地を渡る舟 -1945/アチック・ミューゼアムと記述者たち- 公演情報 地を渡る舟 -1945/アチック・ミューゼアムと記述者たち-」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
1-12件 / 12件中
  • 満足度★★★★

    長田イズム
    多分、義務教育の一部分として見せるべきレベルにあると思う。そのレベルにないのは安倍だ。

  • 満足度★★★

    初てがみ座
    てがみ座は、今回初めて観る。
    ハイリンドの多根さんが客演するというので観ることにしたのだが、それまで劇団の名前さえ聞いたことが無かった。
    評判が良さそうなので楽しみにしていたが、内容についての前情報はほぼゼロ。民俗学についての話らしいと小耳に挟んだくらいだ。

    客席を見回すと、割と年齢層が高そう。平均すると50代くらいだろうか。
    開演に遅れてくる人や、上演中にガタゴト大きな音を立てて身動きする人などが多かったのが少し気になったが、携帯などは鳴らなかったので本当に良かった。

    肝心のお話はといえば。
    戦中から戦後にかけての日本が舞台。
    宮本常一という実在の民俗学者が主人公。彼を含む研究者たちの集まり、“アチック・ミューゼアム”とそのパトロンである渋沢敬三の物語。
    民俗学に対する情熱を題材にしながら、それに絡めて戦争をも描いている。それと夫婦のあり方までも。

    ドキュメンタリーもののスペシャルドラマを観たような感じ。
    硬すぎず、ちょっとした軽みも交え、でもってしっかりと人間を描いていて見応えがあった。
    劇的に、わーっと面白い!という訳ではないが、じんわり素朴に「よかった」。
    役者さんがみなさん達者で、何の危なげもなくて素晴らしい。
    渋沢敬三氏の息子さんが観に来られたらしいが、「思い出を観ているようだ」とのこと。
    脚本家の方がツイッターで発信したのだが、それを読んで──私が話を書いたわけでもないし、演じたのでもないが──なんだか嬉しくなった。

    終演後のアフタートークも、いろいろと興味深いお話を聞けて面白かった。
    民俗学は何となく興味はあったのだが、この機会に宮本氏の著書『忘れられた日本人』を読んでみようとおもう。

  • 満足度★★★★★

    純日本製ストレート・プレイの至福
    井上ひさしさん亡き今、長田育恵さんがいてくれた。“あとにつづくもの”はここにいたのだと、喜びと感謝を噛みしめました。

  • 満足度★★★★★

    感動的な作品
    戦前戦中の混乱にもめげない主人公たちの泣けるほどの純粋さに心が洗われるような、そんな感動的な作品でした。舞台展開も良く、2時間半、飽きることなく楽しめました。

  • 満足度★★★★

    王道
    と言ったら過言かもしれないが見応え十分の芝居だった。最近同じ人を起用していることから多分安心して任せられるのだろうが、けれんみがない演出は脚本を大事にはすれど凡庸である。より脚本を引き立たせる演出もあるだろうし、折角外部の人を起用するのだから冒険してほしいものだ。あと完全なオリジナル(=フィクション)を書いたらどんなことを描くのか興味深いしそれを観てみたい。

  • 満足度★★★★★

    無題911(13-340)-2回目
    14:00の回(晴)。初日に続いて2回目です。単なる印象ですが、それぞれの役が持つ宿命、志の部分がより深くでていたのではないかと思います。開演までの「雑踏の音」、話し声、バイク、池袋のホーム...。13:55前説(アナウンス)、
    14:04開演~16:39終演。
    「春のおたよりに始まった今年の「てがみ座」公演、本日で終了、来年の公演を待ちましょう。
    茜色に染まった昭和初期の風景、土と共にあった生活、版図への野望、夜空に流れる焼夷弾、揺れる大地、一切を焼き尽くされてもなお再生する生命力、流れる文字はかな文字から現代語へ、行き交う人もいつしか携帯電話に。一時も止まることのない「時代」を感じるのでした。

  • 満足度★★★★★

    二時間半緩みなし
    完璧な構成でした。

    ネタバレBOX

    民俗学を実践した人、民俗学を実践したかった人、民俗学者の肩書がほしかった人を対比させながら、1935年から1945年頃までを二時間半緩むことなく生き生きと描き切っていました。

    宮本常一が農家のおじいさんとただ会話をするだけなのに、どうしてジーンときてしまうのでしょう。宮本の人柄が醸し出すその場のゆったりと和んだ場の雰囲気からくるのでしょうか。かつて私も見たことのある懐かしい日本の原風景が見えたからでしょうか。素晴らしかったです。

    東大出をひけらかし、調査員の集めた資料に基いて机の上だけで仕事をしようとした生田と、フィールドワークを中心に生の声を集めて編集した宮本を見るにつけ、学問のあり方を考えさせられました。バランスが大切なのだとは思いますが、方法論というよりも、そもそも二人は調査対象者に対する接し方、尊敬の念の持ち方が違っていました。

    渋沢も含め、家庭人としてはとんでもない人、変人でした。
  • 満足度★★★★★

    長田さんは、井上さんの再来かも
    旗揚げから何作か拝見したてがみ座ですが、このところ、諸事情でしばらくご無沙汰していました。

    久しぶりに観ようかなと思ったのは、古川さんがご出演になるのと、渋沢栄一の息子さん、渋沢秀雄さんと亡父が昔テレビ番組でレギュラー共演者だったので、私も何度か秀雄さんとは面識があったからです。

    子供のころでしたから、渋沢家の事情には全く無頓着で、秀雄さんとこの芝居に登場する敬三さんの関係もよく存じあげませんでしたが…。

    ですから、この芝居で描かれた物語は、私にとっては実に新鮮でした。

    どこまでが虚構で、どこからが真実か、私には、わからないながら、このストーリーは、民俗学を通して、日本の戦争時代を投影する趣で、構成や演出がとても時機を得て巧みな舞台だったと感嘆しました。

    大まかに分類すれば、歴史劇的な作りでもあるのに、しっかりと各登場人物に、血が通っている脚本に、敬意を表したくなります。

    相変わらず、扇田さんの演出も、細やかで、技法が卓越していて、感心しました。

    丁寧な長田、扇田ご両人の巧みの技に、華のある役者さんを得て、全てにおいて、申し分のない演劇だったと思います。

    ネタバレBOX

    渋沢敬三の奥様が、岩崎弥太郎のお孫さんだったこともこの芝居を観るまで、知りませんでした。

    民俗学は、柳田國夫を知る程度の知識しかありませんでしたが、人間の記憶の保全のための大切な学問かもしれないと、この芝居を観て強く感じました。

    後の世で、先人の生き方を学ぶことはとても大事なことなのに、これから、この国の人は、それすら知らない国民になりそうで、非常に恐ろしくなります。

    いろいろと、人間の生き方を反芻するきっかけを与えてくれる秀作舞台でした。
  • 満足度★★★★

    チームワークのよさと鮮明なイメージを呼びおこす舞台演出が際立つ作品
     ドラマという性格上、民俗学に精通している方々からみれば専門的に物足りないところがあるかもしれませんが、あの時代の民俗学のありようの一端をそのドラマを通して垣間見せてくれたことと役者の方々が生き生きとその個性的な役を演じられていたことからすると、とてもよくできた人間ドラマの作品であったように思います。
     また、限られた舞台装置を活用した、例えば長机とイスをうまく組み合わせて山道をつくりそこを宮本常一が歩いてゆくといった、イメージが鮮明に浮かんでくる舞台演出の冴えや暗転時で皆がてきぱきと動いて次の舞台設定を行うまさにチームワークのよさといったものがこの舞台を支えていたようにも感じました。

    ネタバレBOX

     今回の作品は、強いて言えば、井上さんやマキノさんの描く評伝劇のスタイルに近いものの、、長田さんの場合、つかみどころの場面と喜劇性を帯びた息の抜きどころの場面の調子の落差といったものが比較的小さいため(長田さんの生真面目さとも関わっているようにも思えるのですが)つかみどころがあまり間隔を置かずに目の前に現れる戯曲スタイルになっているような印象を受けました。

  • 満足度★★★★★

    無題907(13-336)
    19:00の回(曇)。18:35会場着、受付(受付は18:15から、指定席、座席は「Aパターン」)。舞台は古い木造の大きな部屋、横長の机(作業台らしい)、椅子、上手に棚、下手は2階への階段。奥は廊下、ガラス戸、雨戸が閉まっている。18:56前説(150分)、開場時から聞こえているざわめきが止まり列車の音(?)、くぐもった話声、時間通りに開演~21:29終演。正面に「1935年」「1943年」「1945年」と表示され、徐々に戦争の影が拡がってきます。
    てがみ座は8作目(本年は3作、「おたより」を含み、スタンプラリー完結)、ここ数作は対面式でしたが、本作は通常の配置。七味さんがでるというのでどのような役なんだろうと思いながら開演を待ちました。遥かな昔ではなく振り向けばすぐ見え、手を伸ばせば触れることができるはずの「時代」、戦いが終わるその前までをひとつの部屋から描いた作品。ランプにかけられた黒い布は「灯火管制」でしょうか、戦争の影が徐々に沁み出してきます。大東亜共栄圏、空を覆う「B(BOMBER)」、敗戦の予感、そして舞台は一足飛びに現代へ。

  • 満足度★★★★

    フィクションとしては
    脚本・演出・演技、すべて芝居らしい芝居。
    そういうものとしては、強度を持った作品だと思った。
    フィクションとしては、とても良くできている。

    ただ、戦争という歴史を扱っている、しかも民俗学(宮本常一)を扱っていることを考慮すると、どうしてもひっかかる点も多かった。

    歴史とはそもそもフィクションであり、過去を振り返る際に都合のよいように再生産される物語のことである。そして、民俗学はその歴史記述に抗うために、その物語に回収されないものを記録し、考察するものである。

    だが、この芝居では、物語を強くするために脚本ができている、ご都合主義なのではないかという部分が散見された。(時代考証が正しくないのではないかという部分もあったが、私は歴史に詳しい訳ではないので、その点は私の勘違いかもしれない。)物語内容は、当時の国家権力が学問に対して、そして庶民に対して行使した暴力に、どう対抗するか、できるのか、ということがテーマになっている。「秘密保護法案」が可決しそうな現在の日本の社会状況で、この作品を発表する批評精神には賛辞を送りたい気持ちもあるが、私には戦中の国家権力が作り出した大東亜共栄圏などの物語と、戦後に一般化した「戦争は為政者によってのみ引き起こされ、国民は弾圧された、または騙されていた」という物語は、共にコインの表裏として、フィクションとしか思えない。
    権力と庶民が両輪となって、戦争への道は開かれていった。勿論、その道筋を付けたのは権力の側だったとしても。そして、その両輪によって戦争が起きたとする認識もまた別の物語であることも自明なことだが。いずれにせよ、この作品は、歴史という物語に基づいて、その物語を補填する形で創られているよに思えた。多少の複雑な設定は描き込まれてはいたものの、その主軸は、作者が言いたい、描きたいことにのみ向かっていたように思う。
    問題は、歴史という物語を単純に信じないということであり、それが民俗学の基本でもあるはずだ。批評性とは、やみくもに権力を批判するということにあるのではなく、それらの構造の中に潜む力学を見据え、相対化することにあるのだと思う。

    そういう意味では、残念だったが、上で書いたことを不問に付せば、素晴らしい舞台だったと思う。

    宮本常一役:古河耕史さんがよかった。

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