最終電車極楽橋往 公演情報 MEHEM「最終電車極楽橋往」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    劇場での観劇、アーカイブ配信での観劇、ノベライズ。
    様々な媒体で楽しませて頂きました。

    ネタバレBOX

    時は大正時代、怪異が居る世界、大正浪漫の世界。
    華族の家柄、父親の分からない子供ということで、肩身の狭い想いをしながら過ごすエミ。
    母の死をきっかけに家を出されることに。
    そこに現れる、母の旧友の青山。
    青山に連れ出され、見知らぬ父親を探す旅に出る。
    汽車の旅、切符は書き手の想いの残る手紙。
    汽車ってのがいいですよね、銀河鉄道とか色々と連想する。
    手紙は白紙、文字が消失している、切符を切る毎に、そこに書かれていたはずの思い出の残る場所へ誘われる。

    巡る場所には、それぞれ怪異がいて、それぞれに父親との思い出が語られる。
    ここがとても楽しかったです、一緒に旅してる気分。
    旅を通して各キャラクターの個性が掘り下げられて、役がどんどん質感をもっていき、親しみが湧く。
    スピンオフで、この巡る場面いっぱい創れそう、ていうか観たい、もしくは読みたい。
    怪異と聞くと個人的には某物語シリーズが頭に浮かびますが、怪異辞典とかあったら読みたいかも、他にどんな怪異がいるんだろう、でもあんまりおどろおどろしくない書き口なのがいいな。

    青山の想いがせつなかった…。
    思い出の中、ちづちゃんと一緒にいる時の青山の表情が、あまりに幸せそうで、愛おしさが滲み出ていて。
    正一の消失の真相明らかになり、ちづちゃんの娘から責められ罵られ想いを暴かれた時の青山の泣き出す一歩手前な表情が、あまりに辛そうで悲しそうで。
    ずっと好きだった想い人が、突如現れた男に奪われてゆく、それを祝うことしかできない、見てることしかできない。
    記憶から消えてもなお、独りぼっちにされてもなお、夫を想い続けこちらに想いを向けてはくれないちづちゃんを前にした時の絶望。
    ずっと、ずっと、傍に居続けていたのは自分なのに。
    自分にもしものことがあった時は娘をよろしくと、憎い恋敵との間との子を託された時の気持ちは、如何程だったろうか。
    それでも、正一の消失に罪の意識を背負う青山は、託された娘を連れて、父親に会わせる旅に出る、命を賭した贖罪。

    エミが青山を責め立てている場面は、辛かった。
    紹介はした、だけど選んだのは正一自身、拒絶することもできた、なのに言い訳するでもなく、弁明するでなく、エミの言葉全部受け止めて罪を背負って死を選ぶなんて。
    幼い頃からきっと青山はずっとエミのことも可愛がってた、大切にしてくれてた。
    それも全部なかったことかのように、帳消しに、そんなのって…。

    青山は、果たしてそんなに悪いことをしたのだろうか、と思う。
    確かにサトリに引き合わせはした、だがしかし、無理強いをしたわけではない、サトリと契約することを選び取ったのは正一自身。
    自身の存在と引き換えにしてまでも、小説家として成功を納めたかった、納得のいく作品を書き上げたかった、そしてそれは叶った。
    取引の代償で結果自身がどうなってしまうのか、事前にどこまで承知しての選択だったのかは分からない、でも劇中のサトリの台詞からは納得ずくだったのだと覗える。
    ならば、例え存在がこの世から消えてしまおうとも、書きたいものが書けて、そしてその作品はこの世に残り続ける、それは自身満足のいく人生だったのではないだろうか…。
    何が正しくて、何が間違っていて、何が幸せで、何が不幸せか、それは他人が決めることではない、自分だけのもの。
    正一はどこまでも芸術家で、そして妻も芸術家だった夫を愛していた、芸術と妻どちらの方が大切だったかということではなく、そんなの比較できることではなく。

    それでもやはり心残りは、妻を置いてゆくこと、産まれてくる子供に一目会うこともできないこと。
    その心残りこそが、この旅の始まりだった。

    旅を終え。
    父が書き残した作品、その足跡を辿って引継ぎ書いた娘の作品、永遠に残り続ける親子の競作。
    父の作品は、人の記憶から消えても残り続け。
    母の記憶からも父は消えたけれども消えて尚、愛していたという感情だけは残り続けていた、覚えてないのに、気持ちだけは。
    同じように、この旅で見た父の記憶は娘の記憶からは消えてしまうけれども、著書と共に、父への慕わしさは残り続けるのだろう。
    旅に出る前とは違う、旅に出たことは無駄ではなかった、得られた温もり。
    旅を通して、周りの自分を支えてくれる存在にも気づけた、従妹は自分を大切に思ってくれてるし、旅を一緒にしてきた二人も心から自分を心配してくれてる、自分はひとりだという思い込みから脱せた。

    作品は時代を越えて残り続ける、人が没した後々までも。
    そしていつかこの作品を読んだ誰かが、また旅に…ということまで思い馳せてみたり。
    観終わった後までも、この世界から去りがたい、抜け出しがたい気持ちにさせられる。
    美術、灯り、音楽、衣装、演じる皆々が、隙なく揺らぎなく世界を創り上げてくれていたので、わたしは一瞬たりとも現実に還ることなく、この世界に居続けられた。
    きっとこの舞台の上にあるどれが何一つ欠けたとしても誰ひとり欠けたとしても、実現はしなかったのではないだろうか、結集したからこそ。
    この作品を劇場で観られて良かった、観終わってまだこの世界に浸かっていたいなぁと思わされる極上の2時間を過ごさせて頂きました。

    また後にノベライズも読みました。
    人物像や関係性等が舞台版とは異なる印象で。
    これはこれでまた一つの並行世界、作品における姉妹として。
    舞台のコミカライズが流行っている昨今ですが、わたしは触れたことがあまりなく。
    こうして世界が広がって紡がれてゆくのも、悪くないなと思いました。
    京都の鞍馬山、南海高野線の極楽橋駅という、聖地巡りも悪くない。

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    2020/11/07 19:16

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