猫目倶楽部 公演情報 空間ゼリー「猫目倶楽部」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    揺れる舞台
    空間ゼリーの「I do I want」は、今でも思い出に残る舞台。

    大学サークルの部室という狭い世界で、傷つくことを怖れるゆえに、お互い、正面から向き合うことができない部員たちの、じめじめした人間関係が丁寧に描かれた舞台だった。主体性のない部員たちは、空気に流され、一人、また一人と友人たちを傷つけて行く。

    そんな世界に嫌気がさした部員のひとりは、最後に、傷つくことを引き受けて、恋の告白を行い、ふられる。小さな希望を提示して、舞台は終わるが、その誰も居なくなった舞台に日の丸が浮かび上がる。サークルと恋愛というとても小さな社会を、「日本」というとても大きな社会と重ね合わせる手法が、深い印象を残した。

    そんな空間ゼリーが、アイドルたちと組んで商業演劇に挑戦。それは、やっぱり、アイドルを全面に押し出すエンターテインメントなんだけど、それでも、どこかに空間ゼリー色が残っているみたいな、不思議に揺れる舞台になっていて、こちらも、揺れた。

    ネタバレBOX

    基本的には、今回も、大学の仲良しグループが中心の、狭い世界を描いた物語。そこに、悪の組織と戦う、正義のヒロインの物語が重なっていくのだけれど、その色合いは、かなり地味。悪の組織や正義のヒロインたちよりも、向き合うことを怖れることで傷つけ合う、狭い社会のやりとりのほうが、かなり丁寧に描かれる。

    正義のヒロインたちは、次のような、組織のルールに縛られている。

    「暴力を使わない」
    「当事者の希望があるまで、勝手に介入しない」

    だから、彼女たちは、主人公なのだけれど、基本的に大学生たちの生活をやきもきしながら見守るだけ。介入したくても介入できない。やっと介入できても、基本的には話し合いでの解決を目指すという、かなり行動に制限のあるヒロインたち。敵が暴力に訴えてきても防戦一方。第三者の暴力的な介入によって事件が解決するという、なんだかカタルシスのないヒロインものだった。

    というわけで、この舞台。印象が、非常に薄い。観たことを忘れていたのを、チラシを整理していて思い出したほど。そしてそれは、主人公たちを縛るルールのためだと思ったのだけど、このルール。そう、ここには「日本」という国がみえるのである。前作に続いて、ここには、「サークルと恋愛というとても小さな社会を、『日本』というとても大きな社会と重ね合わせる手法」が、意識的にか無意識にか、残っているのだ。

    完全なエンターテインメントなら、ハリウッド式に、悪いヤツには暴力で対抗するのが本道。でも、空間ゼリーは、そうしなかった。ヒロインたちは、迷うのだ。それはなんだか、商業演劇なのに、商業演劇そのものを、見つめ直しているかのようで、エンターテインメントか、空間ゼリーの色か。物語を貫くベクトルが、迷って揺れているかのように、ふたてにわかれて、そのぶれが、結果的に、印象を弱めてしまったのだろう。

    果たして、空間ゼリーは、この先、どこへ向かおうとしているのだろう。この『猫目倶楽部』は、続編がいくらでも作れそうなはなしなのだけど、その行き先は、まだふらふらと、定まらない。

    0

    2008/12/13 00:43

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大