演じる“吹き替え”
「時代劇」は、砂漠が時間の経過につれ沈んでいくように衰退するものだと思っていた。
しかし、今、「クール•ジャパン」という地響きに合わせ、その古い砂漠は ひょっこり地上へ顔を出す。
例えば、映画『銀魂』がそうだし、映画『るろうに剣心』も同様の現象である。
時代考証、衣装、歴史には向き合わぬ作品ばかりかもしれない。
しかし、クール•ジャンルと手をたずさせた結果、「時代劇」は今や若い世代の手にあるものだ。
鎌倉時代、同じ源氏に仕えながら、兄弟で主人を別とする「刀」がいた。
舞台上で語る、黒いマントに身を包んだ彼らは、ストーリーテラーよろしく、戦乱の物語を 約5分に凝視した。
次の場面、そこにいたのはマントに身を包んだ人々ではない。
クール•ジャパンですねとしかいいようがない独自の袴姿を着た、一人の侍であった。
その侍は、観客席へ「本格的な時代劇が始まると思いましたか?」と投げ掛ける。
そうだ。クール•ジャパンを握り絞める若者に、「本格的な時代劇」は 要らない。古い新聞紙はグジャグジャにし、路上へ捨ててしまう。
この舞台は、現代の上野国立博物館特別展で刀たちが“再会”する場面から始まる。
主人刀を支える若丸の、6歳程度の童子の話し方、カラスの「そうだねえ〜」という高く響く、話し方。
クール•ジャパンの基では、当然ながら武士の口調も聴こえるものの、キャラクター性に重点を置いた話し方が多かった。
ただ幼年の口調なだけではない。
「あっ、これは もう、声優だ」
私が受け取ったのは、アニメーションに直結した舞台造り であって、つまり役者は生アフレコをしたのだ。
ヘアーカラーが赤茶だったり、紫の混色だったり、それはアニメーションの人物画に他ならない。
物語の展開 を超えた、キャラクター自身の魅力はクール•ジャパンのなせる技である。
他方、私が観劇した回について、客席の入りは50%を下回った。
殺陣、ダンス 等々、視覚エンターテイメントの要素を 袴の中に持つべきだったのか。(不十分)
いずれにしても、流行のクール•ジャパンだけ取り入れた舞台であれば、回転ドアのように若い女性が次から次へ来るわけでもなさそうだ。