溺れる家族 公演情報 溺れる家族」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
21-26件 / 26件中
  • 満足度★★★★

    「痛い」お話でした
    まず、どうしても書いておきたいこととして、冷房の音がうるさくて
    セリフが聞き取りづらいです。まぁなんだ。劇場が静音の冷房機を
    導入するのが一番ですね。
    去年位もこの劇場で同じ感想を持った記憶があります。
    ---

    面白くなかったらけちょんけちょんに書いてやろうと勇み挑んで観た
    本作品でしたが、よく出来ていると思いました。ある意味残念。
    高めの料金ですが、観る価値があると思います。
    どの席でも一長一短だと思いますが、私は入って右奥を押します。

    ネタバレBOX

    いくつかの話が同時並行していきますが、
    それぞれが別の話の主要人物が脇役のような感じで登場するような構成になっています。
    それぞれの話の中で、別の話の動機や隠された感情を説明、補足していくことで、
    同じシーンでも段々と「痛い」内容になっていきます。

    暴力は暴力でも、殴る方の痛みがより鮮明に感じる。
    嘘をついていても、ついている側の痛みをより鮮明に感じる。
    このような演出はとても斬新で効果的でした。私にとっては。

    自分、結構ごつい男なんですが、最後は涙がとまりませんでした。
    尻が痛いのと、冷房音がなかったら、久々に★5つけたかもなぁ。
  • 満足度

    今まで観てきたすべての芝居の中で、一番・・・
    私が今まで観てきたすべての芝居の中で、一番酷い芝居でした。

    高校演劇だって、これよりいいモノをやってるところはいっぱいある。
    タイニィアリスで久々に芝居を観たい、と思い赴いたのですが、ああ、本当に失敗だった。
    あらかじめどういう劇団か、どのような芝居をしてきたのかを調べなかった自分も悪いのですが。はじまって5分で帰ろうかと思いましたが、お金がもったいないのでなんとか2時間以上耐えました。

    舞台美術、は良かったと思います。役者たちの服に白いペンキを塗りたくっていたのはとても綺麗でした。暗転で床に張りめぐらされた蓄光シールが輝くのも素敵でした。でも、本当に役者たちがひどかった。演出がひどかった。
    私は平日割で2500円でしたが、よくあれで2500円取ろうと思えたなー。今回この芝居に携わった人たち、すごい無駄な時間を過ごしたのではないですか。

    芝居のテーマは普遍的ですが
    ありがちなものだけで構成されていた。
    語られつくされている話を、今更、なんのひねりもなくやられても。
    この芝居でやってたことは、世に五万とあるわけで。
    似たような芝居、あふれるほど他にあります。

    普遍の中に、人の心を打つようなものがないと金とれる芝居にはならないでしょう。

    この劇団、12回も公演やってこの程度なのか。もう二度と観ませんね。

    ネタバレBOX

    唯一、うつでニートの男と面倒見てる女(永池南津子さん)のやりとりは、よかった。あそこだけ観れるものだった。

    他は・・・ギャグで失笑買ってたし。よく客席から物が飛んでこなかったなあ。
  • 満足度

    この値段は・・・
    正直出せないという感想です。

    少し前に観た舞台で太田守信さんが気になり、ご出演なさるというので観劇をした次第でした。



    なにもかもが、浅いんです。

    脚本・演出・俳優。そのすべてがこの値段設定に達していない。


    何か内輪だけで盛り上がっているような、そんな感じでした。残念。

    ネタバレBOX

    家族の闇を描きたいのはわかったのですが。
    ミーハー感覚でそれを取りこんでしまったのではないでしょうか?

    現実問題にその問題に悩んでいる人間にとって。
    救われるのか?それとも怒りを覚えるのか?

    中途半端な感じがしてしまいました。


    脚本には、なにか、こうしたいという信念は感じられたのですが。
  • 満足度★★★★

    もうひとつの家族


    波島家、望月家、菊見家、長澤家、田所家、村山家、霧島家の7家族が少しずつ関係性を持ちながらも家族とは何か?を描いた作品。
    要するにどこの家庭にも人には言えない問題の一つや二つは抱えてるということ。

    以下はネタばれBOXにて。。



    ネタバレBOX


    波島家の主人・和郎(テレビコメンティーター)には昔付き合っていた望月美緒がいた。彼らは愛し合っていたが和郎の勤め先の上司から家沼衆議院の娘・早苗との縁談を持ち込まれる。早苗は同僚の和郎に以前から好意を抱いていて、父親に相談したのだった。和郎はこの縁談を美緒に話してしまい、美緒は和郎の将来を考え身を引くことを決めて、失踪してしまう。
    月日は経って和郎は早苗と結婚し長男・和則、長女・和美が生まれる。

    一方で失踪した美緒には和郎との子供・美和が生まれるが、美和は父親は自分たちを捨てたと思い込み母親の死後、父親への復讐を誓い、霧島がそれを手伝う。

    この二つの家族が軸になって舞台は動くが、一つの疑問が生じる。それは美緒はなぜ、娘の美和に真実を伝えなかったのか?という疑問だ。この真実を美和に教えていたなら美和は自分の人生を復讐に時間を削る必要はなかったはずなのだが・・。

    波島家の長男・和則はエリートの家に生まれて何不自由なく暮らしてきた結果、我侭で幼児性が強い性格になってしまっていた。彼の職場(銀行)の上司はかつての和郎の部下だった菊見裕一。そして菊見の恋人が和則と同じフロアの田所利香と知るや、和則は人のおもちゃを欲しがる子供のように利香にちょっかいを出す。
    女って強引な男に弱いよね~、なんだかんだいって好き好き光線を持続して浴びせられると大抵の女は落ちる。だから諸君!宝引きは、そうあっさりと手を離してしまわない方が宜しいようです。じっくり粘ったらハズレからアタリに変わることも御座います!(^0^)

    して、利香は菊見とも和則のフタマタをかけることに・・。(失笑!)
    しかし、その棚から牡丹餅状態は長く続かず和則との関係は菊見の知るところとなる。菊見と利香の結婚で逆切れした和則は利香にカッターをつき付けて菊見を脅すが菊見は和則を説得し、利香の不貞を知っても結婚する、という大人な判断をする。

    長澤了祐は鬱で作家希望の引きこもりで妹・志保から暴力を受けていた。了祐の鬱をサポートするのが大学のうつ病患者を支援するサークルの同志・波島和美と村山沙織。しかし、彼女らのサポートの甲斐なく了祐は志保の罵倒に耐えかねて志保を殺してしまう。

    ここでの登場人物は心に何らかの闇を持っていて、それはエリートの父親を持ったが上の重いプレッシャーだったり、思い込みによる被害者意識だったり、過剰な自尊心だったり、現状に不満しか見出せない感情だったり、不条理な思いだったり・・。
    それらが少しずつ繋がって大きな渦となり、闇はどんどん広がって大きくなってやがて漆黒の夜に飲み込まれる。闇が悪魔だとしたら、悪魔は決して目立たない。悪魔でございという顔もしていない。いつの間にか百年の知己のような顔をして静かに隣を歩いているのだ。
    そうして彼らが気が付いた時には悪魔に半分の魂を取られてるかもしれない。残りの半分の魂が健全ならば、美和のように真実を知った後、復讐という呪縛から解き放たれて、自分に戻ることができる。
    家族とは良い事も悪い事も含めて共感して生きていくものだ。そうやって、偽りの家族から本当の家族になれるのだから・・。

    和則(太田)と利香(青木)の絡みは面白かった!
    松枝の本は比喩のセンスが絶妙で好きだ。

    しかし・・アフタートーク(斉藤先生)では政治がらみの話が多く、いつもの精神論は聞けなかったのが難点。
    ナカヤマミチコが頑張ってました。客入りから終演後の「すなっくミチコ」でも。彼女の手作りの肉じゃが・パスタなどが有料で販売されます。価格表が欲しかったかも。トークと同時に作り出すので、トークに集中できない。どちらか一つで良かったような気がする。

  • 満足度★★★★

    松枝氏のセンスの良さが光っていた!
    舞台を挟むようにして、入って左右に客席がある。私は前の会社の社長が左側にいたから左側に行った。多分どちらから観ても楽しめるように演出されているけれど、クライマックスだけは、主人公の役者の表情が右側の人にしか見えない様だったから、右側に座った方がいいかも?!


    お芝居自体は、結構満足した。脚本の”巻き戻し”的部分とか演出とか、作・演出の松枝さんのセンスの良さが今までで一番表現されている公演ではないかと思うので、お時間がある方はぜひ!!

    ネタバレBOX

    母子家庭で育ち、自分たちを捨てたとされる父親を見つけた望月美和を中心に、波島家(夫婦+兄妹)、長澤兄妹、田所姉弟など合計13人がいくつかのプロットでつながっているけれど、衣装の色などが工夫されていることでわかりやすかった。

    各プロットが同時進行ではないし、間に他のプロットが入ってから一度終わったシーンの続きが始まったりするんだけれど、全然こんがらがらなかったし、すぐ続きからやるのではなく、ちょっと巻き戻って一度聞いたやりとりから始まるという構成がかっこよかった。

    特に波島家の妻・早苗と、長男・和則の心情がリアルだと思った。
    演技の迫力を一番感じたのは長澤志保役の井川千尋さん。
    霧島役のイケメンの和知龍範さんは、アイドル系かと思って調べたら、劇団を主宰されている方なんだね!彼が演じた霧島の後半の心情がよくわからなかったな。。。

    衣装は、それぞれの関係性がわかりやすいような色分けがされているのに、トーンが合わせてあるからか統一感があった。全部、舞台上の机同様白いペンキがかけてあってかっこよかった。照明も長澤家に和美と村山佐織がやってくるシーンとかすごく好きだった。

    演出は、今まで観たアロッタの公演の中で一番好きだった!!
    前半はどんどんシーンが変わるから気にせずぐいぐい引っ張られたけれど、観終わると、美和のメインプロットが少々弱かったかなと思った。起承転結が時系列できちんと描かれていて、プロットの主人公のゴールや動機がきちんと描かれているのは美和のメインプロットだけだったから、もう少し他のプロットより目立ってもよかったかも。
    長澤兄妹+波島家の長女・和美+その先輩・村山のプロットだとかは、メインプロットには直接影響しないから、設定はおもしろかったけれど、ちょっと尻切れトンボ感があったかも。波島家の長男・和則+田所利香+菊見のプロットも、前述のサブプロットよりはメインプロットに関係があるけれど、結末がメインプロットに何らかの影響を及ぼしてほしかったなと思う。

    と、ストーリーは改善点があるように思うけど、”巻き戻し”的部分とか演出とか、作・演出の松枝さんのセンスの良さが今までで一番表現されている公演ではないかと思うので、お時間がある方はぜひ!!
  • 満足度

    もがく姿が輝かしいのではないでしょうか
    初めて見にいきました、アロッタファジャイナ。
    以前からよく名前を耳にしていたので楽しみに劇場に足を運びました。

    僕の、この劇団との出会いは、はっきり言って最悪でした。
    観劇の感想書くときってたいてい僕は良いと思ったことを書くようにしてますが、今回は無理です。相当口が悪くなっているので、この先読みたくない方はここまでで止めてください。
    僕はアロッタファジャイナの芝居を見るのは初めてです。
    たまたま今回、作風が肌に合わなかっただけかもしれません。
    あくまで、今回の『溺れる家族』に対する感想です。

    ネタバレBOX

    開演ぎりぎりの到着になってしまいそうだったので1分でも早く着こうとタクシーに乗り込み、なんとか劇場に着いたのが開演3分前。
    本当に迷惑な客で申し訳ないとは思いつつも、遅れ客は僕のほかにもいたようで、数分押して始まる芝居。
    ギリギリに到着してしまって、本当に申し訳ない。
    しかし、席に着くまでの間に、制作の客への対応でいささか不満な点があり(詳しく書くのは無粋なのでやめますが、簡単に言うと、3500円払ってるのに客として扱われなかったって事です。)若干不機嫌な状態で溶暗する舞台。

    いくら芝居前に不機嫌な状態でも、いい芝居が観られればそんな事は終演時には忘れちまいますからね。

    ところが、そうはいかなかった。

    芝居が進むごとに、僕の心の中の不機嫌は嫌悪感へと、苦痛へと、そして怒りを通り越した諦めへと変わりました。

    『溺れる家族』とあるように、この芝居にはいくつかの家族の像が登場します。

    家族の崩壊
    うつ
    DV
    セックス
    所得格差
    エリート
    家柄
    近親相姦
    略奪愛
    殺人

    そして、家族の再生

    そんな、現代社会の闇にするどく切り込み、人間そのものを描き出した作品





    とでもいえば耳障りがいいですね。

    僕は感じました。
    「現代社会の闇をニュースで見たんだけど、それを盛り込んだら面白いんじゃない?」

    ぐらいの感覚の、問題に対して踏み込んで考える真摯さが全くない作品だと。
    闇をあつかうなら闇に対して本気で向き合わないと何もならないと思うんです。
    人の痛みなんて、どんなに「分かるよ」って言ったって結局わかんないですよ、自分で経験したことじゃないと。
    そういう、人の痛みを単なる好奇心と知識だけで踏みにじっているように思えてならず、見ていて激しい嫌悪感を覚えました。

    社会の問題に、闇に面している登場人物たちの、
    台詞がまず浅い。
    ニュースや雑誌などでよく耳にするような台詞を吐く人物たちの言葉には、
    一切、その闇と苦闘し悶絶し、悩みぬく様子が見受けられない。
    「分かるよ」って簡単に人に言える人間の台詞にしか聞こえませんでした。

    そして、この脚本上の台詞の浅さを、役者陣がさらに浅く
    「分かるよ」と表現していることに絶望を感じました。
    人の心に届く台詞を話せていたのはほんのわずかの役者だけ。

    闇を扱う台詞って、それを発する時に「覚悟」するもんじゃないんですか、役者って。真摯に闇と向き合って、悩みぬくから役者なんじゃないんですか。
    人の痛みは本当の意味ではわからないもの。
    でも、そういったものを扱う時に、少しでも、少しでもその本質に近づこうと闘うからこそ、人は芝居を観て感動するんじゃないですか。

    ほとんどの役者が「分かるよ」って平気で言っているように思えてなりませんでした。人の痛みの千分の一もわからないかもしれない、けど、それを千分の二にでも、千分の三にでも出来るようにもがくからこそ役者は輝くのではないでしょうか。

    「あぁ、この闇ね、わかるよ」

    自分の想像のつく範囲の、千分の一の痛みを、実際の闇と同じ重さと思えちゃう役者の芝居なんてどれだけ薄っぺらいのでしょう。
    脚本上浅い台詞だったとしても、
    せめて、それを言葉に出す役者はもがいてくださいよ。
    「あなた、少しでももがきましたか?」って思ってしまう役者が大半でした。
    千分の一で止まらないでくださいよ。
    自分が闇を表現できてると思うなんてとんでもなくおこがましい行為ですよ。
    あなたは役者で、役じゃないんです、どんなにがんばっても。
    なら、最後までもがきましょうよ。
    簡単に「分かった」なんて言わないでくださいよ、せめて舞台上だけでも。
    自分の芝居が「かっこいい」とか「上手い」とか思って
    自分の芝居に自分で酔ったらそこでおしまいですよ。
    相手に影響与えるのが台詞でしょう。
    その場の空気を変え得るのが台詞でしょう。
    人の心を震わせるのが台詞でしょう。
    相手役を意識の片隅にも置かずに、
    自分の発する台詞に酔ってるだけじゃ
    客の心をゆさぶる事なんて夢のまた夢ですよ。

    本当に、台詞が心に届く場面が、片手で足りるほどしか無かったように思えます。
    残念でした。芝居を観てこんなに嫌な思いで帰ったのは久しぶりです。

    加えて言えば、前半の場面転換の多さには疑問を感じました。
    各エピソードのさわりをやって、その後深く切り込む、
    みたいな手法だったのですが、その度に場面転換があり、正直舞台でこれはないなと思いました。
    シーンがすぐに切り替えられる映像媒体ならば効果的でしょうけど、こんなに序盤で場面転換ばかり見せられてはまったく入り込めなかったです。
    映画でやればいいのに、なぜ舞台で、と思ってしまいます。

    ラストシーンの照明が、とてもキレイでした。普段照明とか全然気にしない方ですが、あれはキレイだったな。

    こんなに色々と書いてしまうのは久しぶりですが、どうしても譲りたくないことなんです、僕にとって。

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