あたしら葉桜 東京公演 公演情報 iaku「あたしら葉桜 東京公演」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    母娘の嫁入り前の娘と母の会話劇二題。前半40分は岸田国士の「葉桜」台詞朗読、後半40分は同じ素材を横山拓也が書いた掌編。ちょっと面白い趣向で、テキストも岸田国士のママの会話朗読と、時代も現代の横山脚本を並べてみると、日本の底流に流れる女性のジェンダー問題をよりよい状況に進めるのはなかなか難しいとも思う。しかし、これはキャンペーン・ドラマではない。時代を超えて、家庭から巣立っていく女性のドラマを切り取って見せている。
    岸田の台詞に込められた母娘の心情は、よく見る家庭ドラマとは言葉に込める広がりが違うし、横山ドラマの娘の巣立っていく先を「男勝り」という台詞を一つ振っておいただけで、あと二人の関係を隠して進めていくあたりは、ひねりがきいて面白い。横山らしくいつに変わらぬ芝居作り巧者である。
    しかし、この舞台は、いつもの横山作品の世態のリアリティがとぼしく、かなりぎごちない。それは多分「言葉」が原因だ。女優二人はずいぶん頑張っていて責めるのは酷だが、やはり、岸田国士の昭和前期の東京山の手言葉は手強い。現実に今東京でも使う人は居ないのだからテキスト通りが出来れば良いじゃないかと言うかもしれないが、今でも相手が使えばたちまち東京弁で会話する人たちを私は知っている。言葉の表面以上のニュアンスが込められるのは、会話する者にとっても快感なのだ。その上にこの岸田のドラマは成立している。演劇界でも使い手は少なくなったがそれでも幾人も居る。大阪弁も同じだろう。これが大阪でも中流以上と見える言葉だろうか。例えば、谷崎の書いたような関西言葉が死滅して、このような言葉だけが通用しているとは思えない。その言葉の上にこの母娘の葛藤は成立しているし、リアリティが確保されている。
    そこが行き届いていないところが残炎だった。三鷹星のホール満席だった。

    ネタバレBOX

    せめて、鼻濁音だけは使いこなしてほしい。これが出来ないと、東京の言葉にならない。

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    2023/04/19 20:28

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