へたくそな字たち 【神奈川公演】 公演情報 TOKYOハンバーグ「へたくそな字たち 【神奈川公演】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    追記をしようと思ったら、未投稿だった。何度か推敲して送らず下書きが残っていた。
    ・・以前この作品を観た印象から随分変わったのが、(戯曲の若干の改変も恐らくあったのだろうが)芝居の質感と言おうか、演劇的作為にも関わらず生々しさが微妙に勝っている肌触りである。劇場も異なり、今回は俳優を間近で凝視した。勿論俳優の布陣も異なり、良い座組であった。

    同じ作演出で今春、一人芝居を打った松熊つる松を、間近で見ていたにも関わらず気づかず(この人いい感じで演じてるな~、と)、観劇後にパンフを見てあっと気づいた。役を見せる優れた器であり、この人の風貌は中々視覚的に覚えられない(普通は顔より名前が覚えられないのだが逆に名前は十年以上前の初見から覚えている。まあ特徴的な名前であるからして)。
    ベテラン女性教員に槌屋絵図芽。毅然とした姿が感情豊かなキャラ、これがさほど多くない台詞の合間の風情から立ち上っている。これ以上ないキャスティングだ。この役については後述。
    新任教員の片平喜録との対象も、おいしい。
    廃品回収のトラックを転がす兄貴(つうかオヤジ=甲津拓平)、そこに上から声が掛かるので見るとノッポの孤児出身の青年(山本啓介)が建築現場で鳶をやってる。脇からもう一人中国訛りのシュッとしたの(脇田康弘)が覗く。内装業者として入ってるのだという。学校以外のプライベート(というか仕事)の時間に、三人が揃う絵に描いたよなシーンが、演劇表現の「省略」とも、偶然の出来事のようにも見える両義性が、何気に高度である。
    今時の若者(と言っても舞台は1980年代だが)を吉本穗果が演じ、ヤンキーが入ったキャラが周囲に存在を許されてるのが救いにも見える生硬さが、あるとき、動物園に親戚が居るという新任教師の手引きで彼らだけに「それ」の見学を許された日に、忘れ難い変化を刻む。吸い込まれるように「それ」を凝視する彼女は、犀(だったかな)の出産に説明不能な感覚を覚える。人ではないその存在が、嘘で覆いようのない実在を、自分もそのように生まれたという否定しがたい事実と重ね合わさるようにして、だろうか、彼女を打った事が伝わってくる。
    授業中にお喋りな中国人男性が歴史についての自説を語り、韓国からのニューカマー(橘麦)もまじえて論争になるのもいい。言い合う事の醜さ、ではなく清々しさがある。
    現役を引退して中学に入学した天ぷら職人のおじいさん(山本亘)が、ある意味で中心的な役柄となる。小さな工務店社長である彼の息子(飯田浩志)に連れられ学校を訪れるのが冒頭のシーン。応対する副校長(藤原啓児)の真面目でお間抜けなキャラで冒頭の笑いを掴み、彼がハケた後で現われるおじさん(宇鉄菊三)が先生に間違えられ、気を良くして暫くそこに居続けるという古典的な笑いも。中盤その背景となる回想場面では、夜間中学の先輩である鳶の兄貴の嫁さん(これも孤児出身の肝の据わった姉貴=橋本樹里)との二人の部屋を訪ねて来たのがその息子。兄貴の建築現場の現場監督で、夜間中学の相談を切り出すまでにその兄貴が字が読めなかった経緯を蒸し返して語り出すので、聞いてる内に戦闘モードに入った姉貴が彼に詰め寄るというエピソード紹介である。(これで全員出たかな?)もう一人。町屋圭祐氏演じるのが軽度の障害を持つ青年。片足が不自由で引きずって歩き、顔をゆがませて喋るが自分でやれる事を淡々とやり意思が明確で自分の意見を持つ、集団の成立が実はこういう存在に助けられている事が多い、ムードメーカー。

    最も紹介したかった場面は、野外授業である。
    段々とグループに分かれて、分からない漢字を書き取る。「あれは何?ええと、○○とあるから、ああで、こうで・・」と言い合うのだが、観客にすればこれは連想ゲーム。正解まで親切に言わせないのがいい。結局分からないものもあったが、ギリギリ、辛うじて「あああれか」と分かったものもあった。クイズを解くというよりは、彼らの未知の物を探る「目」に同一化して行くこれはプロセスになる重要なシーンだ。

    そうした彼らの「学校」生活も終わりを迎える。その場におじいさん生徒はいない。代わりに卒業証書を受け取りに来た息子が挨拶をする。そして読み上げられるのが、彼ら一人一人に出されていたが、提出に至らず置かれていたので持って来たという「自分の手で書いた手紙」の宿題。おじいさんの言葉を卒業式で聞く。吉本が「何のための学校だったのか」と荒れる。そして劇中、ある授業で先生が出した質問におじいちゃんが答えたその答えが反芻される。

    実は終盤、おじいさんが教室に居て、授業が中々始まらない、副校長が槌屋先生を慌てて呼びに来るが居ない、どうしたんだろうという場面がある。最初はのんびり構え、やがて何かを察した生徒らが全員いなくなった後、おじいさんが黒板の空白に書かれるべき字を書いて去るのであるが、照明変化に気づかなかったためか、おじいさんは「実在している」と見てしまった。だから槌屋先生が何に、誰に(どの緊急事態に)向かったのかを終劇後まで探っていた(何か見落としたエピソードあったっけ・・と)。
    だから終わりへと進んで行く劇に本当は付いて行けてなかったのだが、おじいさんは既に亡くなった後か、または息を引き取る前、魂がこの教室を訪ねた、という事だったのだと解釈した(実はそれで合っているのかも自信がないが、まあ多分合ってるでしょう)。
    山本氏はあの山本学、圭兄弟のその下の弟だと言う。兄二人程には映画・ドラマに出なかったが俳優を続けて年輪を刻んだ人だったのだな。

    ネタバレBOX

    槌屋絵図芽女史演じる教員の姿を見て、想起したのは(例によって引用恐縮)宮台真司が最近よく言う「空気を変える人」の事だ。

    日本人は「平目キョロ目」で自分の主義主張や思考で物事を決められない人間が多い、という事から、その弊害として、空気を読まずに勇気を持って本当に思っている事(正しいと思う事)を発言する事に困難が生じる。
    ある調査によれば、貴方はクラス(集団)に何人の味方(又は頼れる人)がいたら、曲がった事を正そうと提案する勇気を持てるか? という設問に対して、諸外国では2,3人または数人いれば言える、と答えたのに対して日本は「クラスの半分」だったそうである。
    事程左様に日本では、いじめをやめろ、と言える人間が(全員がそう思っているので)少ない。つまり悪い事態を良くしようと提言する発言そのものが出づらい土壌がある、という訳だ。
    だが例外がある。そのクラスを導く教師が対等性を重んじ、公正さを重んじ、小さな意見にも耳を傾けようとする、毅然とした態度を貫ける人間である場合に、ガラッと空気が変わる。生徒は物が言えるようになる。
    それは地域のリーダーにも集団や組織のリーダー的存在、引いては国のリーダーにも言えるかも知れない。安倍が自分を批判する人間を敵と見なして我が方に付く者と批判する者とを分断するタイプの政治家だったことは、上記の条件とは真逆。寄らば大樹と寄りかかる人間を作り出し、己の考えを貫く人間にとっては困難な空気をより押し広げた。
    人の道を重んじる「大人」がそこに居るか否かで空気が変わり、人の振る舞いが影響されてしまうという事であるが、日本では、そのキーマンがいなくなったら、元の木阿弥となるのが悲しい。
    自律的な振る舞いに慣れていないのが日本人のスタートラインだとすれば、この意識の変革には歳月を要するだろう。

    劇に戻れば、夜間中学では損得を度外視して「関わる」人の輪がそこにあった。芝居はその事が裏付けを持って感じられるものだった。
    時代設定は1980年代後半で、既に高度成長期を終え不況~バブルを迎えたあたり、競争原理が可視化された「偏差値」教育の場とは一線を画した、夜間中学という場所がそれをもたらしている事は明白で、ぶつかる時はぶつかる本音のコミュニケーションが書き込まれ、美化されていない。関係が自然に成立している事の裏付けがディテイルで充実していたのが、前回観たバージョンを超えてたなと感じた部分。

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    2023/11/06 23:52

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