実演鑑賞
上演時間は約3時間15分(15分休憩含)。
半ば廃墟の和洋折衷の公衆浴場を芝居小屋に見立て、そこに集った
芝居好きだが演技はずぶの素人?の今風の若者たちが歌舞伎の真似事をしている。
浴槽と洗い場のある浴室辺りを(「黒御簾」や「床」に当たる所も含め)舞台、
脱衣所辺りを待機中の役者が後見や観客役を兼ね見物休憩する袖兼客席、
その間付近を引幕で仕切ってできた大まかな劇場空間で起こっている
芝居も含めた出来事を悉く隅から隅まで、実際のお客さんが客席から
観察しているという二重構造meta構造の仕掛けが施されているとみるのが
素朴な観方か(従って、幽霊が出るのもあり、待機中の大向こう?の
観客役の役者から舞台上で奮闘中の役者へ、例えば、べにヤ、いなげヤ、
ダルメシアン、セカチューもといセケチュー、ニコイチ、待ってました、
久しぶりなどと掛け声がかかるのもあり)。
古典歌舞伎へのリスペクトも込め話の内容がよく分かるように
創意工夫されている演出。ただ、これまでの木ノ下歌舞伎でよくみられた、
つかこうへい芝居張りの多少のムリスジも押し通すあの勢い、熱量、
テンポのよさ、躍動感や高揚感に溢れた作品からはかけ離れるが、
その分、各場面に応じてreal実観客との適度な距離感の調節が行われていて
(ただ、終盤になるにつれこの制御が利かなくなりつつあるが、意図的か)
どちらかというとフラットでコンパクトな作りになっている。
これまでをdynamic動的とするなら、今回は全体としてはむしろ
static静的に近い作品という印象あり(もちろん、いわゆる本来の歌舞伎に
比べればはるかに動的。静かな脱力系の『熱海』や『蒲田』を観ている
感覚に近い。ただ、深淵に沈み、また浮かばぬままの撃沈組が奏でる
健やかなBGMが終始耳に入ってきていたことも否定しないが)。
注意深く観てきた方は、そういえば弟の松若丸はどうなった?
吉田家は?などと思うかもしれない。しかし、少なくとも公家の姫である
桜姫がジェンダーの縛りをこえ、これからの自分の運命は
自分で切り拓くといった自立意識、自我に目覚めたとするならば
(いかにも近現代的観点だが)、今回の幕切れ結末はそんなことは
どうでもいいことと物語っている気もする。
また、細かいことで記憶が不鮮明なため間違っていたら申し訳ないが、
引幕の色柄が薄鈍色というかくすんだ白色から淡い青色へ開演時と終演時で
変わっていたような。町内の寄合の出席を渋る権助の出席への決め手が、
八百善の仕出し→なだ万の弁当
に変更されていたのには気づいたが。