北村想名作戯曲リーディング 公演情報 流山児★事務所「北村想名作戯曲リーディング」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    リーディングの愉楽
    何年か前の山元清多特集リーディングの一つを見たときの多くの発見・・作品「海賊」の世界、俳優、「リーディングがこれほど沸騰する舞台になるのか・・・」という、この(まぐれかもしれない)遭遇を思わず期待したのは、今回の北村想特集4作品の一つにあの「海賊」の座組み(演出=東京ミルクホールの佐野バビ市=演出、黒テント片岡哲也その他)の賑やかな面々の名を見たからで。それ以外の演目・座組も気になりつつ、幸いお目当てのBチーム「DUCK SOAP」が観れた。
    小アフタートークでの流山児祥・演出佐野氏のやりとりから北村想という作家の背景、演劇界での位置、人となりが知れて興味深い。
    作品は演出による大きな加筆によりメタシアター(入れ子構造)化され、お笑いが勝っていたが、俳優が目一杯やっている舞台を作っている。「そう言えば台本持ってやってたっけ?」という位に動き回る印象。1演目をたった2ステージでは役者も淋しい事だろう・・と、「存分に楽しんだ」観客=私は勝手に想像する。

    ネタバレBOX

    そんな楽しげなステージ上ではあったが、入れ子の中身=北村戯曲の芝居 を終えて、ある会社の演劇サークルの面々に戻った所で(=素の役者に近い)、部長=進行役がいきなり「大喜利」をやると言い出す。
     ところで「DUCK SOAP」の物語、と言おうか何と言おうか、どんなお話か。ませた小学生の二人組やヤクザっぽい親分子分のとぼけた会話や、何やかやが登場し、確か中心には(擬似?)家族の物語が展開していたように思うのだが、殆ど思い出せない。理不尽な感情に埋もれそうになる瞬間や、理不尽さを逆手にとって飄々とした周辺の人々の風情だけが断片的に記憶に散らばっている(ような気がする)。笑いに走って「中身」が散漫になったせいもあるにはあるだろうが、私は大真面目にテキストを朗読されるよりは作者の筆の「角度」に近い角度を捉えた演出だったのでは・・と思った。いやそう思っておこう、、何しろ楽しい舞台だったから・・という訳。
    で、このタイトル、正確には、「DUCK SOAP 家鴨石鹸あるいはセリフを覚えたあと役者は何をするかという問いをめぐる土曜日の黄昏と夜と夜中」という。
     「台詞を覚えたあと、役者は何をするか」が、大喜利のお題である。
     ただこの問いは、演劇の現場で実際にどうするか、という方法の問いであると同時に、台詞を覚えて役の役割をこなす、という俳優の「作為」(仕事)がそこにある全てではなく、役者という人間が既に見えているのであり、さてその人間である所の俳優は何をする者ぞ、というもう一つの問いが含まれている、とみえる。(そしてまさかその問いに「俳優をやってます」とは答えられまい)

    この哲学的な問いを、大喜利のお題にした時点で、「哲学的」は霧散してしまうが、私はお遊びモードをそこに無理くり持って来たからと言って、作者を冒涜してもおらず、むしろ挑戦的であったかも知れない。問いを問いのままにせず、役者個人のひねり出した回答が卑近なものだったとすれば、それは想念と現実の落差であり、だからダメなのではなく現実とはそうしたものなのだ、と知るべきであったりする、そういう事ではないだろうか。。

    という事で、大喜利は俳優にとっちゃ手に汗の時間に違いないが、その後の展開は ・・まず進行役(お笑いの人)が例を見せてコケる。その後、二人がアドリブで(自分で考えた回答を)答え、その後もう一人、二人の勇気を称えつつ、思い切り外した回答でコケた。
     (もっともここで言うコケた傷は勲章である。遊びが許される程度には舞台で楽しませたので。)
     惜しかったのは、場が引きのモードになっていて、ああいったものは空気であり、誰も座布団を投げる気持ちでは恐らくなかった、にもかかわらず、司会は役者からの「何やらせんだ」攻撃と会場の静けさに生汗をかいていたか、大喜利は早々に「ラストに繋げる展開」へバトンを渡してしまった。
     ・・・その事が惜しかった。とこれしきを言うために長々と書いてしまった。
    今一度俳優達に拍手。

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    2016/10/14 23:53

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