地を渡る舟 ―1945/アチック・ミューゼアムと記述者たち― 公演情報 てがみ座「地を渡る舟 ―1945/アチック・ミューゼアムと記述者たち―」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    震えた
    重厚な作品だった。世界の渦に抗いながらも飲み込まれて行く人たち。望む道を捨て、望まない道へと囚われて行く。人が羨む地位や名声であっても、自分の望みでなければ地獄だ。ましてそれを妻や家族が望んでいるならなおさら。俵木さんが哀愁たっぷりに好演された。その時々の時代で、欲望は常に渦巻いている。金、名誉、出世を…それが戦争へ。そんなものはしたくないと思っているのに 、ある者は兵士として、ある者は国家権力の中枢として「戦争の真ん中へ」意志に反して飲み込まれる。「僕が恐れる」と言う優しさが時代との軋みを生む。自由とは何だったのだろうか。妻という肩書きを捨てても、財閥令嬢という肩書きは捨てられない妻。「この生き方しか知りません。」という台詞に『細雪』で仙波の大店のプライドを捨てられない鶴子を思い出した。父と夫の狭間で苦しんだ後、二人に「いつか」は来たのだろうか。最も涙腺が崩壊したのは、川面千晶さん演じるかつらの健気さ。出生地差別により、愛しい人の戸籍を汚せないと考える姿が、底抜けの明るさ故に切なさを増す。「帰ってくんなアホー!」と夫を解放して義母と生きる、福田温子さんが演じた宮本常一の妻も、その愛の深さは同じだ。開戦に向かって突き進む日本を「列島が発酵する」と言わしめた長田育恵さんに脱帽。あの発酵は発光にも思えた。「日本人が死を恐れないのは、大切な人のところへ帰れると思うからだ」には目から鱗が落ちた気分だった。とにかく、俳優陣が素晴らしい。みんなそこに確かに生きていた。西山水木さんと今泉舞さんの女中二人、農夫の中村シユンさんが見事。ラストの混沌とした現代の中で天を仰ぐあの男の目には、希望が映っているだろうか。わたしが手にしている自由について、見つめ直そうと思う。思っていることを正直に言ったら喧嘩になることもある。ましてや「あんたが嫌い」でその理由をあけすけにぶつけたら尚更だ。なのに常一に向けた女中の言葉は、バッサリ切られグサリと刺さっているのに、何故か温かい。聞きながら不思議な気分だった。ある種のトリップだった。かつてダイナマイトがそうであったように、学問が幸福な未来にではなく、学者や研究者の意図に反して誰かの欲望に利用されようとするときの恐怖と焦燥に息苦しくなった。まるで津波のように押し寄せてくる悪意の言葉を耳にする渋沢の苦悶の表情が痛々しかった。戦争を感じた。

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    2016/01/04 10:47

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