テネシーの女たち 公演情報 テネシーの女たち」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★

    凄い熱量でした
    各役者陣、役が乗り移ってると言うか魂削ってると言うか、凄い熱量でした。
    また、壁に描かれた絵?も今回それぞれの作品のイメージを表してる感じが出ててよかった。よい舞台でした。
    後、タバコを吸うシーンがあるのだが、火を実際に点けず、でも点いてるように感じさせた演出、役者の演技はよかった。

  • 満足度★★★★★

    secret track
    舞台の上に気高く美しいけものがいた。あるいは天使が。ボリス・ヴィアンは『日々の泡』の序文に、〜この世に必要なのは2つだけ。美しい少女との愛、そして音楽、ニューオーリンズ、デューク・エリントンの。他のものなんて必要ない。なぜなら、醜いのだから〜、と書いている。本作の舞台の上には全部乗っかっていた。もちろん醜いものも含めて。けど、ボリス・ヴィアンも納得でしょ。苦笑するのか、苦虫を噛み潰したようになるのかはわからないけれど。なにしろこれがぼくらの生きる世界だ。しかし、この戯曲たちって70余年前に書かれているわけだが。テネシー・ウィリアムズ、スゴすぎ!もちろん、優れた演出、俳優の存在が人の普遍を生身のものとして実体化したことこそ一番に称賛すべきだけれど。と、次作へ向けてのこじつけ、前奏曲、のつもり。あと、やっぱり2つだけでは足りなくて、世界に必要なもの。ぼくには演劇が必要、間違いなく。そう思わせてくれた、最高に豊潤な作品。

    ネタバレBOX

    劇場に入ると、舞台と客席の間に暗幕が張られており舞台は目隠しされている。舞台中央から客席最後方まで花道が設けられていて、花道には2本の線が描かれている。客電が落ちると、花道後方より夜の青空のようなドレスを着た少女が靴を手に提げ裸足で歩いてくる。暗幕を前に膝をつき、幕に空けられた穴から中をじっと覗き込む少女。暗転。暗幕が落ち「テネシー・ワルツ」が流れると、舞台上には女性たち。少女の視線を追いかけるように、ライトが女性たちを照らしていく。再び暗転。
    演じられたのは、テネシー・ウィリアムズの短編戯曲、「風変わりなロマンス」、「バーサよりよろしく」、「話してくれ、雨のように…」、「ロング・グッドバイ」、「財産没収」の5編。ただし、個別に演じられるのはなく、唯一四場(他の作品はすべて一幕もの)ある「風変わりなロマンス」の一場を冒頭に配し、以後の作品にブリッジ的に挟み込む構成。これはキラメキのヒラメキ!「風変わりなロマンス」の作品内の時間経過を自然な流れとして受け入れられる工夫であると同時に、各作品を平行世界のストーリーとして感じる効果を生んでいる。そして、それまでの4編がアパートメントの一室を舞台にしていたのから一転、「財産没収」は町はずれの鉄道。汽笛がなり、花道奥より本編主人公のウィリー(作品冒頭、世界を覗きこんでいた少女と同一)が賑々しく登場。花道に描かれた2本の線は線路を模していたのだけれど、その上を人形片手にフラフラと懸命に歩くバランス感の表現が見事。そしてバランスを崩して倒れこむ動作の躊躇のなさ。その後もクルクルと表情を変え、少女の持つ多面性を天の川かってくらいにみせつけた。軽快な音楽とともにもと来た線路を帰っていく少女。ゆっくり暗転、終幕の拍手とともに再び「テネシー・ワルツ」が流れる。見事な円環。なお、冒頭の少女は一場の間ずっと、上手側2階のキャットウォーク?で、下界の様子を見守っていた。時に身を乗り出し、時にかがみ込みしながら、表情も様々に。もちろん演出だと思うのだけど、ということは。
  • 満足度★★★★★

    5つの短編
    演出家・石丸さち子さんの描く世界の面白味を堪能した舞台でした。

    ネタバレBOX

    とある安宿での住人たちの一こまですが、それぞれは病んでいたり問題があったりの背景もグレーで、そんな薄暗いアパートメントに一瞬だけ光が射す窓の演出がお見事でした。

    登場する役者さんたちの演技力もお見事で、5つのどの場面もソツなく楽しめました。最後の切り札的に登場する清水那保さんの奔放な演技力にも魅了されました。

    観て良かったです。次回公演もますます楽しみです。


  • 満足度★★★★

    個々と束ねられたもの
    全ての作品を知っているわけではありませんでしたが、
    見覚えのあるストーリーもいくつか。

    それらの一つずつが様々に刹那を描き出し、
    一方で他の物語と重なる時間の如くに舞台にあって。

    作品たち一つずつに惹かれつつ、
    一人の作家が描く共通した感覚にも捉えられて。

    少しだけトーンの異なる最後の作品も圧巻でした。

    ネタバレBOX

    開場時舞台は黒い幕で隠されていて。
    2列目の中央に座ると、
    その幕の真ん中に仕立てられた小さなのぞき穴にも気づく。

    客電が落ちると、一人の女性が客席奥から現われ、
    そののぞき穴から舞台を覗き込んで・・・。
    観客もその視点とともに舞台に導かれます。
    黒地に描かれた壁の絵に目を奪われ
    何枚かの絵に見入って、
    その中に積み上げられていくドラマに心を奪われていきます。

    『風変りなロマンス』は主に下手側で
    いくつかのパートに分けて紡がれていきます。
    冒頭の部分が少しだけ硬く感じられましたが、
    やがてシチュエーションがほどけていくと、
    そこにロールたちのルーズな行き場のなさが
    役者たちの絶妙にすれ違う会話の中から
    じわじわと伝わってきます。
    猫の作り方もしたたかで、役者がその所作に
    主人公と宿の女主人双方の見え方を
    しなやかに背負っていて・・・。

    同じ舞台の上手側には
    別のベットがしつらえられて
    女性が眠っている。
    その場の空気は、
    やがて『バーサよりよろしく』として立ち上がりつつ
    『風変りなロマンス』の
    宿屋の一部屋と窓から見える工場の風景にも
    同じ時間の俯瞰を与えて・・

    『バーサよりよろしく』は他でも観たことのある作品でもあり
    舞台の空気にすでに前のシーンからのものがあるので
    物語の肌触りをそのままに受け取ることができて。
    バーサの見るものも、
    まわりの女性たちの彼女との距離もとてもナチュラルなものに思える。
    生きることの残照のようなものが
    二人の女性の風情にさらに際立つ色を与えつつ
    一人の女性への憐憫や同情に留まらない
    生きることの質感となり、深く浸潤される。
    二人の女性のそれぞれの距離感に作りこまれた
    こまやかな揺らぎにも心惹かれ、
    ジャズの場への入り込み方も実に効果的。
    女性たちのその場にあることのリアリティや
    想いの単に情念だけに留まらない、
    どこか軽質で達観にも似た感覚までが
    織り上がっていく。

    『話してくれ、雨のように・・・』は
    2月に観たd’UMOの舞台の素材となった作品で、
    極めて個人的に、
    その圧倒的なデフォルメに切り出されたものの印象が
    今でも強く残っていて。
    で、この舞台に綴られていく世界に取り込まれて、
    やってくるもののベースに変わらない普遍があることに驚く。
    雨音と場の閉塞感から逃れるように
    幻想が虚実の敷居を乗り越えて広がり、
    その先に語らえる褪せ朽ちていく人生の姿に
    淡々と深く行き場のない男女の閉塞の在り様が浮かび上っていく。
    テネシー ウィリアムズの作品の多くに感じる、
    実態のない希望と現実のありようが、
    とてもあからさまに、そして鮮やかに伝わって。

    『ロンググットバイ』は
    兄妹の一歩踏み込んだ実存感やビビッドさに惹かれました。
    その場にあった閉じ込められ感が、
    語られる母親のエピソードとともに
    舫いを解かれ、その在り様を
    くっきりと浮かび上がらせる。
    その家に繫がれた母の、妹の、そして父の想いが
    どうにも軽質で置き場のない滅失感に束ねられ、
    やり場のない、淡く深い想いに観る側を浸して・・・。
    兄妹それぞれの閉塞の色の異なりを
    役者たちがとても丁寧に編み上げていて。
    兄が台詞で語り積み上げていくものも
    妹が刹那ごとに垣間見せるニュアンスの
    一色にとどまらない重なりや揺らぎも実に秀逸。

    『風変りなロマンス』は他の物語を縫うように
    時を進めて、
    それは舞台を短編たちの羅列にとどまらない
    一つのトーンへと縫い上げつつ、
    物語を鮮やかに完結させていく。
    社会の仕掛けを語る男の溢れだすような高揚に凌駕され
    宿屋の女主人から滲みだす業に息を呑み・・・。
    そして、刹那の光を感じたりもする。

    最後の『財産没収』はそれまでの作品とはまた一味違って
    しかも圧巻でした。
    短い作品の中に、一人の女性のある時間というか、
    人生のそのひと時の姿が鮮やかに描き込まれていて。
    演じる女優には、
    ロールの容姿にとどまらず、
    台詞に語られることも、言葉の先にあるものも、
    矜持も、欲望も、 高揚も、不安も、切なさも、達観すらも
    観る側の組み上げる想像力など凌駕して、
    そのままに刻み込む力があって。
    ロールの感じる今も、醒めた人生への俯瞰も、
    歪んだその先にある真っ直ぐさのようなものも・・・、
    言葉のトーンや、表情や、身体の傾げ方や、
    靴の脱ぎ履きの一つずつからすら、
    細微に伝わってくる。
    そこに、異なる現実感を差し入れる男の風情もしっかりと作りこまれ、
    男女の風情に希薄で実存感を伴った立体感が生まれ、
    シーンや会話として、しなやかに成立し、
    人生のある刹那の風景が
    観る側に広がっていく。

    観終わって、一つずつの作品のテイストと、
    それだけにとどまらない、
    どの作品にも折り込まれた
    稀代の劇作家が編み上げる人生の感触のようなものが
    しっかりと残ったことでした。
  • 満足度★★★★★

    うら悲しい
    テネシー・ウィリアムズの五つの短編、構成の仕方が素晴らしかったです。

    ネタバレBOX

    五つの短編を全く別々に演じるのかと思っていましたが、アパートのいくつかの部屋で起きた出来事のように構成するなどして一つの作品にまとめ上げていて素晴らしかったです。ただ、2時間10分という時間を考えると、少し異質な『財産没収』はカットしても良かったのかなとは思いました。

    病気で働けなくなり、いまさら無心もできないであろうに男に手紙を出そうとする女。しかし決して本気じゃないから出したと思い、来てくれると思うくらいを夢想して慰める『バーサよりよろしく』のうら悲しさが好きでした。

    窓から見える赤い工場は印象的でした。ここから得られるお金でこの街の一角は回っているのですが希望が見えません。職にはありつけるものの非正規雇用のような工場労働者の様子を見ると、男にとって家庭を持つまでには至らない今の日本のようにも思えます。

    アパートの女主人の義父の台詞、「工業製品が売れなくなったときに売上を増やすためにどうするか。価格を下げて中流家庭にも販路を広げるようにすると思うか。そんなことはしない。生産を抑制して品不足にして価格を釣り上げるんだ。」、金持ちだけの消費に頼っていると、いずれ大恐慌になります。

    という訳で、時代は大恐慌の直前辺りかなと考えながら見ていましたが、テネシー・ワルツも流れていたし、やはり戦後なのでしょうね。いつの世もお金にはパッとしない人々がいるものです。

    ところで、タバコを吸うシーンであえて細身の巻紙を使うことで、火を付けなくてもタバコを表象することができていました。とても素晴らしい演出であり、心配りだと思いました。
  • 満足度★★★★

    Higher Than The Sun
    舞台上にかかっていた暗幕が落ちて目にした美術がとても素晴らしいもので、そのケイオティックな様子は各戯曲に繋がるものであると同時に、作家であるテネシー・ウィリアムズ自身を表現したものにも感じられました。小屋入りしてこの美術を目にした役者のテンションもさぞ上がったことだろうと想像します。お芝居の方は。初日初回の感想としては、全体的に熱量高いものでしたがまだ戯曲の方が勝っている気がします。まあ、この戯曲たちは短編ながら相当強力なので、さらなる高みへ連れて行っていただきたい、という欲でもあります。

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