ルート64 公演情報 ハツビロコウ「ルート64」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    ロードムービーならぬロードストーリー、それも実際あった事件を連想させる。同時に事件の実行犯たちの心の彷徨として捉えることも出来る。自分解釈…「ルート”64”」は昭和最後の年(1989年)であり、平成元年でもある。その年に起きた事件をフィクション仕立てで描いていたように思う。
    (上演時間2時間)

    ネタバレBOX

    事件とはオウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件である。新しい年号になった年の秋に起きた事件。公演では犯行前後の足取り(走行ルート:地図の確認など))と平行して犯人たちの人生が語られる。その屈折した心が、オウム真理教への入信を促したことが説明される。犯行時やその後の手違いによる苛立ち、同時に犯人たちの過去と懊悩が語られる。この現在進行と過去停滞(悔悟)のような時間軸の違いで物語が展開する。犯行における役割・分担、立場と責任という通常の社会でも見られるような人間関係を、殺人という常軌を逸した中に当てはめてくる。そこに見えるのは、責任の回避・転嫁・放棄、自己弁護などの普通の人間性である。この期に及んでというか、異常な心理状態になっている様子が現れる。また高揚したのか、車中で中島みゆきの「世情」(3年B組金八先生」の台詞は伏線か?)を合唱する。

    舞台セットは(ベニヤ)板で囲い、中央に同じように木・板を繋ぎ合わせた自動車。客席側に血まみれ衣装を着たクッション人形3体(大人2体、子供1体のイメージ)が置いてある。冒頭はシーツが被せられていることから、何が置いてあるのか分からなかったが、物語が進むにつれて明らかになる。

    ”宗教”という名のカルト集団。その後の社会的な風潮と制裁は、殺人集団として多くの教団幹部が司直へ…昭和から平成の時代への節目に起きた大きな(オウム真理教一連)事件。信者は教義を疑うこともなく、教祖の言葉には絶対服従である。一方、信仰の自由、人の心は縛ることが出来ない。信者の心にある二律背反するような苦悩が見て取れる。

    公演では、事件そのものより人物の心情表現が先立っていたようで、心情と事件シーンの切り出しが交互に描かれ、時間の流れが足踏みしている感じ(激白シーンは時間が止まる)。役者の内面表現が上手いだけに、物語の展開よりも印象が強い。その相対として、表層のロードストーリーとして観せる面が弱く感じたのが少し残念。

    この劇団の公演は、テーマの捉え方、その演出、照明・音響等の技術でしっかり観せる。本作も同様であるが、見巧者感が進ん(高じ)だようで、自分には性状の理解が難しく感じられた。それゆえ、情景の変化は音楽効果に委ね、状況(場面)変化は暗転を少し長くすることで、整理させていたかのようだ。

    特殊な宗教、いや宗教と言うには疑問のカルト集団、その組織の中でどう生きるか。それは、”普通の組織”で今を生きる人間の共通した問題であるかもしれない。東西冷戦体制が終結に向かい、ベルリンの壁の破壊、天安門事件が起き、世の中が大きく変わろうとしていた時。その変化と不安定な時代、人の心を操り犯罪行為を実行させる。公演では黒幕は登場しない。登場人物たちが黒幕像を立ち上げ、観客にその人物をイメージさせる巧みさ。

    次回公演を楽しみにしております。

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    2017/08/10 17:52

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