庚申待の夜に 公演情報 風雷紡「庚申待の夜に」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    我らの未来同様真っ暗クラのクラ
     ファーストシーンが象徴的。公害の実態を村に残った人々の地獄の蓋を開けて見せている点が秀逸だ。

    ネタバレBOX

    舞台は渡良瀬川流域に実在した谷中村。田中 正造が明治天皇に直訴したことでも知られる足尾鉱毒事件で廃村にされたあの谷中村である。拝見しているうちに、その後、実質的に変わっていない公害対策をひしひしと感じさせる内容と様々な被害(水俣の有機水銀、カドミウム汚染、イタイイタイ病、イラクやアフガニスタン、コソボでのDU被害、ウラン野天掘り後の鉱石放置による放射能汚染、F1人災後核推進派によるエートスプロジェクトを始めとする復興プロパガンダ等々)を有名人、田中 正造を通さず、寧ろ田中を信じ一緒に行動した民衆を描くことで悲惨の実態を描いた今作は、その救いの無さ故に秀逸である。日本人の多くは余りにもセンチメンタルに過ぎて事実を事実として認識することを避けたがるという傾向が強い。然しながら事実は事実。そんなセンチメンタリストを冷笑しているのが常であり、事実の結果を齎すことで迷妄を解くのが必然である。然しながら初手で出遅れ、まごまごしているうちに、初手に事態をキチンと見据え、分析し、有効な対応策を取るという手を打っておけば、被害は最小限とまでは行かなくともある程度抑えられたハズのことが、日本人にはできない。それができる日本人リーダーは極めて稀にしか現れないのが実情である。幕末で言えば、勝海舟、南北朝以降では執権だった北条泰時辺りか。少なくとも関東大震災後の日本には後藤新平くらいしか思い浮かばない。何れにせよ、この「国」のリーダーと呼ばれる連中は粒が小さくプリンシパルを持たぬ下司が目立つ。
     風雷紡が描くのは、こんな日本のリーダーを見限ってか。民衆である。無論、田中正造は立派な人物であり、立派な政治家であったが、その田中を信じて戦った農民たちの生活迄は彼も救うことができなかったのであり、田中ほどの弁も立たず、学問的素養も無かった民衆にとって、戦いに参加することも参加を拒否することも、何れも正造の味わう苦しみよりより具体的で切実でどうしようもないものであった。この点を描いている点で水俣を描いた極めて優れたドキュメンタリー「下々戦記」に同様、民衆という名の被災者の味わう地獄とその本質を抉り出してみせた。
     一方、刀狩、太閤検地以降農地に縛り付けられ、更に江戸時代には徹底的な朱子学の浸透の下滅私奉公を余儀なくされた武器なき民衆がその家族制度の根幹に持った家父長制は、本家・分家の分断と差別化を助長しそれは逆らい難い「掟」のように人々を支配した。そのような複雑な人間関係の中で、最も大きな被害を受けたのが、被災者のうちでも最も弱い者であった点も、今作は見逃していない。結果、事態は更なる悲惨を加えるのであるが、その事実もまた描かれる。因習や状況そして貧しさによって退路を断たれた民衆の生き死にすれすれでの儀式に隠されたもの・ことの意味を明らかにして見事である。
     同時に彼らの抱える悲惨を他人事として扱うことも、知らんぷりを決め込むことも、嘲笑うこともできない。何故なら、彼らは田中と共に戦うことを選び、投獄されて拷問を受け、鉱毒によって体を蝕まれながら、尚自ら信じたもの・ことを守ったまま生きようと覚悟するからである。この凄まじい生き様の前で誰が彼らを嘲笑えようか?

    0

    2016/08/21 15:01

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大