外交官〈前売券完売/当日券若干枚あり〉 公演情報 外交官〈前売券完売/当日券若干枚あり〉」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
1-10件 / 10件中
  • 満足度★★★★

    青年座初観劇
    今回、贔屓にさせてもらっているパラドックス定数の野木萌葱主宰が脚本提供という事で初観劇です。
    青年座の役者さんのクオリティがすごい。
    小劇場の若い役者さんでは出ない重厚さでした。
    野木さんのイメージはどこまでいかされたのだろうか。
    老舗劇団の厚みを感じた公演でした。

    重厚な会話劇。瞬きも忘れるくらいの緊迫した空気感の中、あっという間の2時間35分。
    青年座劇場は天井が高く気持ちの良い観やすい劇場でした。
    パラドックスファンとしては、野木さんのキャスティング、演出でも観たいところです。

    ネタバレBOX

    先の世界大戦直後、それぞれの信条に従って日本を動かしてきた外交官たちがそれまでの流れを総括する、当に東京裁判前夜。
    時間が飛ぶので一瞬わかりづらいところもあり。
    台詞は現代に置き換える事ができるものが多々あり、作者もそれを狙っているのだろうか?

    振り返れば歴史は過去の積み重ねであり、
    いくつ物分岐点であちらを選べばという事が沢山ある。
    負けるとわかっていて始める戦争の意味とは何なのだろうか。
    ただただ流されていたのなら何のための外交で何のための政治なのか。
    改めて歴史のターニングポイントについて考えさせられた。
    現在も後に分岐点になりえるポイントになるのかもしれないと思えば、戦争を体験している人の感想を聞いてみたいものだ。
    いろいろ考えるきっかけになるという意味でも
    タイミングが良い上演だったと思います。
    「国益のことは考えていても国民のことは考えていなかった」って現在の政治家はどうかな?

  • 満足度★★★★

    再演希望
    約2時間30分、休憩10分含む。通路席まで満席。A級戦犯となった外交官たちが、日本が戦争へと突き進むきっかけとなった数々の事件を回想する。歴史を辿って悶々としながら、「男」「男優」を眺めていた。青年座だけどパラドックス定数の空気感になってるのが楽しい。

  • 満足度★★★★★

    骨太の歴史フイクション劇を堪能
    やはり期待通りのコラボレーション舞台でした。

    「東京裁判」同様、野木さんの創造する歴史フイクションドラマの、史実と見紛うまでの緻密な構成劇に、心底脱帽しました。

    パラドックス定数の役者さんも、演技力には劣るところはないものの、年齢的に幅がないので、今回の青年座書下ろしの芝居には、早くから期待感を持っていました。

    重厚な脚本、ぶれない演技力の結集、シンプルな舞台に、時代の流れを見事に投射した、演出力、三位一体のプロの演劇人の描く舞台の力に圧倒されながら、最後まで、目の離せない芝居でした。

    今の時代に、多くの人に観て考えて頂きたい作品だと思います。

    ネタバレBOX

    内容は、多くの方が、詳細に書いて下さっているので、割愛しますが、サザンの「ピースとハイライト」にもあるように、我々戦後世代の国民の多くは、戦争への行程をほとんど習うこともなく、大人になります。そういう我々世代にとって、ドラマや映画や芝居で、戦争への道のりを追体験できる機会は大変貴重だと思います。

    でも、野木さんの作品は、決して、ただ単に史実をなぞるのではなく、史実を踏まえた上で、作品に、豊かな想像力を加味して、圧倒的な構成力で、観る者を引き込む作劇者としてのコツを心得ていらっしゃるので、まるで、オリジナルサスペンスドラマのような、魅力に溢れているのだと思います。

    青年座の熟練の役者力は、老いも若きも、皆さん、卓越していて、誰一人、嘘くさい人物がいなかったのは、さすがでした。

    この作品の描いているように、外交官達が、心底、国を憂いて行動していたかは、やや疑問ですが、自ら学ぼうとしない限り、戦争前夜からの歴史に疎い私たちにとっては、これからの世の中をまた、戦争への道のりにしないためにも、時機を得た、素晴らしい上演演目だったと思います。

    自らが最高責任者だと言うくせに、いつも全く責任を取ろうとしない、わが国の首相に、是非ご覧頂きたくなりますが、馬の耳に念仏かもしれませんね。
  • 満足度★★★★

    史実を再構成する面白さ
    青年座で野木萌葱作品を初観劇。歴史モノを割と書く人か・・。満州事変から日米開戦・敗戦までの日本の「悪行」の立役者たちを、東京裁判の被告席に並んだ面々に見ることができるが(小林正樹監督「東京裁判」参照)、その中の重光、東郷、広田、松岡ら、外交部門を担った外務大臣と、それを取り巻く外務官僚がこの芝居の登場人物だ。かの戦犯法廷の開廷前夜、一つ所に集い、「破滅」への道のりを決定づけた幾つかの節目を振り返り、証言し、議論する。そこに流れているのは「外交官」というアイデンティティと誇りであり、それゆえに成り立つ真剣で熱い議論が、綴られている。
     実在した彼らが、主観的に「国を憂い」「最善を尽そうとした」かどうかはともかく、「外交官」の視点を一本貫く事で、15年戦争史が(一般的な記述と大きく異なる訳ではないが)独自の記述で構成され直す、ユニークさがあった。会合を行なっている「現在」のシーンと、話題になった過去の回想場面が交互にある。
     「外交官ならばどうあらねばならなかったか」という問いは、今の日本の「国を売る」(事によって米国の傘を得る)外交のあり方の異様さを浮き彫りにする要素を持つものだ。
     ただ、焦点の当てられる史実について、一通り知っておかないと、どの登場人物が、何に、どう関わったかを台詞を追って把握して行く作業が大変だ。人物を特徴づけて名前と顔を一致させる配慮は、戯曲を書く上で念頭にあるべき要素だと思うが、作者は上に挙げた人物くらいは皆知っている、という前提で書かれたかと思われる。私は後半で人物が判別できるようになったが、それで前半と繋がるかと言うとそうはならず、ぼやけたまま。それゆえか、どうしても70年前の歴史の「内部」に生起し終息した出来事に見えてしまい、「現在」に反射して来るようではなかったのが惜しいと思った。受け取る側の感性次第かも知れないが。。
     史実としては柳条湖事件(満州事変)〜リットン調査団、国連脱退、日独伊防共協定、日華事変、ハルノート〜日米開戦までが扱われ、最後に一人の重鎮に「国民への責任」を吐露させ、戦争終結を送らせた事による非戦闘員数十万の死(沖縄戦、空襲、新型爆弾)を仄めかした。
     中盤、鋭い対立のシーンがある。在外領事館で外務省生え抜きの官吏が辞令を受けた直後、新たに赴任する軍出身の官僚がやって来てかち合い、火花を散らせる場面だが、こういう判り易い場面がもっと序盤にあると良かったかも。
     国のリーダー的存在に見える風貌はさすがに青年座の人材という気がしたが、その功罪はネタバレにて。

    ネタバレBOX

    しゅっと背広が決まって、国家の命運を委ねられ、人を惹き付けるものを持つ人達が「形」としては見える。もっとも、「しゅっと」決まってる美的感覚は「現代」な気がする。まァそれは置くとしても、「決まってない」人達がぐずぐずと「流れ」に逆らえずに物事を決めた結果ゆえにやりきれなく憤懣の持って行きどころのないのがあの戦争だったりする。外交官の誇りも何もあったもんじゃなかった実態を露呈するのも、フィクションとして有り得た展開。だがこの戯曲は「誇り」を保とうと足掻く外交官を描く事を選択した。それも有りだ。
     ただ、「しゅっと」した元官僚たちの演技の半分が「しゅっと」した格好良さを維持する事に払われているのか、内面が見えない。もっとも、そこを描き出そうという戯曲ではない。しかし、慚愧、忸怩、悔い、空元気、楽観、悲観、などの感情は、感情としてだけ出ていて、食って寝る動物である人間の体臭は消えている。裁判前夜の彼らの頭が「その事」で占められていて、だからこそああいう議論があの一夜だけやれた、とも言えようか。ただ極限状態では人物の本質が出る、という意味ではあそこに表出されたものが果たして彼らの本質だったのかには疑問が残る。会合の目的は裁判に対して「理論武装」する事にあったのだろうから、本質が暴かれなくても良い訳であるが。 ただそれだと、物語として大きな動きは出ない。史実を一通り追った、という所で終わってしまう。「人物」から生じる意外性がドラマである。人物の描き分けは少しは為されていたが戯曲の中には(台詞としては)あまり書かれていない。そこに「人物」を立ち上がらせるのは、やはり俳優で、書かれていない人物像を造形する仕事となると、今回の条件では難作業であったかという後味が残る。
    (この題材をこれだけ書き込んだ作品なので惜しい)
  • 満足度★★★★★

    戦争の周辺を垣間見ることができました。
    大戦といえば、軍隊・天皇陛下となるわけですが、その周辺にいろいろな人間模様・力学があり、外交官が反戦を唱えつつも、戦争への力動を抑えることがかなわなくなる。結果として、じわじわと戦争へと進むのだということがリアルに感じられました。ひたすら、反戦・平和を願って信じ、しかしA級戦犯になってしまった人たちのことや彼らの深い苦悩に触れることができました。戦後70年にふさわしく、重厚な設定、野木脚本の世界を堪能できました。

  • 満足度★★★★★

    虚構を交えながらも、歴史を物語にすることは、過去を検証する糸口を示してくれる
    「A級戦犯に問われた外交官たちの証言から開戦の真実に迫る」とフライヤーにあった。
    ということは……、と思って観た。

    ネタバレBOX

    やはりパラドックス定数・野木萌葱戯曲は素晴らしい。
    戦争の始まりへの分岐点にかかわった(かかわってしまった)外交官たちから見た戦争を描く。

    舞台は、極東軍事裁判開廷の直前に5人の外交官たちが揃うところから始まる。
    そこが起点となることで、「どうして戦争になってしまったのか」「戦争を避けることはできなかったのか」という点が語られる。

    ミズーリ号艦上での調印式や満州事変勃発、満州国、国連脱退、ベルリン大使館、三国同盟締結など、大陸での戦闘行為が拡大し、さらに太平洋戦争への突き進む「分岐点」を、舞台の上で行き来する。

    外交官同士の反目や、軍部との関係、そして世論に揉まれながら、戦争へ突き進むという選択をしていく。
    それは、小さな選択であったのかもしれないが、戦いに敗れ、戦犯になってしまったということから、「分岐点」になっていたということに、理解が及ぶのだ。

    すなわち、自分たちの、小さな妥協や単眼的な視点が日本を悲惨な災いの中に放り込んでしまった。

    最初の一歩は何だったのだろうか。
    広田弘毅は、「軍部大臣現役武官制」の復活だったと悔やむ。

    この舞台の設定は、先に書いたとおり、東京裁判の開廷前にある。
    そこから始まって、そこへ向かってストーリーは進む。
    重光葵が声を掛け、「裁判対策」と称して元外交官たちを集め、帝国ホテルの一室で話し合いをする。

    なぜ、重光葵は「裁判対策」と称して会合を持ったのか。
    そこは疑問であったが、物語が進むにつれて明らかになってくる。

    つまり、日本国の、同じ外交官であったとしても、ライバルのひとりであったり、上司や部下の関係であったりすることで、互いの心のうちがわかっていたわけではなかったのだ。
    ある意味一匹狼のごとく、国内外と対峙していて、その都度、選択し決断しなくてはならなかったからだ。

    だからこそ、彼ら外交官には、この戦争の責任の一端があるのではないか、ということなのだ。
    そのときほかの外交官ちが「何をどう考え」「どう行動したのか」は、裁判において自分の事案とも密接に関係するからこそ、「裁判対策」が必要だったのだろう。

    彼ら外交官の小さな判断ミス、小さな譲歩が戦争に向かわせてしまった、と考えるのは無理がないのだ。

    戦前・戦中の威勢の良さとは異なって、悔やむわけであるし、責任を感じるわけなのだ。
    自分たちの戦争への責任とは、「あのときできなかったこと」「あのときに世界情勢が見切れていなかったこと」など、忸怩たる想いから生まれていった。

    そこは東京裁判の問題点などとは関係なく、純粋に自分ができなかったこと、判断したことで、災いを被った国民へのお詫びの気持ちから出たものであろう。

    彼らに付き従う若い次官たちとは、そのあたりに隔たりがあるのが、リアルだ。

    最初のシーンは、極東軍事裁判開廷直前であり、ラストのシーンも同じシーンとなる。
    しかし、少しだけ違うところがある。
    法廷に呼ばれて部屋を退出するときに、それはあった。

    広田弘毅が、出口で歩みを止めて、重光葵に何かを言おうとするが、言わずに終わり、重光葵がそれを察するのが最初のほうである。
    そして、ラストでは、同じように広田弘毅が歩みを止めて、重光葵に「この中から、誰かが犠牲にならなくてはならない」(正確な台詞ではないがそんな内容のこと)を告げる。

    多くの観客が知っているように、広田弘毅は唯一、文官でありながら、A級戦犯として死刑になった人だ。
    裁判では何も語らなかった。
    重光葵が開いた「裁判対策」で広田弘毅は自分の過ちを重く受け止めてしまったということだ。
    もちろん、このような「裁判対策」は、フィクションであろうが、広田弘毅の中では同様の振り返りが起こっていたのかもしれないのだ。

    「A級戦犯に問われた外交官たちの証言から開戦の真実に迫る」とフライヤーにあった。
    ということは、広田弘毅が何をどう考え、そしてどう行動したのか、という点が物語の中核をなすのではと思っていた。
    文官として唯一A級戦犯で死刑判決となった人だからだ。そこには物語がありそうだ。

    しかし、野木萌葱さんは、そこに直接的な焦点を当てなかった。
    彼の個人的な問題よりも、もっと大きくて根本的なところに焦点を当てた。すなわち、「なぜ戦争が起こって(を起こして)しまったのか」を、外交の分岐点に絞って見せたのだ。

    したがって、盛り上がりそうな、裁判の判決については何も語らないのだ。後日談的なものもない。つまり、広田弘毅を非劇のヒーローにしなかった。潔い。
    これは盛り上げたいという気持ちと、作品としての終わらせ方としてはこれでいいのだ、という相克があったのではないか、というのは素人考えだろうか。

    物語は、順を追えば、なんとなく昭和のピンポイントの歴史が見えてくるようにはなっている。
    しかし、満州事変から東京裁判ぐらいまでの歴史が、ざっくりとでも頭に入っているのといないのとでは見え方が異なってくる。
    とてもうまいつくりだと思う。

    虚構を交えながらも、歴史を物語にすることは、過去を検証する糸口を示してくれる。
    70年戦争をしていない国に生まれ育っているにもかかわらず、一番近い戦争の歴史を、学校でほとんど習ってこなかった、私たちへ、「戦争」を考えるきっかけのひとつになるだろう。

    この作品では、性急な結論を出しておらず、(自分の業績のことも考えつつも)誠実に仕事をしたことが戦争につながってしまうこともあるのだ、ということを知ることができるだろう。

    もちろん、作者の意図や気持ちは、フィクションの中の登場人物たちが語ってくれているので、それを汲み取る必要はあるのだが。

    ひとつだけ気になったのは、軍部や政府には、この戦争は「自存自衛」であるという考えが支配していたと思うのだが、その点について外交官たちはどのようにとらえていたのかを語ってほしかった、ということ。

    野木萌葱さんの劇団、パラドックス定数は非常に面白い。
    戯曲の面白さもあるが、役者さんたちの熱があるからだ。
    とても誠実で丁寧な演技だ。
    熱っぽい男祭りな舞台だ。

    しかし、若いということが唯一気に掛かるところでもあった。
    今回、青年座の舞台で、年齢にバラエティが出て(しかも高めで)、野木戯曲がさらに深みを増したようだ。
    演出の黒岩さんには申し訳ないが、野木さんの熱っぽい演出でも観たかったと思った。

    青年座の役者さんたちは、さすがにいい味を出している。
    重光葵を演じた横堀悦夫さんは、青年座で前回観た『鑪―たたら』で演じていた軽みとは打って変わって、気骨ある外交官を好演していた。
    松岡の右腕を演じていた山賀教弘さんは、独特の飄々とした感じと、一気にテンションを上げた演技が印象に残る。

    野木萌葱さん(パラドックス定数)は、『東京裁判』『昭和レストレイション(226事件)』そして『外交官』と、ピンポイントで、このあたりの昭和史を描いているので、次はどんな角度で、何を見せてくれるのか、非常に楽しみだ。
  • 満足度★★★★

    見ました。
    戦前官僚達の政の舵取り。長い年月をかけて積み重ねた平穏な日常も、ほんの一瞬で脆くも崩れる。現在進行形の時勢がどこか未来図のように透けて見える。その当時に実在してたような配役の役者さん達も渋い。
    英語劇じゃないのに、ヒアリングにも集中した史実とフィクションが巧みに混ぜ合った野木さんの重厚会話劇でした。
    簡単に面白かった、とは言いづらい題材だけど面白かったです。
    休憩込み約160分。

  • 満足度★★★★

    渋さに痺れて
    劇団青年座さんの熟した男優さんたちをこのように観ることができて大満足。物語の内容に関しては映画でもできるんじゃない~?的な。。。舞台装置がシンプルで、動きで時代・場所の違いの分かる演出は分かり易かったです。

  • 満足度★★★★★

    この「昭和史」はすごい!
    終戦直後、東京裁判の対策と称して、広田弘毅、松岡洋右ら名だたる外交官らがホテルに集まる。自分が下した政策決定を振り返り、国を導いた自分を反省する。日本が国際連盟を脱退したときの決議案を始め、劇中で使われる英語に通訳も翻訳もない。歴史的な背景や経緯の説明もなく、昭和史をある程度知っていないと、よく分からない舞台だ。だが、これぞ本物だ。客席に堂々とこれを提示した青年座には拍手を送りたい。実際に、観劇後の拍手の強さはかなりのものだった。
    もう一つ、これを書いた野木萌葱さんという若い劇作家はすごい。「パラドックス定数」を主宰し、既に人気だというが、実在した人物にこれだけの仮想現実を語らせるとは、ものすごい昭和史だ。

  • 満足度★★★★★

    時代の重み そして苦悩
    期せずしてタイムリーな公演を魅せていただきました。
    私たちの世代から観れば、いったん咀嚼したものを、今度は改めてその確認と、時代の舞台裏での人々の苦悩とを結びつける機会となりましたが、若い世代の人にとっては、かなり難解であったのかと思います。しかし、その難解さは、どうしても観劇後の学習で埋め合わせてほしいとも願います。
    日本が国際的に孤立し、さらに戦争に突き進んでいくことを、なぜ誰も止めることができなかったか。
    この命題は、現在にも通じるものです。今も「先の戦争は、やむを得なかったのだ」とする人の多さ。さらには「日本は列強にはめられたのだ」と、肯定する考えも市民権を得ているむきもあるほどです。
    優秀な外交官をもってしても、戦争への時代の流れは食い止められなかった。だからこそ、戦争につながる、どんな些細なことにも敏感になって、芽を摘んでいく努力を、国民の1人1人がしなくてはならないのだと思いました。

    青年座は、大学生時代に、労演を通じて知った劇団です。40年ぶりの観劇でしたが、その真摯な劇団の姿勢は、相変わらずで安心して終わりまで観ることができました。

    さて劇評です。
    まず脚本。骨太で、よく練られた構成です。時代を前後させ、記憶をだどりながらの展開は、無理なく私の頭に入ってきました。
    そして役者陣。それぞれ個性を持った外交官を、誰もが演じきっていて、これは役者さんの力量と、練習量、そして演出の優秀さに由来するものでしょう。

    二時間半。ちょっと腰が痛くなりましたが、また、後部座席は鉄骨の上に設けられたもので、1人が動いても「横揺れ」が大きくて「もしや崩壊してしまうのでは・・・」と心配してもいましたが、それ以外は、長い時間もあっという間の凝縮されたものとなりました。

    ありがとうございました。
    また、代々木八幡に来ます。

    戦争法案も、なんとか廃案にするための勇気ももらったものですし・・・

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