F/T12イェリネク三作連続上演 『光のない。』 公演情報 F/T12イェリネク三作連続上演 『光のない。』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
1-5件 / 5件中
  • 20121117
    (^・ェ・^)はいけんしました

  • 満足度★★★★★

    圧倒的表現
    東日本大震災と福島の原発事故に触発されて書かれた戯曲が、独特の台詞回しと動きによる演技と、斬新な音楽・美術・照明で具現化され、圧倒的なクオリティーの舞台となっていました。

    明るいままの客席内を通って登場した5人の役者が執拗に「あなた」、「わたし」、「わたしたち」と繰り返して観客も当事者であることを思わせて始まり、金属製の大きな緞帳が上がり、音楽、原子力、水をモチーフにしたテクストや、3.11以降の不安な日々を思い出させるようなテクストが、会話の形になっていない断片的で詩的な表現で連想ゲームのように続き、最後に緞帳がゆっくりと降りてきて劇場内が暗闇になって終わる、緊張感に満ちた105分間でした。

    イェリネクさんの文体と地点のスタイルの相性がとても良く、様々な声の表現が豊かに展開していました。内容はあまり理解出来なかったにも関わらず、様々な場面で心を揺さぶられるという不思議な感覚がありました。
    役者4人の体に電流を流すことによってを動きを同期させるシーンは、社会とエネルギーの関係を考えさせられました。

    最初から最後まで頭を下にして足の甲から先だけが見えるという、まるで遺体が並ぶ様を思わせる状態で歌った12人の合唱も素晴らしかったです。ヴァイオリンの開放弦の音で構成された曲や、羊(昔は腸がヴァイオリンの弦に使われていました)の鳴き声のように歌う曲によって、登場人物である第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンを暗示させていたのも良かったです。
    羊の鳴き声は立ち入り禁止区域に残された動物達のことも連想させ、何とも言えない気持になりました。

    奥に向かって絞られた形状のセットが斬新で、急勾配の床の上で役者達が並んだり寝たりする姿がとても美しかったです。床ではなく塞がれた天井面に長く伸びた役者の影が、世界が反転したみたいで強く印象に残りました。
    照明器具がどこにも見えないのに多彩な変化を見せる照明や、客席の上空をヘリコプターが飛んでいるように感じさせる立体感のある音響等、スタッフワークも素晴らしかったです。

    表現は前衛的ですが、地震と原発事故を体験した人なら何かしら感じる所のあるであろう作品で、これだけの完成度なのにたった3公演しか行われなかったのが勿体なく、是非とも再演や海外公演を行って欲しく思いました。

  • 満足度★★★★★

    素晴らしい
    役者、言葉、音楽、照明、舞台セット、全てにおいて高クオリティの総合芸術。どこまで原作の戯曲に忠実なのか解らないが原作が欲しくなった。もっと多くの方に観て欲しい演目。

  • 満足度★★★★

    戯曲買った。
    圧倒的。美術と照明、足たちの画だけで満腹以上。私はしんどかった。イェリネクのテキストに地点の演技手法は合ってると思った。

    トークでの三浦基さんの「早すぎるかな」に共感。まだつらい。やはり外国人が書いた戯曲だと感じる。東日本大震災は地震と津波と原発事故が重なった現在進行形の災害。「放射線」というセリフがここまで完成度高く作品化されていることが、つらい。私はまだ、作品として鑑賞はできないのかも。

    トークで十年前の『三人姉妹』に言及。『雌鶏の中のナイフ』、『三人姉妹』をアトリエ春風舎で観た記憶が。あれからもう…。やはり一朝一夕にはいかないってことですよね。これだけの舞台を作るには。

  • 満足度★★★★★

    ちいさな小部屋で観るのも良いけど・・
    こういう大きな劇場で5人の役者を見るのも良いな・・。

    学生時代、フランス語とポーランド語は勉強してみたけれど、
    間に挟まれたドイツ語はちっとも勉強したいと思わなかったけれど、
    ちょっと今後悔中(あくまでちょっとだけ(苦笑

    少しだけでも齧ればよかった(齧るだけなら今からでも遅くないかな・・でも齧るならペルシャ語にしたいかな(苦笑

    たしかにこれは、総合芸術としての地点の集大成かもしれない。
    そして、どんな要素が入ってきても、それらに柔軟に対応できる
    5人の役者陣の到達点かもしれない
    (前回が到達点かと思ったけど、これだけ色々な要素に対応できるのを見ると、まだ先は見えないような(笑

    前衛でありながら、総合芸術で、オペラ。
    ユーモアに溢れながら、内容を考えれば笑うのを少し躊躇する(ドイツ人ならシニカルな笑いを浮かべられるのかもしれないが

    リヒニッツと同じ、福島の大地を汚した日本人の、
    「呪われたドイツ語」(リヒニッツのプレトークで言っていたけど。自分たちの言葉の美しさを硬直的に讃える人は多いが、呪われた有様について美しく語る人は少ない
    と同じ呪われた言語で発声しているからこそ、
    翻訳されてもなお、美しさと呪詛の二重構造がそのままに残されているのだろうな・・(苦笑

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