ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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マテリアルパレード

マテリアルパレード

LUCKUP

ザ・ポケット(東京都)

2023/08/09 (水) ~ 2023/08/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 華4つ☆ アクションがグー。

ネタバレBOX

 この世の平衡を保つ為に暗躍する組織・マテリアル、対するは矢張り別の目的を奉じて暗躍する組織・サンサーラで敵対関係にある。戦災孤児だった兄(ケイト)と妹(アキナ)は、新たな戦争勃発の煽りを受け離れ離れの状態になってしまった。各々を引き取りケイトには妹が見つかるかも知れないと諭し、アキナには兄が見つかるかも知れないと諭して自軍の兵士として育てたのは敵対する組織であった。この互いに敵対する組織にカイン村とカイン村を行政単位としては含む地方都市の市長それぞれからミッションが依頼された。兄の属する組織にはその大部分を森林に囲まれた古いカイン村を含む地域の開発計画を掲げる知事からのガード依頼(殺害脅迫があった為)、いま一つは、カイン村長からの開発許可阻止ミッション。無論、妹は開発阻止ミッションを請けた組織に属していた。
 徐々に明らかになってゆくのは、マテリアルもサンサーラも世界的な秘密組織であり、今作は、互いが組織を懸けた全面戦争へ突入することになる序章だということだ。
 見どころは、アクションが中々良いこと。美男・美女を配しエンタメ要素もふんだんだ。だが、劇中の台詞にもあるように両組織の兵器の開発に関してはB級サスペンスの域を超えない。その分、痛快な面白さがあり、アクションが多用されることが必然となってくるので楽しめる。
 また、戦争に関する本質迄捉えているとは思えないものの、傾向を押さえて脚本が書かれていることも魅力である。村名からも推量できるように聖書も遠い下敷きになっていることでカイン村が村落に過ぎないのに世界的組織と繋がっていたりすることや、組織としてしっかりしていることも含め物語のスケールを大きく複雑にしている点もグー。続きにも期待したい。
ノストラダムス、ミレニアムベイビーズ。

ノストラダムス、ミレニアムベイビーズ。

劇団身体ゲンゴロウ

シアターバビロンの流れのほとりにて(東京都)

2023/08/06 (日) ~ 2023/08/11 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 誰もが思い当たるふしのある物語だ。3.11を背景に置くことで物語が極めて大きな社会性を帯びた。

ネタバレBOX

小学校最終学年6年の地方の小学校の某クラス。大人たちは忘れてしまったような顔をして子供たちは金魚鉢の中で群れを組んで楽しそうに泳ぎ回る仲良しの仲間のようなものだと考えたがる。然し現実の金魚鉢の中は? 強いクラスのボスとそれに追随する者だけが真っ直ぐ前を向いて頭を高くしているのだとしたら? 時期は2012年、前年にはF1人災、大津波、大地震という未曽有の複合災害があった。登場する子供たちの多くが親族や眷属を失くし、トラウマを抱えるなど多大な影響を被っていた。
 ゆきのりの父は行方不明のままだ。母は既に亡くなったと判断している。然もクラスの嫌われ者、りょうのお父さんとの再婚を願っていた。各々の父と母が結婚することになれば2人は兄弟ということになる。当然親は親で自分の子に再婚に対する子供の意見も訊いていた。だが、子供からすれば親同士の関係がどのようなものであるのか? 全く分からない。そこで2人が会うことになっていたある日、親たちの後をつけそれぞれの親が心置きなく笑う様子をホントウに久しぶりに見た。その笑顔は互いの連れ合いを失くした時以来であった。りょうの母は3.11は生き延びたものの父とりょうを置いて別の男と失踪してしまっていた。
 クラスのボスはこうじ、輝いていた彼の兄が失速し強い者の言いなりにされている姿に傷つき自分は決して負け組にはならないと皆に優しかった己を裏切り、暴力的になって皆に君臨していた。女子ではさやを中心に特異な感性を持つまりを虐め毎日いたぶっていた。そんな力関係が逆転する日が来たのはソフトボール大会の勝敗がついた後だった。りょうの発案でそれまで虐められたり弱いとされていた者達のグループと強いとされていたグループに属する者達が対決、勝ったのは弱者と見做されていたグループであったが、これを契機にこうじは、学級委員だがはぶられていたしょうまを自分達のグループに加え、それまで加わっていたゆきのりをはぶった。そして遂には高台に2人を連れて行き飛び降りた者を自分達の仲間に入れると宣言する。しょうまは飛び降りたが認められず、その不正に怒ったゆきのりも飛び降り、認めないのならこうじ自身が飛び降りてみろ! と迫る。こうじは怯んで飛び降りることができず、腰抜けであることを晒した。
 以上のようなことがあった後、りょうとゆきのりは試合に勝たない方が良かったと主張するゆきのりと関係を変えたし練習をしてフェアに戦って勝ったことを是認するりょうは会話を絶ち二度と会話を交わすことなく、話ができないのなら手紙を出す、とのりょうの提案も蹴ったゆきのりであった。りょうからの伝言はゆきのりの母から伝えられた。りょうの父とゆきのりの母との再婚話には反対であること。それはゆきのりも同意見であること、りょう父子は祖父の下へ行き祖父と共に暮らすことになったこと。
 その後、りょうは交通事故で亡くなった。
六英花 朽葉

六英花 朽葉

あやめ十八番

座・高円寺1(東京都)

2023/08/05 (土) ~ 2023/08/09 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 べし観る! 文句なしの5つ☆(上演中故、余り細部は書かない。終演後にまた追記する)

ネタバレBOX

 昭和編を拝見、休憩なし2時間15分。一瞬たりとも気の抜けない緊迫感と史的情況が芸人に或いは娼婦を含む客商売を商う総ての人々に与える理不尽で仮借ない宿命と、宿命を一方で担いながら命を懸けて守るべき意地を見せる人間という生き物の闘争を単に歴史のパノラマとして見せるにとどまらず、生き様として表現した脚本の良さと演出の巧み、また生演奏の心地よい人間的な響きが醸し出す何とも言えぬハーモニー、登場人物各々のキャラの描き方や伏線の仕込み、回収法の上手さ、役者陣の演技力と合理的でスケールの大きい視座で拵えられた舞台美術総てが相俟って実に味と深みと含蓄と悲惨、これら諸要素に対する個々の生き様がくっきり描かれ胸を撃った。
Bless M

Bless M

劇団薄命

吉祥寺櫂スタジオ(東京都)

2023/08/05 (土) ~ 2023/08/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 楽日、最終公演を拝見。今回、とても素敵な作品を拝見でき、実に充実した1日になった。お礼申し上げる。力のある劇団なので今後も期待。追記後送

ネタバレBOX

 劇団“薄命”旗揚げ公演である。出演女優は4名、皆若手の女優さんだが、演技は中々しっぁりしている。脚本が、実際問題として極めてセンシティブな問題を扱い、真剣に向き合わあるを得ない問題を扱っていることもあり、現代日本を見事に表象するようなオープニングの質問と回答、その間に滲み出すように現れる日本の現在の表層性、即ち糊塗され隠蔽された事実の上っ面だけを織り込んだ受け答え=欺瞞。この欺瞞構造そのものを打ち砕いてゆく脚本に4人の女優総てが極めて自然な怒りを共有し、俳優修業の一環として裸足になって大地に接し、横になって自然と極大接地をすることで我らの暮らす地球という自然から様々なもの・ことを感じ応分な応えができるように上演中、全員が裸足。物語は東京等大都市から遠く離れた離島にあるセンター。望まぬ形で妊娠した高校生世代の女子が、彼女たち自身で産むと決め、出産までの期間を過ごすケア施設兼産院である。常駐し彼女たちの面倒を見るのは医師1名、島内のボランティアも居るが、常駐は医師1名である。食事の手配も施設サイドで請け負っているが食事はおいしい。三食出る、7時、12時、19時の3回。残置しておくことも可能であるが、自分自身で温め直して独りっ切りで食べなければならないのでお勧めは定時に皆と一緒に食べること。
 状況が状況だから、複雑な関係を抱えている入所者が圧倒的に多いのは無論のことだ。然も妊娠時期は未だ漸くハイティーンになったばかり。母体の成熟度も満足でない場合があるばかりか、各々の背負った背景は決して口外できぬケースも多い。このような事情があるケースが大半だから、施設内で個人情報を明かすことはタブーとして規則化されているが、これも若い彼女らの未来を少しでも可能性の側に開く為の措置。
桃太郎の大冒険

桃太郎の大冒険

劇団龍門

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2023/08/03 (木) ~ 2023/08/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 現在、阿佐ヶ谷は七夕祭りの真っ最中、アルシェへ辿り着くまでに人込み次第で通常の2~3倍程度は最低掛かると覚悟して早目に出掛けた方が良い。

ネタバレBOX


 板上は奥センターに出捌け用の空間を設け左右に衝立、衝立各々に黒幕を斜めに取り付けて袖としこちらも出捌けに用いる。この袖から客席側に伸びた若干の部分は平台によって一段高くなっている。また下手の客席側に更に1か所出捌けが設けられている。
 オープニングでは1人の少女が腹をすかせ倒れ込まんばかりの有様で彷徨っている。そこへ正体不明のおじさんが現れるが、何かを警戒している模様。少女は助けて貰いたいと思いつつ、何となく怖い気持ちもあって中々素直に反応はできないものの、おじさんは家出娘と見当をつけて「腹が減っているのならこれを食って家へ帰れ」と食べ物を恵みサジェッションもしてくれる。単にナンパをしている訳ではなく、強面ではあるが親切なおじさんだと気付いた少女はおじさんを頼り一緒に行動するようになってゆく。この時、少女は勝手な想像を巡らしおじさんはスパイ、それも2重スパイでミッションをこなす為に日夜戦っているなどと主張し続けている点も面白い。
 場転があり、若い男1人に矢張り若い娘4人、どうやら訳の分からぬ理由で閉じ込められているらしい。理由も分からず檻に閉じ込められているが食事は出る。監視されているかも知れぬが定かではない。皆疑心暗鬼に襲われ睡眠中もどこか不安でぐっすり眠ることはできない、冷静であろうと努めるものの何故、何の為に閉じ込められているのか? 理由も分からずいつまで閉じ込められているのかも分からない。時折、何人かずつ連れていかれるが何処へ連れて行かれ何をされるのかも総て不明である。神経を病むな! という方が無理な話である。
 さて、新入りが入ってきた。つい先日、仲間というか一緒に放り込まれていた少年、少女が1人ずつ、連れて行かれた。何処へ連れて行かれどうなったかはいつも通り一切分からない。そこへ新入りの登場である。新入り達も先に閉じ込められていた者達も互いに自分達の方が少しでも有利な位置を占めようと勢力争いを展開するが争いが無駄であることを認め争闘は収束することとなった。
 ところで、シジュウカラという小鳥をご存知だろうか? 彼らは単語を使い分けて対話をし一定の文法を持ったコミュニケーションをしていることが学術的にも証明された。2つの単語を纏めて認識する能力を併合というが、この能力の意味する処は作文ができるということだ。シジュウカラはこの能力を持つ。これは人間の対話にも共通する極めて根本的な対話能力の原点ともいえる概念。多くの人間が、言語を用いて対話できるか否かが動物と人間を分ける決定的な能力差であると勝手に決め込んで他の生き物の上位に立ち、捕食し利用し収奪することを是としてきた訳だが、これは人間の勝手な思い込みに過ぎない、ということが立証され始めたということに他ならない。ギリシャの時代からオルフェウスのように鳥や獣、岩や川等までも魅了した詩人という人種が居たとされる。日本では宮沢賢治が代表だろうか? 何れにせよ詩人がこのように評されるのは、彼らの持つ自然に対する偏見のない態度と自然から学んだ多くのことを通して持ちえた想像力の巨きな力が、彼らをして正鵠を射た文言を定着せしめたという事実である。今作を観る前提として、以上の認識はヒントになろう。
モモ

モモ

かわさき演劇まつり実行委員会

川崎市多摩市民館(神奈川県)

2023/07/29 (土) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 市民が演じるのが基本の演劇祭でここまで凄い仕上がりになるとは! お見事、今後も川崎演劇まつりには注目したい。

ネタバレBOX

 いわずと知れたミヒャエル・エンデの作品。大人も子供も楽しめる作品なので観客も親子連れも多く908名収容の大ホールもほぼ満席。キャストは市民からの応募も多くWキャストとなっているキャラもある。楽日の15時半開演・トケイ組を拝見。第1場と第2場の間に15分の休憩を挟み18時10分終演の2時間40分の大作。シンメトリックな舞台美術は中央に天地逆U字型の穴が開き上手、下手に階段の付いた円形劇場、ローマは支配する各地にこのような競技場兼劇場や水道橋を創り2000年以上を経た現在も尚多くの建造物がローマの支配したヨーロッパ、中東、アフリカ各地に残る。今作に登場する建造物もその1つ。物語は主人公モモの暮らすこの場所と、人々の奪われた時間を取り戻す為、亀のカシオペイアに導かれたモモが出掛けてゆくマイスター・ホラの支配する時空、そして人々の暮らす街で展開するが、ホラの支配する時空内では大きな時計が下手階段辺りに設えられて臨場感を増すし、街の様子はレストランを経営するニノの店を中心に展開する場面が多い。敵役となる灰色の男たちは、時間泥棒とも称され人間がその本性の一部から生み出してしまったかともとれるほど本質的な人間の弱さか生んだ虚体ではあるものの、一旦生み出されてしまった虚体は却って人間を支配する強力な力となり人間から自由な時間を奪い収奪することで、本来人間の持っていた人間らしさや永続的可能性を収奪する機構として機能する。ハイデガーが「存在と時間」で人間の本質を解き明かそうとしたように人間存在の根底に横たわる大問題に対するシュタイナー学院出身のエンデの挑戦である。
 セットの使い方や照明の用い方が実に的確でうまい。出演者60名以上という大所帯をヒロイン・モモや主要脇を中心に演出家が実に手際良く上手く差配し、何より4か月の稽古中本番を意識した見稽古で出演者各々が、自分が出ていないシーンでも気を抜かず一体感を醸し出すことに成功した点でも素晴らしい。(この指示を稽古初日に出している脚本演出家・(東京ハンバーグの)大西 弘記氏の慧眼を称賛したい。ファーストシーン、ベッポが掃除したシーンの直後に街の人々がモモを発見するシーンでは、ベッポ直後のシーンに対照的な照明を用いてオープニングで観客を驚かし、演劇に引き込む見事な手法を見せてくれる。オープニング直後で、素人らしい若干間(ま)の乱れるシーンがあったものの、その後はグングン調子が上がって群集劇としての素晴らしさも多く見られた。また、原作でエンデが最も訴えたかった内容をキチンと掴んだうえでベッポ、ジジ、マイスター・ホラ、亀のカシオペイアら主要キャラやニノ、ニコラ、フージー、リリアーノ、ビビボーイら脇、街の人々や子供ら群像をきめ細かい配慮で統合制御し分かり易く大人も子供も楽しくみることのできる極めて哲学的本質的でありながら一見何気ないファンタジーに仕上げた手腕が素晴らしい。出演した皆さんの集中力、一体感も素晴らしかった。無論、裏方を担った方々の対応もグー。是非、また川崎演劇まつりを拝見したい。
みんなのえほん

みんなのえほん

9-States

小劇場B1(東京都)

2023/07/26 (水) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

ベシミル! 華5つ☆
 混然一体・迷走の現代日本をよくぞ、ここまで本質的な劇に仕上げた。脚本・演出の見事に驚嘆! 主演・いろは役の松本 わかはさんの熱演も素晴らしいが、夫役・瀬沼 敦さんの大人として距離を置いた演技は若い人には分かり難かろうが自分のような年寄りからみると良い演技であった。無論、他の役者陣の演技も素晴らしいが詳細は追記で。
 初見で舞台美術の特殊性にも気付かざるを得ないが、この美術も実に要を得て本質的であり、然も初見で違和感を感じさせる見事なもの、良い舞台には矢張り、良い舞台美術家が付くものだと改めて関心させられた。(追記後送)

犬と独裁者

犬と独裁者

劇団印象-indian elephant-

駅前劇場(東京都)

2023/07/21 (金) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 作・演を担当している鈴木 アツト氏は役者上がりではない。これが原因か否かは不明であるが、ダメだしに役を生きるような演技をどれだけ出していたのかには興味が湧いた。演技にそれを感じることが余りできなかったからである。演劇は一旦上演が開始されてしまえば、役者の演技が勝負である。(追記7.30)華4つ星

ネタバレBOX

 舞台美術のセンスが良い。板中央に目の形をした造形があり、瞳の処に書棚がある。この部分は恐らく回り舞台になっているのだろう。グルジアで若い頃詩を書いていたスターリンが、ソソという愛称で登場するが、これはブルガーコフの深層心理が造形した幻であり、ロシアに抑圧されたグルジアそのものであるから、犬のイマージュを纏って現れるが、ソソの書くグルジア語の詩に現れた詩想はこの戯曲中最も素晴らしい。但し詩は、詩才のある者にしか分からないという傾向を持つ文学の王であるから戯曲や散文とが混在する今回のような作品では極めて演出が難しい。然も描かれる時代は革命時代のソ連である。折角戯曲が良いのだから、演出はあまりスタンダードに拘らずもっと前衛的にした方が良かったと自分は感じている。例えばカンディンスキーの「コンポジッション」を舞台上に映写しつつ、シェーンベルグの「月に憑かれたピエロ」を流す等である。「コンポジッション」は絵画の構成要素である円、三角、四角等を恰もそれぞれが音符であるかのように軽妙に描き、今にもその各々の要素が踊りだしそうな感覚を齎す抽象画であるが、革命の齎す一種の高揚感はこのような作品で表し同時に「月に憑かれたピエロ」の持つ不気味で昏い詩想が齎すもの・印象を重ねるのである。このような操作を更に効果的にする照明とセットで用いたら更に舞台はその造形を深めたように思われる。大前提として眼を現した造形が板中央から観客席を監視しているのだから、オーウェルの「1984」の監視社会は、はなっから今作の不可欠の条件として予め視覚化されている。脚本にはゲーテの「ファウスト」を彷彿とさせるような内容も含まれることだし、ソポクレスの「オイディプス」に通じるシーンもある。詩想を舞台で現実化させる為には、このような奇抜な演出が大切だったと思うのである。
これが戦争だ

これが戦争だ

劇団俳小

ザ・ポケット(東京都)

2023/07/22 (土) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 今作はアフガニスタンに派遣されたカナダ兵士の戦場に於ける行為に対するジャーナリストの質問に対して返答する各兵士の返答内容を再現する形で話が展開する。舞台美術は極めてシンプルで板中央に出捌けにも用いる空間を開け、その両側に大きな衝立を1つづつ置いた抽象的で無駄の無い内容。作品内容に集中させる為に最も効果的な舞台美術となっている。また、出演俳優4名はそれぞれの役を生きるべく奮闘していることが伝わってくる演技で好感を持った。(追記2023.7.26、それにしても、今作のような作品が書かれ、上演されるカナダという国の文化レベル、社会の懐の深さ、自由度には称賛すべきものがあるように思われる。自分の直接の友人、知人を含めたカナダ国籍者との付き合いを通じても良く感じることではあるのだが)
 一応下らない誤解を防ぐ為に書いておくが、パシュトゥーンワーリーなどに触れたからといって自分がターリバーンの女性政策に賛意を表明している訳ではない。ただ、対話する他に合理的な解決法は無いと考えるから、話の持っていきよう迄考えて掛からないといけないのではないか? ということである。

ネタバレBOX

 登場人物は4名、唯一の女性兵士・ターニャ伍長、責任感が強く部下思いの軍曹・スティーブンは故国に妻を持つが妻は浮気中、自身は看護婦ともターニャとも肉体関係を持った。一方、現地の下士官らしく独学でパシュトゥーン語を勉強してもいる。軍医・クリス。彼は通常の診察以外に兵士たちの心理的ケアも担当しているが、軍というものが戦闘を基本に構築されている組織である以上これは自然な分担ということになろう。当然、総てが剥き出しになる戦場体験の中で性の問題は極めて執拗で深刻な問題であるが、男性中心の軍隊で彼もホモセクシュアルである、脚本家が彼のキャラをそのように設定していることでLGBTQの問題も可視化されていることになる。そして新兵・ジョニー20歳はターニャに夢中の4名。証言される事象が起こった時期は9.11以降のターリバーン勢力排除の時期を経て再び西側に支えられて漸く成立している傀儡政権に反発したターリバーン復活以降のアフガニスタンの前線、パンジェイ。西側バックアップでかろうじて成立している傀儡政権の国家治安部門と国際治安支援部隊(IFSA)が共闘する直前から共闘し始めた頃の前線。カナダ兵は着任初日に兵士1名が死亡する攻撃を受けた為、この任地を亡くなった兵士の名で呼ぶようになっていた。各証人が各々の記憶を頼りに往時の自らの体験を、記憶を元に再現する内容が戯曲化されているが、アタックを掛ける前日の模様を各々が語る共有シーンもあるので、その証言者毎に若干の違いがある点などを観客自身はどう解釈するか? も問われている。(例えばヘルメットを着けている・いないや、ほんの僅かな動作・所作の差などで各人の記憶の相違等も表現されていると取るか、或いはそういった小道具を袖から手渡すだけの裏方の手配が時間やスタッフ人数の関係でできなかったと取るかで観客の読みの深さそのものが観劇後反復する思考の中で試される。この演出がグーと筆者は判断した)つまり前者の場合、命の懸かる前線で兵士、軍医を含めて個々の人間が味わっている部隊のミッションでは必ず複数で対応している最中にとてつもなく孤独・孤立感を味わっている兵士たち個々の人間という生き物の深さも描かれていると見る観客が出てくる点が良かろうと自分は思うのである。
 物語に出てくる基本的なシーンは、ジョニーとターニャの淡い恋のシーン(ジョニーはマジだが、ターニャは距離を置いている)、ターニャの証言の中に彼女がもう1人と共に歩哨に立っていた時、アフガニスタンの民間人と思われる大人2人が一人の腹を裂かれ血みどろの子供を抱きかかえて陣地に近づいてきた話がある。自爆とは考え難いが可能性零とは判断しかねぬ2人、制止する為に英語で呼び掛けるが彼らには言葉が通じない、そのまま進んでくる。あわや彼らを殺害しそうな時、スコープで詳細を観察していた歩哨の相棒がスコープに見える模様を逐一ターニャに伝えた。以前、5歳の女児を心ならずも射殺してしまったことを気にしているターニャは助けを求めてやってきたと合点し軍の携帯を用い緊急に救援ヘリを要請した。然し答えはノー、というよりヘリは軍負傷者の為に用意されていると電話を切られてしまった。話の続きは、ターニャが相棒の制止も聞かずもう1度、ヘリ派
遣を要請し2度目は認められたこと。その直後、ジョニー達が塹壕の中で戦っている最中に少年兵がスーサイドボンビングを決行、結果的には死ぬことになった家族思いで26歳の兵士が瀕死の重傷を負い、その救援を頼んだ軍曹の緊急連絡にも拘わらずヘリ到着に1時間も掛かったこと、それ故、緊急オペも死んだ兵士は受けられなかったことなどが語られるが、ジョニーもこの時重症を負い障碍者となった。4人の証言に共通していたのが先に述べた、明日は敵との初の戦い前夜のことであった。
 ところでターリバーン(*アラビア語は男性形、女性形があるので女性形は別な表記発音になる)という呼称の意味をどれだけの日本人が理解しているだろう? 今作を少しは現実的に解釈する為にこれは極めて重大な問題である。現在ターリバーンが復活を遂げていることにも今作を理解する為にも大きな関わりがあるからである。如何に諸外国が様々に圧力を掛けようが、ある国や大きな地域で実権を獲得し、握り続ける為には権力者は住民の支持を不可欠の要素とする。少し話が逸れた。ターリバーンとはアラビア語で学生を意味するターリブの複数形である。今回のケースでは「神学生」を意味するから複数形では「神学生達」とでも訳したら良いのかも知れぬ。これはフスハー(正則アラビア語で、所謂アーンミーヤではない)表現である。
 歴史の現実に即し密着して言えば単数形のターリブはソ連の軍事侵攻を受けたアフガニスタンで多くの子供が戦災孤児となった為、モスクが施設内で子供たちを育て教育を施した。モスク内の学校であるからクルアーンは必須である。その結果孤児たちの頼るべき精神的支柱が宗教的色彩を帯びるに至った。同じ頃、世界の政治はムスリムに対し偏見を持って対した。宗教的な思考を中心にアイデンティファイした元戦災孤児の中にムスリムフォビアに反発し過激な思想が目覚めるのは必然であったと言えよう。然も傀儡政権の中で大きな力を持った北部同盟のリーダーたちの殆どはマスードと僅かな例外を除き殆どが無頼の輩であり傀儡政権成立後も腐敗の温床を為していたから、都市部を除けば民衆から完全に離反していた。繰り返しになる部分があるが、もう一度振り返ってみよう。何故ターリバーンが生まれたのかだ。ソ連によるアフガニスタン侵攻によって多くの戦災孤児が生まれそうした戦災孤児の多くがムスリムの教会とも言えるモスクに引き取られ、付属の学校で教育を受け成長したからである。そういう環境の中で育った彼らの多くが、倫理的に可成り厳格でストイックな宗教観を持つに至ったことは自然であろう。そういった事情も価値観も分からず、唯自分たちの価値観だけを中心に判断する米英を中心とする西側諸国の根本的な過ちは、余りにも自己肯定的で他の価値観や論理ベースを認めようとしない傲慢で排他的な価値観を政治利用しつつ、実際には自分たちより軍事的に劣ると見做した他国や他政権を軍産学複合体の儲けと政治力で自由に操ろうとする勢力によって、西側諸国の国民の命をも費消しつつ実行されているのが現実の戦争の姿だということではないのか? 
 “戦争の初め、最初に殺されるのが真実である”との格言が正しいのはまさしくこの点を見事に隠蔽してしまうことを指摘しているからである。今作でもその辺りのことは、各兵士の証言の至るところに見て取れる。兵士たちは「アフガニスタン国家治安部隊の指揮官たちですらジュネーブ条約の内容を知らない」と非難するがそう述べる彼ら自身が前線でアフガニスタン民間人に、自分たちの前線基地に来ないよう制止する最も簡単な現地語や共通語すら知らない、教えられていないことに抗議しないどころか、抗議しようとの発想すら浮かんでいないように思われるが、もし“ストップ、引き返せ、来るな、それ以上近づけば殺す”などが言えるだけでターニャが僅か5歳の民間人少女を撃ち殺さずを得なくなり実際に殺害してしまったことで強く深く自らの精神を病んでしまうようなことには至らなかった可能性も高かろう、ということである。国際治安部隊を派遣していた主たる国々は世界でもトップクラスの経済力を誇る先進国でもあった、その豊かな先進国国民である兵士たちが国内で経済的弱者であるとしてもその程度の要求すらできないほど知的訓練が出来ていないということであれば、これは国家として非常に大きな問題でもあるハズ。遥かに貧しいアフガニスタンの人々がジュネーブ条約の諸協定を知らないことを非難する前に自国政府を批判するのが先だと自分は考える。何となれば、金銭流通が世界を席巻している以上、金銭的貧困は即ち命の値段がその分安くなるということである。貧しければそれだけで死は日常となるのである。この単純極まる事実の重みを我らは先ず理解しておかねばならぬ。また先進国の軍事的指導者たちはターリバーンの中核を担うパシュトゥーンの部族法であるパシュトゥーンワーリーを理解する程度のことは人権をことあげする以上最低限知っておかねばなるまい。そのような努力や外交努力も無く戦争を始め、最前線へ派遣する兵士への十分な教育も無しに平和だの正義だのと言えるのか? そのことを今作は訴えている。もう少し言っておくなら、カナダ部隊が死者1、重傷者1を出した戦闘後もターリバーンは、正確な銃撃と武器の扱いでカナダ軍を苦しめたが攻撃したターリバーンを1時間ほどで一掃したのはアフガニスタン国家治安部門であり、ターリバーンが利用していた地下通路内に水を導き入れ全員(確か167名、多くの少年兵を含む)を溺死させた。敵兵と雖も年輪もゆかぬ少年が襤褸の如く殺された事実、マスコミが注目しないハズはない。こういったことも含めて“これが戦争だ”なのである。
ストレイト・ライン・クレイジー

ストレイト・ライン・クレイジー

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2023/07/14 (金) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 日時によって星組、花組Wキャスト上演である、どの役を誰が演ずるかテイストの違いを楽しむこともできる。(花組を拝見)
2部構成、休憩なしの2時間25分程。一瞬たりとも目が離せない。

ネタバレBOX

 今作は燐光群が演じるデイヴィッド・ヘア第5作目の作品であるが、1929の世界大恐慌に重なるような時代、1926年が起点だ。当時は未だ一般的ではなかった都市開発計画を立ち上げ現在のN.Y.で見られる都市景観の大本を作った実在の男・ロバート・モーゼスの前半生(マンハッタンから近く資産家が好環境の現地を好み多くの地域を私有化していた合衆国本土では最長最大の自然豊かな島・ロングアイランドを一般市民が通い使えるようにする為の開発、海浜公園&公園へ通じるノーザン・ステート・パークウェイやサザン・ステート・パークウェイ建設等)を前半第1部で、
29年後の1955年代に入り世の多くの人々の意識やジェンダー感覚が大きく変わるとワシントン・スクエア・パークに高速道路を通そうとするモーゼスの計画はビレッジ住人の市民運動と対立、激しく批判されるようになって以降を第2部で。ヴァイタリティーと信念を持ち実践したさしもの男は、変転することこそ唯一の自然な世界の姿であることに置いてきぼりを喰らいつつ尚一種のアメリカ流ダンディズムを貫こうとした。そして彼をその事業の開始からサポートし仕事で無理をした結果障碍者となった現在も未だ現役の男性社員の覚めた意識に出会い、秘書を務め続けた女性社員の「辞めます」宣言迄叩きつけられたモーゼス、また仕事一途な余り妻をアルコールに走らせ剰え暖かい言葉一つ掛けてやったわけではなかった鈍感が遂には妻の精神を破壊、精神科病棟で薬漬けの生活を送っていることへの遅過ぎた気付きなどの経緯を描いて、仕事最優先で成功を収めた男のそれ以外の価値観や柔らかくしなやかな感性に対する鈍感や差別意識がそれらに無意識であることから生まれるが故に鈍感差別者自身に気付かれ難く更に仮に気付いたにしても為す術を知らぬことによって鈍感・差別を永続化してしまう状況が描かれる。現在の人権意識から観ればこれは余りに特異な事象にも見えよう。だがモーゼスは決して卑怯者でもなければ非紳士的な訳でもない。単に現在の我々から観て具体的に街の活動家の抗議の背景にあったもろもろの価値観や本源的に彼ら彼女らに湧き上がってくるパッションの根っこ、妻の現状を一人の人間としてケアできるだけのヒトとしての常識を欠いているように思われるに過ぎまい。また、白人内でもカソリック系やアイリッシュ、イタリア系などに対する差別があったとはいえ、ネイティブアメリカン、黒人、プエルトリカン、イエロー、中南米諸国民に対する人権蔑視に比べれば遥かにマシなものであったから、モーゼス自身も市民活動家、女性や有色人種に対する根源的な差別・蔑視が克服されていた訳ではなさそうである。こういった偏見をベーシックなレベルで持っていたことこそ、彼が遂には孤独に追い込まれた原因であろう。それにしてもラストに集約された彼の纏う侘しさは堪らない。
 一方、このがむしゃらな個性は、アメリカが生み出した一つのキャラクターでもあるように思われる。ヨーロッパ、殊にフランス等の現在にも残る優れた思想家、科学者、芸術家等は基本的に命懸けで己の思想や論理を実現し現在に迄伝えた者が多い。アメリカの場合は、それが個々人の破天荒な行為と性格をベースにした一種のフロンティアスピリットとして顕現するケースが多かったように思われる
韓国新人劇作家シリーズ第7弾

韓国新人劇作家シリーズ第7弾

韓国新人劇作家シリーズ実行委員会

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2023/07/13 (木) ~ 2023/07/17 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 1ステージ2作品ずつ上演する形式だ。今回自分が拝見したのは上演順に1が35分、場転の為15分の休憩を取って2が55分である。2作品とも素晴らしい。今回他の作品は予定が立て込んでいて拝見できないが全作品拝見したい作品群である。何れも優れた作品であることは容易に推察できるからだ。(15日、いきなり停電して復帰に手間取った。1本だけ送信に成功したのだがその後送信できず、本日漸く工事終了するも、この暑さで汗は滝のように流れパソコンが危ない。追記後送)

ネタバレBOX


「名誉かもしれない、退職」2023.7.14 15時
 とあるカフェ、部長から呼び出された3人の社員、パク・インターンは流石というか儒教思想が未だ日本より遥かに残る韓国社会の所為か一番早く来ている。次にジョン代理、最後にやってきたのが、三人のうち一番格上のキム課長である。当初互いに相手の腹の探り合いから対話が開始されるのだが、やって来た順番で対話の内容が本質に近づいて行き、結局は現れなかった部長を含め重役未満の同一部署内の1人がリストラ対象となることを巡って、では誰がその貧乏くじを引くか? のすったもんだを描く。韓国の超学歴社会と経済格差が引き起こす諸問題などはこれまで散々映画などでも上映されてはきたが、少子化は止まる気配もない。この深刻な状況を僅か35分の作品で見事に描いた。流石である。一部署だけをキチンと描くことで韓国社会の抱える最も重大な問題を鋭く抉り出している手腕も見事。日韓共同のプロジェクトなので脚本は韓国のキム・ヨンミンさん、翻訳は李知映さん、演出は金子賢太朗さん、出演は大井克弘さん、関信豊さん、竹園和馬さん、なお今作は慶尚日報新春文芸戯曲賞を受賞している。
「変身」
 変身と聞けば大抵の人はカフカの「変身」を思い浮かべようが、作品としては全く異なる。先ず扱われているのが個々人の実存ではなく社会的日常性に於ける圧倒的な差、殊に落差に対する恐怖が根底にあると思われるのだ。今作もカフカの抱えていたような社会からの疎外は当然在る。然し今作では、今自分自身が生きて構成している社会という世界からいつなんどき振り落とされるか分からない激しい競争に勝ち残れるか否かを巡る不安が蜷局を巻いているような気がするのである。
ザ・ショルダーパッズ この身ひとつで

ザ・ショルダーパッズ この身ひとつで

劇団鹿殺し

本多劇場(東京都)

2023/07/13 (木) ~ 2023/07/18 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 演出を担当なさっている菜月チョビさんが劇団草創期の話をしてくださったのだが、この内容に痛く感激!(追記後送)

THE WILDEST DREAM

THE WILDEST DREAM

GROUP THEATRE

浅草九劇(東京都)

2023/07/12 (水) ~ 2023/07/17 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 Bキャストを拝見。ちょっと変わったテイストの作品だ。何はともあれ、演劇空間の現実を通して、戦争の持つ内実に、そして人間という生き物の靭さと弱さに思いを馳せて欲しい。

ネタバレBOX

ウクライナのことがサブタイトルとして付いている以上シリアスな作品と言ってよかろうとの事前感覚は裏切られなかったが、物語が展開するのは実際には杉原家の居間と正面窓の向こう側の空間である。
 キエフにある世界遺産を構成する聖ソフィア大聖堂・ペチェールスカヤ大修道院・ベレストヴォの救世主聖堂のうち最古の建築物、聖ソフィア大聖堂に“不滅の壁のマリア”と呼ばれるモザイク画が残されている。不滅の壁のマリアと呼ばれるのはモンゴル侵攻の際にも破壊されずに残ったことからこう呼ばれているという。因みに不滅の壁のマリアは177色、300万個のガラス石を用いて作られている。今作の重要なモチーフに“不滅のマリア像”が関わるのは、次男結太出産の折病院へ向かう救急車の中で同乗していた夫、杉原修司と長男、修に対し妻、結子が「次男が生まれたらこのお揃いのペンダントを兄弟にプレゼントする」と言っていたことが遺言になったからである。そしてこのペンダントには、不滅の壁のマリアが描かれていた。事故の描写があり場転。
 第2場では約20年後の世界が描かれる。長男修は、所謂引き籠り。様々な人々が訪ねて来てもシカトシカトのオンパレードだ。宅配業者が配送品受け取りのサインを頼んでもシカトである。配送業者は仕方なく、窓外の空間で街頭芸人のようにギターを抱え歌を歌っていた白杖の初老の芸人に声を掛けサインを貰う、といった有様。即ち自分でできることも一切せず、父が寛大であることに付け込んで甘えに甘え、甘えている自分自身を疑う程度のこともせず自分自身に甘え、剰えその卑怯と向き合うことは愚か居直った表層の論理を盾に屁理屈を並べ立てる卑怯を絵に描いて壁に貼り付けたような人物である。父は現在、社会的弱者をケアする仕事で代表を務め、スタッフの矢島大助(実は母が亡くなった救急車の人身事故は矢島が飛び降り自殺を敢行、着地したのが救急車であったという因縁があった、その矢島を「良く生きていてくれた」と喜び励まし新就職先として自分の営む団体職員として雇い入れた)と共にてんやわんやの状態である。そして母結子は亡くなったものの無事、誕生した結太は一部上場の証券会社に入って海外のリサーチ等に係る重要なポジションで活躍中である。
 今作は、この捻れた長男修が、結太が休職しウクライナへ旅立ったことを巡り、本当は弟を愛し心懸かりでならないのに、もう二度と会えぬかも知れぬ弟の旅立ちに喧嘩別れをしたことへの心の蟠りから、ウクライナ現地へ矢島に叩き起こされて連れて行かれる夢を通してウクライナ、ブチャでのウクライナ人の日々を体験、命を懸けて地雷原の只中をただ自分より弱い孤児たちに食事を運ぶ為、既に虐殺され葬られた無辜の民の墓が荒らされたのを修復する為、人々に勇気を与える為輝く黄色に身を焦がすような向日葵の花を手に入れる為、廃墟になった家に直した掛時計を掛ける為等に出掛けてゆく人々に救われ、自分を連れ出してくれた矢島が瀕死の重傷を負いブチャの避難所に居た看護婦が血清を取りに行く為矢張り地雷原の只中を出掛けてゆくこと総てに悪態をつく。その時、ウクライナ兵士の出産間近の妻が先に約束した通りに避難所に夫に抱えられて担ぎ込まれた。然し看護師は既に出発しており、避難所は敵の襲撃を受け、兵士は応戦の為敵を避難所から遠ざけそちらで戦っている。兵士の身重な妻と修二人だけになったとき、不滅の壁のマリアが起こした奇蹟か!? 兵士の妻は修の亡き母へと変貌、修に愛を注ぎ、他者への愛の注ぎ方を教えた。
 終盤は読者のイマジネーションに任せるが、特別出演でユウサミイさんという方が出ていて、ギターと歌唱でこの夢と現が交差し綯交ぜになり、心と魂に深く人としての変革を齎す物語りの位相を、極めて自然に介在し中継する役割を果たしているのが印象的である。ギターは上手いし、歌も上手い。声がとても良く、リズム感も良い。戦争は遠く離れた異世界のことではない、という臨場感にこの作品を観て是非とも近づいて頂きたい。
丹下左膳'23

丹下左膳'23

椿組

新宿花園神社境内特設ステージ(東京都)

2023/07/11 (火) ~ 2023/07/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 初日を拝見、裏切られなかった。兎に角、テント公演ならではの様々なテクニック、大仕掛け等も楽しめる。観るべし! (追記後送)

ネタバレBOX

 オープニングでは赤ん坊が泣き喚く声が満場に響き渡る。
「姓は丹下、名は左膳」云々の啖呵は自分のような年頃の方々なら子供心に覚えてもいよう。姓は、は兎も角、名はその出生の因縁に纏わる。彼の母は許されぬ出産故左膳を一度は葬ろうとし鎌で新生児の目を切りつけて失明させ、腕を落とした。然し母は矢張り母である。愛しい我が子を何で好んで撃ち殺せようか⁉ かくして一命を取り留めた左膳は残った左で生き抜くことができるようにとの念と食べ物に困らぬようにとの念を込めた膳という二文字をその名に刻み熊笹で編まれた大きな船に載せられ流された。(この逸話が出てくる時点で無論蛭子伝説に左膳の出生が重ねられているのは明らかである)この流された左膳を拾い上げ養い育てたのが武士であった為、彼は剣術を習い頭角を現していたのである。
そこに在るはずの貴方に

そこに在るはずの貴方に

FUTURE EMOTION

キーノートシアター(東京都)

2023/07/07 (金) ~ 2023/07/08 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 日韓に共通する七夕伝説をベースに今作は作られているが、韓国に伝わる物語の骨子が共通部分の上で大きな位置を占めているようだ。各々の星は日本では天の川を挟んで織姫・(織女/琴座の1等星・ベガ)と彦星・(牽牛/鷲座の1等星アルタイル)と呼ばれ、2つの1等星間の距離は約13光年と作中で語られる。この2つの星が年に1度、七夕にしか会えなくなった理由をベースに元々中国由来とされるこの伝説が東洋諸国に広がる中で様々なバリエーションを持ったようである。今回は韓国に伝わるヴァージョンと日本に伝わる(琉球王国時代に琉球国に伝わったヴァージョンはまた異なる)ヴァージョンを合体合成しつつ、日韓共同で作られ両国の役者が出演している。

ネタバレBOX


 中国のオリジナルが儒教色の濃い作品とされるのは、織女は天帝の娘であり、機織りの名手として知られた働き者、一方の牽牛もまた牛飼いとして極めて良く働き評判の若者。働いてばかり居て年頃を迎えた娘を心配した父・天帝が婿探しをし牽牛に娘との結婚を勧めたのが2人の出会いのきっかけであった。然しそれまで働きづくめに働いた2人は相思相愛の仲になり、開けても暮れても恋に夢中、遂には天界で重用(ちょうよう)されてきた雲錦と呼ばれた布も新たには織り上がらず、また牽牛の牛たちは痩せて死に至った。天帝はこれを怒って2人の恋を年に1日としたのである。
 今作では、この中国ヴァージョンの儒教的{(即ち女性の代表的職業としての機織りと男性の農耕文明以降の代表的職業としての農業)牧畜が中国ヴァージョンなのを転換}している他、天帝を神一般という一般化で曖昧化した上で、1年に1日しか会えぬ罰を一種の悪意として描いている。一方、その神の使いでもあるハズの烏と鵲は恋人たちの宿命を運命に変える手伝いをしている。ホリゾントに斜めぶっちがいに張られた赤い糸を2人の小指に巻き付けるのも烏・鵲の力技であり、功である。まあ、星の属する星座から言えば、アルタイルは鷲座の1等星であるから、烏も鵲もその配下と取ることは可能だが。役者では牽牛役が気に入った。
無法地帯

無法地帯

藤原たまえプロデュース

「劇」小劇場(東京都)

2023/07/05 (水) ~ 2023/07/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 秀作、ベシ観ル!

ネタバレBOX

 出演は総勢10名。総て男、それもおじさんばかりの110分強。それで、こうなったか!? 唸らせるとも、何とも言えぬ侘しさ寂しさだけの現実に突き返されるとも表現可能な、♂という生き物の所在なさが端的に表れた秀作。
 物語は観てもらうとして、一応設定だけは記しておこう。物語が進行するのは、篤志家の弁護士が買った一軒家、現在はシェアハウスとして用いられているこの一軒家の共用スペースが物語が展開する舞台となっている。出捌けは下手側壁の暖簾の掛かった開口部と上手側壁の矢張り暖簾の掛かっている開口部。上手側壁の客席側には2階へ上がる階段が設えられている。面白いのはこの側壁の天井に近い所から板方向へ斜めに角材が伸びている点。実は広げると板中央辺りにスクリーンが客席から観易い角度で開く仕掛けがしてあるのだ。この開閉操作を上手壁のハンドルを回して行うのである。共用スペースであるから喫茶室のような体裁で椅子と小テーブル、ソファとテーブルの大勢用等が配置されているのは無論のこと、軽食や飲み物を用意し客に渡す為の開口部がやや下手寄りホリゾントに設けられている。更に上手壁の前には。ラジカセ、歌曲集などの入った本棚、本棚の手前にはギターも置かれている。
弁護士が一軒家を買ったのには訳がある。冒頭篤志家の弁護士、と書いた。この弁護士、冤罪を含め情状酌量の余地あり、と彼が判断したり冤罪だと主張するも犯罪者とされた人々に格安の家賃で入居することを可能にしていたのである。無論住人の面倒を何くれとなく見、地域、警察などにも余計な介入をさせたり、また住人たちが何とか自立しこの仮住まいを独立して立ち去ることができるよう様々なことを行うためにも自宅の近所の物件を購入していたのである。住民は、今回初めてこのシェアハウスにやってきた新人を含め8名、それ以外に弁護士と彼をサポートする元警察官(冤罪、上司の横領の罪を着せられたが、元々無実なので弁護士のサポートをしている)の10名。物語がこの新人の体験をとおして新たな世界の何たるかを明らかにしてゆくという形式を採っていることも、今作の上手さである。(無論、この方法は成功した多くの作品で採用されてきた普遍的な方法であり決して新しくは無いが、自然に観客を物語の住人としてゆくに最も適した方法の一つである)
 観終わって実に様々なことを考えさせる優れた舞台である。こう感じさせたのは出演した総ての役者の演技力であり、演出、効果(舞台美術、照明、音響等)裏方さんの対応が一体となって今作を統一感のある一本の作品に仕上げたからである。
マネキンはだまってろ!

マネキンはだまってろ!

回人回製作所

東京芸術劇場アトリエウエスト(東京都)

2023/07/01 (土) ~ 2023/07/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 アトリエ入口側の側壁にSサイズのワンピースが掛かっている。ホリゾント側の壁には様々なスタイルの衣装が展示されているがこちらは大人が普通に着るサイズ。但しこれらの衣装の大半は、通常の衣装の素材とは全く異なる素材が使われており、主催者の時代に対する批評意識が感じられる。実際に終演後に確かめてみることをお勧めする。華4つ☆

ネタバレBOX

 室内は長方形で長辺に平行して4か所、ほぼ正方形の平台が置かれその対面即ち入口側の長辺に平行に観客席の椅子が並べられている。物語はデパートの展示という設定で下手から順にアメリカ、中国、日本、ロシアの順にマネキンが並ぶが各々のマネキンはこのデパートの展示を務めて10年になる女性社員が一体ずつ台車に載せたマネキンを各平台へ運び一体ずつ衣装を着けてゆく所から始まる。因みにマネキンを演じるモデルは総て人間である。LGBTQを意識してモデル選びをしている点でも如何にも流行に敏感なファッション業界の在り様を反映している。
 さて、主たる物語は四か国のマネキンがそれぞれのお国事情を反映したおしゃべりを、担当女性社員が基本的に居ない時に展開する。例えば銃社会アメリカのマネキンは一応世界最強と評される軍事力にあぐらをかいて力を基本に世界の頂点たろうとするが、歴史や食文化、映画、演劇、絵画など文化という点での歴史の欠如は他の3国に全く太刀打ちできない、とか。中国は人口の多さで中央集権的な国家運営をしなければやっていけないという事情があるが、その為には経済的にも強くなければ一丸となってことに当たれない。然も直近ではインドに人口世界一のポジションを奪われた等々。そして日本は真似ばかりして細部で更に微細な点を改良、使い勝手の良さや均一で質の高い製品を生み出してうまい汁を吸っているなど。ロシアは1年以上になるウクライナ侵攻によって若干抑え気味に描かれてはいるものの、その衣装にはたくさんのマトリョーシカがあしらわれ、どこか宇宙や哲学、或いはメタ指向を感じさせると同時に同じ衣装、同じ顔でサイズだけが異なる自同律の不快を感じさせかねない点など視覚的な部分だけを見ても面白いのだが、互いのおしゃべりの中で行われる当てこすりや相互批判は表層的ではあるものの、その分普通の人々の持っている極めて普通の感覚や判断に近い所もあって面白い。アメリカのマネキンがまとっている衣装の生地はGパンの生地だし、水鉄砲のような銃を2丁持ちやたら振り回すのも無論アメリカの銃社会への揶揄である。中国がジャイアントパンダを外交に利用したり、陸海に及ぶ一帯一路政策に名を借りて世界一を目指そうとする野心を一応「隠し」たり。日本の独自性の無さ、独立独歩の気概喪失を、本当は日本人自身が嫌いそうさせているアメリカをも内心嫌っているのだと示唆して見せる点なども面白い。ロシアについては現在ウクライナを巡って西側からは殊に顰蹙を買っている手前、あまりお国柄についての批判らしい批判はないが、その代わりの当てこすりは特に米露間で多く描かれる。この辺りの匙加減も面白い。
 一方、グローバリゼーションの世界席巻の影響で様々なコンセプトやそれぞれのお国柄は今や世界中何処に居ようとお目に掛かれ多くは入手することすら可能であることも描かれるが、それは矢張り表層に過ぎないのも事実。そしてこの事実を明確化する為には今回は描き込まれて居なかった別の側面、即ちバートランド・ラッセルが「人生についての断章」の一節で述べているように“真の美徳は真実から目をそらさぬ逞しいものであって、綺麗ごとだらけの空想ではない”ということの実例と実践をもう一つの軸として入れておくと物語自体の深さ、普遍的広がり等が表層的な事象とぶつかりあって更に高い質と知的、倫理的普遍性に根差した作品になるように思う。例として一例を挙げておくならば、第2次世界大戦終結後の1955年既に原爆のみならず水爆迄が発明され核兵器という大量破壊兵器の脅威が単に人類のみならず、地球上の生命総ての危機となっていた7月9日に発表されたラッセル・アインシュタイン宣言を嚆矢とし、パグウォッシュ会議に引き継がれ現在もその流れを絶やさすにいるこの食物連鎖最上位に位置するヒトという生き物の全生命に対する責任を今一度提起するなどだ。(ご存じの方も多いとは思うが、ラッセル・アインシュタイン宣言発表時、既にアインシュタインは亡くなっていた、同年4月18日が命日であるが、アインシュタインは亡くなる前に署名を終えていた。即ちこの宣言はアインシュタインの遺言という性質も具えていると考えてよいと思われる。)
幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい

幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい

中央大学第二演劇研究会

APOCシアター(東京都)

2023/06/29 (木) ~ 2023/07/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 衝撃的であると同時に異様な美しさを感じさせる作品である。お勧め!

ネタバレBOX

 上演の尺、120分強。板上は下手に位置をずらして衝立を置くことで袖の効果を高め一番客席に近い衝立の客席側にパネルを置いたりして男2人、女1人の戸建て家屋をシェアハウスとして用いている中での部屋割りを現し、一番客席に近い一角をクミコを護ることを決意したユキヒトの部屋ということにして、この物語の中心となる二人の暮らしが如何様な実態を為しているのかを観客に最も分かり易く伝える工夫が為されている。脚本はアマヤドリの広田淳一氏、演出が中大二劇の師岡亮氏である。
 この半年余りアパシーを患っていた我が身としては師岡氏の期待には応えられない観方をしたようであるが、取り敢えずは自分の感じたことを書かせて頂く。一軒家をシェアしている者たちを含め、登場人物は、学生時代のハンドボール部仲間(登場男性の殆ど、但し恐らく初めにクミコを監禁していた男を除く)と居酒屋のバイト仲間(主要な女子登場人物、但し監禁されていたクミコを除く)、物語を牽引してゆくのは監禁という観念である。一方、父の体調不良等もあったということはあるが、ユキヒトは司法試験合格を目指してかなり長い間勉強していたという背景があり、監禁と主張するカズユキに対しては、クミコの自由意志を一切束縛していないので監禁という罪には当たらないと反論したりするが、これは犯罪を構成する要件として無罪を主張し得る根拠となるように思われる。こういった細部が今作をより真に迫った作品にしている。
 一方、クミコが本当は何を求め、また何を為そうとしているのか? については今作のタイトルも含めかなり穿った解釈ができるように思う。
 実際、今作でクミコの抱えている問題やそのような問題を抱えるに至った仔細については殆ど記述が無い。同時に上演時間の殆どを通じて描かれるのはクミコがシェアハウスに来てからの殆ど何もせず、締め切った部屋の窓際に一日中居て外出することも殆ど皆無であること、時折最初に彼女を監禁していた男から掛かってくる電話とその内容とが、今作に絶えず緊張感を与え続け、観客の心にも疑心暗鬼を常駐させる脚本の上手さ。ラスト寸前に明かされそうになるクミコの秘密は、結局最後迄その告白の真偽を含め明かされることが無く、彼女はふらりと来た時に履いていた汚れたスニーカーを履きユキヒトの携帯を持ち去り代わりに自分が使っていた古い携帯を置いていったこと。その携帯に最初に彼女を監禁していた男から電話が掛かって来、現在彼女は最初監禁した男の下に居るらしいことなどが示唆されるが、この結末らしからぬ結末を観るに至って改めて今作の底に脈打っている相互不信の根深さに慄然とするのである。この相互不信は最早、ヒトが自らをアイデンティファイする為に通常通ってくる自分の類的存在としての同類他者、即ち他人を己の鏡として観察し、比較し己を知ってアイデンティティーの基礎を為すような“信”そのものが最早成立し得ないまでに崩壊してしまったかのように思われたことだ。彼女の個的体験に殺人という経緯がホントにあったとしてそれが彼女に与えた影響が実は何であり、広田氏が何故このようなタイトルを付けたのか? タイトル自体がアイロニカルに用いられているのではないか? 等々、観て衝撃的な作品であると同様に様々な感興を催させる作品である。
 作品中で極めて気に入ったシーンは、クミコが味噌汁の話をするシーンであるが、このシーンに或いは解の一端があるかもしれぬ。というのは、このシーンにクミコのアンヴィヴァレンツが凝縮されていると感じるからであり、掛かるが故に彼女の不可解な行動に説明がつきそうな感じも持てるからであるが、この悲痛が同時に極めて美しくも感じられたからである。
貝殻つなぎ

貝殻つなぎ

劇団25、6時間

吉祥寺シアター(東京都)

2023/06/23 (金) ~ 2023/06/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 B班を拝見、華4つ☆

ネタバレBOX

 舞台美術はかなり手の込んだもので、通常の出捌けだけで6か所、様々な場所に高低差のある踊り場が設けられ劇の展開をサポートしている。物語自体は若い男女の純愛物といえようがヒロイン、波依音(はいね)の故郷にある“青い池”に纏わる伝説と彼女の出生の秘密、彼女の恋する爽雨(そう)への恋と波衣音に矢張り恋する爽雨故に時空を超え青い池に幾度となく舞い戻って…
 オープニングから中盤迄は、作家が若いのだろう、爽雨に恋する波衣音以外の乙女たちの恋心を現代日本のちゃらついた口語表現で台詞化している為、自分のような爺世代にはやはり空疎な表現にしか聞こえなかったが、まあ、若い人たちの未来を妄信したがる(と言うより現代日本の現実を直視したら耐えられないから回避している)表現と言った方が正しかろう。
 爽雨に起こった事態は、最初今作の説明を読んだ時にはニーチェの「永劫回帰」に似た体験かと思ったがそれとは異なっていた。然し最初に回帰し、少なくとも2度目まではその違いにも原理的に気付けないからその余りに深い絶望にもっと落ち込むのが当然と思われるが脚本にそこまでは描き込まれていないことも確かである。但し冒頭部分で述べたように、だからこそ宿命としての純愛に迄密度を上げたともとれる。中盤から終盤、ラストへの展開はその純度の高さで観客を引っ張ってゆくだけの力を持っている。
 物理的には特殊相対性理論即ちE=mc²で主張されたことをベースに考えればエネルギーと物質の関係は理解でき、以て今作の特殊な構造についても一定理論的解を得ることができるから興味のある方はこの等式にもチャレンジしてみたまえ。
 ところで、ラストシーンに繋がる場面でも良い演出がある。お楽しみに。
瀬戸内の小さな蟲使い

瀬戸内の小さな蟲使い

桃尻犬

OFF OFFシアター(東京都)

2023/06/21 (水) ~ 2023/06/28 (水)公演終了

実演鑑賞

 白と黒の天板付き骨組み箱馬2体を縦に組み合わせ連結した道具を出演者1人が1個ずつ持つがオープニングで並べられているのは2体のみ。天板の色は一体の上が白ならば、隣のもう一体の方は黒、一体の上下は上が白なら下は黒。2体並べられた時は隣の一体は上が黒、下が白。こんな所にもオシャレなセンスが息づいているのは舞台の醍醐味だ。出捌けは上手奥の袖と下手ホリゾントに設えられた幕開口部の2カ所。基本的に素舞台。この条件から、内容は、役者陣の演技、演出の良さ、会話劇の仕上がりの良さに依存していることが分かる。華4つ☆

ネタバレBOX


 物語は2パートに分かたれ、柔らか目な表現で進行してゆくが設定は可成り特殊である。神戸に在る遊園地の大型遊具・フリーフォールの類で事故が起こった。利用客は既に4時間地上50mでストップしてしまった遊具の支持機構に支えられた状態である。
一組の男女カップルが何か話している。無論、脚本の展開はおしゃべりしている場面から始まる。男の方は前向きであるが、女の方はやや別の何かに気を取られているような感じを受ける。暫くすると肩口に取り付けられた何等かの器具が意味する所がハッキリして来、上に述べた状況であることが観客に伝わる。実はこのカップル、瀬戸内に面する地域に住む男の実家へ行く途中なのである。ところが本来結婚に繋がるハズの男の実家初訪問は、真逆の結果に終わる。この経緯が暴かれる過程が、新たに登場する他の登場人物(同じフリーフォールに乗っていた客と遊園地従業員)との対話によって明らかになる。そこにはシリアスな破綻を揶揄するかの如き効果を発揮する笑いの種もふんだんに仕込まれているが、どこで笑うかは観客の知的位置や想像力の質に拠るのは無論のことだ。何れにせよタイトルに直接通じるのはカップルの結婚話が無に帰した3年後、振られた男の地元で起きて居た状況を描くシーンに継承されてゆく。この顛末がどうなったかについては上演中のことなので明らかにしないが、蟲師とは古来陰陽師などとも共同し蟲を用いた呪術等を担っていた。そして使われる蟲たちは、元人間だったと考えることができるような内容でもある。蟲にされる前に獲物とされた人間はダウンサイジングが施されるのだ。子供なら本当に怖がる恐怖を実際に感じられる。

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