ライクアプラスチック 公演情報 あひるなんちゃら「ライクアプラスチック」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    こぢんまり
    ※感想はすべてネタバレBOXに記しました。

    ネタバレBOX

     こぢんまりしすぎていた、というのが率直な感想。
    あひるなんちゃらを観始めてもう5年になるし、その作風は心得ているつもりだが、それにしても今作は話に波がなさすぎた。
     私が観た回の前説をしていた堀靖明さんが言っていたように、「これといった盛り上がりがな」く、ドラマ性に乏しいのがあひるなんちゃらの劇世界だし、それでも起こる小さな出来事をめぐって大なり小なりの欠陥を持つ人間たちがバカバカしいやり取りを繰り広げ、罪なき愚行に走るこの劇団の作品世界を私は愛してやまない。
     その“小世界で起こるアホ話”に魅せられてきた私にさえ物足りなく思えるほど本作はちんまりしていたのだ。
     思い返すに、私が最初に観たあひるなんちゃら作品『父親がずっと新聞を読んでいる家庭の風景』や次の『フェブリー』は近作よりもいくらか劇的だったし、いくらか賑やかだったように思われる。
     近作は一場物が目立つのに対して、船内での騒動を描いた『フェブリー』では貨物室、客室、調理場など舞台となる場所がつぎつぎ移り変わる上、船外の場所、たしか波止場を舞台にしたシーンもあったはずだし、密航者であるバンギャル3人が貨物室でヘッドバンキングの練習をするシーンをはじめドタバタ要素の強いシーンも多く、その賑々しくもバカバカしい劇世界を私は大いに堪能したものだ。異儀田夏葉と篠本美帆演じる2人の女幽霊が「ブス!」「デブ!」などと海上で互いを罵りあう珍妙なシーンがあったのも確かこの作品ではなかったか。
     『父親がずっと新聞を読んでいる家庭の風景』は『ライク・ア・プラスチック』同様に一場物だったと記憶しているが、今作よりも人の出はけが激しく、舞台となる家庭におかしな人物が次々やってきてはくだらない騒動を巻き起こす物語はこの劇団を特徴づける“頓痴気な会話”をベースとしながらも「会話劇」の枠に収まらない躍動感に満ち、今作『ライク・ア・プラスチック』と観比べると作風の変化を感じずにはいられない。
     いや、こりっち内の別の場所にも書いた通り、ドタバタに頼りすぎず“会話の妙”で可笑しみを生み出すところにあひるなんちゃらの長所はあり、『父親が~』と『フェブリー』の2作品もベースは会話劇なのだが、ここ最近の数作は「会話劇」の枠内にお行儀よく収まりすぎているきらいがあるのだ。
     思えば、意図せざるものか意図したものかは不明だが、『父親が~』にも『フェブリー』にもいわゆる“見せ場”がいくつか用意されていた。『フェブリー』では上記のバンギャルのシーンがその一つだし、『父親が~』では“他人のケータイに届いた迷惑メールを読み上げるのが趣味の男”が舞台となる家庭に来て家族を混乱に陥れるシーンがその一つに数えられる。
     “ある場所に色んな人物が訪ねてきては小騒動を巻き起こす”という『父親が~』と同じ劇構造を持ちながら今作『ライク・ア・プラスチック』が『父親が~』より物足りなく思えるのは、“ドタバタに頼りすぎないのが長所”などと書いておいてこんなことを言うのもアレだけれど、今作に『父親が~』ほどの躍動感や賑々しさがないせい、バカバカしい見せ場がないせい、そして『父親が~』のケータイ男のような“頓痴気が極まった人物”が出てこないせいだろう。
     さらに言うなら、主人公が設けられていることも今作がこぢんまりしてしまった遠因を成していると思われる。
     近作3本の中では最もドタバタ色が濃くまたバカバカしかった『ギプス不動産』にも、たびたび引き合いに出している『父親が~』にも『フェブリー』にも主人公と呼べるような人物は登場しない。
     一方、今作と前々作『ニアニア・フューチャ』では篠本美帆が主人公を演じ、漫画家に扮した今作でも女友達と無為な同居生活を送るフリーター(でしたっけ?)に扮した『ニアニア・フューチャ』でも主人公が些細な出来事を通じてある“気づき”に至って話が終わる。このように、主人公を設けると話は不可避的に主人公の成長譚の性格を帯び、いくらか真面目なトーンに支配され、いまひとつハジけきれないままに終幕を迎えてしまうのだ。
     こうなることを避けるためにも、今後の作品では出来ることなら主人公を設けないほうが良いのではないだろうか?
     以上、キビしいことを書いてしまったが、こりっち内の別の場所にも記した通り、作・演出の関村さんにはこれからますます活動の幅を広げてもらってゆくゆくは『やっぱり猫が好き』風のTVコメディを書いて頂きたいと願っているし、ああいうテイストのコメディが書ける作家は当代の日本では関村さん以外にいないと思われる。
     そして私は今後もあひるなんちゃらを観続けるし、ワンアンドオンリーの面白みを持つこの劇団の芝居が半期に一度のハイペースで観られるありがたみを忘れずにいようと思う。
     いや、そもそも、『ライク・ア・プラスチック』にしたって単体で評価するなら十二分に面白いのだ。だが、あひるなんちゃらにはこれを凌ぐ過去作品が多々あるために私は今作をそれらとの相関関係の中で価値づける相対評価に走らざるを得ず、結果、あまりいい点をつけられなかっただけのこと。
     そう、私はあひるなんちゃらを知りすぎてしまった男なのだ。

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    2013/07/23 05:53

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