ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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現象グラデーション

現象グラデーション

Oi-SCALE

サイスタジオコモネAスタジオ(東京都)

2023/08/28 (月) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 板は打ちっぱなしのコンクリートのような長方形のスペースだが客席は入口のある短辺を除く三方を高くしてコの字型に囲い椅子を配置。従って出捌けは劇場入口1か所が併用される構造だ。板上は基本フラットであるが薄緑色に発光するコーンが板周縁を取り巻くように配置されているのはいずれの作品も共通。
 ところで、作品が観客に届き、それを観客が受け取った時から作品は観客の解釈そのものである。先鋭的解釈をする者にとっては面白い作品群だ。

ネタバレBOX


 上演順に①「童話が生まれた」②「マテリアルガールと黒猫」③「君の頷く作文」の3編。
① はこれらの中で1番観たい作品だったのだが、事情があって遅れラスト数分しか観ることができなかったので評価はできない。悪しからず。
② はマテリアルガールという言葉に着目した。女優の衣装もそれとなくこのヒット曲を歌ったマドンナの着る衣装のように豪華であり、この曲(Material Girl)の歌詞を分析するまでもなくプラグマティスム礼賛の世の中そのものへの軽妙で痛烈なワンパンチ。そしてそのベースにはモンローの主演映画「Gentlemen Prefer Blondes」の中で歌われた曲(Diamonds are A Girl’s Best Friend)があるとされているから、これらも総て含めて時代の遷移の中に通底する選ばれるという意味で受け身な存在論的弱者から見られたプラグマティックな社会の不条理や、陽明学の『知行合一』などとは真反対の倫理的無価値、思想的死すらを意味して居よう。今作が一見無意味な作品として形作られているのはその為である。
③ 主人公の少女の台詞がポエティックな作品であり、花びらから「induced pluripotent stem cell」即ち「iPS細胞」をとってリプログラミングするならまだしも全くこのように最新の技術的成果を用いず新たな種子を生み育てることが可能であると信じているこの少女の夢と、この少女の幻想の基を作った話をし少女の面倒をみている姉(両親は交通事故で死亡、姉妹2人だけが助かったが妹は車椅子暮らし)などの状況説明を含めつつ、少女がいつも来ている小さな漁港へ釣り竿を持ち毎日のように通う釣る意思など全くない釣り人(釣り針も餌も付けず唯釣り糸を竿の先に付けて波間を漂わせているだけの「釣り人」)のロリコン的片思いや、この釣り人の顔が愛犬だったが既に他界したブルドッグに似ていると、少女の体を這い上がった蟻を取り除いてやろうとした「釣り人」の動作を少女の体に触れようとする行為だと取り少女の体に手が掛けられようとしたその刹那ブルドッグの首輪を掛けた女、その瞬間を逮捕されたと表現する「釣り人」は自ら内面でそのような衝動もあったと認めてブルドッグを演じる男となり果てる等、各々がそれぞれどこかオカシイ人々の間に、少女の集め毎日干していつか種がそこから生まれ育って大きくなりたくさんの葉をつけ、花開くことさえ夢見ている少女に僥倖を齎した。渡り鳥が落としていった糞の中に願っていた種が在りそれが芽吹いて若芽を出して伸びているのである。この様子を少女がたくさんの葉を養生していた入れ物の中に入った女優が演じてゆく。詩的で少し狂った人々が圧倒的に多く登場する中で唯一、姉と育ってゆく植物だけが正常を保っている。然し正常とは何か? を問う作品でもあろう。
血の底

血の底

演劇プロデュース『螺旋階段』

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2023/08/24 (木) ~ 2023/08/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 ベシミル! 華5つ☆ この質でこの観劇料は実に良心的でもある。(追記後送)

ネタバレBOX

 観劇中、ずっと「オィディプス」を想起していた。ソフォクレスの描いたギリシャ悲劇の最高傑作とされるあの作品である。原因は、その救いの無い状況設定とその状況に何とか抗おうとする人間の姿が描かれている点にあった。
休憩無しの2時間半、全く緊張感の途切れない素晴らしい舞台を観せて貰った。螺旋階段らしさの根底も見えたように思う。舞台美術も今作の象徴として造形されているように感じられたのは、全体のイマージュが擂鉢として機能するからだろう。照明、音響の巧みな技術が場面、場面でこの効果を最大限に引き出す点も魅力的だし、役者陣の演技も素晴らしい。必ず気に入る俳優を見つけ出すことが出来よう。(尚、役者は一部Wキャストである)
 螺旋階段の大スタジオでの公演は初見であるが、観客席の段差を大きくとり見やすいうえ機材も良い物を揃えており舞台に集中できる。モギリから会場内の案内など総てに亘ってスタッフの対応も要を得、感じの良い最上級のものであった。
ムッちゃんの詩

ムッちゃんの詩

7どろっぷす

小劇場てあとるらぽう(東京都)

2023/08/19 (土) ~ 2023/08/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 今作、導入部も自然で上手い。無論、この物語が世に知られるようになった経緯についても同時に良く分かるようになっているのだ。
 文句なしの5つ☆、ベシミル。楽が結構空いている模様、今作チケットの半券提示で大幅割引があるとか。(追記1回目8.21:02:40)

ネタバレBOX

 敗戦直前、大分県で実際に起こった六つと結核を患う十二歳の少女の余りに純粋で、掛かるが故に尚魂を揺さぶる作品。交流する二人の少女の殊に年少のマコちゃん(六歳)役の演技が正鵠を射ている為、ムッちゃん(十二歳)の深く救いの無い寂しさが極めて鮮烈な痛みを観客に感じさせる。殊に大分への空襲が日を跨いで続き喉の乾いたマコこちゃんが水が飲みたいと泣き喚き駄々をこねた際、ムッちゃんは唯でさえ不足気味の飲料水をマコちゃんに提供する。水の入った竹筒を受け取り一口口に含んだだけでマコちゃんは、竹筒を返してしまう。朗読劇でありながらこの一瞬の不自然な対応を見事に表現した演技は見事なものであった。
 舞台美術はシンプルである。ホリゾントにスクリーンを掛け、物語の内容に沿ったイラストが映し出されるが何れも淡い色使いの繊細さを表現するのに向く水彩画が原画と思われる。画家は岡田 潤さん。板上はフラットであるが、朗読している者以外は腰掛け朗読者の邪魔にならぬように上手、下手に丸椅子が置かれている。
 さて、二人の少女が大分へやって来た経緯であるが、マコちゃんの場合は敗戦前夜、住んでいた京都も爆撃される可能性が高いと判断した大人たちの指示に従いより安全と判断され、親眷の住む大分へ母娘で疎開した。ムッちゃんは横浜が空襲された際、一緒に居た弟が目の前で亡くなり「水が飲みたい」と訴えた弟に何もしてやれなかったことが大きな傷となっている。先に大分に来ていたムッちゃんは、横浜空襲で焼け出され弟を失い、母と生き別れた果てに何かあったらここを訪ねなさいと札に記されていた親戚の住所を頼りに親戚の家にたった独り辿り着いたもののじき労咳に罹ってしまった。その為、暗く、じめじめした防空壕の一番奥の窪みに幽閉されてしまっていた。大人たちは、「あの娘に近づいてはいけない、病気が移る」と子供たちを牽制したが、当時労咳の特効薬は日本になく一旦罹患してしまえば不治の病とされていたから止むを得ない側面があったことも事実だが排除の憂き目をみるのが戦災孤児と考えられる僅か十二歳の少女・純粋なムッちゃんであるとは、何と酷い現実であることか! 今作は、こんなムッちゃんに心を開き、おねえちゃんとして慕ったマコちゃんとの友情を描いた実話を元に組み立てられた作品である。
燦々

燦々

U-33project

王子小劇場(東京都)

2023/08/16 (水) ~ 2023/08/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 役者は全員女性。

ネタバレBOX

所謂Z世代と見受けられる。短編3作品のオムニバス形式での上演だが役柄には男子の役柄もある。因みにZ世代という単語最近よく見掛けたり聞いたりすることが多いが元々アメリカで1960年代から70年代生まれの世代をX世代と名付け次をY世代、そして現在ミドルティーンから23~24歳くらいの人々をZ世代と呼ぶようになったということのようである。Z世代は所謂デジタルネイティブとも呼ばれる世代で、育ってきた環境の中にデジタル機器があり、それらを自由に使いこなす世代という意味で使われているようである。そうは言ってもここにも格差はある。電話網が整備された後、インターネット環境が作られた国々では電話網を構築する為に莫大な費用が掛かっていたが、通信インフラの中でも携帯については開発途上国の多い地域では通信の為の大規模な設備を備えることなく送受信できる設備を備えれば実際に携帯電話やスマホが使えるような技術が拡大して急速に普及したから携帯でのネット環境は20世紀末ほど落差は無いかも知れない。何れにせよ兎にも角にも情報の氾濫する時代に生まれ育った世代の物語という感触を持った。女優陣、皆一所懸命に演じているが、彼女らの感覚から言えば一生懸命なのであろう。その落差は感じた。つまり武士の守るべき所領という具象を持たず、何となく具体的な目標も持たずに頑張るというイマージュのみが空疎にあるような無いような。(この表記もそのアンヴィヴァレンツを表現してみた)
 3作品を上演順に述べておく。1:謝ったら死ぬ病 2:ワンダフルな人生 3:意味不明 3作品に共通しているのは、内実の無いイマージュに翻弄された登場人物しかいないこと。3作目のみ、男子役の台詞には、そのことに気付いている様子が描かれており、役としては男女カップルのこの微妙なずれを照明が見事に表現していたのが白眉であった。
 舞台美術は1点(Aとしよう)を起点として大小の正方形を2段に重ね大きな正方形を1段目に小さな正方形を上段に設えて時計回りにB,B‘、C,C’、D,D‘が平台を使って作られている。AからD’方向へ黒幕が天井から張られ、AからD迄は袖が設けられていて出捌けに用いられる他AからB‘迄矢張り天井から黒幕が垂らされ目隠しになっているのでこの裏側を通って2番目の出捌け、3番目の出捌けはAからD’の目隠しで裏導線を形作っている。客席はD‘からC’の対面とB‘からC’の対面。
 具体的な焦点を持っているつもりになれる我々の世代とは異なり、最初から曖昧模糊としたイマージュしか持たない者が大多数を占める世代らしく表現自体が曖昧模糊としているが、その靄のような生の央を生きる不如意が伝わってくる点で時代を浮き彫りにしてみせた。
十人のエスパーたち の殺人

十人のエスパーたち の殺人

カスタムプロジェクト

調布市せんがわ劇場(東京都)

2023/08/11 (金) ~ 2023/08/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 知とは本来楽しいもの、ことだ。それが実感できる。

ネタバレBOX

  タイトルにもあるように観客参加型の推理劇である。今回は十五周年記念作品とあって力の入った作品だ。というのも役柄の殆どが様々なタイプの能力を持つエスパーたちなのである。サイボーグやロボットと並び子供たちの人気の的となった漫画の多くがこれらを主人公とするものだった。長じたからといって簡単に卒業してしまわない大人をたくさん見掛けるのは何もフィギアの世界だけではあるまい。前置きが長くなったが観客参加型の推理劇なので既に観た我々がネタバレやヒントを与えることになる情報は流せない。このプロジェクトを未見の方の為一応、流れだけを記しておく。入場時に事件の資料を渡されるが資料は合図のある迄開けてはいけない。椅子に置いてあるリーフレットとキャスト等の書かれたフライヤーはみて良い。
 兎に角、限られた時間内で問題を解くという行為自体の楽しさと正解者が何人か出るという実績に見合った面白く、マジにチャレンジできる知的遊戯。贅沢な時間を過ごせる。お勧めの企画なのである。
マテリアルパレード

マテリアルパレード

LUCKUP

ザ・ポケット(東京都)

2023/08/09 (水) ~ 2023/08/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 華4つ☆ アクションがグー。

ネタバレBOX

 この世の平衡を保つ為に暗躍する組織・マテリアル、対するは矢張り別の目的を奉じて暗躍する組織・サンサーラで敵対関係にある。戦災孤児だった兄(ケイト)と妹(アキナ)は、新たな戦争勃発の煽りを受け離れ離れの状態になってしまった。各々を引き取りケイトには妹が見つかるかも知れないと諭し、アキナには兄が見つかるかも知れないと諭して自軍の兵士として育てたのは敵対する組織であった。この互いに敵対する組織にカイン村とカイン村を行政単位としては含む地方都市の市長それぞれからミッションが依頼された。兄の属する組織にはその大部分を森林に囲まれた古いカイン村を含む地域の開発計画を掲げる知事からのガード依頼(殺害脅迫があった為)、いま一つは、カイン村長からの開発許可阻止ミッション。無論、妹は開発阻止ミッションを請けた組織に属していた。
 徐々に明らかになってゆくのは、マテリアルもサンサーラも世界的な秘密組織であり、今作は、互いが組織を懸けた全面戦争へ突入することになる序章だということだ。
 見どころは、アクションが中々良いこと。美男・美女を配しエンタメ要素もふんだんだ。だが、劇中の台詞にもあるように両組織の兵器の開発に関してはB級サスペンスの域を超えない。その分、痛快な面白さがあり、アクションが多用されることが必然となってくるので楽しめる。
 また、戦争に関する本質迄捉えているとは思えないものの、傾向を押さえて脚本が書かれていることも魅力である。村名からも推量できるように聖書も遠い下敷きになっていることでカイン村が村落に過ぎないのに世界的組織と繋がっていたりすることや、組織としてしっかりしていることも含め物語のスケールを大きく複雑にしている点もグー。続きにも期待したい。
ノストラダムス、ミレニアムベイビーズ。

ノストラダムス、ミレニアムベイビーズ。

劇団身体ゲンゴロウ

シアターバビロンの流れのほとりにて(東京都)

2023/08/06 (日) ~ 2023/08/11 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 誰もが思い当たるふしのある物語だ。3.11を背景に置くことで物語が極めて大きな社会性を帯びた。

ネタバレBOX

小学校最終学年6年の地方の小学校の某クラス。大人たちは忘れてしまったような顔をして子供たちは金魚鉢の中で群れを組んで楽しそうに泳ぎ回る仲良しの仲間のようなものだと考えたがる。然し現実の金魚鉢の中は? 強いクラスのボスとそれに追随する者だけが真っ直ぐ前を向いて頭を高くしているのだとしたら? 時期は2012年、前年にはF1人災、大津波、大地震という未曽有の複合災害があった。登場する子供たちの多くが親族や眷属を失くし、トラウマを抱えるなど多大な影響を被っていた。
 ゆきのりの父は行方不明のままだ。母は既に亡くなったと判断している。然もクラスの嫌われ者、りょうのお父さんとの再婚を願っていた。各々の父と母が結婚することになれば2人は兄弟ということになる。当然親は親で自分の子に再婚に対する子供の意見も訊いていた。だが、子供からすれば親同士の関係がどのようなものであるのか? 全く分からない。そこで2人が会うことになっていたある日、親たちの後をつけそれぞれの親が心置きなく笑う様子をホントウに久しぶりに見た。その笑顔は互いの連れ合いを失くした時以来であった。りょうの母は3.11は生き延びたものの父とりょうを置いて別の男と失踪してしまっていた。
 クラスのボスはこうじ、輝いていた彼の兄が失速し強い者の言いなりにされている姿に傷つき自分は決して負け組にはならないと皆に優しかった己を裏切り、暴力的になって皆に君臨していた。女子ではさやを中心に特異な感性を持つまりを虐め毎日いたぶっていた。そんな力関係が逆転する日が来たのはソフトボール大会の勝敗がついた後だった。りょうの発案でそれまで虐められたり弱いとされていた者達のグループと強いとされていたグループに属する者達が対決、勝ったのは弱者と見做されていたグループであったが、これを契機にこうじは、学級委員だがはぶられていたしょうまを自分達のグループに加え、それまで加わっていたゆきのりをはぶった。そして遂には高台に2人を連れて行き飛び降りた者を自分達の仲間に入れると宣言する。しょうまは飛び降りたが認められず、その不正に怒ったゆきのりも飛び降り、認めないのならこうじ自身が飛び降りてみろ! と迫る。こうじは怯んで飛び降りることができず、腰抜けであることを晒した。
 以上のようなことがあった後、りょうとゆきのりは試合に勝たない方が良かったと主張するゆきのりと関係を変えたし練習をしてフェアに戦って勝ったことを是認するりょうは会話を絶ち二度と会話を交わすことなく、話ができないのなら手紙を出す、とのりょうの提案も蹴ったゆきのりであった。りょうからの伝言はゆきのりの母から伝えられた。りょうの父とゆきのりの母との再婚話には反対であること。それはゆきのりも同意見であること、りょう父子は祖父の下へ行き祖父と共に暮らすことになったこと。
 その後、りょうは交通事故で亡くなった。
六英花 朽葉

六英花 朽葉

あやめ十八番

座・高円寺1(東京都)

2023/08/05 (土) ~ 2023/08/09 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 べし観る! 文句なしの5つ☆(上演中故、余り細部は書かない。終演後にまた追記する)

ネタバレBOX

 昭和編を拝見、休憩なし2時間15分。一瞬たりとも気の抜けない緊迫感と史的情況が芸人に或いは娼婦を含む客商売を商う総ての人々に与える理不尽で仮借ない宿命と、宿命を一方で担いながら命を懸けて守るべき意地を見せる人間という生き物の闘争を単に歴史のパノラマとして見せるにとどまらず、生き様として表現した脚本の良さと演出の巧み、また生演奏の心地よい人間的な響きが醸し出す何とも言えぬハーモニー、登場人物各々のキャラの描き方や伏線の仕込み、回収法の上手さ、役者陣の演技力と合理的でスケールの大きい視座で拵えられた舞台美術総てが相俟って実に味と深みと含蓄と悲惨、これら諸要素に対する個々の生き様がくっきり描かれ胸を撃った。
Bless M

Bless M

劇団薄命

吉祥寺櫂スタジオ(東京都)

2023/08/05 (土) ~ 2023/08/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 楽日、最終公演を拝見。今回、とても素敵な作品を拝見でき、実に充実した1日になった。お礼申し上げる。力のある劇団なので今後も期待。追記後送

ネタバレBOX

 劇団“薄命”旗揚げ公演である。出演女優は4名、皆若手の女優さんだが、演技は中々しっぁりしている。脚本が、実際問題として極めてセンシティブな問題を扱い、真剣に向き合わあるを得ない問題を扱っていることもあり、現代日本を見事に表象するようなオープニングの質問と回答、その間に滲み出すように現れる日本の現在の表層性、即ち糊塗され隠蔽された事実の上っ面だけを織り込んだ受け答え=欺瞞。この欺瞞構造そのものを打ち砕いてゆく脚本に4人の女優総てが極めて自然な怒りを共有し、俳優修業の一環として裸足になって大地に接し、横になって自然と極大接地をすることで我らの暮らす地球という自然から様々なもの・ことを感じ応分な応えができるように上演中、全員が裸足。物語は東京等大都市から遠く離れた離島にあるセンター。望まぬ形で妊娠した高校生世代の女子が、彼女たち自身で産むと決め、出産までの期間を過ごすケア施設兼産院である。常駐し彼女たちの面倒を見るのは医師1名、島内のボランティアも居るが、常駐は医師1名である。食事の手配も施設サイドで請け負っているが食事はおいしい。三食出る、7時、12時、19時の3回。残置しておくことも可能であるが、自分自身で温め直して独りっ切りで食べなければならないのでお勧めは定時に皆と一緒に食べること。
 状況が状況だから、複雑な関係を抱えている入所者が圧倒的に多いのは無論のことだ。然も妊娠時期は未だ漸くハイティーンになったばかり。母体の成熟度も満足でない場合があるばかりか、各々の背負った背景は決して口外できぬケースも多い。このような事情があるケースが大半だから、施設内で個人情報を明かすことはタブーとして規則化されているが、これも若い彼女らの未来を少しでも可能性の側に開く為の措置。
桃太郎の大冒険

桃太郎の大冒険

劇団龍門

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2023/08/03 (木) ~ 2023/08/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 現在、阿佐ヶ谷は七夕祭りの真っ最中、アルシェへ辿り着くまでに人込み次第で通常の2~3倍程度は最低掛かると覚悟して早目に出掛けた方が良い。

ネタバレBOX


 板上は奥センターに出捌け用の空間を設け左右に衝立、衝立各々に黒幕を斜めに取り付けて袖としこちらも出捌けに用いる。この袖から客席側に伸びた若干の部分は平台によって一段高くなっている。また下手の客席側に更に1か所出捌けが設けられている。
 オープニングでは1人の少女が腹をすかせ倒れ込まんばかりの有様で彷徨っている。そこへ正体不明のおじさんが現れるが、何かを警戒している模様。少女は助けて貰いたいと思いつつ、何となく怖い気持ちもあって中々素直に反応はできないものの、おじさんは家出娘と見当をつけて「腹が減っているのならこれを食って家へ帰れ」と食べ物を恵みサジェッションもしてくれる。単にナンパをしている訳ではなく、強面ではあるが親切なおじさんだと気付いた少女はおじさんを頼り一緒に行動するようになってゆく。この時、少女は勝手な想像を巡らしおじさんはスパイ、それも2重スパイでミッションをこなす為に日夜戦っているなどと主張し続けている点も面白い。
 場転があり、若い男1人に矢張り若い娘4人、どうやら訳の分からぬ理由で閉じ込められているらしい。理由も分からず檻に閉じ込められているが食事は出る。監視されているかも知れぬが定かではない。皆疑心暗鬼に襲われ睡眠中もどこか不安でぐっすり眠ることはできない、冷静であろうと努めるものの何故、何の為に閉じ込められているのか? 理由も分からずいつまで閉じ込められているのかも分からない。時折、何人かずつ連れていかれるが何処へ連れて行かれ何をされるのかも総て不明である。神経を病むな! という方が無理な話である。
 さて、新入りが入ってきた。つい先日、仲間というか一緒に放り込まれていた少年、少女が1人ずつ、連れて行かれた。何処へ連れて行かれどうなったかはいつも通り一切分からない。そこへ新入りの登場である。新入り達も先に閉じ込められていた者達も互いに自分達の方が少しでも有利な位置を占めようと勢力争いを展開するが争いが無駄であることを認め争闘は収束することとなった。
 ところで、シジュウカラという小鳥をご存知だろうか? 彼らは単語を使い分けて対話をし一定の文法を持ったコミュニケーションをしていることが学術的にも証明された。2つの単語を纏めて認識する能力を併合というが、この能力の意味する処は作文ができるということだ。シジュウカラはこの能力を持つ。これは人間の対話にも共通する極めて根本的な対話能力の原点ともいえる概念。多くの人間が、言語を用いて対話できるか否かが動物と人間を分ける決定的な能力差であると勝手に決め込んで他の生き物の上位に立ち、捕食し利用し収奪することを是としてきた訳だが、これは人間の勝手な思い込みに過ぎない、ということが立証され始めたということに他ならない。ギリシャの時代からオルフェウスのように鳥や獣、岩や川等までも魅了した詩人という人種が居たとされる。日本では宮沢賢治が代表だろうか? 何れにせよ詩人がこのように評されるのは、彼らの持つ自然に対する偏見のない態度と自然から学んだ多くのことを通して持ちえた想像力の巨きな力が、彼らをして正鵠を射た文言を定着せしめたという事実である。今作を観る前提として、以上の認識はヒントになろう。
モモ

モモ

かわさき演劇まつり実行委員会

川崎市多摩市民館(神奈川県)

2023/07/29 (土) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 市民が演じるのが基本の演劇祭でここまで凄い仕上がりになるとは! お見事、今後も川崎演劇まつりには注目したい。

ネタバレBOX

 いわずと知れたミヒャエル・エンデの作品。大人も子供も楽しめる作品なので観客も親子連れも多く908名収容の大ホールもほぼ満席。キャストは市民からの応募も多くWキャストとなっているキャラもある。楽日の15時半開演・トケイ組を拝見。第1場と第2場の間に15分の休憩を挟み18時10分終演の2時間40分の大作。シンメトリックな舞台美術は中央に天地逆U字型の穴が開き上手、下手に階段の付いた円形劇場、ローマは支配する各地にこのような競技場兼劇場や水道橋を創り2000年以上を経た現在も尚多くの建造物がローマの支配したヨーロッパ、中東、アフリカ各地に残る。今作に登場する建造物もその1つ。物語は主人公モモの暮らすこの場所と、人々の奪われた時間を取り戻す為、亀のカシオペイアに導かれたモモが出掛けてゆくマイスター・ホラの支配する時空、そして人々の暮らす街で展開するが、ホラの支配する時空内では大きな時計が下手階段辺りに設えられて臨場感を増すし、街の様子はレストランを経営するニノの店を中心に展開する場面が多い。敵役となる灰色の男たちは、時間泥棒とも称され人間がその本性の一部から生み出してしまったかともとれるほど本質的な人間の弱さか生んだ虚体ではあるものの、一旦生み出されてしまった虚体は却って人間を支配する強力な力となり人間から自由な時間を奪い収奪することで、本来人間の持っていた人間らしさや永続的可能性を収奪する機構として機能する。ハイデガーが「存在と時間」で人間の本質を解き明かそうとしたように人間存在の根底に横たわる大問題に対するシュタイナー学院出身のエンデの挑戦である。
 セットの使い方や照明の用い方が実に的確でうまい。出演者60名以上という大所帯をヒロイン・モモや主要脇を中心に演出家が実に手際良く上手く差配し、何より4か月の稽古中本番を意識した見稽古で出演者各々が、自分が出ていないシーンでも気を抜かず一体感を醸し出すことに成功した点でも素晴らしい。(この指示を稽古初日に出している脚本演出家・(東京ハンバーグの)大西 弘記氏の慧眼を称賛したい。ファーストシーン、ベッポが掃除したシーンの直後に街の人々がモモを発見するシーンでは、ベッポ直後のシーンに対照的な照明を用いてオープニングで観客を驚かし、演劇に引き込む見事な手法を見せてくれる。オープニング直後で、素人らしい若干間(ま)の乱れるシーンがあったものの、その後はグングン調子が上がって群集劇としての素晴らしさも多く見られた。また、原作でエンデが最も訴えたかった内容をキチンと掴んだうえでベッポ、ジジ、マイスター・ホラ、亀のカシオペイアら主要キャラやニノ、ニコラ、フージー、リリアーノ、ビビボーイら脇、街の人々や子供ら群像をきめ細かい配慮で統合制御し分かり易く大人も子供も楽しくみることのできる極めて哲学的本質的でありながら一見何気ないファンタジーに仕上げた手腕が素晴らしい。出演した皆さんの集中力、一体感も素晴らしかった。無論、裏方を担った方々の対応もグー。是非、また川崎演劇まつりを拝見したい。
みんなのえほん

みんなのえほん

9-States

小劇場B1(東京都)

2023/07/26 (水) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

ベシミル! 華5つ☆
 混然一体・迷走の現代日本をよくぞ、ここまで本質的な劇に仕上げた。脚本・演出の見事に驚嘆! 主演・いろは役の松本 わかはさんの熱演も素晴らしいが、夫役・瀬沼 敦さんの大人として距離を置いた演技は若い人には分かり難かろうが自分のような年寄りからみると良い演技であった。無論、他の役者陣の演技も素晴らしいが詳細は追記で。
 初見で舞台美術の特殊性にも気付かざるを得ないが、この美術も実に要を得て本質的であり、然も初見で違和感を感じさせる見事なもの、良い舞台には矢張り、良い舞台美術家が付くものだと改めて関心させられた。(追記後送)

犬と独裁者

犬と独裁者

劇団印象-indian elephant-

駅前劇場(東京都)

2023/07/21 (金) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 作・演を担当している鈴木 アツト氏は役者上がりではない。これが原因か否かは不明であるが、ダメだしに役を生きるような演技をどれだけ出していたのかには興味が湧いた。演技にそれを感じることが余りできなかったからである。演劇は一旦上演が開始されてしまえば、役者の演技が勝負である。(追記7.30)華4つ星

ネタバレBOX

 舞台美術のセンスが良い。板中央に目の形をした造形があり、瞳の処に書棚がある。この部分は恐らく回り舞台になっているのだろう。グルジアで若い頃詩を書いていたスターリンが、ソソという愛称で登場するが、これはブルガーコフの深層心理が造形した幻であり、ロシアに抑圧されたグルジアそのものであるから、犬のイマージュを纏って現れるが、ソソの書くグルジア語の詩に現れた詩想はこの戯曲中最も素晴らしい。但し詩は、詩才のある者にしか分からないという傾向を持つ文学の王であるから戯曲や散文とが混在する今回のような作品では極めて演出が難しい。然も描かれる時代は革命時代のソ連である。折角戯曲が良いのだから、演出はあまりスタンダードに拘らずもっと前衛的にした方が良かったと自分は感じている。例えばカンディンスキーの「コンポジッション」を舞台上に映写しつつ、シェーンベルグの「月に憑かれたピエロ」を流す等である。「コンポジッション」は絵画の構成要素である円、三角、四角等を恰もそれぞれが音符であるかのように軽妙に描き、今にもその各々の要素が踊りだしそうな感覚を齎す抽象画であるが、革命の齎す一種の高揚感はこのような作品で表し同時に「月に憑かれたピエロ」の持つ不気味で昏い詩想が齎すもの・印象を重ねるのである。このような操作を更に効果的にする照明とセットで用いたら更に舞台はその造形を深めたように思われる。大前提として眼を現した造形が板中央から観客席を監視しているのだから、オーウェルの「1984」の監視社会は、はなっから今作の不可欠の条件として予め視覚化されている。脚本にはゲーテの「ファウスト」を彷彿とさせるような内容も含まれることだし、ソポクレスの「オイディプス」に通じるシーンもある。詩想を舞台で現実化させる為には、このような奇抜な演出が大切だったと思うのである。
これが戦争だ

これが戦争だ

劇団俳小

ザ・ポケット(東京都)

2023/07/22 (土) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 今作はアフガニスタンに派遣されたカナダ兵士の戦場に於ける行為に対するジャーナリストの質問に対して返答する各兵士の返答内容を再現する形で話が展開する。舞台美術は極めてシンプルで板中央に出捌けにも用いる空間を開け、その両側に大きな衝立を1つづつ置いた抽象的で無駄の無い内容。作品内容に集中させる為に最も効果的な舞台美術となっている。また、出演俳優4名はそれぞれの役を生きるべく奮闘していることが伝わってくる演技で好感を持った。(追記2023.7.26、それにしても、今作のような作品が書かれ、上演されるカナダという国の文化レベル、社会の懐の深さ、自由度には称賛すべきものがあるように思われる。自分の直接の友人、知人を含めたカナダ国籍者との付き合いを通じても良く感じることではあるのだが)
 一応下らない誤解を防ぐ為に書いておくが、パシュトゥーンワーリーなどに触れたからといって自分がターリバーンの女性政策に賛意を表明している訳ではない。ただ、対話する他に合理的な解決法は無いと考えるから、話の持っていきよう迄考えて掛からないといけないのではないか? ということである。

ネタバレBOX

 登場人物は4名、唯一の女性兵士・ターニャ伍長、責任感が強く部下思いの軍曹・スティーブンは故国に妻を持つが妻は浮気中、自身は看護婦ともターニャとも肉体関係を持った。一方、現地の下士官らしく独学でパシュトゥーン語を勉強してもいる。軍医・クリス。彼は通常の診察以外に兵士たちの心理的ケアも担当しているが、軍というものが戦闘を基本に構築されている組織である以上これは自然な分担ということになろう。当然、総てが剥き出しになる戦場体験の中で性の問題は極めて執拗で深刻な問題であるが、男性中心の軍隊で彼もホモセクシュアルである、脚本家が彼のキャラをそのように設定していることでLGBTQの問題も可視化されていることになる。そして新兵・ジョニー20歳はターニャに夢中の4名。証言される事象が起こった時期は9.11以降のターリバーン勢力排除の時期を経て再び西側に支えられて漸く成立している傀儡政権に反発したターリバーン復活以降のアフガニスタンの前線、パンジェイ。西側バックアップでかろうじて成立している傀儡政権の国家治安部門と国際治安支援部隊(IFSA)が共闘する直前から共闘し始めた頃の前線。カナダ兵は着任初日に兵士1名が死亡する攻撃を受けた為、この任地を亡くなった兵士の名で呼ぶようになっていた。各証人が各々の記憶を頼りに往時の自らの体験を、記憶を元に再現する内容が戯曲化されているが、アタックを掛ける前日の模様を各々が語る共有シーンもあるので、その証言者毎に若干の違いがある点などを観客自身はどう解釈するか? も問われている。(例えばヘルメットを着けている・いないや、ほんの僅かな動作・所作の差などで各人の記憶の相違等も表現されていると取るか、或いはそういった小道具を袖から手渡すだけの裏方の手配が時間やスタッフ人数の関係でできなかったと取るかで観客の読みの深さそのものが観劇後反復する思考の中で試される。この演出がグーと筆者は判断した)つまり前者の場合、命の懸かる前線で兵士、軍医を含めて個々の人間が味わっている部隊のミッションでは必ず複数で対応している最中にとてつもなく孤独・孤立感を味わっている兵士たち個々の人間という生き物の深さも描かれていると見る観客が出てくる点が良かろうと自分は思うのである。
 物語に出てくる基本的なシーンは、ジョニーとターニャの淡い恋のシーン(ジョニーはマジだが、ターニャは距離を置いている)、ターニャの証言の中に彼女がもう1人と共に歩哨に立っていた時、アフガニスタンの民間人と思われる大人2人が一人の腹を裂かれ血みどろの子供を抱きかかえて陣地に近づいてきた話がある。自爆とは考え難いが可能性零とは判断しかねぬ2人、制止する為に英語で呼び掛けるが彼らには言葉が通じない、そのまま進んでくる。あわや彼らを殺害しそうな時、スコープで詳細を観察していた歩哨の相棒がスコープに見える模様を逐一ターニャに伝えた。以前、5歳の女児を心ならずも射殺してしまったことを気にしているターニャは助けを求めてやってきたと合点し軍の携帯を用い緊急に救援ヘリを要請した。然し答えはノー、というよりヘリは軍負傷者の為に用意されていると電話を切られてしまった。話の続きは、ターニャが相棒の制止も聞かずもう1度、ヘリ派
遣を要請し2度目は認められたこと。その直後、ジョニー達が塹壕の中で戦っている最中に少年兵がスーサイドボンビングを決行、結果的には死ぬことになった家族思いで26歳の兵士が瀕死の重傷を負い、その救援を頼んだ軍曹の緊急連絡にも拘わらずヘリ到着に1時間も掛かったこと、それ故、緊急オペも死んだ兵士は受けられなかったことなどが語られるが、ジョニーもこの時重症を負い障碍者となった。4人の証言に共通していたのが先に述べた、明日は敵との初の戦い前夜のことであった。
 ところでターリバーン(*アラビア語は男性形、女性形があるので女性形は別な表記発音になる)という呼称の意味をどれだけの日本人が理解しているだろう? 今作を少しは現実的に解釈する為にこれは極めて重大な問題である。現在ターリバーンが復活を遂げていることにも今作を理解する為にも大きな関わりがあるからである。如何に諸外国が様々に圧力を掛けようが、ある国や大きな地域で実権を獲得し、握り続ける為には権力者は住民の支持を不可欠の要素とする。少し話が逸れた。ターリバーンとはアラビア語で学生を意味するターリブの複数形である。今回のケースでは「神学生」を意味するから複数形では「神学生達」とでも訳したら良いのかも知れぬ。これはフスハー(正則アラビア語で、所謂アーンミーヤではない)表現である。
 歴史の現実に即し密着して言えば単数形のターリブはソ連の軍事侵攻を受けたアフガニスタンで多くの子供が戦災孤児となった為、モスクが施設内で子供たちを育て教育を施した。モスク内の学校であるからクルアーンは必須である。その結果孤児たちの頼るべき精神的支柱が宗教的色彩を帯びるに至った。同じ頃、世界の政治はムスリムに対し偏見を持って対した。宗教的な思考を中心にアイデンティファイした元戦災孤児の中にムスリムフォビアに反発し過激な思想が目覚めるのは必然であったと言えよう。然も傀儡政権の中で大きな力を持った北部同盟のリーダーたちの殆どはマスードと僅かな例外を除き殆どが無頼の輩であり傀儡政権成立後も腐敗の温床を為していたから、都市部を除けば民衆から完全に離反していた。繰り返しになる部分があるが、もう一度振り返ってみよう。何故ターリバーンが生まれたのかだ。ソ連によるアフガニスタン侵攻によって多くの戦災孤児が生まれそうした戦災孤児の多くがムスリムの教会とも言えるモスクに引き取られ、付属の学校で教育を受け成長したからである。そういう環境の中で育った彼らの多くが、倫理的に可成り厳格でストイックな宗教観を持つに至ったことは自然であろう。そういった事情も価値観も分からず、唯自分たちの価値観だけを中心に判断する米英を中心とする西側諸国の根本的な過ちは、余りにも自己肯定的で他の価値観や論理ベースを認めようとしない傲慢で排他的な価値観を政治利用しつつ、実際には自分たちより軍事的に劣ると見做した他国や他政権を軍産学複合体の儲けと政治力で自由に操ろうとする勢力によって、西側諸国の国民の命をも費消しつつ実行されているのが現実の戦争の姿だということではないのか? 
 “戦争の初め、最初に殺されるのが真実である”との格言が正しいのはまさしくこの点を見事に隠蔽してしまうことを指摘しているからである。今作でもその辺りのことは、各兵士の証言の至るところに見て取れる。兵士たちは「アフガニスタン国家治安部隊の指揮官たちですらジュネーブ条約の内容を知らない」と非難するがそう述べる彼ら自身が前線でアフガニスタン民間人に、自分たちの前線基地に来ないよう制止する最も簡単な現地語や共通語すら知らない、教えられていないことに抗議しないどころか、抗議しようとの発想すら浮かんでいないように思われるが、もし“ストップ、引き返せ、来るな、それ以上近づけば殺す”などが言えるだけでターニャが僅か5歳の民間人少女を撃ち殺さずを得なくなり実際に殺害してしまったことで強く深く自らの精神を病んでしまうようなことには至らなかった可能性も高かろう、ということである。国際治安部隊を派遣していた主たる国々は世界でもトップクラスの経済力を誇る先進国でもあった、その豊かな先進国国民である兵士たちが国内で経済的弱者であるとしてもその程度の要求すらできないほど知的訓練が出来ていないということであれば、これは国家として非常に大きな問題でもあるハズ。遥かに貧しいアフガニスタンの人々がジュネーブ条約の諸協定を知らないことを非難する前に自国政府を批判するのが先だと自分は考える。何となれば、金銭流通が世界を席巻している以上、金銭的貧困は即ち命の値段がその分安くなるということである。貧しければそれだけで死は日常となるのである。この単純極まる事実の重みを我らは先ず理解しておかねばならぬ。また先進国の軍事的指導者たちはターリバーンの中核を担うパシュトゥーンの部族法であるパシュトゥーンワーリーを理解する程度のことは人権をことあげする以上最低限知っておかねばなるまい。そのような努力や外交努力も無く戦争を始め、最前線へ派遣する兵士への十分な教育も無しに平和だの正義だのと言えるのか? そのことを今作は訴えている。もう少し言っておくなら、カナダ部隊が死者1、重傷者1を出した戦闘後もターリバーンは、正確な銃撃と武器の扱いでカナダ軍を苦しめたが攻撃したターリバーンを1時間ほどで一掃したのはアフガニスタン国家治安部門であり、ターリバーンが利用していた地下通路内に水を導き入れ全員(確か167名、多くの少年兵を含む)を溺死させた。敵兵と雖も年輪もゆかぬ少年が襤褸の如く殺された事実、マスコミが注目しないハズはない。こういったことも含めて“これが戦争だ”なのである。
ストレイト・ライン・クレイジー

ストレイト・ライン・クレイジー

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2023/07/14 (金) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 日時によって星組、花組Wキャスト上演である、どの役を誰が演ずるかテイストの違いを楽しむこともできる。(花組を拝見)
2部構成、休憩なしの2時間25分程。一瞬たりとも目が離せない。

ネタバレBOX

 今作は燐光群が演じるデイヴィッド・ヘア第5作目の作品であるが、1929の世界大恐慌に重なるような時代、1926年が起点だ。当時は未だ一般的ではなかった都市開発計画を立ち上げ現在のN.Y.で見られる都市景観の大本を作った実在の男・ロバート・モーゼスの前半生(マンハッタンから近く資産家が好環境の現地を好み多くの地域を私有化していた合衆国本土では最長最大の自然豊かな島・ロングアイランドを一般市民が通い使えるようにする為の開発、海浜公園&公園へ通じるノーザン・ステート・パークウェイやサザン・ステート・パークウェイ建設等)を前半第1部で、
29年後の1955年代に入り世の多くの人々の意識やジェンダー感覚が大きく変わるとワシントン・スクエア・パークに高速道路を通そうとするモーゼスの計画はビレッジ住人の市民運動と対立、激しく批判されるようになって以降を第2部で。ヴァイタリティーと信念を持ち実践したさしもの男は、変転することこそ唯一の自然な世界の姿であることに置いてきぼりを喰らいつつ尚一種のアメリカ流ダンディズムを貫こうとした。そして彼をその事業の開始からサポートし仕事で無理をした結果障碍者となった現在も未だ現役の男性社員の覚めた意識に出会い、秘書を務め続けた女性社員の「辞めます」宣言迄叩きつけられたモーゼス、また仕事一途な余り妻をアルコールに走らせ剰え暖かい言葉一つ掛けてやったわけではなかった鈍感が遂には妻の精神を破壊、精神科病棟で薬漬けの生活を送っていることへの遅過ぎた気付きなどの経緯を描いて、仕事最優先で成功を収めた男のそれ以外の価値観や柔らかくしなやかな感性に対する鈍感や差別意識がそれらに無意識であることから生まれるが故に鈍感差別者自身に気付かれ難く更に仮に気付いたにしても為す術を知らぬことによって鈍感・差別を永続化してしまう状況が描かれる。現在の人権意識から観ればこれは余りに特異な事象にも見えよう。だがモーゼスは決して卑怯者でもなければ非紳士的な訳でもない。単に現在の我々から観て具体的に街の活動家の抗議の背景にあったもろもろの価値観や本源的に彼ら彼女らに湧き上がってくるパッションの根っこ、妻の現状を一人の人間としてケアできるだけのヒトとしての常識を欠いているように思われるに過ぎまい。また、白人内でもカソリック系やアイリッシュ、イタリア系などに対する差別があったとはいえ、ネイティブアメリカン、黒人、プエルトリカン、イエロー、中南米諸国民に対する人権蔑視に比べれば遥かにマシなものであったから、モーゼス自身も市民活動家、女性や有色人種に対する根源的な差別・蔑視が克服されていた訳ではなさそうである。こういった偏見をベーシックなレベルで持っていたことこそ、彼が遂には孤独に追い込まれた原因であろう。それにしてもラストに集約された彼の纏う侘しさは堪らない。
 一方、このがむしゃらな個性は、アメリカが生み出した一つのキャラクターでもあるように思われる。ヨーロッパ、殊にフランス等の現在にも残る優れた思想家、科学者、芸術家等は基本的に命懸けで己の思想や論理を実現し現在に迄伝えた者が多い。アメリカの場合は、それが個々人の破天荒な行為と性格をベースにした一種のフロンティアスピリットとして顕現するケースが多かったように思われる
韓国新人劇作家シリーズ第7弾

韓国新人劇作家シリーズ第7弾

韓国新人劇作家シリーズ実行委員会

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2023/07/13 (木) ~ 2023/07/17 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 1ステージ2作品ずつ上演する形式だ。今回自分が拝見したのは上演順に1が35分、場転の為15分の休憩を取って2が55分である。2作品とも素晴らしい。今回他の作品は予定が立て込んでいて拝見できないが全作品拝見したい作品群である。何れも優れた作品であることは容易に推察できるからだ。(15日、いきなり停電して復帰に手間取った。1本だけ送信に成功したのだがその後送信できず、本日漸く工事終了するも、この暑さで汗は滝のように流れパソコンが危ない。追記後送)

ネタバレBOX


「名誉かもしれない、退職」2023.7.14 15時
 とあるカフェ、部長から呼び出された3人の社員、パク・インターンは流石というか儒教思想が未だ日本より遥かに残る韓国社会の所為か一番早く来ている。次にジョン代理、最後にやってきたのが、三人のうち一番格上のキム課長である。当初互いに相手の腹の探り合いから対話が開始されるのだが、やって来た順番で対話の内容が本質に近づいて行き、結局は現れなかった部長を含め重役未満の同一部署内の1人がリストラ対象となることを巡って、では誰がその貧乏くじを引くか? のすったもんだを描く。韓国の超学歴社会と経済格差が引き起こす諸問題などはこれまで散々映画などでも上映されてはきたが、少子化は止まる気配もない。この深刻な状況を僅か35分の作品で見事に描いた。流石である。一部署だけをキチンと描くことで韓国社会の抱える最も重大な問題を鋭く抉り出している手腕も見事。日韓共同のプロジェクトなので脚本は韓国のキム・ヨンミンさん、翻訳は李知映さん、演出は金子賢太朗さん、出演は大井克弘さん、関信豊さん、竹園和馬さん、なお今作は慶尚日報新春文芸戯曲賞を受賞している。
「変身」
 変身と聞けば大抵の人はカフカの「変身」を思い浮かべようが、作品としては全く異なる。先ず扱われているのが個々人の実存ではなく社会的日常性に於ける圧倒的な差、殊に落差に対する恐怖が根底にあると思われるのだ。今作もカフカの抱えていたような社会からの疎外は当然在る。然し今作では、今自分自身が生きて構成している社会という世界からいつなんどき振り落とされるか分からない激しい競争に勝ち残れるか否かを巡る不安が蜷局を巻いているような気がするのである。
ザ・ショルダーパッズ この身ひとつで

ザ・ショルダーパッズ この身ひとつで

劇団鹿殺し

本多劇場(東京都)

2023/07/13 (木) ~ 2023/07/18 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 演出を担当なさっている菜月チョビさんが劇団草創期の話をしてくださったのだが、この内容に痛く感激!(追記後送)

THE WILDEST DREAM

THE WILDEST DREAM

GROUP THEATRE

浅草九劇(東京都)

2023/07/12 (水) ~ 2023/07/17 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 Bキャストを拝見。ちょっと変わったテイストの作品だ。何はともあれ、演劇空間の現実を通して、戦争の持つ内実に、そして人間という生き物の靭さと弱さに思いを馳せて欲しい。

ネタバレBOX

ウクライナのことがサブタイトルとして付いている以上シリアスな作品と言ってよかろうとの事前感覚は裏切られなかったが、物語が展開するのは実際には杉原家の居間と正面窓の向こう側の空間である。
 キエフにある世界遺産を構成する聖ソフィア大聖堂・ペチェールスカヤ大修道院・ベレストヴォの救世主聖堂のうち最古の建築物、聖ソフィア大聖堂に“不滅の壁のマリア”と呼ばれるモザイク画が残されている。不滅の壁のマリアと呼ばれるのはモンゴル侵攻の際にも破壊されずに残ったことからこう呼ばれているという。因みに不滅の壁のマリアは177色、300万個のガラス石を用いて作られている。今作の重要なモチーフに“不滅のマリア像”が関わるのは、次男結太出産の折病院へ向かう救急車の中で同乗していた夫、杉原修司と長男、修に対し妻、結子が「次男が生まれたらこのお揃いのペンダントを兄弟にプレゼントする」と言っていたことが遺言になったからである。そしてこのペンダントには、不滅の壁のマリアが描かれていた。事故の描写があり場転。
 第2場では約20年後の世界が描かれる。長男修は、所謂引き籠り。様々な人々が訪ねて来てもシカトシカトのオンパレードだ。宅配業者が配送品受け取りのサインを頼んでもシカトである。配送業者は仕方なく、窓外の空間で街頭芸人のようにギターを抱え歌を歌っていた白杖の初老の芸人に声を掛けサインを貰う、といった有様。即ち自分でできることも一切せず、父が寛大であることに付け込んで甘えに甘え、甘えている自分自身を疑う程度のこともせず自分自身に甘え、剰えその卑怯と向き合うことは愚か居直った表層の論理を盾に屁理屈を並べ立てる卑怯を絵に描いて壁に貼り付けたような人物である。父は現在、社会的弱者をケアする仕事で代表を務め、スタッフの矢島大助(実は母が亡くなった救急車の人身事故は矢島が飛び降り自殺を敢行、着地したのが救急車であったという因縁があった、その矢島を「良く生きていてくれた」と喜び励まし新就職先として自分の営む団体職員として雇い入れた)と共にてんやわんやの状態である。そして母結子は亡くなったものの無事、誕生した結太は一部上場の証券会社に入って海外のリサーチ等に係る重要なポジションで活躍中である。
 今作は、この捻れた長男修が、結太が休職しウクライナへ旅立ったことを巡り、本当は弟を愛し心懸かりでならないのに、もう二度と会えぬかも知れぬ弟の旅立ちに喧嘩別れをしたことへの心の蟠りから、ウクライナ現地へ矢島に叩き起こされて連れて行かれる夢を通してウクライナ、ブチャでのウクライナ人の日々を体験、命を懸けて地雷原の只中をただ自分より弱い孤児たちに食事を運ぶ為、既に虐殺され葬られた無辜の民の墓が荒らされたのを修復する為、人々に勇気を与える為輝く黄色に身を焦がすような向日葵の花を手に入れる為、廃墟になった家に直した掛時計を掛ける為等に出掛けてゆく人々に救われ、自分を連れ出してくれた矢島が瀕死の重傷を負いブチャの避難所に居た看護婦が血清を取りに行く為矢張り地雷原の只中を出掛けてゆくこと総てに悪態をつく。その時、ウクライナ兵士の出産間近の妻が先に約束した通りに避難所に夫に抱えられて担ぎ込まれた。然し看護師は既に出発しており、避難所は敵の襲撃を受け、兵士は応戦の為敵を避難所から遠ざけそちらで戦っている。兵士の身重な妻と修二人だけになったとき、不滅の壁のマリアが起こした奇蹟か!? 兵士の妻は修の亡き母へと変貌、修に愛を注ぎ、他者への愛の注ぎ方を教えた。
 終盤は読者のイマジネーションに任せるが、特別出演でユウサミイさんという方が出ていて、ギターと歌唱でこの夢と現が交差し綯交ぜになり、心と魂に深く人としての変革を齎す物語りの位相を、極めて自然に介在し中継する役割を果たしているのが印象的である。ギターは上手いし、歌も上手い。声がとても良く、リズム感も良い。戦争は遠く離れた異世界のことではない、という臨場感にこの作品を観て是非とも近づいて頂きたい。
丹下左膳'23

丹下左膳'23

椿組

新宿花園神社境内特設ステージ(東京都)

2023/07/11 (火) ~ 2023/07/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 初日を拝見、裏切られなかった。兎に角、テント公演ならではの様々なテクニック、大仕掛け等も楽しめる。観るべし! (追記後送)

ネタバレBOX

 オープニングでは赤ん坊が泣き喚く声が満場に響き渡る。
「姓は丹下、名は左膳」云々の啖呵は自分のような年頃の方々なら子供心に覚えてもいよう。姓は、は兎も角、名はその出生の因縁に纏わる。彼の母は許されぬ出産故左膳を一度は葬ろうとし鎌で新生児の目を切りつけて失明させ、腕を落とした。然し母は矢張り母である。愛しい我が子を何で好んで撃ち殺せようか⁉ かくして一命を取り留めた左膳は残った左で生き抜くことができるようにとの念と食べ物に困らぬようにとの念を込めた膳という二文字をその名に刻み熊笹で編まれた大きな船に載せられ流された。(この逸話が出てくる時点で無論蛭子伝説に左膳の出生が重ねられているのは明らかである)この流された左膳を拾い上げ養い育てたのが武士であった為、彼は剣術を習い頭角を現していたのである。
そこに在るはずの貴方に

そこに在るはずの貴方に

FUTURE EMOTION

キーノートシアター(東京都)

2023/07/07 (金) ~ 2023/07/08 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 日韓に共通する七夕伝説をベースに今作は作られているが、韓国に伝わる物語の骨子が共通部分の上で大きな位置を占めているようだ。各々の星は日本では天の川を挟んで織姫・(織女/琴座の1等星・ベガ)と彦星・(牽牛/鷲座の1等星アルタイル)と呼ばれ、2つの1等星間の距離は約13光年と作中で語られる。この2つの星が年に1度、七夕にしか会えなくなった理由をベースに元々中国由来とされるこの伝説が東洋諸国に広がる中で様々なバリエーションを持ったようである。今回は韓国に伝わるヴァージョンと日本に伝わる(琉球王国時代に琉球国に伝わったヴァージョンはまた異なる)ヴァージョンを合体合成しつつ、日韓共同で作られ両国の役者が出演している。

ネタバレBOX


 中国のオリジナルが儒教色の濃い作品とされるのは、織女は天帝の娘であり、機織りの名手として知られた働き者、一方の牽牛もまた牛飼いとして極めて良く働き評判の若者。働いてばかり居て年頃を迎えた娘を心配した父・天帝が婿探しをし牽牛に娘との結婚を勧めたのが2人の出会いのきっかけであった。然しそれまで働きづくめに働いた2人は相思相愛の仲になり、開けても暮れても恋に夢中、遂には天界で重用(ちょうよう)されてきた雲錦と呼ばれた布も新たには織り上がらず、また牽牛の牛たちは痩せて死に至った。天帝はこれを怒って2人の恋を年に1日としたのである。
 今作では、この中国ヴァージョンの儒教的{(即ち女性の代表的職業としての機織りと男性の農耕文明以降の代表的職業としての農業)牧畜が中国ヴァージョンなのを転換}している他、天帝を神一般という一般化で曖昧化した上で、1年に1日しか会えぬ罰を一種の悪意として描いている。一方、その神の使いでもあるハズの烏と鵲は恋人たちの宿命を運命に変える手伝いをしている。ホリゾントに斜めぶっちがいに張られた赤い糸を2人の小指に巻き付けるのも烏・鵲の力技であり、功である。まあ、星の属する星座から言えば、アルタイルは鷲座の1等星であるから、烏も鵲もその配下と取ることは可能だが。役者では牽牛役が気に入った。

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