満足度★★★
ヘッダの悩み、歪み、弱み
ヘッダ・ガーブレル
大好きな戯曲。
特に、エルヴステッド夫人役の岩崎友香さんが魅力的でした。
ヘッダのように派手な華やかさはないエルヴステッド夫人の、聡明さと仕草のたおやかさ、満たされない不幸な女感(?)か絶妙だった。あと、お綺麗だった。笑
ヘッダは非常にエネルギーと迫力があり、人々を引っ掻き回す暴力的なまでのパワーもあった。が、それだけに我儘な女がその報いというか裁きを受けて自殺に追いやられる、嫌な女(悪者)が退治される、という構図に見えてしまわないよう、注意が必要な、ような。ヘッダ役の女優さん、可愛らしいのに、見た目から勝手に予想していたよりも声が低く、絶妙に色っぽかった。ので、個人的には、もう少し、迫力でなく、何故かわからないけれど人を掴んで離さない不思議な魔力的な魅力が欲しかった、かな、と、思った。
男性キャストの俳優のナルシズムが時折ちらりちらりと見られ、折角のいいシーンで集中を折られたなぁと感じる所が数回あったけれど、テスマンのキャラクターが絶妙で観ていてとても心地よかった。
評論家気取りで色々書いてしまったけれど、全体としては、長いのに全く飽きる事なく最後まで観た。役者さんが生きるためにも、この強力なイプセンのテキストに対する演出家の解釈、のようなものがもう少し強くてもよかった。
舞台も、個性的な劇場の形を生かしていて面白かった。特に、テスマンの仕事机ひとつの向きで舞台の正面がぐるりと変わってしまったのには驚いた。
劇場の階段や入り口に小道具が置いてあるなど、小ネタも「あぁ!あれ!」となり楽しかった。
満足度★★★★
とても良い演劇だと思いました。
テスマンは,野心家なのに,その実かなりのマザコン(おばさんべったり)で,発想が幼稚な人間である。妻,ヘッダは,少し屈折した人生観,恋愛観を送って来た妖艶な女だ。著作権的な話は,時代としては先駆的。さらに,同様に,教授ポストをめぐって熾烈なレースがあるのは,いつの時代も変わらない。
この作品は,二度目になる。最初は,ガブラー家に保管されるピストルがきわめて目立った,陰気な話だと思った。ブラック判事は,終始美貌のヘッダをものにしようと企んでいる不愉快な存在だ。一方,エルヴェステード夫人は,一番可憐だが,どこか夢を見ているような,テスマンと合いそうなタイプの人だ。
舞台は,今回も結構狭くて,薄暗い。イプセン劇は,今のところ小劇場ばかりだ。役者を,ほとんど顔を正面から眺めてしまうような瞬間もある。前の席だったから,足を組んでいて,足を絡めて転ばせてしまうのでないか,と前を通るときあわてて足を引っ込めた。臨場感は,満点。役者の息遣いも十分感じられた。
イプセン演劇は,最後ピストル自殺するようなものが多い。その点,暗い。生活の中におこるさまざまな事件・真実を巧妙に描く。だから,この話とほとんど同じことが,職場であったような気がするとか,過去友人関係で体験したものがある,などと思える。実践でも一番役に立ちそうな,そういう演劇だと思う。
劇団員は,結構若くまだまだ不完全なレベルかもしれない。しかし,意欲的に難しいものを,わかり易く完成させていて驚いた。観客もあきずに,じっくり見入っていた。シェークスピアは最近あまり観なくなった。チェーホフも,幾分熱が冷めてしまった。しかし,イプセンは,まだ何度か見たい気がする。未知数な世界だ。
満足度★★★★
ヘッダ・ガーブレル
「誰かの人生に多大なる影響を与えたい」などと思うこと自体が大変な思い上がりだが、主人公のヘッダの苦悩が、とても近い客席にいるにもかかわらず、なかなか伝わって来なくて、残念。
狭い空間を上手く使って、四角いステージの上での上演、お見事でした。客席の数が41,2とは少なすぎですね。
タイトルが「ヘッダ・ガーブレル」だけれど、劇中ではみなさん「ヘッダ・ガブラー」とおっしゃってましたね。
プレゼントチケット、ありがとうございました。
満足度★★★★
少々物足りないが・・・
〔ヘッダ・ガーブレル〕を観劇。
近代劇等の上演といえば、私は、その“戯曲”を演出家なりの解釈や表現を役者が体現した舞台を期待するのだが、
そういった意味では、ほぼ原作通りの感があり少々物足りなさは残った。
だが、芝居のレベルは高く、総じて楽しめた舞台ではあった。
満足度★★★★
稽古の成果!
難しい戯曲を、見応えある舞台に仕上げていた。小さな劇場の使い方も上手かったが、キャパがあれだけではもったいない気もした。ただ、ヘッダの苦悩は生の根源に関わるものだと思っているので、その部分では少々物足りなさを感じた。