花と魚(第17回劇作家協会新人戯曲賞受賞作品) 公演情報 花と魚(第17回劇作家協会新人戯曲賞受賞作品)」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
21-24件 / 24件中
  • 満足度★★★★★

    素晴らしい
    原発事故のことを扱っている訳ではないが、
    原発事故後に様々な情報に振り回され、その情報を元に2次・3次的に暴力が拡散していったこの国の様と芝居の内容が重なって見えた。

    素晴らしかった。

    役者さんたちの演技も、皆、素晴らしかった。

    本当に力のある劇団なのだと思う。

    <内容について、後日、追記するかも>

    ネタバレBOX

    2011年7月に初演されたものなので、そのような社会状況と重ねて描いた作品なのだろう。初演時を私は観ていないが、おそらく作り手も観客も、渦中でこの作品を作り、観ていたはずだ。

    2013年9月に再演されたこの作品では、(作り手の意志はわからないが、)観客の私には、当時情報に振り回され、様々な暴力に晒されると共に、加担もしていた自分自身の姿をそこに重ね合わせながら観た。


    私が「十七戦地」を観るのは二回目。
    前作『獣のための倫理学』を観て、そのあまりに高い完成度に衝撃を受けた。ただ、ひとつだけ不満に思っていたのは、物語が完成し過ぎているという点だった。脚本・演出の柳井 祥緒氏の構成能力の高さが、逆に、物語をきれいにまとめ過ぎているのではないかと思った。
    だが、この『花と魚』では、物語としての完成度も充分にあるものの、どこかきれいには収まりきれていない質感があった。それは、物語化しきれない(しえない)現実と格闘したからこそ生まれたもののように感じる。この質感こそ、私が前作に足りないと感じていた点だったのだ。
    完成度においては、前作の方が高いと思うが、
    作品が観客に問いかけてくるもの、その強さ、複雑さにおいては、こちらの作品の方が遥かに強い、多様であると感じる。
    前作の完成度で、この問いかけや複雑さを有した作品ができたら、とんでもないことになると思った。次回作が楽しみでならない。
  • 満足度★★

  • 満足度★★★★

    演劇的なSF作品
     最後はかなり性急な感はありますが、核心にじわじわと迫ってゆくストーリー展開の手腕は非常に巧みで素晴らしいと思います。照明、音楽の使い方も場の緊張感を高める上でたいへん効果的であったし、役者さんの力量の高さに加えあてがき的な要素もあったとは思いますが、登場人物と役者さんのイメージがとてもよくマッチしていたのもよかったです。
     ただ、他の舞台を観てもよくあることですが、方言のセリフははっきりとした発声をしないと聞き取りにくいところが出てくるのですが今回もそれがあったのは少し残念。

  • 満足度★★★★★

    これだけ多くの要素をよくぞ纏めた
     2011年初演の今作は、十七戦地の旗揚げ公演、同年12月には第17回劇作家協会新人戯曲賞を受賞した作品の再演である。(ネタバレ一部掲載、追記2013.9.20)

    ネタバレBOX

     2011年初演の今作は、十七戦地の旗揚げ公演、同年12月には第17回劇作家協会新人戯曲賞を受賞した作品の再演である。自分は今回が今作の初見であったが、蛭子伝説を踏まえた神話と都会から見捨てられた地域の繋がりが、神楽とそれを演ずる坐子、女たち。祀られた神と蛭子との神話的因果関係と土地との関係に神話起源と思しき伝承が絡む、謂わば神々をない混ぜた民話の世界に、現在の生活、愛憎、共同体と外部、利害関係、政治、科学的知見が絡む時、人は、どのように行動し、どのように己自身を起てるのかを問うた問題作。
      2011年初演の今作は、十七戦地の旗揚げ公演、同年12月には第17回劇作家協会新人戯曲賞を受賞した作品の再演である。自分は今回が今作の初見であったが、蛭子伝説を踏まえた神話と都会から見捨てられた地域の繋がりが、神楽とそれを演ずる坐子、女たち。祀られた神と蛭子との神話的因果関係と土地との関係に神話起源と思しき伝承が絡む、謂わば神々をない混ぜた民話の世界に、現在の生活、愛憎、共同体と外部、利害関係、政治、科学的知見が絡む時、人は、どのように行動し、どのように己自身を起てるのかを問うた問題作。
     この作品が書かれた経緯を説明しておく。2010年暮れに柳内 祥緖君が着想を得、翌年3.11、3.12を挟んだ2011年7月に脱稿、同年初演、12月には新人戯曲賞に輝いた。震災、F1事故後に日本中が襲われた脱力感は、多くの演劇人をも苛み、苛立ちや諦念、自虐を産みだしていたことを思い出す。
     このような状況下、柳内君は指摘する。その中である演劇人だけは、非難を恐れず敢然と言い放った。「今、演劇にできることは観察すること、記憶すること」と。この発言の前後には、海外に居た蜷川 幸雄が、“この事態を外から見る訳には行かない”と発言、急遽帰国している、とも。折しも東京では、次々とし知識人が脱出していた。それを冷静に観ていた柳内君は、こう結論する。思想とは、事態に対し、どのように反応するのか、そのリアクションのことだ、と。自ら演劇人として、己と同じ世界に暮らす人々の論説、行動に注目しつつ、知識人一般の行動をも射程に収め、同時に自らの立ち位置を定める根拠となる思想的土台にもそのたおやかな感性と知力を傾けている、彼の姿勢にこそ、これだけの作品を書き上げた才能の秘密が隠されているだろう。
     必ず負けると分かっていても、人は抗わなければならない。酒田の発するこの一行が、これら総てを集約する表現となって、かくも多くの、一見、無関係に思われる要素を集約する点でも見事である。
     この酒田の発言「必ず負けると分かっていても抗い続ける」は、柳内君のスタンスにも重なろう。この科白一行に込められたものの意味する所は、限りなく深く美しい。

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