ああもう
面白かったです。面白かったです。今回も立ち見で見ました。
この時期に●●の話が出てくるところがたまらない。そうだよね、人は忘れてしまうんだよね。
私が見た回は銀粉蝶さんの代役の回で、たぶんその初日だったと思いますが、大活躍で、彼女にも惜しみない拍手を送りたいです。
今回もまた
席が前方で、かえって見づらく、特に始まってしばらくは芝居に集中できませんでした。しかし、物語はかなり分かりやすく、もしかしてあの集団?というのはある程度予測して見ることができました。
ことば遊びというより文字遊びが多く、耳で聞くだけではちょっと理解しづらいところもいくつかありました。
Character
これは前知識不要かと思います。なんともぞくっとします。
宮沢りえさんが「透明人間の蒸気」のときとはまったく別の声で驚きました。
あんな声も出すんですねぇ~若干かすれているようにも思えましたが。相変わらずキレイでした。。
銀粉蝶さん観られてよかった!
チュウソンハさんが舞台を駆け回っておりました。
なんか観たことある人が…と思ったら、冨士山アネットの長谷川さん出演されてたんですね~
みた
もろもろ、野田秀樹だから評価されてのであって、無名の作家が同じことやっても屁理屈とかこじつけ、あるいはオヤジギャグとか言われるだけで、「言葉遊び」などと好意的に解釈されるとは思えなかった。
過去の戯曲をいくつか読んでみたけれど、今回はあまりキレが良くなかった気もするし。
また、扱った事件も、そこらの小劇団ならば「いまさらこれ?」と切り捨てられて終わる気がする。
野田秀樹だから、様々なメディアが創作理由を問う。
野田秀樹も答える。
ただ本来は、作品中ですべてを語るべきで、解説をそれも公演中にするのは野暮に思う。
出演者はみなほとんど有名。
だけど、彼ら彼女らでやる必然性を見いだせなかった。
芸術監督就任後の第1作だから、ある程度の華やかさも必要だったかも知れない。
ほかの理由だろうか。
でも、年明けの新作告知のチラシにはやっぱり有名人の名が書いてある。
必然的にチケット代はあがるだろう。
地方での公演は難しくなり、ファンは東京まで来なくてはならず、演劇の良さに触れる機会の乏しい人々には、それを知る機会がまた遠のくだろう。
豊かになるのは演劇界でなく、転売屋のふところの気がする。
たとえば今回のような有名人で構成されるチームと、舞台中心で活躍する人々で構成されるチームとに分け、チケット代も変え、競作させるとかは無理なのだろうか。
一方を見たらもう一方はその半券で割引にするとか。
できるだけ客を呼びたいと願うあちこちの小劇団で、そうした知恵は振り絞られているのに。
野田演劇そのものに力が宿っているなら、無名であるから成立しないということにはならないはず。
有名人にこだわる観劇者は、舞台演劇でなく、舞台挨拶に詰めかける人々と変わらない気がする。
蜷川さんは老人たちを率い、鴻上さんは若者たちを率いて現役なのだから、野田さんにもそこら辺なんかやってもらいたい。
国際交流より前に、あるいは同時に、国内の演劇をもっともっと広めて、豊かにしてもらいたい。
内容云々より、そうしたことを強く感じた。
野田というブランド
訳あって2回観劇。別に感激してとかじゃない。
むしろこの作品はいろいろと不完成であったように思う。芝居に完成形があるわけではないが、あまりに不出来が多すぎた印象。脚本の弱さ(史実に縛られ自由が無く、奔放さが無いため辛い。ギリシャ悲劇の必要性や題材との関係性に驚きを見出せない)、豪華な役者活かしきれず(比べるのは野暮だが、それにしても野田の他の作品に出ていた時の方が圧倒的に映えていた役者が多い)、意味のない言葉遊びが冗長(「何の空、上の空、秋の空」とか言葉遊びにもなっていない気が。いい長台詞だからこそ余計)など。
こういう批評する奴はこぞって無責任だとは知っている。ただ野田さんはテレビでも随分偉そうなこと言ってるから、観たままの感想を持って対抗したい。こんな場所見ないだろうが、発信に意味がある。日本人はブランドに盲目過ぎる。観客がもっと正当な審美眼を持って評価しないと、退廃演劇が蔓延る。野田だからいい。蜷川だから凄い。そういう評価は才能を潰すことになるのではないか。
どうぞまだ青い青い浅学非才な若者の戯れ言と思って下さい。
以下は観劇直後にtwitterで呟いた文章の転載。
1回目:6月25日S
流れ流れる情報の中で社会が忘れ始めた過去、同じことが繰り返され得る現代への警鐘。何度でも洗い直す必要のある事件だが、テーマ性ばかりが浮き彫りで史実に縛られ奔放な自由さがない。ギリシャ神話は有効だったのかも疑問。そこに落ち着くのか、と。
アンサンブルは圧倒的だが、そちらに気をとられ過ぎてか役者活かしきれず残念である。これはパイパーでも思った。黒田育世振付の呻きにも似た身体表現と、その動きが物語に繋がってくる終盤は見事。野田の作品には胸にグサッと突き刺さる何かを期待したいのだけれども。勿論この作品にも意義はあった。
2回目:7月11日M
2階サイドシート3000円。初回よりも楽しめたのは、単に体調が良かったのと、演出家としての目線で観たから。「声」が響き突き刺さってくる。宮沢りえの声は本当に貴重な存在。魂から絞り出したような「悔しいよ」の声。震える。
「パイパー」といい「ザ・キャラクター」といい、終盤の超長台詞にどうしても冷めてしまう。なんでだろう、俺の集中力の問題なのか。すべてを一人の独白で片付けてしまうのが気になる。蜷川も似たようなことを言っていたが、その独白だけが、詩のように独立して存在してしまっているように感じる。