我らがジョーク 公演情報 多摩美術大学 映像演劇学科 FT 3年生Aコース「我らがジョーク」の観てきた!クチコミとコメント

  • どこか傍観者を装う演技

    まず、25分遅れて観劇したため、彼らの『我らがジョーク』の本質的完結に触れることができたかといえば、大いに疑問である。

    この舞台は大学演劇学科の稽古場と、キャンパスからの脱獄を図る二部構成だ。多摩美大が2時間の長編作品を上演すること自体、珍しい機会であるが、今回はストリートプレイを やや試みたのだろう。
    通常、年配男性に「理解できないな」とコメントされる彼らの作品は、幾何学的な台詞やダンスを多用する傾向がある。そうした過去公演と比べれば、『我らがジョーク』は演劇スタジオというリアリズムに則った空間設定、稽古中であるという話の筋はしっかりしているかもしれない。

    ただし、私は彼らが「ストリートプレイ」を追求せず、「多摩美らしさ」を隠せなかったことに対し、安堵している。


    25mほどの長い舞台空間に、数人の役者同士が「群」をなす。
    それは、演技中だろうと、休憩中だろうと、関係ない。
    “非常に自然な、現代の若者における内輪”のリアリズムを表現した「コミュニケーション」が、その片方の群れAで交わされる。当然ながら、もう一方の群Bでも交わされるわけだが、この「コミュニケーション」が互いに影響し合い、新たな展開を作り出すことはない。

    つまり、演劇スタジオなる確固たる空間設定がなされておきながらも、右と左では“異なる舞台が同時並行に、全く同一の目的を持ち進む”構成である。

    ネタバレBOX


    私は群れの人数について「数人」と記したが、孤立し、ホワイトボードに稽古成果を落書きする者もカウントされる。あるいは、時折、客席から顔を出す演出家も、その「数人」に含まれる可能性もある。


    こうしたコミュニケーションの断片化は、観客を混乱させ、ストーリーとしての道筋すら否定してしまう。


    それに比べれば、第二部の「脱獄コメディ」は、よりストーリープレイの要素があり、大衆に支持される演劇の基礎を有していた。
    劇団員が「アメリカのセックス・シンボル」マリリン・モンローへ変装する際、彼らはカーテンを開け、大鏡を出現させてしまった。
    そこで化粧を塗りたくる、「女優」と、中央の観客席が一つの
    板の上に「共演」している「画」は、前代未聞だろう。

    楽屋の女優と、本番中の観客が触れ合うことは、演出家が思いもよらなかった盲点だからである。


    このマリリン・モンローたちは、皆が ホワイトのスカートを着用し、時には観客の男性を挑発する。
    現代の日本の女子高校生も、マンホールから吹き上げる風圧を受けた時、「マリリン・モンローだ…ふあ」とおどける。この女性の知名度を示す逸話だ。


    しかし、多摩美大出身劇団である『宗教劇団ピャー!!!』に比べると、消極的演出だろう。
    一人の女性のみが、自らの腕とスカートを「釣り糸」方式により連動し、「マリリン・モンローのパロディ」を画策していた。ところが、彼女でさえ、ヒラヒラのパンツを履いていたのである。
    思い切りの良さが足りない。



    『我らがジョーク』を発表した彼らは、多摩美大の学長を名指しで批判し、「人間のごみくず」とまで罵った。床暖房の欠如、トイレの故障、機材を含めた施設の老朽化を、彼らはパンフレット紙面で嘆いている。


    しかし、最後の演説とも捉えることができる、「多摩美大批判」は、観客を不安と興奮の渦の当事者にした。
    60年代安保闘争以来の、“騒ぎ立てるレベルではないが、確かな、まっすぐの反発”だろう。


    米・ミシガン大学のロバート・アラン・ヘイバーは、1960年代「民主的社会を求める学生たち」( SDS)を結成した。
    『ミシガン・デイリー』の編集責任者を務め、彼の仲間と全世界に訴えたのが1968年「世代のための行動計画」=ポートヒューロン声明である。
    もちろん、人種差別撤廃を要求した“反抗者”だ。


    同時代、ジュリアン・ベックという演出家が、新しい演劇様式「リビングシアター」を生み出し、世界中を回った。
    「リビング」だからチケット要らず。終演後、観客が発する声は「戦争やめろ!」である。



    彼らはストーリープレイを志向していない。多摩美大学長には一刻も早く辞めてほしい。

    なら、問おう。


    「あなたがたは、若き演出家ジュリアンなのか?」
    と。

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    2014/02/04 01:34

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