たんげ五ぜんの観てきた!クチコミ一覧

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やってきたゴドー

やってきたゴドー

劇団東京乾電池

駅前劇場(東京都)

2017/01/18 (水) ~ 2017/01/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

とても刺激的だった。観念作品としての異常な可笑しさを、軽妙な「芝居」として成立させるすごさ。最終的には、脚本のもつ深みを考えさせられた。不条理劇というより、これこそが今の社会のリアリズム劇なんじゃないかとさえ思った。

ネタバレBOX

 「解釈」とは作品の意義を狭めてしまうので、慎むべきだとは思うけれど、個人的にどう思ったかだけは書き残す。
 ゴドーは「神(ゴッド)」の隠喩か、それとも「死」の隠喩か、はたまた「幸福」「破局」、、、「生」の、、、様々な解釈が成り立つ。この問題は本家の『ゴドーを待ちながら』でも散々議論されてきた問題のため、今さら語ることではないか。
 話者の言葉を受け取らない相手。対話は成立せず、モノローグをお互いが語りながら、どんどん話はズレて展開し続ける。これは、まさに今のSNS型社会の在りようそのもの。ネットでの関係に限らず、実際の人間関係でも、このようなトンチンカンなやりとりは日常茶飯事。不条理劇というより、これこそリアリズムなんじゃないかというくらい。
 目の前にいる人の姿は見ず、言葉は聞かず。目の前の幸福にも気づかず。目の前の差し迫った危機・破局にも気づかず。誰しもが見て見ぬふりをしているのは「現実」そのものなんじゃないだろうか。そんなことを思った。
メロン農家の罠

メロン農家の罠

桃尻犬

OFF OFFシアター(東京都)

2017/01/12 (木) ~ 2017/01/18 (水)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2017/01/18 (水)

差別など、あらゆる価値観を相対化していく視点が面白かった。
未来への希望のなさ、人間への幻滅なども、とても共感した。
作家・演者にとっても、切実な問題なのだと思う。
役者さんたちの力の入った演技がとてもよかった。

ネタバレBOX

観劇後にいくつか考えたことを列記。
〇前半はとても面白かったけれど、後半、面白さが減った気がした。「差別」を生むのは、人と人との価値観のズレから生じるものなので、そのズレの際どさが前半の面白さを作っていたと思うのだけれど、後半はあらゆる価値観が崩壊していき、カオスになってしまう。それによって、ズレからくる面白も無くなってしまったように感じる。
また、ある構築されたものが解体されるというのも、ひとつのドラマツルギーの典型のため、典型だと悪いという訳でもないけれど、驚きがなかった。
〇差別や偏見を扱うことのキワドさについて。ギリギリで成立していてよかったけれど、この脚本がどれほどギリギリかという点へ作家が自覚的であるのかというのは、どちらとも取れる。差別的視点を自覚的に書いてこの本の可能性もあれば、無自覚的の可能性も。具体的に言えば、「工業高校出身」(学歴)であるとか、「ヤンキーで早く子供を作ったから、変な名前を子供に付けた」などの部分。扱い方をちょっと間違えば、これこそ差別で。また最後のオチを「ヴェトナム人」にするところとかも。もちろん、ギリギリでどうとでも観客が受け取れるというラインで成立しているから問題はないのだけれど。逆に言えば、その辺がスリリングな問題提起になっているとは言えるけれど。
〇エロネタが後半多用されるけれど、それ自体に良いも悪いもないけれど、もはや性の問題はタブーというほどではない時代に、あえてあれほど出して書かなくてもとは思う。前半部でも面白い脚本が書けているのだから、エロネタみたいなキャッチ―なものに頼らなくてもいいのになと。それで面白おかしいという客もいる反面、それで損している部分もあるんじゃないかなとさえ思う。
ネタバレは、余計なお世話ですよね、すみません。何かの参考になればと。悪しからず。
ザ・空気

ザ・空気

ニ兎社

富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(埼玉県)

2017/01/15 (日) ~ 2017/01/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/01/15 (日)

 『ザ・空気』は、今の社会が抱える問題に直球で永井愛氏が挑んだ作品と言えるだろう。抵抗の表現として本当に素晴らしいと思う。私は、作品が作者のメッセージになることに戸惑いがあるけれど、今の日本のメディア状況は、そんな悠長なことを言っていられる段階にないと思う。また、ギリギリのところで、一義的メッセージではない演劇的ドラマツルギーが成立していたとも思う。前半部では、今のメディア状況を述べるために、説明的な部分も目立ったけれど、1時間45分くらいの長さで、今のメディア状況の問題をここまで的確に濃縮できるというのはすごい。
 作品自体に不満はないけれど、個人的には「空気」というと、上からの圧力というより、何の圧力もかかっていないのに同調して、それがSNSなどの熱狂と相まって形成される流れや、政治の話題を気軽に出してはいけない雰囲気の読み合いなどの方に関心がある。ファシズムはこちらから生まれると思っているから。『ザ・空気』の主題はメディア批判の文脈では割と言葉になっていることなので、未だ言葉になっていないものに戯曲が言葉を与えてほしかったという意味でも。とはいえ、それは高望みで、充分に素晴らしい作品でした。
 フリーである私には、本当の意味での組織の苦悩は体験としてはないのだけれど、メディアに関係する身としては他人事ではなく切実に響くものがあった。なにより、よ~く聞いたり、読んだりする話だから。「そうだよね」「そうなるよね」って。自主規制に関しては、フリーでも、自主制作で作る場合でも、結局あるものだから。
 メディアに関わってない人には「うそ~」ってことも多いのだと思うので、ぜひ多くの人に観ていただきたい。これが現実ですよ、フィクションというより、ドキュメントというか。
 【追記】
 この物語のようなことは、あらゆる表現の世界にあること。そういう意味では普遍性がある。ただ、もう一方で、普遍的でありながら、例外的でもあるということは押さえておく必要がある。
 政権批判的な表現が上からの圧力によって潰されるような事態は今でも厳然とある。ただ、例外的だ。というのは、この演劇でも描かれている通り、自身の立場、ひいては生活のために、自己保身に回る。自主規制する。自分が実害を受けてまで抵抗する人は少ない。いや、保身のためにやりたいこともできず、言いたいことも言えないという状況はまだマシだ。むしろ、「政治的問題なんて本当にどうでもいい」と思っている表現者、報道関係者さえもごまんといて、むしろそっちの方が大多数であるということ。それこそが最大の問題とも言える。
 作品は現実の一部を切り取って世界として提示するものなので、少ない抵抗の現場を作品化することに何の批判もない。ただ、これがやはり普遍的力学でありながら、事象としては例外的であるということは、観客は踏まえて観た方がいいとは思う。

ネタバレBOX

一番ぐっときたのは、ラストでの編集マンとディレクターのコントラスト。
亡国の三人姉妹

亡国の三人姉妹

東京デスロック

富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(埼玉県)

2016/12/21 (水) ~ 2016/12/22 (木)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2016/12/22 (木)

【異化の進化形、そして言葉の力】
 この舞台では言葉が宙づりにされ続ける。言葉は話者が相手役に届けるために発せられるのではなく、観客に向かって語りかけるわけでもなく、役者が自分自身に語りかけるわけでもなく、舞台上に投げ出されたまま。どこにも送り届けられることのない言葉は、舞台上を彷徨い続ける。
 それぞれの役に別の動作を課しながら芝居をさせたり、人形で芝居をさせたり、その有機的対話の切断は自然でも不自然でもなく、絶妙に続けられる。また、舞台上での物語と関係ない人物やその動作が介入し、観客の意識も常に切断され続ける。
 観客はその距離のある舞台に対して、そこで投げ出されている言葉を意識的に捕まえに行かなくてはいけない。その際、舞台と観客の間にある目には見えていない社会の事象を通ってそれらの言葉を捕まえることになる。
 舞台装置は難民キャンプのようなテント。あらゆる美術や衣装にまでに丸い穴があいている。水玉を意味するのか、ドットか、はたまた穴の開いてしまった半透明な現実感のことか。その答えは観客が考えるしかない。
 そこにシリアをはじめとする難民問題を重ねることもできれば、そこから生まれる移民問題、3.11や熊本の震災でのことを思う人もいるだろう。また劇中の家族に、現代社会の崩壊しつつある家族関係や不倫問題、DVなどを重なることもできる。
 観客の数だけ、この舞台を観るためのフィルタ―があり、そのフィルタ―を通すと、100年以上前のロシアの風景は、現在進行形のわたしの切実な問題となって起ち現れる。
 物語があることで過去の出来事として認識されてしまうチェーホフの『三人姉妹』を、物語から言葉を開放し、その言葉の普遍性・現代性を露見させている。そこにある力を。
 ただ、一点気になるのは、結局は言葉に依拠しているという点。現代演劇の闘いは、物語(ドラマ)への抵抗というだけでなく、言葉への反逆の部分もあった。とはいえ、もはやその言葉の力も失われてしまった時代に、そこでもう一度言葉の力をということなのだろうか。
 この作品では、その言葉の力を一方で最大限に利用しつつ、言葉と身体とのズレ、自己と他者のコミュニケーションツールであることを根本的に解体してもいる。この点がこの作品の最大の特異性であり、面白さである。それが、現代社会のコミュニケーション不全、対話の成立しない時代、他者なき時代、それぞれが勝手なことを言い、相手の言葉など聞こうとしないSNS型社会を表象している。それが演出意図であれ、偶然の産物であれ。
 このように理屈で考えてきたけれど、理屈で整合性がつかない部分こそが、演劇のもっとも面白いところ。コミュニケーションが解体されている芝居の中で、時折、役者同士の有機的対話が成立しかかる時がある。また、役者それぞれの中でも、言葉や他者との距離の取り方が一定ではない。上手い役者は場面場面によって、その距離感を変えているのもわかる。それらの距離の違いやズレが、この作品に異様なグルーヴと、無機的な芝居の中にある有機性、生命感を与えている。
 作品の内容的な解釈は無粋だと思ってしていないけれど、1点だけ。この作品で繰り返し語られる、何百年も先の未来(正確な文言は忘れました、すみません。)への視座というのは、とても不思議。少なくとも100年強では、この作品の言葉たちは無効になっていない。いや、より切実になっているとさえ言える。チェーホフ賛美で言えば、そこに普遍性があるとか、予見的だと言えるわけだけど、逆に言えば、人間は100年たっても、何年たっても変わらないのだなと思うのでした。せめて、何百年か先には、この戯曲が無効になるような未来であってほしい。まぁ、「無効」の意味が最悪の形である可能性もあり、それは本当に望まないのだけれど。

ドーレ・ホイヤーに捧ぐ 『人間の激情』『アフェクテ』『エフェクテ』

ドーレ・ホイヤーに捧ぐ 『人間の激情』『アフェクテ』『エフェクテ』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

あうるすぽっと(東京都)

2016/12/09 (金) ~ 2016/12/11 (日)公演終了

満足度★★★★

ドイツ表現主義
作品評としてではなくて、この作品を観た自分の問題として、
「わかる」とは何か、ダンスにとって知性とは何かを考えさせられた。

ネタバレBOX

ドーレ・ホイヤーを巡る3作からなる。
『人間の激情』
ホイヤーの作を、スザンネ・リンケが再構築したもの。
タイトルのことを考えずに漠然と見ていたら、何がなんだかわからなかった。とても無機的に思えたけれど、後でタイトルを見ると「人間の激情」とある。ということは、抑制した動きの中に激情を表現していたということか。少なくとも、観ながらはわからなかった。

『アフェクテ』
スザンネ・リンケ作。
『人間の激情』で、あまりに意味を考えずに観すぎたと反省し、タイトルの意味を考えながら観ることにした。パンフレットによると、「アフェクテ」とはフロイト心理学では「情動」とも訳される言葉のよう。「人間の激情」と近い問題ということか。
男女2人のダンス。男女間の情動のやり取りと捉えていいようだ。
音が印象的で、鳥(カモ?)の鳴き声などが聞こえた。
これは動物的な求愛を刺激する音、つまり、エロス(性/生)を喚起するものなのか、タナトス(死)を喚起するもなのか。というのも、ナチスの強制収容所では虐殺の日に、断末魔の叫び声を聞こえなくするために、カモなどを鳴かせたという話もある(クロード・ランズマンの映画参照)ので。(ドイツの演出家の作だから尚更そう思ってしまう)。
その後、銃声の音も響くので、尚更、男女の駆け引きのようでありながら、それこそがエロスとタナトス(生と死)の問題ということなのか。
そう考えると、逆に非常にわかりやすい。踊り自体も、そう思うと、あまりにもすっきりとそう見えてしまう。でも、そんな単純な話なのだろうか、、、。

『エフェクテ』
スザンネ・リンケ作。これも男女2人のダンス。
こちらも、音が印象的。冒頭はガイガーカウンターの音のようなものが響く。公演が行われているのが日本なので、原発事故のことを思わずにはいられない。その後、アルミケースが出てきて、それを並べながらダンスは進むのだが、この流れだと、アルミケースは原発のメタファーなんじゃないかと深読みしてしまう。そしてそのケースから、食卓セットが出てくる。これは最後の晩餐ということか。終末ということか。ユダの裏切りを予見しているということか、、、。その後、リンゴを男女はかじる。これはアダムとイブのこと、原罪のこと、、、そう考えるとすべてはひとつの物語にはなる。だけど、そんな単純な話なのか?もしそうだったら、あまりにシンプルすぎる。
踊りは自立した踊りというより、その物語を展開するために行われていたように感じるので、なおさら不可解だ。
「原発などの文明は、犯してはいけない罪に手を染めてしまった」というような文明批評と捉えるとしたら、あまりに陳腐。だけれども、それを越える何かを私は踊りそのものから感受できなかった。私の感性のなさの問題かもしれない。踊りにとって意味や物語とは何なのか。本当によくわからなかった。
『POLITIKO』

『POLITIKO』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

森下スタジオ(東京都)

2016/11/08 (火) ~ 2016/11/12 (土)公演終了

満足度★★★★★

すごい!
マレーシアが抱える政治問題を、ひとつのエンターテイメント・ゲームに詰め込んでいる。

ネタバレBOX

やり終わった後、最初に説明されたマレーシアの政治状況のことなど忘れてゲームを楽しんでいたことに気付いた。これでは、ゲームとして面白いだけじゃないかと思ったが、よくよく考えると、これは最初の理念など忘れて、勝つことだけが目的になる政治ゲームそのものではないかと気づいて、ゾッとした。目的のためには手段など選らばない。行使するカードの意味なんて考えない。それはリベラルの政党を自分が選択した場合でも変わらなかった。
このゲームには実は色々な仕掛けがあるので、単にゲームに勝つことだけを目的に楽しむのではなく、自分の選択した政党の理念と、使用するカードの倫理的意味なども考慮してプレイすると、更に面白い発見があるかもしれない。
『B.E.D(Episode 5)』

『B.E.D(Episode 5)』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

SAKuRA GALLERY(東京都)

2016/11/12 (土) ~ 2016/11/13 (日)公演終了

満足度★★★★

興味深い
BED/マットレスがもつ概念とマットレスを用いたパフォーマンス(ダンス)との間にある距離を、観客が自身の想像力によって繋ぎ合わせることで成立する作品。

ネタバレBOX

コンセプトとパフォーマンスとの距離が、割と離れていた印象。
その点を、観客の想像力によっていかようにも解釈できる自由な作品と受け取るか、作者のディレクション不足と捉えるかで評価は別れるような気がする。
私は後者に感じた。観客の想像力への誘導も、言語的には為されているけれど、ダンスパフォーマンスを規定するものが言語(意味)であるというのでは、少し物足りない。
ただ、BEDという夜の室内を想定する概念に対して、ラストで昼の外光を取り入れ、さらに最終的には密室から屋外へという展開を用意したのは素晴らしかった。

蛇足だけれど、寺山修司は『盲人書簡』において闇に対するものとして、照明ではなく外光を使用した(装置の河田悠三のアイデア)。唐十郎は、屋台崩しにより、テント内の劇空間と屋外空間(つまり、社会)との繋がりを明示した。『B.E.D』のラストが、なぜかかつての日本のアングラ演劇と共通する要素があったのは何なのだろうと思いながら観終えた。
インスタントカフェ・シアターカンパニー『NADIRAH』

インスタントカフェ・シアターカンパニー『NADIRAH』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)

2016/11/11 (金) ~ 2016/11/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

他者とは、、、
 宗教(イスラムとキリスト教など)の違いから生じる問題を中心に、国家(シンガポールとマレーシア)の違いや民族(マレー人、中華系、、、)の問題など、さまざまな角度から、「他者」との共生の意味が問われている。
 IS(イスラム国)によるテロが世界的な問題となり、同時にイスラム教徒が不当な差別にもさらされる中、そしてアメリカではイスラムや移民を差別してはばからないドナルド・トランプが大統領になるという状況の中で、この作品が問う「他者」との共生の意味は大きい。
 正攻法で非常によくできている脚本、シンプルだけれど繊細に配置された美術と演出。演技もすらばらしかった。

ネタバレBOX

 何よりもこの脚本に内包された複雑さは、近年の日本の作品には見られないもの。作家の能力も勿論だけれど、多様な民族が共存し、宗教が存在している中で、このような問題が切実な亀裂として現実に起こっているのだと思う。
 それと同時に、物語構造としては非常にシンプルなのは、宗教という明確な分断事項があるために、問題の中心を明示しやすいのだろう。日本にも排他主義は跋扈しているけれど、問題の本質が掴みづらく、物語化を現実が拒んでいるような部分がある(例えば、在特会や相模原事件の犯人のようなわかりやすい差別団体や個人が一番の問題なのではなく、なんとなく似た感性をもってそれを受容してしまっている群れとしての社会の方が問題など)。日本の方がより現実の闇が深いとも言える。日本のこの問題に戯曲が言葉を与えるというのは、難しいなと思う。
x / groove space

x / groove space

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2016/11/03 (木) ~ 2016/11/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

観客のあり方を主題化
観客参加型の作品。
観客は出演ダンサーと共にひとつの空間を創りあげる。
ただし、各人の参加の仕方は自由であり、その参加の仕方そのものが、作品の意味を規定する。
複数の意味で、観客が主役の舞台だと思った。

ネタバレBOX

この芝居においてダンサーの踊りは鑑賞の対象ではない。
ダンサーは創作空間と観客との媒介である。
その媒介によって、観客たちで満たされた場が変容していく。

まず、観客は自分が演者と、つまり劇そのものと、直接出会っているという興奮を覚える。
次に、周りの観客の反応を観る。多くの人はこの場でどう振舞っているのか、それは自分と同じか、違うのか。
更に、他の人を見て、自分は振舞いを変えるのか(同調するのか)などを、意識的にせよ、感覚的にせよ、踏まえながら、自分の身の処し方を決めていく。
そして最後に、自分の振る舞いの意味とは何かを考える。

二重の意味で、観客が主役の作品だと思った。
第一に、演者のダンスが主役ではなく、観客の体験そのものが主役であるということ。
第二に、演者のダンス以上に、他の観客の反応こそが鑑賞の対象であるということ。

そこでの振る舞いの意味は、観客の数だけ存在する。その解釈も。
例えば、皆と同じように振舞っている人は、多数派の振る舞いに合わせることで自己を防衛しているとも言えるが、協調性があるとも言える。
対して、頑なに自分を守っている人は、「空気」に流されない確固とした自己を持っているという言い方もできるが、融通がきかない、場を楽しめない人という言い方もできる。参加する勇気がない人とも。
周りの反応に合わせるかどうかという問題と、ダンサーのアクションに応えるかどうかという問題もある。

様々な意味で問われているのは、「観客」個人の反応と、「観客たち」の反応ということだろう。

一点、この作品の評価で難しいのは、その面白さを支えているのが、観客の直接参加という刺激ブツに依拠しているということ。
それはアルコールによる興奮のようなもので、知性や認識が刺激されている訳ではない。ここでの直接性も、他者と出会う危険がある訳でもなく、劇という守られた空間での幻想でしかない。
とは言え、ただ面白おかしいというだけではなく、その刺激を利用して屹立する世界が、少数派と多数派の問題など、現代社会を痛烈に批評しえているから難しい。
刺激ブツを利用しても、本質は失っていないのだから、作品が面白くなるなら使えるものは何でも使うべきと捉えるか、刺激ブツによって味わわせる興奮なんてマヤカシの興奮だというか、というところ。

私個人は、どちらも同時に思いながら観終えた。充分に楽しんだ上で。
『哀れ、兵士』

『哀れ、兵士』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

あうるすぽっと(東京都)

2016/10/27 (木) ~ 2016/10/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

正攻法の舞台
韓国にとって、過去から現在まで切実な、戦争・軍隊・兵士についての物語。
この具体性から、国家や会社などに従い、制度や規律を遵守して生きなければならないあらゆる人間の苦悩が見えてくる。その普遍性に至っている。

ネタバレBOX

日本の視点から観ても、朝鮮を支配していた時代のことは言わずもがな、韓国とアメリカ/中東との関係は日本とアメリカ/中東との関係と相似形であり、安全保障関連法の成立によって日本の自衛隊も韓国軍と似た状況に置かれることを考えると、他人事とは思えない。

ただ、リアリズム演劇なのに、現地の人間(日本、イラク)の言葉がハングルなのは少し違和感があった。特に日本の場合、最初は、ハングルをあえて使っている場面なのか、翻訳された会話なのか、観ていてわからなかったからだ。言葉に付随して、時代考証的な部分でも少し違和感があった。

そうは言っても、作品の本筋から見れば小さなことなので、今作の良さを損ねるほどのものではない。

生きるとは何なのか、深く考えさせられた。
混沌にんぶち

混沌にんぶち

野戦之月海筆子

矢川上公園(国立市)(東京都)

2016/10/01 (土) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★

桜井大造氏の存在感
桜井大造氏の存在感が圧倒的でした。

Woodcuttersー 伐採 ー

Woodcuttersー 伐採 ー

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2016/10/21 (金) ~ 2016/10/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

素晴らしい精度
 最終日に二度目の観劇。
 最初に観た時は古典的と思った演出も、よくよく観ると極めて微妙なズラし(異化)が多用されている。表面的には普通に見えるのに、普通じゃない違和空間を生じさせ続けるマジックは、極めて高精度の演出設計にあったのかもしれない。特に、舞台外から舞台に発せられる主体が曖昧な「声」は本当に絶妙だった。
 2度観ても飽きることはなく、より深く作品が問いかける意味を噛みしめることができた。
 カーテンコールの時、ルパの言葉だと思うが、ポーランドの社会状況とそこでの表現の在り方について語られた。日に日に表現の自由が奪われている状況について。それを聞く俳優の一人は涙を流していた。なぜこの作品をルパが今上演するのかということが、切実に感じられた。そして、それは日本の社会状況を考えても他人事ではないとも思った。
 素晴らしい舞台だった。

Woodcuttersー 伐採 ー

Woodcuttersー 伐採 ー

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2016/10/21 (金) ~ 2016/10/23 (日)公演終了

満足度★★★★★


観念ありきのテキスト、多少変わった部分もあるにせよ、どちらかというと古典的な演出。
普通に考えたら、退屈な芝居のはず。実際、見ていて歓喜するような興奮はない。ただ、それでも休憩をはさんで4時間強の芝居を、観続けてしまう。
そして観終わると、演劇や芸術とは何かという以上に、人生とは何なんのかについてジワジワと感じ入ってしまう。
何の魔術だろうか。クリスチャン・ルパの力か、トーマス・ベルンハルトの力か。とても不思議な作品だった。

署名人

署名人

libido:

プロト・シアター(東京都)

2016/10/06 (木) ~ 2016/10/10 (月)公演終了

満足度★★★★

今、この戯曲を、、、
戯曲の面白さ、複雑さが伝わってきて、よかった。

ネタバレBOX

 前半は、清水邦夫が、六全協以後、60年安保前後の新左翼における正義と暴力の問題を、明治期の自由民権運動と重ねることで描いたのだなということがよくわかった。暴力闘争の維持を選んだ新左翼の暴力は本当に正しいのかという批評と葛藤。
 この段階では、なぜこの作品を今演出家の岩澤哲野氏が選んだのか、まったくわからなかった。時代状況が違いすぎる。シールズであれ、現代の左翼であれ、暴力革命を叫んでいる者などいない時代に。
 後半で、署名人が日和見主義の一般大衆の姿なのではないかと見えてきて、やっとこの作品を今日やる意味を見いだせていった。暴力を否定し、平和を叫びながら、同時に無関心でしかない現在の大衆の姿(もちろん、かつてもだが)。しかも、殺人をあれほど否定していたその署名人が、最終的には殺人を肯定していく部分などは、原発をあれほど支持していたのに、いざ事故が起こったら、鬼の首をとったように政権批判に転じたり、豊洲のことなど無関心でしかなかった者が急に都議批判をしはじめたりする姿そのもの(政治に限らず不倫バッシングとかも)だと思った。過剰に読み込めば、平和を一方で語りながら社会保障は税金の無駄(=障害者は死ねばいい、老人は死ねばいい、生活保護者は死ねばいいなどの考え)と言う者のことにも重なって見える。自分が少しでも楽になるためには、結局否定していたはずの暴力も肯定していくという。そういう意味では、この作品を今日上演する意味を強く感じた。
 アフタートークで、岩澤氏は看守に大きな意味を見出していると言っていた。看守は傍観者でしかなくそれは私たち自身の姿でもあるということだろうが、理屈ではわかるけれど、それを上演から私は感じることができなかった。
 作品を解釈しながら観ると、上で書いたように、とても興味深く観ることができたけれど、すべては観念。感覚的、身体的に、何か切実なものは感じることはなかった。演出家であれ、役者であれ、「この作品を今の時代に上演する意味」を突き詰めて考えられていないからではないか、という気がした。

【蛇足】アフタートークは、岩澤氏と氏が以前から演出助手などで付いている杉原邦生氏との対談。先輩である杉原氏からの公開ダメ出しという感じで、正直、楽屋でやってくれと思った。舞台に上がったら、対等な演出家同士。上も下もない。杉原氏の指摘に対して、きちんとした反論をするか、そんな部分は重要じゃないと突っぱねるかすればよかったと思う。杉原氏の指摘は「その通り」と思うものばかりだったけれど、もっと別のことを考えて岩澤氏は演出していたのではないのか。オール5がとれる演出家なんてプロでもいない。杉原氏にも負けないものを持っていると自負しているから、岩澤氏は自分で演出しているのだと思う。ならば、その点をただ言ってほしかった。ヘコヘコしかできないのなら、身内の先輩など呼ぶべきではないと思う。
荒野のリア

荒野のリア

ティーファクトリー

吉祥寺シアター(東京都)

2016/09/14 (水) ~ 2016/09/19 (月)公演終了

満足度★★★★

リア王の再構築
川村毅氏が古典を再構築する手腕が斬新で面白かった。
ただ、現代の世相と重ね合わせても、さまざまな問題を読み取れる戯曲のはずなのに、この舞台から現代を感じることはなかった。
斬新な再編集がなされ、表現的には鋭利になっているのだが、内容面では矮小化されしてしまっている気がした。私が感じられなかっただけかもしれないけれど。

麿赤児氏の存在感がすごかった。
手塚とおる氏もとてもよかった。

ラストダンス

ラストダンス

国分寺大人倶楽部

シアター711(東京都)

2016/07/06 (水) ~ 2016/07/12 (火)公演終了

満足度★★★★★

・・・
カーテンコールでの河西氏の無言の一礼が印象的だった。

ネタバレBOX

だが、そんな感傷的な部分で、作品を評されたくはないと思うので、手心は加えず、思ったことを記す。

 この脚本をどう捉えるかによって、かなり観方が変わる。
 まず、この作品をリアリズムの観点から見ると、現実感がない。いくら息子の友達と言っても、バイトで雇ったらあそこまで好き放題にはさせられないだろうし、そんな店は経営が成り立たない。無責任な息子が店を継いでからは、実際に経営が傾いていく訳だが、その息子の焦りや苦悩も、実際にその立場になったらあんなもんじゃないだろうと思う。少なくとも、あんなに簡単に店を畳むなんてことにはならない。総じて、映画館の経営という観点から見ると、まったくリアリティがない。恋愛などをテーマに河西氏が作る作品には強烈なリアリティがあるだけに、尚更物足りなく思ってしまう。とは言え、演出や演技においての細部のリアリティへの拘りは凄いものがあり、ギリギリのことろで、もしかしたらこんな店もあるのかもしれないと思えなくもないのだが。
 
 ただ、別の観方もできる。映画館の話はただの器であって、そこに生起する人間関係とそこに流れる空気こそが、この作品の主題とする見方。そういう観点からはとてもよくできている。男女間に潜む力学はいつもながら素晴らしい。ここに流れている無気力、無責任、倦怠感などは、今の若い世代が共通して持っている空気を捉えているようにも思える。そう考えると、これはリアリズムではなく、現実の戯画なのではないかと思えてくる。作中のピカソの話も、このリアリズムと抽象のことを暗に意図しているようにも取れる。この演劇はリアリズムではないのだと。この点は作為か偶然かはわからないが、いずれにせよ、全体の構成は極めて精緻に設計されているので、すべて計算の可能性もある。
 そうは言っても、私が河西氏の作品に興味を持っているのは、強烈なリアリティという部分なので、良い点もたくさんあったが、もの足りない部分もあった。
 ただし、最後にカーテンコールで深々と無言で一礼した河西氏の姿には、本当に心を打たれた。人の人生の大切な一場面を目撃してしまった衝撃というか。氏の今まで背負ってきたものの大きさに想いをはせながら。

 国分寺大人倶楽部の公演を私が観たのは、『ハローワーク』2回と、今公演の
3回だけでしたが、素晴らしい舞台をありがとうございました。

 役者さんたちも、皆、丁寧な芝居で、素晴らしかった。
束芋 x 森下真樹 映像芝居「錆からでた実」

束芋 x 森下真樹 映像芝居「錆からでた実」

映像芝居「錆からでた実」実行委員会

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2016/07/08 (金) ~ 2016/07/10 (日)公演終了

満足度★★★★

束芋の三次元
束芋のインスタレーションが立体化した作品。
そういう見方をすれば面白かったのだと思う。
だから、ファンにとっては素晴らしい作品なのだと思う。

私はファンではなく、現代アート作家がどんな舞台を創るのか、演劇系の人にはできないような世界を創り出してくれるのではないかと過剰に期待してしまったため、もの足りなさが残った。もちろん、映像の使い方などは秀逸だったけれども。

音楽も面白かった。

白痴

白痴

KARAS

KARAS APPARATUS(東京都)

2016/06/21 (火) ~ 2016/06/29 (水)公演終了

満足度★★★★★

揺らぎ続ける身体、存在。
 物語・言葉・意味のある原作をどう踊りで解体するのかと思って観に行ったら、正攻法に原作と向き合っていた。ちょっと残念と思いながらも、正攻法の作品としてはとても素晴らしかった。ムイシキン公爵とナスターシャの揺らぎ続ける身体、その存在。
 また、上演後の挨拶も感動的だった。KARAS APPARATUSをはじめてちょうど3年が過ぎ、植物が光と水によって成長を続けるように、アップデイトダンスを、自分たちのダンスを、日々創ってきたという感慨。そこには観客という存在もあってできることの喜び。それらすべてに対する自負と感謝に満ちていて、本当に素晴らしかった。
 「細胞は毎日新しくなっている、少しづつ。そして200日ですべての細胞は入れ替わり、また新たな生命となる。私たちはそうやって生きている。老人であっても。日々成長し続けている。同様に、アップデイトダンスを続けてきた。」という主旨のことを語った勅使河原氏。本当に素敵な人だと思った。

ロベール・ルパージュ「887」(日本初演)

ロベール・ルパージュ「887」(日本初演)

東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2016/06/23 (木) ~ 2016/06/26 (日)公演終了

満足度★★★★

・・・
私は英語ができないため、ひたすら字幕を追って舞台が終わった。
英語ができる人には素晴らしいのかもしれない。
私の座席が遠かったため細かな演出や演技がわからなかったのも、そんな印象に影響しているかもしれない。

と言っても、作品の問いかけとしても、演劇としても、ラストがとても良かったため、好印象で舞台を観終えた。

新・二都物語

新・二都物語

新宿梁山泊

花園神社(東京都)

2016/06/18 (土) ~ 2016/06/27 (月)公演終了

満足度★★★★★

おもしろかった。
冒頭の演出が圧巻。

ネタバレBOX

 歳を重ねた出演者たちの紹介ドキュメントを、芝居の設定である養老院の役と重ね合わせている。舞台には出演者たちの実際の人生の重みが付加され、なんともいえない厚みを産み出されていた。特に大久保鷹氏は、アドリブなのか演技どおりなのかわからない「役」とのズレが、ドキュメント的演出と呼応して、無性に面白かった。本多一夫氏も、演技力なのか、本人の凄味なのか、強烈な眼力だった。その後の観客に水を浴びせかけるアクションといい、なんというか古き良きアングラ芝居のエネルギーを味わった感じ。
 ただ、後半は普通の「芝居」になってしまったので、少し残念。それはそれで熱演ですばらしいのだが、冒頭がああいう演出だと、どうしてもその後もそういうものを求めてしまう。

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