ゾウガメのソニックライフ 公演情報 ゾウガメのソニックライフ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 2.9
1-12件 / 12件中
  • 満足度★★★★

    演劇でやれることの百貨店
    時間と空間が自在に伸張・収縮、拡大・縮小して、宇宙にも飛んだし、地中深くにももぐりました。自分の細胞の中まで、遠い遠い祖先まで、おのずと想像が広がります。一般¥3500は安すぎると思いました。

    ネタバレBOX

    金属(?)の柱に赤い照明が当たり、劇場全体が赤くなった時、人類が地獄の業火に焼かれているように感じました。
  • 初KAAT
    良い劇場ですね。集中して観ることが出来ました。

  • 満足度★★★★

    次はどこを目指すのか楽しみ
    登場人物は5人。
    物語には1つのカップルが登場するが、誰が「彼」で「彼女」かは特定されず流動的だ。

    話も特にあるわけではなく、何も起こらないと言っていい。


    初めてチェルフィッチュを観たときのような衝撃はなかったが、十分に楽しめた。


    それは幸運にも前週に行われたワークショップに参加できたせいもある。
    岡田氏は、作品の完成形は舞台の上ではなく、観客の脳内でつくられるべきもの、と語っていた。

    そして、それは実際の舞台を観ることで実感できた。

    パンフレットで「レイヤー」というキーワードを使われていたが、役者たちは、言語・仕草・心・無意識・(または無関係)などをそれぞれ担当、表現し、それがレイヤーとなり、観客席に一つの完成した画像を(それも観客一人一人に違った画像を)結ばせたのではないかと感じた。

    ただし、「素晴らしい」と感じたパフォーマンスと、「いま一つイメージが伝わってこない」と感じたパフォーマンスがあったことは残念。


    それから、直接観客に対するアプローチには賛否あるようで、本来は私も好きではないけれど、今回は、観客へイメージを送るための刺激になっていたように思うので「アリ」だと思う。

    ネタバレBOX

    いくつか感想を見せていただいたが、評価がバラバラなのが面白く、素晴らしい。
  • 満足度★★

    正直判らなかった
    「私たちは無傷な別人か」の方向性の作品で、竜安寺みたいな作品ということで、私は「無傷・・・」に竜安寺の石庭のイメージが浮かんでいたので、きっとそういう作品なのだろうと観に行った。
    でも、石庭みたいなイメージはまだ舞台上には存在せず、抽象的なのに生々しいイメージが送り込まれる台詞と常に曖昧さを追及した緊密な俳優たちがいるだけでした。
    激賞している人たちが、有名人の人の中に何人か居て、
    その激賞さ具合に辟易とするところもあった。
    出来立てのワインを喜んでいる人を尻目に、ちょっと熟成が必要なのだろうと考えてしまった。
    そんな事だから、岡田さんにふじみのも観に行きますと言ってしまった。

  • 満足度★★★

    ゾウガメのソニックライフ
    2回見てやっと理解できた。
    確かに身体凄いし、笑わせるところでは、しっかりと笑わせるし、
    非の打ち所が無い。

    でも、ゴダールやジムジャームッシュの映画と同じく、
    誰もが認めるけれども、誰もが観たい芝居ではなくなっている。

    判っていてそうやっているのだから、文句の言いようは無いのだが。

    一度岡田さんの笑いを敷詰めた作品を観てみたい。

    別に笑うために芝居を観に行っているわけではないので、このままでも文句はないのだけれども。

    ネタバレBOX

    トラスの上を指が歩くシーンが好きです。
    ゾウガメの長い寿命をただ見つめているだけの瞬間に思えて。
    2回見て、2回ともに突き刺さってくる光景でした。
    空間的にもKAATの大スタジオよりも此処の方が音が緊密で良かったです。
    KAATも杮落とし公演でなければ、中スタジオでやったほうが良かったのかもしれないなと思いました。
    ゾウ→ゾウの鼻テラス カメ→KAME(KAATのメンバー)
    浦島太郎→ソニックライフ
    と、言葉遊びの三題噺から作られた題名が、舞台上の世界観とがリンクする。
    そこはやはり凄いなあと思いました。

  • 満足度★★

    判断、難しいな。
    昼の部を鑑賞。
    外人さんの姿が10名前後。今後の海外公演の関係者でしょうか。

    本題ですが、演劇として捉えるのか、はたまたアート作品なのか、
    どちらでもない表現形態として考えるのか、
    そのスタンス次第で結果が大きく異なるようです。

    にしても・・・
    ちょっと独創過ぎたように見受けられます。

    ネタバレBOX

    やたらユラユラしたり、カメラ使ったり、
    ステージ上にオブジェや椅子を配置、
    会話という会話はなく一歩的なしゃべり、

    それぞれに意味があるのだという前提で考えてみるのですが
    いまいち理解できませんでした・・・
  • 初見でした。
    自分があまり触れたことのない…触れることを避けていた、防御していた部分の感覚に迫ってくる、そのあたりを掘り起こされてしまうような刺戟を受ける作品でした。身をゆだねてしまうとやばい、連れて行かれる、ここで〈自制〉しなくちゃ、という感覚というか…。

    で、その〈連れて行こう〉とする勢いは強くないので、気楽に〈自制〉することはできてしまうのです。けれど、おい、そんな傍観者でいていいのかい? なんて声が自分の中から出てくるような…そんなことを感じる公演でした。

    ネタバレBOX

    俳優の動作は単純化されています。
    装置は簡素に作られています。
    そのどちらも洗練された結果そうなっているようで
    見ている側の勝手な想像を演技や装置に対して思いこむことができるというか

    素っ気ない言い回しに
    かえって〈ほんと〉の気持ちを押し込めて隠して発語している感じを受け止めたりして
    ある特定のキャラクターを
    複数の役者(=身体)が演じるという仕組みが
    観客の勝手気ままな想像を投射することができるようになっているのかなぁ
    なぁんてそれこそ勝手気ままに想像しました。
  • 満足度

    引きこもりのブログ
    つまらなかった。何にも伝わってこない。
    「あっそうですか」、の連続。
    引きこもりのブログを芝居にしているだけ。

  • 満足度★★

    現代アート
    「フリータイム」以来久々に見ました。
    正直なところ、演出面では「フリータイム」とそれほど変わったという印象はなかったです。
    日常会話風に話される言葉。
    でも、ずっとモノローグの連続で会話はなし。
    セリフを喋る役者さんは身体をゆらしたり、変わったリズムで動かしたり、フラフラさせたり。
    芸術としての演劇と見るとレベルが高いのかもしれませんが、舞台上で起こること全てに興味を持てず、セリフにも全く引きつけられず。
    約90分、眠気との戦いに終始しました。

    チェルフィッチュは演劇ではなく現代アートのパフォーマンスと考えて見に行く心の準備が必要だと感じました。
    「それを見た人がどう感じるか」が大事なようなので、漠然としたものから積極的に意味を考えるのが好きな人にはお奨めします。

    ネタバレBOX

    セットもシンプルと言えばそうなのだけど、単に安っぽく寂しいようにしか見えませんでした。
    「世界的に評価の高い芸術作品を鑑賞しに行きたい」方々向けです。
    演劇に物語や感情の揺れ動きの表現を求める人には、何のこっちゃな舞台でしょう。

    劇団員の山縣太一さんの存在が逆に浮いているように感じられました。唯一人間くさい存在感を出していたからだと思うけど。

    あと、チェルフィッチュは現代の日本の若者の姿を表現しているように言われる事も多いけど、岡田さんはもう若者という歳でもないので、もっと成熟したものを作らないと、段々「岡田さんの頭の中だけに作られた現代日本の若者像」になってきてしまっている気がしました。
  • 満足度★★★★

    レイヤーの妙
    ずれている会話、ずれている心と体、ちぐはぐなカップルたち、えっ?どのカップルがそのカップル? スクリーンに映し出された僕を語る僕がいる。僕が話しかけているのはだれ? あれ?(゚-゚) 少しずつずれている時間と空間。コミュニケーションのずれ。でもすごくフラットな感じがする関係性。←という自分の思いが最後にひとつに組み立て上がり、さっぱりした?スッキリした?感じ 。
    渋谷慶一郎さんのfor maria、さりげないけれど記憶に強く残る素敵な曲でした。

  • 満足度★★★★

    日常的
    チェルフィッチュ特有の文体と身体表現を通して「日常」とそれを抜け出すための手段としての「旅行」について語られる作品でした。ダラダラした雰囲気の中に緊張感があって、集中力を途切れさせない魅力に満ちていました。

    「~ですよね」や「~なんですけど」といった言い回しや間投詞の多用、破綻した文法、妙な間など、リアルな日常会話体の淡々としたモノローグが交互に語られ、複数の人による会話のシーンはほとんどありませんでした。会話も素っ毛ない相槌が多く、現代の若者の人との距離感が的確に表現されていたと思います。

    ビデオカメラで撮った役者の姿をリアルタイムでスクリーンに投影してドキュメンタリー的な効果を出しているだけではなく、終盤には映像と客席の関係が作品の内に取り込まれているのが面白かったです。

    キャスターのついた箱で船や棺桶をイメージさせる詩的な演出は今までにあまり無かった要素で、リアルな言葉と身体の表現の中でとても新鮮に感じました。

    今まで観たことのあるチェルフィッチュの作品の中で一番大きな空間での公演でしたが、空間を埋めようとせず、家具やオブジェがぽつんと配置されたスカスカな感じが印象的でした。照明もドラマチックな演出はないのですが、繊細でありながらざっくりした感じもあって良かったです。

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