几ノ虫、夜ないて、転がる朝 公演情報 南山大学演劇部「HI-SECO」企画「几ノ虫、夜ないて、転がる朝」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2018/04/07 (土)

    昨年の学祭公演短編「午後6時、踏切ニ ニ分後クル君ヲ観ル」で その独特な切り口と演出力を印象付けた荒井さんが、遂に丸々1公演を任され、ハイレベルなキャスト/スタッフの力を借りながら、その感性で彩る…詩的な空間で劇場を埋め尽くした。

    以降はネタバレBOXへ

    ネタバレBOX

    (続き)

    諸々の描写がとても詩的。丹念に紡がれる一つ一つの『言葉』の連なりは、テキストで何度も反芻し… 意味を掬い上げたいと思わせる深み。
    その言葉を発する『役者』達の…台詞の無い時の佇まいや仕草が… 後から言葉の肉付けになって、実在感と説得力を増す。
    ​同時に聞こえる違和感は…一つの時刻の表現に留まらない… 人生と心象を感じさせる『音』の組み合わせを形作る。

    白いカーテンを…スクリーンにもレフ板にも透過幕にも使い、横からの照明で操る『光』と『影』、そしてそれを開いて生み出す漆黒の夜と深海。​

    そして、それらの要素を巧みに操って…夢と現実…望みと諦め…愛と憎しみ…この世とあの世… あらゆる相反する時空を重ね合わせることで… 単なる「時系列の物語」では感じ取ることができない「深み」と「厚み」が…波が押し寄せてくる様に伝わってくる。

    正直、一度観ただけで…全ての物語構造を理解できる様な作りではないが、理屈では ぼやっとした理解であっても…言いようもなくじわっと沁みてくる…感覚的に伝えてくる力強さがありました。


    少し具体的な中身にも触れようか。まずは4人の登場人物ごと。

    「朝」の親に対する不信感と拒絶の背景には…一家…ともすれば土地ぐるみの犯罪(大麻栽培)が背景にある様だが、寺山修司「書を捨てよ、町へ出よう」が何度も出てくることが示す様に、社会の閉塞感や大人の圧力への不満を体現する人物として彼女は存在した。

    ただし、朝がその読破に挫折しているのが皮肉たっぷり。

    『私が死んだら、家族が悲しみそうなのが嫌』というくだりが…絶妙な心情表現で、勿論 "親を悲しませたくない"のではない。
    愛されることにすら嫌悪し、それでもなお…という複雑な感情を象徴する。

    彼女は…明らかにあまり性格の良い娘ではない。だからこその現実感… 自己顕示、反発、攻撃性、友人への依存… 等身大の…真正面からの苦悩が際立ち… だからこそ周りに愛されたのだろう。


    ​「さわり」は…当初から この世の人ではない佇まいと演出で、本作に漂う一連の空気を象徴していた。もはや触ることのできない故の真逆の名付けか。自殺の理由は語られず、急ブレーキ音に事故死も想像したのだが違った。
    「死んだ理由は本人にはどうでも良い。それは周りの人に必要なもの。」という朝の台詞に符合?


    「しずか」はいきなりの攻撃性を示して自己中と評されたが… 幼少から大人びていた朝に憧れを抱いていた様で、自分には成し得なかった「故郷からの脱出」を叶えた朝とさわりを…理想化していたのかも。それを裏切る結果となった二人への憤りを窺わせる。


    「留守」は一人…客観的な立場で一番冷静に事態を見ていた。事件の渦中から少し外れた存在でありながら、妙にミステリアスな印象も受けた。名前のせいもあると思う。

    さわりの死を受け止めきれずに…精神的な生死の境目を彷徨う朝の帰りを待つ留守居役… というイメージも浮かぶ。留守は実際にある珍名字で一番多いのは宮城県という辺り、留守が震災被災者(津波)を思わせるくだりがあったのにも符号する。留守と朝の言葉少なな呑みの雰囲気は良かったな。実は時空がズレていたとも想像すると何とも味がある。


    ​私は、本作の最たる特徴を「重ね合わせ」だと思っているのだが、印象的だったのは…対峙する朝と留守の時間軸にズレがあった(4月と11月)ことで… 色んなところで時空が重なり合っているような演出を代表して…不意の言葉の不一致でインパクトを与えた。…最後に2人が12月で同調したことは、精神的に取り残されていた「朝」が死の淵から戻ってきたかの様だ。

    また、朝と留守の2人の宴が、休憩後のリプレイで朝、留守、さわりの3人の宴に変わっている演出も、留守は幽霊として最初から居たという暗示なのか…それとも、在りし日の3人での楽しい日々の投影なのか。いずれにしても、これもまた多重世界的で、印象的なシーンが目白押しの作品だった。


    構成としてもう一つ特徴的なのは「幕間の休憩(5分)」が設けられていたこと。​新入生への配慮かもしれないが、上演時間はトータル100分でさほど長くはない。とすれば、何かの演出意図を伺ってしまうのだが。
    暗転するでなく…列を組んで退場し、薄暗闇の中…戸を開けて出ていく光景は印象的だった。​

    休憩後、前半と同じキーワードで物語を再構成していく意図は、勿論「前回までのあらすじ」である筈もなし。咀嚼の時間か、別の視点を与えるものか…無限ループすら想起する鬱屈の時間から生み出されるモノとは… 朝の鬱屈と迷いを観客に共有させようとしている?
    観客の受けるストレスすら…計算ずくなのかもしれない。

    0

    2018/08/17 23:32

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大