長い墓標の列 公演情報 新国立劇場「長い墓標の列」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    理念か現実か
    本作の初演は1957年ですが、約55年が経過した現代においても
    舞台の設定を変えるだけで、そのまま今の日本の状況をものの
    見事に説明しているような気がして、正直少しぞっとしました。

    何故なら、本作の最後は、「理想の死」と、最早逃れられない
    「破滅」と、醒め切った「現実の蔓延」で幕切れを迎えるからです。

    それを客席から観ている自分にとっては、現在の日本の未来は
    まったく同じ地点に帰結するのではないかという考えがひしひしと
    するのです。

    ネタバレBOX

    物語のあらすじは「説明」にある通りです。

    この作品で最も重要と思われるところは理想的自由主義的
    社会主義を掲げ、「人間の可能性は無限大だ」を奉じる山名と、
    その弟子である城崎の対立でしょう。

    あくまで、「人間の可能性は無限大で、負ける闘いでも闘い
    続けなければいけない」とする山名に対して、

    城崎は全く違う意見、「万人が先生のような正しさに
    生きているわけではない」、「既に終わってしまった大学でも
    教えを請いに来ている学生はいる。彼らを自分の理念だけで
    見捨てるわけにはいかない」、「そもそも先生の発言はつまらない
    ヒロイズムに過ぎません」を言う。

    観ていて、太宰治の「駆込み訴え」を思い出しました。

    「理念に生き、美しいままでありたい」とする山名に対して、
    人間はそうなれるほど強くはないとする城崎の対立。
    城崎が最後、山名を裏切り、大学に復職するところが
    イエスを裏切った、弱いユダを思い起こさせました。

    もちろん、山名の確固たる姿勢にも瑕疵がないとはいえません。

    「理想に生き、美しいまま生をまっとうする」というのは、自らの
    理想的民主主義的社会主義の立場からみれば、人間本来の
    精神に則った、発展的、進歩的な生き方かもしれませんが、

    この「理想」を「八紘一宇」、もしくは「大東亜共栄圏」の理想に
    置き換えてしまえば、なんのことはない、意見を異にする、
    革新派の立場とそう変わることはないのです。

    現に、憑かれたように研究を重ね、命をも燃焼させている
    山名の姿に、私は気高さというより、妄執のようなものすら
    覚え、そら恐ろしさすら感じました。

    そこにあるのは、城崎がいみじくも言い放った、「ヒロイズム」であり、
    日本民族の未来は我にあり! とする、旧来的な知識人階級の全人
    善導型の指導体系に過ぎないのです。

    その、単純に過ぎない対立が、本作『長い墓標の列』であり、山名と
    城崎―「理想主義」と「現実主義」の終わることのない対決は、現代
    日本の潮流の中にあっても脈々と生き続けていると言える気がするのです。

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    2013/03/31 10:57

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