裏ねじ 公演情報 裏ねじ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 5.0
1-1件 / 1件中
  • 満足度★★★★★

    踊りとは何か、、、
    踊りとは何か、即興とは何か、ということを深く考えさせられた。
    詳しくはネタバレに。
    素晴らしかった。

    ネタバレBOX

    <以下、私の極めて主観的な感想です。
     解釈を必要としない作品に解釈を持ち込むのは、
     作品の意味を狭め、時に作品を愚弄することにもなりかねないですが、
     忘備録として書きます。>

    ひとりの女とひとりの男。
    時にすれ違い、時に交わる。
    人と人との愛の関係性を2人の踊り手が見事に演じていく。
    感情の豊かな女。あまり感情を表に出さない男。
    この2人の個性の違いは、踊りのスタイルの問題ではない。
    (ちなみに、ジャン・サスポータス氏は元ピナ・バウシュ舞踏団にいた人、森田志保氏はフラメンコ舞踊の人。)
    女は感情豊かと言っても、それを情熱的な踊りとして表現する訳ではない。つねに抑制が効いている。この抑制の効いている点が、二人の踊りの共通点のようでもあった。その沈黙の豊かなこと。静かな部分や一見踊ってなどいないような部分でさえも、常に踊りの中にいる。では女の感情の豊かさとは何か。それは相手に向ける眼差しや所作などだ。それに対して男は常に無表情。その微細なやり取りが本当に素晴らしかった。その抑制が、二人が交わるところで解放され、激しい踊りとなる。それが出会いの喜びを全身で表現しているようでもあり、一人で思い上がって歓喜しているだけようでもある(相手は座っているため)。常に光に対して影が、影に対して光が見えるのがよかった。最終的には四人が交わる部分で、真の融合のようなものもあり、人の一生をふたりの男女を通して走馬燈のように見ているような感覚があった。森田志保氏の踊りでは、そんな描写は一切していないにもかかわらず、日常の家事をやっているような姿さえ、その踊りにダブって見えた(これは私の幻想だ)。もはやこれは「踊り」というカテゴリーではないのではないか。ジャン・サスポータス氏も立っているだけで、ある悲哀を帯びている。
    二人の踊りは存在そのものの提示のようだった。それは踊りのようでいながら音楽のようでもある。4人で音楽を奏でていたのではないか。それは4人で踊りを踊っていたと言い換えてもいい。

    即興と音楽/ダンスのことを考える。即興とは人間がそれぞれに自立した時間を生きているのかどうかということが重要なのだと思う。それは自分の殻に閉じこもり自分だけの時間を生きるのではなく、または他者や環境(流れ)にすべてを委ねて自分を無くすことでもなく、確固とした自分を持ちながら、他者と対話をしていくことなのだろう。
    驚くべきことに、この4人の表現者は、スタイルの違いを越え、ジャンルの違いを越えて、そのような対話を成り立たせていた。
    その点が共通していた。即興とはそういうものなのだな。

    オールラストでは、女がウェディングドレスを着るような場面があった。これは結婚の暗示だろうか。それを見ながら、私は齢を重ねた2人の姿を想っていた。
    本当に素晴らしかった。

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