毒婦二景「定や、定」「昭和十一年五月十八日の犯罪」 公演情報 毒婦二景「定や、定」「昭和十一年五月十八日の犯罪」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.6
21-28件 / 28件中
  • 満足度★★★★★

    いいオンナだなぁ。
    A・「定や、定」観劇。

    フィクション率45%とのことでしたがその割合がどうなのかを気にするところではなく、とにかく面白かったです。

    2人芝居で黒子2人、ただ黒子なだけでなく要所で弄ったりと、上手いなあと。
    岡田あがささんの阿部定は時に可愛く時に妖しく、いいオンナだなぁと。
    寺十吾さんの正直もいい味でした。

    満席の楽園は年配層の方も多かったですが、皆さん満足されていた様子でした。

  • 満足度★★★★★

    Aプログラム『定や、定』観劇
    阿部定の一生が生き生きと描かれていました。

    ネタバレBOX

    黒子であり、アンサンブル役である二人が加わることで、岡田あがささんと寺十吾(ジツナシサトル)さんの二人芝居が冴え渡っていました。約1時間15分というのもちょうど良かったと思います。

    吉さんが、名古屋の先生や腐れ縁のおじさんとは別腹だと言うのが可笑しかったです。事件はセンセーショナルだったものの、考えてみれば懲役6年の事件に過ぎませんでした。本当に惚れたのが吉さんだけだったとすれば彼女の余生は長過ぎました。最後は失踪していたなんて知りませんでした。

    阿部定本人が出演した劇中劇の後の舞台挨拶はちょっと真面目過ぎてテンションが下がりました。前後の話から吉さんの名誉を守ろうとした気持ちは十分伝わってきたので舞台挨拶は特に無くても良かったのではないかと思いました。

    寺十さんのショボさもあり、岡田さんの魅力が引き立っていました。ただ、色々なアクシデントは良しとして、阿部定が自分の名前を噛むのだけは基本ご法度だと思いました。

    ところで、黒子のお二人がBプログラムに刑事役として登場するらしいのですが、どんな風に二つの話を繋げてくれるのか楽しみです。
  • 満足度★★★★★

    引き締まった舞台
     Bプログラムを拝見。事件の本質を内務省のプロパガンダと見定め、現在も散々行われている大衆操作の為のプロパガンダにこの事件が用いられたと解して、定の生き様と取り調べる側の人間の有り様を浮き彫りにし、黒幕をある仕掛けでおちょくっている点でも面白い。作・演出・演技、舞台作りどれをとっても隙のない舞台だ。(追記2014.6.19)

    ネタバレBOX

     ボーボワールは言った。「女は女に生まれない。女になるのだ」と。だが、今の自分にそんなことは、大したことではない。女は来るものだからである。自分は、女性の意志を大切にするので、自分からゆくことは基本的に無い。来るからお相手するのみである。無論、本能はあるから、女性を嫌いな訳ではないが、社会に縛られている以上、自分から則を越えないという狡さを持っているのだろう。基本的に頭脳戦という側面があるから、会って初めてで電流が流れるような衝撃を受けた女性か、何かのきっかけで本当に愛しているのだと気付かない限り、自分から、チョッカイを掛ける必然性は無い。それだけのことだ。このような生き方をしてきただけに、今作で解釈されたような定の生き方には、共鳴する所がある。男の愛は、満遍なく広いが浅い。これに対して、女の愛は狭くて深い。この差を理解できるような気がするのである。偶々、定は、女のこのような愛を理解し、身も心も付き合って楽しんでくれる男に出会い、心底惚れた。それは、永劫の宇宙の有為転変の中の奇跡としか言いようのない出会いである。だから、性器のみならず、生殖器迄切り取ったのだ。雑草を刈っても根が残れば雑草は再び芽吹き、他者の手に掛かる。彼女は唯一無二の相手にそのように好い加減な愛を認めることはできなかった。だから根こそぎ切り取った。自分と彼との旬にであるが永久の愛の為に。ところで、愛の行為とは何か? 究極の形に於いて完全に相手を独占することではないのか? その一点に永遠を込めることではないのか? もとより我ら幽玄の存在が、真の永遠と競うこと等できようが無い。パラドクサルなレトリックを用いて表現するしかないのだ。その表現の形としては、そして、実践の形としては、沈黙する他無いのだ! その意味で、「言葉にできません」と言う彼女の言い方は正鵠を射ている。他に言いようが無い迄に。今作は、だから命ギリギリで求め会ったことが無い連中には、せいぜい想像することができる話なのである。彼女のセイントな部分までは、到底分かるまい。定を演じたハマカワ フミエにはそれが、見えているからこの役にチャレンジしあのだろう。良い“定”ぶりであった。老刑事を演じた谷仲 恵輔の陰影に富んだ表現の素晴らしさ、偽内務官僚を演じた平山 寛人の集中力、憎まれ役の若手刑事を演じた瀧川 英次も、他の役作りが見たい。総じて脚本の素晴らしさ、演出の的確、演技の深さ、舞台装置や、照明、音響の正確な操作、総体がマッチして、完成度の高い舞台になっている。
  • 満足度★★★★

    Aプログラム
    昨日と2作見比べられまた楽しかった。寺十吾さんと岡田あがささんの迫力っていったらもう、ほんとテンポも良くってポンポンパンッ!!!って感じに愛を哀を相を感じました。

  • 満足度★★★★

    Bプログラム
    そうかそうか、、、面白かった。いや、なんか、どう感想を書いていいのか…。観なきゃわからない面白さがあったのね!はい。

  • 満足度★★★★

    ぶれない定
    Bプログラム『昭和十一年五月十八日の犯罪』 を見ました。
    ないふりをして済まされている(?)ことの多いあの中央の柱にも、趣味の良い装飾が施されており、その芸の細かさは演技にも現れていたと思います。
    ほど良い量の笑いもまぶされ、いつの時代にも通じる批評性がありました。
    エロメール添削赤ペン先生こと瀧川英次のトリクスターぶりに注目。

  • 満足度★★★★★

    毒婦二景というタイトルどおりの双児
    マチネで「定や、定」、ソワレで「昭和十一年五月十八日の犯罪」を観た。「阿部定」という人物に二つの側面から光を当てた作品であった。それぞれが独立した作品でありながら、両方観ることで、第三のイメージもわいてくる。

  • 満足度★★★★

    定や、定
    面白い。75分。

    ネタバレBOX

    阿部定(岡田あがさ)がグレて親類の宇野正直(寺十吾)に預けられる。木彫り職人だったが傷を負い女衒業をしていた宇野のおかげで女になった定は、店や男を転々々とした生活を送る。心底惚れたという男の首を絞めチンポコを切り取った定は一躍時の人となり、出所後も定の名を背負い手記を出し舞台に立ち、好きなように生きる。宇野の晩年、宇野に絞め殺すよういうが断られた定は宇野の前から姿を消す…。

    阿部定自体知らずに観劇したが、見ごたえ十分だった。宇野を演じた寺十の緩急寒暖の効いた演技がよかったし、黒子を使ったユーモラスな演出もいいアクセントだった。通常の阿部定を扱った作品で宇野のポジションに光が当たっていない(当てたら面白い)として造られた作品だからか、定の存在が宇野の存在を立体的にしているように見えた。
    元の定?は知らないけども、独占したいからチンポコ切ったという話もなんとなく説得力があったように思う。不思議と異常という気がしなかった。

    定と宇野の人生の師弟のようなヒモのような親子のような、そんな奇妙な関係性の面白さに惹かれた。あと、舞台上にはいないが、宇野の奥さんのことがいい意味でちょっと気になった。

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