青森に落ちてきた男 公演情報 青森に落ちてきた男」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
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  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2016/05/07 (土)

    実際にあった出来事を、わずかに位相を変えて寓話めいた形で描きつつ、その筆致は生々しい。

    敵兵を「鬼」の姿で描くけれど、実際に鬼の所業を行っているのは人間、それも同じムラに住む人々だ。

    欲望や憎しみや見栄や保身やウソ。力尽くで女を襲ったり、権力を嵩にきて人々を死に追いやったり、生体解剖をしようとしたり。

    物語の最後に置かれた70年後の戦争。この舞台の原型となる作品は、戦後70年を迎えた年に上演されている。寓話というには収まりきらない時代への思いが、そこにこめられているのだろう。

  • 満足度★★★★

    柔かさの中にある力強さ
    畑澤聖悟作品、毎回事前知識は皆無で観劇する。たいがい「観る」と決めているのでよほど暇でもなきゃHPを覗く事もなく、まして今回のようにチラシにもお目にかからねば知りようがない。直前に知って慌てて調整し、観劇した。無理して良かった。やっぱりよかった。
    クリスマス禁止法や、(ちゃんと降霊できる)イタコや、原子力ロボットやタイムカプセルなど突飛なアイテムを介在させた芝居が多い。「海峡の7姉妹」に至っては皆「船」役である。だが、見入らせる芝居を作る。現実世界の暗喩、また暗示らしい事が明からさまで、謎解きは開幕から始まっている。今回のアイテムは「鬼」であった。

    戦争を扱った今作が、戦争「遂行」に寄った人物に対して一切、「英雄的」解釈を施す余地を与えず、リアルに、シビアに醜さを抉り出した所に、今回この「演劇」が打ち出そうとしたものを読み取る。今作では「謎」はゆっくりと解かれ、終盤ようやく見えてくるものがあるが、スッキリとまで説明せずに終わる。カタルシス効果はこのテーマにそぐわない、とするのが正常なのだと思う。

    千秋楽は12時開演。これからバラして撤収し、青森での明日からの仕事に備えるのだろう。これで「食ってる」訳ではない人達であり、食う事を目指してるのでも恐らくない。近くの席の青年が気持ちよく笑っていた。そして泣いていた。満席のスズナリで、健全な感覚にふと覚醒される、ナベ源の日。

  • 満足度★★★★

    ”鬼”はそこら中に居る
    当日パンフの作者ご挨拶によれば
    “青森という町の記憶を、「現代」もしくは「未来」の「世界全体」に置き換え、
    より多くの人に伝える”ために作ったという作品。
    1945年7月28日の空襲で青森市はその88%が焼失した。
    同じ年の5月5日には熊本県阿蘇地方にB29が墜落してアメリカ兵11人が
    村人と遭遇している。
    物語はこの2つの歴史的事実をもとに、人は憎しみを超えられるのかというテーマを
    観る人に問いかける。
    ソフトな津軽弁で語る男たちのキャラが生き生きと立ち上がって
    流言飛語や無責任な情報に踊らされる人々がリアルに動き出す。
    出征した夫を待つ妻役の三上晴佳さんの繊細な表現が上手い。
    台詞の無い“鬼畜”である鬼がたった1回高笑いをする場面が強烈な印象を残す。
    青森に落ちて来た男は、全てを見ていたのだ。

    ネタバレBOX

    青森市内の大半を焼き尽くした空襲の翌日、山の中にB29が墜落して
    生き残った“鬼畜米兵”(鈴木シロー)がひとり捕えられる。
    頭には2本の角が生えている。
    ハツコ(三上晴佳)は、舅で獣医のタロウ(長谷川等)の助手をしながら
    出征したタロウの息子で、夫のマサフミの帰りを待っている。
    ハツコの妹ツグミ(夏井澪菜)は知的障害があり、嫁に行ったハツコと共に
    タロウの家で世話になっている。
    “鬼”の処遇をめぐって村の者の意見が対立する中
    オハラショウスケ(工藤良平)が思い通りにならないツグミを死なせてしまう。
    彼はそれを目撃した“鬼”をも突き殺し、「もう1匹鬼が来た」と言いふらす。
    70年後、今度は核兵器の使われる戦争が起こり、青森市は再び攻撃を受ける…。

    角に象徴される“異なる者”への恐怖と差別は、容易に暴力へとエスカレートする。
    少数派の正論はそこでは排除されてしまう。
    例えば北朝鮮が正確に日本へ核兵器を打ち込んで来たら
    日本人は冷静さを保てないだろう。
    日本のあちこちで韓国人も朝鮮人も迫害され、
    彼らをかばう日本人は同じように攻撃されるだろう。
    “鬼”は敵であると同時に身の内にもいる。

    ツグミだけが、角のある“鬼”を「牛だ」と喜んで可愛がる。
    国際法で定められた捕虜の扱いなど無視して残虐な方法で殺せというタロウの幼馴染、
    戦地へ行きたくないばかりに自分の指を傷つけて家に帰って来たオハラショウスケ、
    愛のない結婚をして戦地にいる夫が帰ってこなければいいと思っているハツコ、
    ハツコはまた、妹が殺されても泣けない自分を責めている。
    みな胸の内に“鬼”を棲まわせている。
    夫が戦地で死んだという知らせを受け取ったハツコに
    大学の研究所へ送られる鬼が振り返って、初めて感情を露わにする。
    「良かったな、嬉しいだろ?」と言わんばかりにただ高笑いする鬼が強烈。
    本当の鬼はどっちだ?という場面だ。

    時は流れて70年後の青森で、また冒頭のように市内が爆撃を受けている。
    ヘルパーが車椅子のハツコに昔話として「妹さんはオハラショウスケに殺された、
    捕虜を虐待した罪で死刑になる前ショウスケが告白したんですよね」と語りかける。
    オハラショウスケの告白は、リアルタイムで明らかになるところが見たかった。
    その時のハツコや村の人々の反応を見せて欲しかった。
    また2匹目の“鬼”が出現した意図が私には良く解らなかった。

    “人に記憶があるように町にも記憶がある。それを可視化するのが劇作家の仕事である”
    というこの作者の姿勢に敬意を表すると共に、
    可視化された記憶を自分の記憶にとどめることは観客の仕事であると思う。

    愚かな人間は周期的に「戦争したっていいじゃないか」という政治家を生み出し
    それは目的のない人生を送る人々をたやすく集結させる。
    “鬼”はパイロットなんかではない。
    “鬼”はそこら中にあふれている。




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