『あゆみ』『TATAMI』 公演情報 劇団しようよ「『あゆみ』『TATAMI』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

     柴幸男さんの『あゆみ』は1人の女性主人公を複数の俳優が演じる、一風変わった戯曲です。女優3人バージョンの初演以降、さまざまな演出で色んな地域で上演されてきた人気作で、私は数バージョン拝見しています。劇団しようよ版は男優のみが出演するという、柴さん曰く、さまざまに存在する『あゆみ』の中でも唯一のものだそうです。

     京都では同じく柴さんの戯曲『TATAMI』との二本立て上演でしたが、残念ながら京都まで行けず、見逃しました。

    ネタバレBOX

     開場時間から柴さんが舞台上にいらっしゃいました。原作者ご本人として、特に用意された台本などはなしに、舞台上に待機している俳優たちに話しかけていたようで、メタシアターの構造が露わになりました。素を演じるのと素のままであるのは、言うまでもなく異なる行為です。どちらにしても作品が始まる瞬間は非常に重要ですので、もっと周到な準備をしてもらいたかったです。「今のお気持ちは?」「緊張してます」といったやりとりがありましたが、俳優の表情が硬く、空気が温まるわけでも面白いわけでもありませんでした。俳優の多くが劇場の壁沿いに静かに座って、下を向いていたのも不思議でした。俳優なら観客に対して、または作品のために、自分から積極的に動いて欲しかったです。何より、俳優に恥をかかせない演出が必要だと思います。

     私が『あゆみ』を初めて観たのは2008年のこまばアゴラ劇場公演でした。2009年と2010年に三人芝居バージョン、2009年に中高生バージョン、2011年に愛知での再創作を経た横浜公演を拝見し、どれも柴さんの演出でした。描かれるのは「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」のような昭和のステレオタイプの家庭ですが、1つの場面で主人公を演じる俳優がくるくると交代していくトリッキーな演出で、家族像が相対化されます。今回は1つの場面の主人公を1人の男優が担当し、母親役、父親役、犬役などの演じ手はほぼ固定でした。そのため、現代の感覚だと女性蔑視とも受け取れる戯曲の家族像が、そのまま肯定されてしまったように見えました。

     今作の最大の特徴である、女性を男性が演じる演出について。カメラを構えて舞台を見つめる父親(門脇俊輔)を下手手前に配置することで、全ては父親による実娘の人生の回想なのだと解釈できました。主人公とその周囲の人々を演じる男優それぞれが、世界中にいる「父親」一人々々であると想像できました。黒い床には白い線の四角い枠が複数、少しずつ重なるように描かれています。1つの枠が1枚の写真のように見えて、舞台空間が1冊のアルバムであると思えました。

     場面転換時に演出家の大原渉平さんが、文章が書かれた白い紙の束を持って登場し、無言でその紙を紙芝居のようにめくっていきます。手書きの黒いペンで書かれた内容は、アンネ・フランクやルーマニアでの日本人女子大生殺人事件(2012年)など。若くして亡くなった実在女性のエピソードが加えられ、下手にいる父親が回想する実娘もまた、早死にしたのではないかと想像しました。2013年の渡辺源四郎商店『ひろさきのあゆみ~一人芝居版』(上演台本構成・演出:工藤千夏)では、1人の女性の生涯が描かれていて感動しました。柴さんの『あゆみ』は老後が描かれていないので個人的に不満だったのです。今作の主人公には不幸にも老後が訪れなかったのだと考えれば、その不満は解消されます。ただ、舞台上の大勢の「父親」の悲しみにフォーカスした作品なのだと思うと、全体的に感傷的であることが気にかかり、その雰囲気を説明するような生演奏の音楽も少々苦手でした。

     最後に再び柴さんが登場して大原さんと会話をするのですが、冒頭と同様、柴さんのお子さんの性別や名づけについてなど、プライベートな内容でした。大原さんが未来の自分の子供につけたい名前も公表していらっしゃいました。真偽はどうあれ、20~30代の男性2人のごく私的な会話で終幕することで、『あゆみ』の世界が矮小化されたように感じて残念でした。

     高校時代の主人公が恋に落ちるエピソードは、相手が女性か男性かわからないのが面白いんですよね。今作では男性の先輩に恋をしていました。先輩役の俳優(土肥嬌也)が女性役とは異なる男性らしさを身にまとってくれていました。

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    2017/06/17 23:58

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