じべ。が投票した舞台芸術アワード!

2018年度 1-10位と総評
『天国と地獄』

1

『天国と地獄』

遠吠え

21日マチネは初めてなので流れを追うことに重点を置いたが2回目ゆえ細部にも気を配れた結果、眼が潤みかけたり新たな発見があったりも。

登場人物それぞれに個性がある中、「いかにも先輩っぽい3年生」「初々しい1年生」「上下それぞれに気を遣う2年生」と学年毎のカラーが出ているのが上手い。
また、脚本を担当する2人が天才肌のメロス・技巧派のアニーとタイプが異なるのも巧み。
他にメロスが最初に書いた脚本の読み合わせをする時に「初見の台本を読んでいる」感じがちゃんと出ているものイイんだな。
あと、ラストで部員たちが「おはようございまーす」と言いながら部室(?)に集まって来ることに「櫻の園」の序盤を連想したり。

さらに観ながら各人物のハマり具合はあて書きによるものか演者が役を自分に引き寄せたのか考え、じゃあ他の役者が演じたらどうなるか、など想像していたのだった。

で、劇中に出てきたいくつかの台本をコンプリートさせたスピンオフ的作品も観たいし、3年生トリオや2年生コンビが新人だった頃を描いてあだ名の由来を紹介する前日譚的短編も観たいぞ。演ってくれないかなぁ……。

二代目なっちゃんの愛人。

2

二代目なっちゃんの愛人。

なかないで、毒きのこちゃん

さすがにほとぼりも冷めたので なかないで、毒きのこちゃん が秋に行った「犯行」について記録を残す。ただし作品の性質上、ハナシを盛ったり虚偽を記したりするオソレは拭い去れない。(爆)

ある意味で開演前から芝居は始まっているという用意周到な「劇場型犯罪」。この団体をよく知っていると「読み易い」かも。が、あれだけヒントがあるのにσ(^-^)も途中まで半信半疑だったし、「事件」は起こらなかったのだろうか?

(念のため詳細はネタバレBOXへ)

なかないで、毒きのこちゃんの芝居は何が起こっても不思議はないと言うか、何かが起こってもしばらくは静観した方が良いかも。(笑)
まずは観劇前夜、団体から「出演を予定していた芝生みどりは体調不良のため降板、代役は作・演出の鳥皮ささみが務める」というメールが来て、ままあることと納得して劇場に赴いた。
劇場前にもその旨の掲示があり、それも当然のことと納得したが、「作品の性質上、公演終了まで内容をSNSなどに漏らさない」旨の誓約書が受付で配られ、終演後に記名・提出すれば「特別許可証」を渡す、というところで何かひっかかる。
「協力感謝の印」的なものならワカるが「許可証」って何?(笑)

続いてのひっかかりは当日パンフレット。記載されている「人物相関図」から推察するに芝生みどりの役を鳥皮ささみ(でもあるところの出演者)が演ずるのは無理、あるいは難しい。

そうこうしていると、出演予定の役者が客のフリをして喪服で客席に座り、これはままある演出ではあるが、怪しさ(笑)は深まる。

そんな疑いが決定的となったのは開演直前の「鳥皮ささみ」による前説。
メールなどで知らせた通り芝生みどりの降板を鳥皮ささみが代演するつもりであったが80分のうち30分しかできなかったのでアフタートークを行うという……。

もしもこれが本当ならば受付時にその旨を告げ、場合によっては「公開ゲネ扱い」にしてカンパ制にするのが一般的では? それを正規の料金を取った上に開演直前に告げるのは不自然……どころか非常識の極み(笑)

ということで、ここで「容疑」は濃厚に。それでもまだ「どこまでホントでどこまでウソ?」という疑問は残ったが、始まった「本編」が従来とは全く異なるタイプなのでほぼ「クロ」と認定。
さらに30分の本編が終わった後に「隣の駅前劇場が上演中ですのでお静かに」と言うが、σ(^-^) が観た初日はまだ駅前劇場は公演がなかったのでようやく「やっぱり全部芝居か、謀ったな!」と。(笑)

その後の「作られたアフタートーク」もブッ跳んだ展開(観客まで巻き込むし!(笑))ではあったが、それが普通に感じられてしまうほどだったので前半のインパクトの強烈さは推して知るべし。

しかし終演後にもシカケがあり、受付時に配られた「誓約書」は提出不要だが「特別許可証」は配布され、それにはあることないこと、酷評など何でもアップして良いとあり、ウソの例(芝生さんの復帰おめでとう、鳥皮さんの代演はさすが、など)まで記されており、最終的に観客まで「共犯者」にしてしまうという、画期的なアイデア。

ホントやったモン勝ちの秘策・奇策、(演劇界全体でも)1回しか使えない(=2度目はおそらくバレる)だろうが、もしかするとシレッとしてまた使うかもと疑ってしまうのがこの団体のオカしさ。(笑)
いや、さらにパワーアップしたワザかも。(期待)

公演情報(の出演者)公表の時からすでに芝居は始まっており、架空の新人女優のツイッターアカウントを作ってツイート/リツイートをして実在感を強め、観客は観終わってもガセネタも含んだ感想ツイートを読んだり自らアップしたりすることで継続し……という「本来の公演期間」の前後も含めた超長尺ものと言えよう。

また、映画化不可能。いや、ほぼそのまま映画にすることはできるだろうが、それではキモの1つは抜け落ちてしまうワケで「演劇でしか表現できない」作品であろう。

で、2013年5月の「ハロー!新宿ちゃん」1編目の「すーぱーうーまんちゃんさん」の発想を大幅グレードアップし、2017年7月(2018年10月再演)の「おれたちにあすはないっすネ」を“座席にいて観ることができる”スタイルに変形させたものとも言えるのではないか。

ちなみに第一報時点のタイトルは「ニューシアターパラダイス」。ある意味まんまじゃん!(決定タイトルは劇中劇(?)である前半部分を指す)

なお、本作のガセ(あるいはネタ)「降板・代役」メールの直前に予約している他公演の真実の「降板・代役」メールが来ていたので騙され易さがアップしたワケだが、逆に今後そういうメールが来る度に「本当か?」と疑ってしまいそうで、そこんとこ、どうしてくれるんだ鳥皮ささみさん!(笑)

オカルト・ミステリー・アワー

3

オカルト・ミステリー・アワー

サムゴーギャットモンテイプ

日本家屋である会場の構造を活かし客席と壁1枚隔てた廊下などでの声やS.E.によって観客にあれこれ想像させるのが巧み。
また、昨年6月の「おうちにかえる・オブ・ザ・デッド」同様「このテのハナシ」のセオリーを忠実に踏襲して見事。「このテのハナシ」が好きな上に出来が良い(私見)ので内容と裏腹に嬉しくて頬が緩みっ放し♪

最前列のお客さんが音などに反応して時々ビクッとするのが見えたのも頬が緩んだ要因の1つであるが、それはつまりコワさの証左。
そしてそれは「マイルドな呪怨」なオモムキとも換言できるかも?(そう言えば最後の場がビデオ版「呪怨2」と通ずる手法だし)

なお、会場のトイレの場所(客席背後上手側の外)を知っていると、より楽しめると言うか後で台詞にも出てくるが、何の音か先に気付けるので有利。開演前に場所だけでも確認しておくことを推奨。
また、会場は靴を脱いで入るスタイルなので脱ぎやすい靴、穴が空いていない靴下を推奨。

「舞台を初めて観る方に」を「お薦め!」にするとコワいものに弱い方から恨まれるおそれがあるので「どちらともいえない」にせざるを得ないのがツラいところ?(笑)
最後に暗転したまま背後の廊下での過去の会話によってコトの原因を明かすのがまた上手い。しかも序盤でその伏線をちゃんとはっているもんなぁ。
で、画的には何も変わらないまま会話だけ聞かせて終わるのがビデオ版「呪怨2」と通ずる。

「メグ The Monster」/「あっちの部屋では」

4

「メグ The Monster」/「あっちの部屋では」

アナログスイッチ

【メグ The Monster】
音楽の使い方や設定、台詞の端々などに名嘉友美さんっぽさが見え隠れしつつもシンクロ少女では上演しないであろうタイプに仕上がっているのが面白い。
そして、この会場を活かした作劇はもちろん、2人のヒロインの関係性を最初は(姉妹と)誤解させるような台詞が仕込まれていたりするのも巧み。
なお、ダブルヒロインを(関係に関する台詞が出る前に)漠然とどこか似ているように感じたのは気のせいか?(笑)

「ハムレットマシーン」フェスティバル

5

「ハムレットマシーン」フェスティバル

die pratze

五組目:劇団シアターゼロ/IDIOT SAVANT theater compan
最終組は「まだこのテがあったか!」な2団体?

【劇団シアターゼロ】
狂言まわし的な人物と白塗りのハムレット、オフィーリアという3人によるほぼ無言劇。装置・小道具もなくひたすら演技のみによる表現なので最もヒントが少なく「難解」?
そういう意味ではもしかしてこれが本来のカタチか?(笑) ← 当戯曲は不定形なものにつき「本来のカタチ」などという概念は存在し得ません(私見)

【IDIOT SAVANT theater compan】
序盤はテキスト要員1名に応援団または一世風靡セピアのような6人(男5女1)のコロスによる絶叫型アングラ風味。その刷り込みか演者3名が加わってのパフォーマンス(立てた黒い板に各国語で言葉を書き込みアジテート立て看板のようにすつとか、椅子に座った人物に白く細い布を巻きつけてゆくとか)もアングラチックに見えてしまう。
また、ラストのルンバに「上海バンスキング」のラストシーンの家鴨を想起。
ところでダンスの犬ALL IS FULLに続いてヴィヴァルディ「四季」の冬・第3楽章(?)を使っていたが、終末だの廃虚だののイメージがあるのか?

人造カノジョ~あるいは近未来のフランケンシュタイン~

6

人造カノジョ~あるいは近未来のフランケンシュタイン~

劇団鋼鉄村松

STAP細胞と3Dプリンタを使い「理想のカノジョ」をカスタマイズして作るというマッドサイエンティストを取材しに行った記者が巻き込まれる事態……「フランケンシュタイン」(演劇企画集団THE・ガジラ、天幕旅団も取り上げた)「A.I.」(キコ qui-co.、たすいち、トツゲキ倶楽部も取り上げた)と小劇場シンクロニシティの二重盛りな上に層構造、胡蝶之夢、複数のどんでん返しとσ(^-^)の好きなネタ満載の傑作娯楽サスペンス。

物語の中心部分は往年のNHK少年ドラマシリーズに通ずるオモムキのジュヴナイル系冒険譚。そこにSFでは定番の「A.I.に感情は芽生えるか?」や(擬似)恋愛要素も絡め、ハッピーエンドかと思わせておいてそこから胡蝶之夢をも思わせるどんでん返しパートに進むというのはシッポまで餡が詰まった鯛焼きの如し。

そんなSFでありながらも「あんな怪物を作った科学者こそ真の怪物ではないか?」という主人公の疑問(=観客への問いかけ?)や基本構造が原典に準拠してるというのもまた巧み。
いやぁ、面白かったなぁ。

なお、本作に「おぉ!」と思った方は岡嶋二人「クラインの壷」(小説)も楽しめると思うし、「クラインの壷」がお好きな方は本作も気に入ると思う。

北の忍者、光を夢見る

7

北の忍者、光を夢見る

ハチビットプラネット

国境近くの軍事基地では一部メンバーが幼馴染の部外者と共にFM番組を流しているほどのほほんとしていたが、ある日、隣国の忍者(!)が潜入し……から始まる傑作娯楽サスベンス。
ゆるく始まりながらも次第に緊張感が高まり、気付いた時にはしっかり引き込まれていて、それでいて程よくユーモラスな部分があって息抜きもできるというバランス配分が絶妙。
「どこかの国によく似た文化を持つ架空の国」の国際政治絡みの問題を「あーそれあるある!」や胸アツな展開を交えて描き、一件落着はするがすべての問題が解決した訳ではなく余韻を残して終わるという物語の流れは旗揚げ公演「朝焼けのパレード」を想起させ、8bitPlanetの真骨頂か。

北の忍者が情報収集のために傍受していたラジオ番組によって音楽を好きになった、という部分に超時空要塞マクロスを連想。また、「同じように映画好きな同士がなぜ戦わなくてはならない?」という反戦・厭戦・嫌戦メッセージも良かった。

いやホント、過去作品も含めて台本を販売して頂きたいものです。

『カザカミ』

8

『カザカミ』

kazakami

職場での人間関係などで精神的にも疲れた入社3年目のあおい。自宅でうたた寝(?)から目覚めるとなぜか入社間もない頃に世話になった先輩・アヤメがそばにいて、アヤメにいざなわれたあおいは職場の人々のいろいろな場面を見ることになり……な物語。
割と早い段階である海外文学を連想したために先入観を抱いて観たせいか、優しい気持ちになれる作品と感じたが、見ようによってはダークかも?
また、対面客席で通常は客席入口として使うことが多いドアと楽屋に直結した角の2箇所を出ハケ口とした会場の使い方も内容に合っていて効果的。
割と早い段階で連想したのはディッケンズの「クリスマス・キャロル」。RTされたツイートにもそんな旨があったのでやはりσ(^-^) だけではないんだな、と。また「法則」はムーブメントも含めて「バランスを司る女神」のように感じた。
また、ヤなヤツに思えた人物の言動も実は裏があって結局は思いやってのことだったと明かされるので優しい気持ちになったが、終演後に「(序盤では封が切られていない)あの瓶」がラストシーンでは空になっていると伺って(観ている時は気付かなかった)ゾゾゾ……(笑)

真夏の夜の夢

9

真夏の夜の夢

ヨハクノート

基調はオーソドックスで古典の格調高さ(?)や台詞の美しさなどを残しつつ絶妙の配分で現代的なモノを入れることで翻案したワケではないのにちゃんとイマのものになっているのがアッパレ!(※)
補足すれば白い布と紐によるシンプルな舞台美術は格調高さ、特に衣装らしくない現代の普段着っぽい衣装はイマな感じをだすのに一役かっていたかも。
アテネの4人が森で鉢合せして口論になった時のアレは愉しいし、人気シリーズ映画のあのキャラネタはあるし、終盤の劇中劇場面の演出も妙案だし、妖精の表現や原作の人物の省略も巧いし満足満足♪
しかしなんでここを今まで誰も勧めてくれなかったんだろう?いや、自分の情報収集力不足を嘆くべきか……。

※ レティクル座の「童貞キューピッド」(2014年1月)が現代語訳/超訳ながら実は原典に忠実だったのと対照的(ちなみに童貞キューピッドも個人的には高評価)
【覚書】
口論になった時のアレ:序盤で慶事を知らせるために撒いてそのまま床に散らばっていたビラを投げ合う
人気シリーズ映画のあのキャラ:ダースベイダー
劇中劇場面の演出:結婚する三組が客席に座り上演中の劇中劇に茶々やツッ込みを入れる
妖精の表現:職人役の役者のうち2人が両手に人形をはめて声色を使う
人物の省略:ハーミアの父・イジーアスが出てこないし職人が3人しかいない

火遊び公演「焔の命--女優の卵がテロリストになった理由」

10

火遊び公演「焔の命--女優の卵がテロリストになった理由」

オフィス上の空

「This is くれはマジック」か? いかにも松澤くれは作品で、観ているうちに虚構と現実の境界が曖昧になり虚構が現実を侵蝕してくる、あるいは劇中に自分の意識が取り込まれる感覚がアヤしくも心地好い。劇団が次第にヤバい方向に向かい始めてもそれを容認しそうになり何度「いやいやいや、違う違う違う」と自分を正気に戻したことか。
「大きな嘘を吐くには小さな嘘を積み重ねて」とよく言われるが、本作は小さなあるある・ありそーを積み重ねることによって大きなあり得ないことをありそうに錯覚させるのだろう。劇団内幕系ネタや現実にあったことなど身近なところから入って徐々に踏み外してゆくもんなぁ。

それにしてもあの重苦しい雰囲気の中で芝居としての出来(劇構造や各種仕掛けを含む)に笑みがこぼれてしまうってナンだよ!(笑)

ところで本作の感想に「あさま山荘事件」の記述が散見されるが、合宿での出来事は同じ連合赤軍関連であってもそれより以前のリンチ殺人を想起させるものであり、質の異なる両者の混同は世代/時代によるものか?
劇団内の話し合い場面に「身内を集めて喜んでいる劇団も多いが……」という時々出る件に触れた台詞があり吹いてしまう。
また、集客は役者の仕事か?/集客できる役者が良い役者か?というのも比較的最近出た話題だし、ツイ廃として(爆)リアリティを感じたのだろう。

真理子は自分にストイックで自らを追い詰め、森は他者にストイックを求めて他者を追い詰め、その2つのストイックさが惨劇を呼んだと言えよう。

なお、ノンフィクションライターの取材により加害者家族が追い詰められる構図に劇団Bケイカクの「慟哭は戯言」と脳内でリンクしたりも。

総評

例年通り若手偏重な結果に。中堅・ベテランの作品はクオリティが高くてもつい「このくらいはできて当然」と思ってしまうもので。
また、評価基準はあくまで「自分の好み」によるものであり、具体的には「また観たいと思ったもの」「発想が優れているもの」「企画として面白かったもの」などさまざま。

このページのQRコードです。

拡大