マリオン 公演情報 青☆組「マリオン」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    美しい重なりの先にある生々しさ
    じつにしなやかに
    世界が重なっていきます。
    それぞれの世界にすっと取り込まれ、
    入り込み、再び戻り、
    気が付けば
    異なる世界にひとつの俯瞰が生まれて浸潤されて・・・。

    絶妙にボリューム感があって、
    身体の使い方や歌にも深く捉えられて、
    くっきりとしていて、
    その物語たちを
    一緒に旅してきたような充実感に満たされて。

    でもねぇ、舞台から受け取ったものがあまりにも端正に思えて、
    受け取ったものの一番大切な何かを見落としている感覚もあったのです。
    それが何かに思い当たったのは、
    イベントに参加させていただいて、劇場を出た後のこと。

    舞台の印象が変わったわけではなく、、
    そこに作り手が紡ぎ込んだものに
    ふっと想いが巡って・・・。、
    一つの暗喩を見つけた気がすると、そこから様々な表現の
    新たな意図に思い当たり、
    物語にさらなる景色がすっと浮かぶ。

    考えすぎなのかぁとおもいつつ、
    でも作品に込められたものの、更なる深さに
    想いを馳せたことでした。

    ネタバレBOX

    冒頭、闇の中に男女の会話が生まれます。
    男と女とリアカー。
    敗戦後、街に現われたというマッチ売りの少女
    (客にマッチを売ってその明かりで秘所を晒す商売)と
    客のような二人の姿・・・。

    やがて、女は話をしたいと言い、男は聴くという。
    そして彼女の記憶、旅芸人の世界が現われて・・・。
    『天然の美(うつくしき天然)』のメロディーとともに
    彼女の記憶が紐解かれていく。
    リアカーと太鼓とアコーディオン・・・、
    どこかチープで、でもしっかりと作りこまれた音楽に、
    刹那の明るさと世界の滅びの気配にただよう哀愁が織り上がり、
    そのなかで語られるセイシェルぞうがめの物語が
    観客をも、その顛末に閉じ込めていく。

    ぞうがめの物語を織り上げる、その表現の細やかさや
    身体での空間の造形の確かさに目を瞠る。
    そこには、きっと男性が概念でしか理解し得ない
    女性が抱く命を育み、繋ぐ想い、
    過ぎ行く日々と恋する心、
    さらには男性の冒険心と、
    記憶の中に生きる時間があって。

    物語を語る一座は、
    父の望郷の思いとともに旅を続け、
    少女はひとりの女になり、
    さらには、一座はこの国の廃墟の中に滅び記憶となる。
    そうして、彼女は残されて、物語は冒頭に返り、
    光景は自らを抱え込んだ女性と、その女性をショウワの遊びでのぞく
    男のすがたへと立ち戻って・・・。

    そして、表層の部分の、
    互いの距離感の中で、男は女の名前を尋ねるのです。

    観終わって、しばらくは、三層(とちょっと)の物語にただ浸されていて。
    やがて、つながり行きかう物語の刻まれたシーンたちが蘇る。

    まずは、互いが再び戻る孤独にとまどうように、
    女に名前の聞いた男の気持ちが広がり、
    聞かれた女の今が改めて解け、
    彼女自身の歩んだ道と、
    寓話に織り込まれたゾウガメの一生に重ねられた女性の長い孤独と、
    そこに交わろうとする男性の人生のありようの俯瞰が生まれて。

    役者達の演技も実に秀逸で、生地を染めて物語を描くのではなく、
    一本ずつの糸を紡ぎ、染め、織り上げていく感じがあって。
    身体で紡がれる動きも、リズムも、台詞のニュアンスも、感触として訪れる。
    それは、やがて、その座標に生きることと女性が普遍的に持つタイムテーブルと
    セイシェルゾウガメの物語に描かれた孤独と、それを伝えたいとおもう気持ちとなり、
    暗喩がひとつずつ翻り、重なり、
    ひとつの作品のボリューム感となって鮮やかに伝わってくるのです。

    観終わって、とても美しい舞台だと思い、
    やがてとても生々しい舞台だと思った。
    その異なる乖離した感覚が、
    不思議なことにひとつに束ねられて、
    終演後そのからさらに踏み込んだ世界に
    幾重にも解けていったことでした。

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    2013/07/01 00:20

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