雨湯口 公演情報 はりか「雨湯口」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    生き延びてしまった人
    「雨湯口」

    9月
    湯口家は父 母ヒヅメ 姉マイ 妹アサヒ
    舞台は新潟の民宿
    会場名の"raft"とは「筏」のこと

    ネタバレBOX

       今、父母姉妹と書いたけれど、劇中に家族の関係性をあらわす言葉は出てきただろうか??

    「お父さん」とか「お母さん」とか「お姉ちゃん」とか誰も言っていなかった気がする


    雨湯口とはshower gate のことなのだそうだ。雨淋式环浇口ともいう。


    疑似家族という言葉から思い出されるのは、禁断の多数決の人が結成のいきさつを語ったインタビューである。(それで終演後にきんたすが流れたのか、ということは今になって思った) と同時に、「雨湯口」を観て思ったのも同じ言葉だった

    でもきんたすと湯口家は根本的に違う。一方で家族ではない人たちが集まって家族のようになるのに対して、こちらでは本当の家族がぎこちなくふるまって疑似的なもののように見えてきて、そこにおかしみもかなしみも生まれてくる


    正面入り口からではなくて、建物の横にまわって路地を進んだところの入り口から劇場に入る。
    横の入り口のドアが閉ざされると会場内は真っ暗になるから、
    姉マイが民宿から出て行く*ときに、横の入り口のドアから太陽の光が射していた。それは鮮烈なイメージとして残っている
    「歩行船」のホールでは客席とは独立した舞台を見ていたけれど、raftでは客も舞台の内側にいて、邪魔にならないところに座っていた


    「雨湯口」は家族四人で教育テレビをみて、朝食を食べるシーンからはじまったように記憶している。
    そして客が、役者が舞台に出てくるのを真っ暗な場所で待っている間には、会場には波の音が流れていた。
    ザザーッという波の音を赤ちゃんに聞かせると泣きやむことが多いと聞いたことがある。
    それで、あっと思って、公演内容を見ると、やはりその0番は「蹴り」となっている。胎児がお母さんのおなかを「蹴る」ことを意図したのか、せずに公演内容の0番は「蹴り」になったのかわからないが
    胎児までいくとさかのぼりすぎなのかもしれない、では湯口家では誰に胎児性-幼児性-子供性が残っているのか? それは母ヒヅメなのではないか


    そっくりの姉妹、姉マイと妹アサヒは、故郷から出て行く姉*と故郷に残る妹として、対になっている、
    そんな中で、最後まで母なる土地にい続けるのはほかならぬ母親だけなのだと考えてみる

    「歩行船」の序文には、「サロメも阿部定も母にはなれません」とあった。
    「雨湯口」でも、"母になること"にかんする主題があり、さらにヒヅメを見るアサヒの視線は消えずに残っている


    前作「歩行船」には男が出てこなかった。今作には男性が1人出てくるが、描かれ方はいわゆる男性的な男性ではなく、より男性の不在が際立っているではないか

    それから、これはくだらないことだが、わたしは中学のころ、ファリックシンボルとしてニジマスが登場する小説を読んだことがあった。「歩行船」のパンフレットに阿部定の名があったこともあり、姉マイと妹アサヒがキッチンで容器に入ったニジマスを覗き込むシーンなどは、おや?と思いながら見ていた。


    民宿という場所に関することや、劇中での時間の問題については書けませんでした

    再演を気長に待ちます 次回作も楽しみです(おわり)

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    2015/12/19 23:35

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