期待度♪♪♪♪♪
身の毛のよだつ瞬間を・・・
あの話が舞台になるなんて。赤異本に体験談を提供しました。自分の体験を出版物として手にした時はゾワゾワしていけない事をした気分になり、舞台になると聞いて目眩がしました。私の体験がたくさんの人の目に触れるなんて。しかも夜の寺という舞台で、どんな事が起こるだろう。。。まさに恐いもの見たさが私を舞台へ引きつけます。あの場面が再現されて身の毛のよだつ瞬間を味わいに公演へ出かけます。
怖い…観たい
外薗昌也先生の作品は読んでいると開けちゃいけない箱を開けながら読んでいる気にさせられます。でも開けずにはいられない…。それを劇場化してしまうなんて…!しかもお寺!
もう箱を開けるどころか、その中に入れられて閉じ込められてしまいそうです。これはどっぷり入り込んで行くしかないようですね!
期待度♪♪♪♪♪
あれらが舞台になっちゃうなんて…
赤異本の怪談体験提供者のひとりです。
今回の舞台で、私の体験も舞台の演目に入っているとのことですが、まるであれを再現してしまうようで、それもお寺で、…大丈夫なんでしょうか??と心配になりながらも、何かも呼んでしまうこと間違いないので、怖いながらも見て見たさでとても期待してしまいます。
あれらの話を追体験することなど、普通できることではないのですから。
ぜひ、東京だけでなく関西、九州でも上演お願いいたします。
自分の体験が演目に入っているという一報をいただいた翌日、身体に見に覚えの無い痣が出来ていました。 そういうことが普段全く無いわけではないですが、このタイミングでだと、何かの仕業なのかとつい考えてしまいます…
期待度♪♪♪♪♪
すでに怖い!!
今なお活躍を続ける奇才・外薗昌也先生原作の著書「赤異本」の舞台化。あのなんともいえない恐怖感をどう表現するのか楽しみです。しかもお寺でやるあたり演出にも本気度が伝わってきます。あぁ、ゾクゾクしてきた…
期待度♪♪♪♪
あなた自身が怪異かも。
実話だから、怪異の正体が分からない時もあるのです。
分からないまま終わるので、あれこれ想像してしまいます。
もっと怪異に近づきたい人は仙行寺へ。
期待度♪♪♪♪♪
すべて実話の恐怖が舞台化だって?
いいのだろうか?。
外薗昌也先生の描く『赤異本』の物語は、すべてが実話の恐怖体験だけに、まったく本当に、おぞましいのである。恐ろしいを超えた、おぞましさが文章にあふれている。
霊感のある人にとっては、危険でさえある。
それが、池袋の寺院を劇場にして、舞台化されるとは、何かが起こらなければ良いが。そう、何かが起こらなければ……。
期待度♪♪♪♪♪
こわたのしみ
あの外薗昌也さんのホラーを舞台化なんて、なんちゅうコトかと思いました。だって外薗さんのホラー、本気で怖いですから…。正直、漫画は怖すぎて、表紙を表にしておけないくらいです(笑)で、そんな作品がお寺で舞台化。漫画を読んだ時の「足の裏から頭のテッペンまでゾワゾワくる恐怖」舞台ではどんなふうに表現されるんでしょう。怖いけど行きたい。行きたいけど怖い。怖楽しみなわけです。
期待度♪♪♪♪♪
楽しみ
昨年、稲川淳二の怪談ナイトを舞台で見たのだが、生の声や、音響、照明などの効果によって、文字だけの情報よりも数段、恐怖感が増していた。怪談と舞台の相性のよさを感じた。
今回、外薗先生の小説が、どのような演出によって披露されるのか、そして、どのような役者が演じるのか、とても楽しみだ。お寺という怪談には打ってつけの会場も期待感が増す要因のひとつ。
観劇後の観客が取り憑かれて体調不良に陥ってしまうような、怪談の新たな境地を切り開くような舞台を期待したい。
期待度♪♪♪♪♪
なんと忌まわしい!
外薗さんの描く怪異譚の恐ろしさは、酷い夢を見た時の、ああ、もうなにをしたところで無駄なんだと感じる絶望に似た感触にある。その本質は穢れにあるだろうなとは思う。話そのものが穢れている。触れること読むこと見ることがおぞましい。読み終えた後手を洗いたくなる、触れてはいけなかったんだ、という感触に溢れている。
それを舞台化!
やめてぇ、と悲鳴を上げそうになった。それはやってはいけないことだと思う。この公演を「観たい!」と書いてある。それに賛同したことにはなる。確かに観たい。観たくて堪らない。この忌まわしい物語の群れがどんな姿で待ち構えているのかを考えただけでどきどきする。でも、しかし、そんなものを待ち望んでいるこの気持ち自体が、ある種の呪詛に触れてしまった結果なのかもしれない。ここは声を大にして「観るな!」と言うべきなのだろうか。
期待度♪♪♪♪♪
赤異色に魅せられる
赤異本の恐ろしさは読んだ人間なら口にするまでもない。それは『音』すら持たぬ、ただの薄い紙にインクで貼りつけられた『文字』ですらおぞましいものに変えた代物だった。自室に持ち込むことも躊躇われ、穢れを撒くようにして人の流れのある場所でしかしのめりこむように読んだ。赤異本とは、そういう本だ。魅力的で、香しく、禍々しい。それが舞台化という『形』を得るという。想像しただけで空気の重量が増す。これは個人的な意見だが、赤という色は一見我々に拒絶を示す色に思う。信号なら、「これ以上は進むな」、ブレーキランプなら「これ以上は近づくな」、血なら「これ以上は危険」。だが、その『これ以上は』という境界を越えたモノに対して赤色は実に寛容であり、不気味なほど優しく甘美な色気を醸す。まるで手招くように足の指からねっとりとからめ捕り、酩酊させる。しかしその先に人間が認識している『幸せ』はない。赤とはそういう色だ。魅力的で、香しく、禍々しい。そんな色をした作品を息づかいとともに味わえる機会が目の前にぶら下がっている。勿論、『これ以上は』という境界も伴なって。振り子のように揺れている。ぎい、ぎい、ぎい、ぎいと。見たい。怖い。見たい。怖いと。こうして踏み込む一歩をふらつかせている時点で、すでにその人間は赤色にからめ捕られている。赤異本の舞台はこの逡巡からすでに始まっているのだと気づき、振り返る。あかい視線がわたしをみているきがする。
期待度♪♪♪♪♪
日常と非日常のはざまが見えるか期待
パフォーマンスを見せることに特化した劇場以外の場所でのパフォーマンスはとかく、ハプニングが起こりやすい。「お寺」という日常なのか非日常なのかただでさえ曖昧な空間をどう演出してくれるか期待!
まぁ、とにかく「何か」が起こることだけは確かだと…。
期待度♪♪♪♪♪
恐怖胎動!怪異降臨?
外薗先生の『赤異本』は人間のプリミティブな恐怖を喚起する、と、以前から思っておりました。
ことに男性読者は女の経血とはらわたへの本能的な忌避感から怖さを感じるのではないでしょうか。
女である私は、一読、自らの肉体の裡に潜む業の深さに慄いた次第です。
そして、なにより恐ろしいのは、これが小説ならまだしも、実話奇譚集であるところ。
現代においても、人として生まれたからには、血と穢れの呪いからは逃れられないのでしょうか。
その舞台化――山に潜みし獣である人間の千年の業を背負った「をんな」の血を、舞台に召喚してしまわないとも限りません。
怪異降臨に震えながら期待しております。
期待度♪♪♪♪♪
初日予約しました。
外薗先生の赤異本と黒異本を読まさせて頂きました。まずは、寺で?に驚きです。読者の色々な障りを聞きますから、軽い怪異?に期待です。今から当日がとても楽しみです。
期待度♪♪♪♪
もしも四国で見れるなら。
赤異本、黒異本、今は白異本に向けて、怪異を収集されている
外薗先生作品の舞台化なので、あの皮膚で感じる怖さをどの様
に表現されているか観てみたい。
もしも、四国での公演が実現するならば、例えば怪談の名所で
ある、牛鬼でも有名な根来寺とかでされたりすると異常な迄の
相乗効果が期待出来ますが///
マジに当てられるのは必須の公演では?と想像しておりますが、
もしもの機会を覚悟しながら楽しみにしております。
期待度♪♪♪♪♪
お寺で怪談演劇とか本格的すぎ!
実話怪談という「ノンフィクション」を、演出された舞台という「フィクション」の場にどうように落とし込むのか楽しみです。
期待度♪♪♪♪
ホラーの舞台???
実話怪談本の赤異本が舞台になった!?
いや、映像化ならまだわかるが
実話ホラーの舞台って一体どんなんよ?
見たい・・・けど呪われそうで怖い・・・・
見た後お祓いに行かなきゃヤバそう。
期待度♪♪♪♪
どんな空気を作り出すのだろう
原作の文字と文体と間で構成された紙面。
芝居の役者と音と光とで構成された空間。
この差を良い意味で飛び越えてつないでくれる演出であることを期待したい。
期待度♪♪♪♪♪
興味津々
飛び切り怖いホラーを舞台化! 怖さは薄れるのか強まるのか(個人的には薄まって欲しいような…) しかもお寺舞台とかホラー好きとしてはこんなチャンスが他にあるでしょうかっ。逃したくないですっ。
期待度♪♪♪♪♪
観たくないくらい恐そう!
外薗先生の二冊の御本、電子書籍の「見上げる子」・・・どちらも超絶恐くて震え上がりながら、泣きそうになりながら読みました。それが実態を伴った舞台となると・・・もう観たくない!!でも観たい!!でも観たくない!!!でもきっと観る・・・観ちゃうんですよー(T-T)