粛々と運針 公演情報 iaku「粛々と運針」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    昨年のアゴラ公演が最も印象的な<iaku>、三鷹市芸文での数年前、そして満を持しての再演という触れ込みで同じく三鷹(エダニク)、今回の「趣向」舞台と、関西は遠いし名前もピンと来ないが着実に存在感が増している劇団(以前買った戯曲集を改めて手に取ったり・・読んでも中々面白い)。
    現代人(日本人)のリアルな生活観を背骨に、人物らをけしかけて「出来事」を起こして面白がる作家の視線が感じられる。人間だから、生活を営み、存在し、行動を起こせば、必ずや面白い何かが、そして何か考えざるを得ない材料がそこにある。。
    訴えたい人の文体ではなく、観察者のそれである。

    今回の作品が包含する二つのエピソード(死期の近い母をもつ兄弟、子を作らない約束だったのに子が出来た=かも知れない=夫婦)は、彼らに見えない二人の女の会話と場転指示を挟んで、舞台上では交互に進行する。やがて会話は錯綜し、人物6名の舞台上での関係性の全容が見えて来るまでの「謎解き」の時間を楽しむ芝居だ。伏せられた事実がスローペースで解明され、現われ出た全容は、それなりのリアルな姿かたちを取って、一応は納得できる。安定した実力を感じさせる終演。

    ネタバレBOX

    ただ、劇構造の解明=謎解きがどちらかと言えば主眼になった傾き(演出の上田一軒氏がドラマタークという)は、「伏せられた事実」で観る者を引っ張る分、見せられた全容がその引っ張りの長さに応じたものでないと、淋しい。今作がそうだと言うわけではないが、ギリギリという所か。
    恐らくそれは、外観の注文に即して建造物を設計建築する制約と同じく、ユニークな劇構造をなすためにエピソードのリアリティ追求を端折ったか、あるいは説明不足のままに残すことになった。
    従って、想像で補う部分が大きくなった、であればさして問題無しだが、メッセージ性が弱いストーリーの断片(事実)の生命線は、正にリアリティ(真実味)であるので、そこが弱いのはやはり「淋しさ」に繋がる。同じ説明不足でも、想像を逞しくさせられる話と、埋め込もうとすると矛盾に突き当たりそうな話とがある。今回のは微妙な線だ。
    しかし、20~30代後半にとっての「家族」問題をめぐる議論は濃い。相手が家族・親族であれば会話じたいも濃くなる。テーマは子を産まない選択、という所に集約され、白熱する。
    ただ、作者はその問題の核心へと迫ろうとしながら、ある線以上に踏み込ませない、観察者の立ち位置を守る(風にも見える)。それは子供を作らず、伴侶と二人で老いて行く人生を望む女性が、しかし出来てしまった子供を堕ろすとなれば話は別、違う選択もあるんじゃないか、と迫る夫にたじろぎながらも、「なぜ子供を作らない人生を選ぶことに負い目を感じなきゃいけないの」という泣きながらの反論で押し返される、という場面。確かに、リアルなやり取りで迫る限り、これ以上彼女の考えを変えさせることはこの舞台では困難であるかも知れない。
    今私は「変えさせるべき」という前提で書いたが、それはその通りだ。どう生きるかは彼女自身の問題、ではある。が、そこに他者の意見が反映されないというのは、今後彼女が改めるべき問題であり、この芝居で彼女が「切れて」議論に終止符が打たれたのは、議論が尽くされなかった、という事だ(これも答えありきの言い分と思われそうだが)。
    彼女は「みんなどうして・・」子供を生まない人生を肯定してくれないのか、と、反論した。しかし、話していたのは夫であって「みんな」ではない。いつしか夫の言い分に適当な答えが出せず、不適切な態度をとる「みんな」を引き合いに出して、あたかも夫が彼らと同じ態度であるかのように、(恐らく切羽つまった子供が泣くように)感情的になった、という反応である。
    しかし劇では、議論がわやになった・・という風に総括しておらず、うん、彼女の言い分もわかるよね・・そうまとまる後味になっていた。いまいち深まらずに終わった感触を残した、そこは主要な一つ。

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    2017/06/10 00:45

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