ウタとナンタの人助け 公演情報 一般社団法人 舞台芸術制作室無色透明「ウタとナンタの人助け」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    こんなにたくさんの障害を持った人たちと芝居を観る経験は初めてかもしれない。静かな熱気があふれる満員の観客席だった。
    出演者にもたくさんの障害を持った人が参加している。車いすの人もいる。台詞や演技を覚えて舞台で演じることは大変だったろうと思うのだが、実際の舞台は、どこまでが演技でどこまでが素の当人だが分からないような緊張感をはらんだ演劇空間であり、とても30分の芝居だったとは思えない豊饒さが溢れている。
    京都の柳沼昭徳が芝居を書き、宮崎の永山智行が演出した舞台だが、劇中には広島の地名がたくさん登場し、当時の少し古風な広島弁が随所に登場する。
    アフタートークで聞いたところによると、上演時間はちょうどウタとナンタがマサルを送って行った広島駅(ピロシマ駅)から宇品港までのピロ電の乗車時間と同じだそうで、まさに同時進行の芝居だった。自ら長老役で舞台にも出演した山口隆司さん(NPO法人ひゅーるぽん)が、孤児になってもまわりの仲間たちに助けられしっかりと生きていくであろうユタとナンタの姿に多くの人が共感したとしても、現実は「児童養護施設を探そう」となる。私たちの世界は優しそうでいて実はとても冷たい社会だという言葉に、考えさせられることが多かった。
    舞台演劇を都市圏に観に行くことは出来よう。でも私たちは自分たちの物語を必要としている。そんな舞台が地元でたくさん上演されるようになることを祈っている。

    ネタバレBOX

    印象的だったのは、死ぬことになった母との別れが納得できないウタが、別れのあいさつをできないまま母は死の国へ旅立つ場面だ。現在の日本は世界一の長寿を謳歌し、もはや子どもは親の死を悲しむ余裕があるだろうか。
    ウタはその別れのあいさつのために、マサルを人間の世界に返す旅に出るのだ。その道中で、かつては人間と猿猴達は仲良く暮らしていたが、原爆を境に、猿猴達は自分たちだけのピロシマという世界を作ったことが明かされる。のんびりと仲良く暮らす彼らの世界。それは同時に、今の人間たち、私たちが作れたのかもしれない世界でもある。
    人間界に戻れたマサルを迎えに来た母は車いすの役者が演じた。それまでは嫌っていた母なのに、柔らかい言葉で話しかけ、ゆっくりと車いすを押す彼の姿に胸がいっぱいになる。猿猴達のようなのんびりとした平和な世界は失ってしまったけれど、私たちが、心の中の猿猴達の世界を持ち続けることが出来たら、まだやっていけるんじゃないかと、勇気をもらい背中を押してくれたそんな舞台だった。

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    2018/01/16 09:15

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