「伽羅倶璃」-カラクリ- 公演情報 護送撃団方式「「伽羅倶璃」-カラクリ-」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    あやかし
     舞台美術のセンスもよく大道具の仕掛けもしっかりしている。メインストリームは「曽根崎心中」の悲恋を、詐欺師のくぐつ、旅芸人の系列だが特異な力を持つ捨て子のうつつに負わせる物語。うつつの力とは、その家系の者に備わった“あやかし”の力だ。(追記2013.9.27)

    ネタバレBOX

     さて、江戸で一旗揚げようと乗り込んできた二人は、その目を見ると夢幻の世界を体験できると、くぐつ得意の啖呵でひと儲けしたが、ひょんなことから“いんつけ座”のチンピラと揉め事になっていた所へ、兄貴分達がやって来て、オトシマエを要求され、とどのつまりは、いんつけ座の下働きをさせられることになる。が、この時のいざこざが命のやり取りにならなかったのは、誰かが妖術を使ったからであった。
     その後美形のうつつは、筋も良く、段々、いんつけ座の面々に溶け込んで行くが、くぐつは、飽くまでうつつを操っているのは、自分だと嘯いている。何故それほどの自信があるかと言えば、彼には、実際に起こった心中事件を題材にした傑作、「曽根崎心中」があるからである。然し、自信満々、くぐつのオリジナルであるはずの「曽根崎心中」は既に何年も前に細川座で「伽羅倶璃」の演目として上演され、大当たりをとった作品であった。以来、江戸では伽羅倶璃がもてはやされ、細川座が江戸一番の賑わいを見せていると言う。作者は、戯作。その後新作が待たれるが、現在執筆中らしい。
     ところで、江戸時代に、幕府がお墨付きを与えた江戸の歌舞伎小屋は三か所。それ以外は、公式の芝居小屋では無い為、風俗紊乱などを理由に何時取り締まられるか分からない状態であった。無論、幕府が認めたということは一流の証とされ、格式も高く、其処で演ずることのできる役者は一流とされたわけである。その為、人気は江戸一番とはいえ、お墨付きが欲しい、細川座座長の半蔵、戯作らは、一計を案じる。
     偶々、奉行の堀田は、中々の趣味人で、現在は、生身の人間の芸を売りにする市谷座の看板“太舞楽”を贔屓にしている。この太舞楽に挑む細川座は、お膳立てを整え競技会が開催されることになった。結果は、細川座の伽羅倶璃、張璃子、いんけつ座で踊りを披露するようになっていたうつつが、共に引き分けて幕府からのお墨付きを享受することになった。
     この2人のお陰で、細川座、いんけつ座は賑わうが、伽羅倶璃の見せる夢幻には、阿片が使われていたのではないか、との疑いで動いていた捕り物には、罠に嵌められた市谷座の若座長、秀彦が掛かってしまう。この辺り、無論、曽根崎心中のストーリーが絡んでくるのは、芝居好きなら誰でも分かることだろう。
     これらの筋書きを書いたのは、戯作。自らが心血を注いで作り上げた伽羅倶璃を更に完全な物にする為、うつつの能力を張璃子に移植しようと目論んでうつつを誘拐するが、張璃子は、実は、奉行所の同心、律香の死んだ妹である。戯作は、美しい妹を今で言うサイボーグに作り替え、蘇らせたのであった。だが、律香は、これを許せない。うつつの囚われていた所へ乗り込んだ際、戯作は、張璃子を操って邪魔者を消そうとするが、サイボーグと化した張璃子の中に未だ残っていた人間としての意思が、これを遮り、阿片を用いて大儲けをしていた半蔵、戯作を殺す。そのドサクサに紛れてうつつも救われるのだが、うつつがかどわかされる前、あやかしの力を持つ者は、なぶり殺しに遭わされて死ぬ、という旅芸人達に伝わる話から、うつつの将来を案じたいんつけ座の面々は、当座の生活費をくぐつに渡し、別れるように迫っていたのだった。一時、こんな経緯で江戸を離れたくぐつであったが。宿命は再び、彼らを逢わせる。
     而も、彼らの恋の宿命は、互いに心ひかれ乍ら、詐欺師であるくぐつは、その生業から人の真を信じることができず、あやかしの血を受け継ぐうつつは、愛すれば、愛する程、惚れた相手を惑わしてしまう。うつつは、この宿命から脱出する為、愛するくぐつに自らを殺して貰おうとする。
     当に彼女を殺害しようとした刹那、うつつの血の中から伝説のあやかし、半身は人、半身はカラクリ、そして血はあやかしの伽羅倶璃が現れ、くぐつを殺そうと迫る。操りの束縛を何とか振り切ったうつつは、くぐつを庇って凶刃に倒れるが。
     それも詐欺師、くぐつの書いたシナリオ。総てが仕組まれた仕掛けであった、というオチがつく。
     観客としては、楽しめる作品だが、知的策略が張り巡らされている為、作品に酔うことはできない。だが、作者は何故、このような作品を作ったのか? 自分はそれを以下のように解した。即ち、この作品自体が、演劇に対するメタ演劇なのだと。丁度、ドン・キホーテが、中世の物語に対するメタ物語であったように。つまり、この物語を演劇そのものの、方法論として読み替えてみるのである。劇作家が物語を紡ぎ、役者、演出家など舞台を創る側が、歌舞くという行為によって、観客を幻術にかけ、幻影を見せることで、現実の見方に何らかの変容を齎したり、カタルシスを体験させる。
     幕が下りれば、死んだハズの人間達は、談笑し、酒を酌むという次第だ。
     一点、残念だったのが、三味線の腕である。もう少し、練習して欲しい。

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    2013/09/27 02:18

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