重大な害を及ぼさないとして提案された活動には、その提案者に証明責任を課し、環境被害に対する責任を負わそう。
c.意思決定に際しては、人間の活動の累積的、長期的、間接的、長距離的、地球規模的結果を考慮することを明確にしよう。
d.環境への汚染はすべて防止し、放射能や有毒、危険物質の蓄積を阻止しよう。
e.環境に害を与える軍事行動は回避しよう。
7.生産、消費、再生産については、地球の再生能力を傷つけず、人権や公共の福祉を保護するような方法を採用しよう。
a.生産、消費のシステムにおいて、原材料の減量、再利用、リサイクルに努め、残った廃棄物は自然に回帰する方法をとろう。
b.エネルギーの使用については、節約と効率を旨とし、太陽光や風力のような再生エネルギー資源への依存を高めよう。
c.環境にやさしい技術の開発、採用、公正な移転を推進しよう。
d.環境と社会コストを、物やサービスの値段に組み入れ、消費者が、環境面、社会面で最も高い水準に達している商品を選べるように工夫しよう。
e.出産権(リプロダクティブ・ヘルス)や責任のもてる出産を促進するような保健サービスを、誰もが利用できるようにしよう。
f.有限の世界の中で、質の高い生活と物質的に足るを知るライフスタイルを採ろう。
8.生態系の持続可能性に関する研究を進め、既存の知識を自由に交換し、幅広く応用しよう。
a.持続可能性に向けての科学面、技術面での国際協力を支持し、特に発展途上国のニーズに配慮しよう。
b.すべての文化における伝統的知識と精神的知恵の中で、環境保護と人々の福祉に貢献するものを認知し、保存しよう。
c.遺伝子情報を含む、人間の健康と環境保全にとって非常に大切な情報は、誰にも独占されず開かれていることを確認しよう。
III. 公正な社会と経済
9.倫理的、社会的、環境的要請として、貧困の根絶に取り組もう。
a.飲料水、清浄な空気、食糧の安全性、汚染されていない土壌、住居、安全な公衆衛生への権利を保証し、そのために必要な資源を、国内及び国境を超えて分配しよう。
b.すべての人が持続可能な生活を送る力を得られるように、教育や手段を与えよう。自らを支えることができない人のためには、社会保障やセーフティネットを用意しよう。
c.目を向けられずにいる人々に気を配り、傷つきやすい人々を保護し、苦しむ人々に奉仕し、彼らが自らの能力を伸ばし、希望を追求できるようにしよう。
10.経済活動やその制度は、あらゆるレベルで公平かつ持続可能な形で人類の発展を促 進するものとしよう。
a.国の内外を問わず、富の公平な分配を促進しよう。
b.途上国の知的、財政的、技術的、社会的資源を増進させ、重い対外債務から救出しよう。
c.すべての貿易は、持続可能な資源の利用、環境保全、先進的な労働基準にかなうものであることを確認しよう。
d.多国籍企業や国際金融機関は、公共の利益のために透明性をもって行動し、自らの活動がもたらす結果に対して責任を負うものとしよう。
11.男女間の平等と公平は、持続可能な開発にとって必須なものであることを確認し、教育、健康管理、経済的機会を誰もが享受できるようにしよう。
a.女性や少女の人権を守り、彼らに対する暴力を根絶しよう。
b.女性達が経済、政治、市民生活、社会活動、文化的生活のあらゆる面で、平等なパートナーとして、意思決定者として、指導者として、また、受益者として活発に参画できるようにしよう。
c.家族の絆を強め、家族全員の安全と家族愛を強化しよう。
12.すべての人が自らの尊厳、健康、幸福を支えてくれる自然環境や社会環境をもつ権 利を差別無く認め、特に先住民や少数民族の権利に配慮しよう。
a.人種、肌の色、性別、性的指向(同性愛者)、宗教、言語、国籍、民族、身分制などに基くあらゆる差別をなくそう。
b.先住民の、精神性、知識、土地、資源に対する権利と、持続可能な生活を続ける権利を確認しよう。
c.われわれの地域共同体に住む若者たちの能力を認め支援し、持続可能な社会を創造していく上で彼らが重要な役割を果たせるようにしよう。
d.文化的、精神的に大切な場所を、保護し修復しよう。
IV. 民主主義、非暴力と平和
13.民主的な制度と手続きをあらゆるレベルにおいて強化し、統治における透明性と説明責任、意思決定へのすべての人の参加を確保し、裁判を利用できるようにしよう。
a.すべての人が、自分たちに影響を及ぼす、または関心のある、環境に関わる事柄や、すべての開発計画、開発活動について、明確、かつタイムリーな情報を受けとる権利を持てるようにしよう。
b.地方や地域、あるいは国際的な市民社会を支援し、意思決定にはすべての関係者や関係機関が意味ある形で参加できるよう推進しよう。
c.言論、表現の自由、平和的集会の自由と結社の自由、異議を唱える自由への権利を保護しよう。
d.環境への害やその脅威に備えた補償や救済等、行政手続きや独立した司法手続きを効果的、効率的に利用できる仕組みをつくろう。
e.すべての公的機関や民間機関における汚職を根絶しよう。
f.自らの環境を守れるよう地域社会を強化し、環境に対する責任は、最も効果的に 果たすことのできる立場の行政レベルに割り当てよう。
14.すべての人が享受できる公教育や生涯学習の中に、持続可能な開発に必要な知識、価値観、技術をとり入れよう。
a.すべての人々、なかでも子供たちや若者たちに、教育の機会を与え、彼らが持続可能な開発のために活発に貢献できるようにしよう。
b.持続可能性に関する教育については、科学が果たす役割同様、芸術や人文科学の貢献も奨励しよう。
c.生態系や社会が直面している挑戦への意識を向上する上で、マスメディアが果たす役割を強めよう。
d.持続可能な生活のための道徳教育や精神教育(宗教教育)の重要性を認識しよう。
15.すべての生き物を大切にし、思いやりを持って接しよう。
a.人間社会で飼育されている動物への残虐な行為を防ぎ、苦しみから保護しよう。
b.野生動物の狩猟、わな猟、漁獲に際しては、極度な苦痛と長引く不要な痛みを与えないようにしよう。
c.標的以外の動物の捕獲や殺傷をやめよう。
16.寛容、非暴力、平和の文化を促進しよう。
a.あらゆる民族間、国内間、国際間の相互理解、団結、協力を奨励し、支援しよう。 ○国際平和は、持続可能な発展のための最低限の条件です。
b.武力紛争を防ぐ為に包括的な戦略を実施し、環境に関わる紛争や他の論争を管理・解決するためには、協力的な問題処理を行おう。
c.国家の安全保障体制を非攻撃的な自衛レベルに縮小し、軍事予算を、生態系の修復のような平和的目的のために転用しよう。
d.核兵器、生物兵器、化学兵器やその他の大量破壊兵器を排除しよう。
e.人工衛星軌道や宇宙空間の利用は、環境保全と平和に資するものとしよう。
f.平和とは、自分自身、他人、他の文化、他の生命、地球、そして全てがその一部を構成する、さらに大きな全体との間の、適切な関係によって創られた総体であることを認識しよう。
今後の選択の道
私たちは歴史上はじめて、共通の運命によって新たな行動を始めることが求められている。こうした再出発こそ、地球憲章の原則に込められた誓いである。この誓いを実現するために、私たちは地球憲章の価値観と目的を受け入れ、推進していくことを決意しなければならない。そのためには、意識と考え方を変えなければならない。地球規模の相互依存と人類共通の責任という新しい感覚が必要となる。私たちは想像力を使って、持続可能な生活様式のビジョンを、地方、国家、地域、地球レベルでつくり、実施しなければならない。私たちの文化の多様性は大切な遺産であり、それぞれの文化は独自の方法でそのビジョンを実行に移すことになるだろう。私たちは、地球憲章を誕生させたこの地球規模での対話を、さらに深め、広げなければならない。なぜなら、真実と知恵を共に探し続けることによって多くを学ぶのだから。
人生には重要な価値観をめぐる対立がよくあり、それは時として厳しい選択となり得る。しかし、多様性と統一性、自由な行動と公益、短期の目的と長期の目標を調和させる方法を探さなければならない。個人、家族、組織、共同体は、それぞれ大切な役割を持っている。芸術、科学、宗教、教育機関、メディア、企業、非政府組織(NGO)、政府などすべてが、それぞれに創造的なリーダーシップを発揮することが求められている。効果的な統治には、政府、市民社会、企業のパートナーシップが欠かせない。持続可能な地球共同体を築くために、世界中の国々が、国際連合に貢献する決意を新たにし、既存の国際協定に基づく責務を果たし、環境と開発に関する国際法を用いて、地球憲章の諸原則の実行を支援しなければならない。私たちの時代を、生命の新たな尊厳への目覚め、持続可能性を実現するための確たる決意、正義と平和を確立するための更なる努力、そして、喜びと祝福に満ちた生命と共に想起される時代にしようではないか。
仮面狂想曲

仮面狂想曲

戯六遊

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2014/03/14 (金) ~ 2014/03/16 (日)公演終了

エンタメ サスペンスなら 上出来
「象徴」とは何なのか。


市役所に貼られたポスターは 365日、健全な男の子、女の子、青年、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんが笑顔である。


一つ、具体例を提示するとしたら、ポスターではないが、月刊『太陽』を挙げたい。あの、野球帽を被った笑顔の少年が、「あるべき日本男児」の「象徴」なのだろう。

こうした「伝統的象徴」と現代のメディアがタッグした姿こそ「ももいろクローバーZ」であり、両者に共通するのは健全性、禁欲、均質性、笑顔である。





「象徴」というのは、特定のコミュニティに所属していた、という経歴のみでも派生するのものだ。


ここは飲み会の席ー

「あなたの出身地は どこですか?」が参加者の話題だったとしよう。
もし、「沖縄県出身です」と、小太り男性が語れば、これ以降、彼こそが「沖縄」になる。
シークワーサーに塩を1mg入れるのが彼独自の「好み」であったとしても、それが「沖縄」だという解釈をされる。
国家を代表(=象徴)するのが「元首」だとすれば、この 飲み会は さながら一夜の首脳会議である。


しかし、「象徴」が「個人の脆弱さ」を越えられる概念には私は思えない。

1960年代公民権運動を完全に「象徴」せしめた人物として、南部キリスト教指導者会議 ( SCIC )指導者•キング牧師は存在する。

彼は宗教者なのにもかかわらず、数多くの黒人女性と関係を持ち、タブロイド紙からスキャンダルを狙われた身だ。

人種差別撤廃を掲げる学生非暴力調整委員会 (SNCC)は さらに深刻であった。黒人男性が次々から次に女性メンバーと関係を持つケースが続出し、社会問題化した。


「人種差別撤廃」が道徳なのかは難しいテーマだが、今日の社会からすれば キング牧師の「象徴」は100㌫ではなかったろう。


話を月刊『太陽』の野球帽少年に戻し、この画を「日本男児」と仮定した上、次の質問をしたい。


「普段、漫画を読みますか?」



「ベトナム戦争に ついて どう思いますか?」


「象徴」とは、必ず均質性がなければ機能せず、不健康な「漫画」でも「僕ハヨミマセン」だとしたら、少数の「お坊ちゃん」になってしまう。これだと同年代の「友達」はできない。

また、ポリティカルな考えには一切言及できないのが弱点である。


2009年夏季オリンピック招致総会の際、プレゼンターに登壇したのは優秀な少女だったが、日本(東京)は落選している。ああいった当たり障りのない「東洋的象徴」は時代錯誤だから、IOC委員には抵抗がある。2008年北京五輪開会式を「反面教師」にできなかった当時の招致委員会の責任は重い。

もちろん、実在する野球帽少年であれば、「個人の脆弱さ」を示す「粗」など いくらでも掘り起こすことが可能だろう。


「象徴」は「個人の脆弱さ」に敗北する。「個人」が「強固な象徴」を製造した本舞台とは反対に。




『仮面狂想曲』は エンターテイメントとしては快作である。
つまり、CX『古畑任三郎』のように、「相関図」と「手口」で物語をシンプルに、テンポよく誘導していく。


※ネタバレ箇所




伊藤公一の演技が、脚本を リアリティに変えた。
「狂気」だろう。
「不良」だろう。

おそらく、彼の演技が違えば「10年前の事件」にも 心理的スポットライトが注がれたはずであり、私は それを期待し観劇したわけだが、脚本からすると「正解」だ。



90分間という上演時間を、テンポよく進め、『古畑任三郎』クラスの推理ドラマを観させてくれた。




※続く

ネタバレBOX

裏を返せば、「人物描写」は欠けていた。


12名ものキャストが登場するなか、その全てが「当事者」だったのは脚本に無理がないか。
田代、小早川あたりは「第三者」こそ、舞台全体に「のりしろ」が加わる相関図だったと私は思う。

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