祈りと怪物 〜ウィルヴィルの三姉妹~ 公演情報 祈りと怪物 〜ウィルヴィルの三姉妹~」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.6
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  • 満足度★★★★

    壮大っっ
    ダークファンタジーもこの位スケールが大きい見ていて気持ちいいなぁ、と浸りました。休憩込みで4時間半も全然平気な内容でした。さすが蜷川演出という感じ、重厚な雰囲気と見応えのある空間でワクワクしました。でも見れなかったKERA演出版の方が、人間くさくて面白かったのではと後悔しても遅いんだよなぁ。

  • 満足度★★★★

    蜷川幸雄って、なんてイヤらしいんだろう(笑)
    いい意味でも悪い意味でもね。

    とにかく、キャラクターをはっきりさせる力とストーリーをわかりやすくする力は凄いと思う。
    それを「いつもの」の手法で見せてしまう。

    ネタバレBOX

    もちろん同じ戯曲を元に行っているのだから、ストーリー自体は、KERAバージョンと同じなのだが、ポイントの絞り方を変えてきた。
    場面展開が、場所や時間が変わるのだけど、それをわかりやすくするために、戯曲のト書きをスクリーンに映し出すという荒技を出して。

    これって、「それをわからせるのが演出の仕事じゃないか」とか、「演出する者にとってはいかがなものか」という声が聞こえてきそうなのだが、やってしまう凄さがある。
    「わかりやすく」するためには手段を選ばないというか、そんな感じだ。凄いよね。

    だから、KERAバージョンでは完全に聞き取れていたかどうかが不明だった、コロスの台詞もすべて字幕で見せてしまうということぐらいは、なんてことはない。
    確かに、長いコロスの台詞だったから、読めたほうがいいな、なんて思ってしまう。

    キャラクターの造形もそうだ。
    それぞれが衣装やメイクの力も借りて、くっきりとわかりやすくなっているのだ。
    だから、ポイントが絞りやすくなってくる。

    KERAバージョンとの大きな違いは、森田剛さん演じるトビーアスが、ぐぐっとクローズアップされ、主人公のごとく前に出てくるところだ。
    KERAバージョンでは正直、トビーアスの陰は薄い。彼の祖母のほうが強烈だということもあるし、演じた役者のカラーのこともある。

    しかし、蜷川バージョンのトビーアスは、KERAバージョンに比べ台詞も増え、見せ場も多い。彼の祖母もKERAバージョンに比べさらに際立っているのだが、それに負けずに立っている。さらにトビーアスといつも一緒にいる、満島真之介さんが演じるパブロも、KERAバージョンに比べるとくっきりしており、前に出てくる。森田剛さん演じるトビーアスはそれを超える。祖母やパブロがくっきりしているから、トビーアスもくっきりしているということもあるだろう。

    染谷将太さん演じるヤンもKERAバージョンのヤンとは全然違う。背中が凍り付くような、恐いヤンだ。何かに取り憑かれたようで、次女との生活も夢見ている感じが見事だった。最初誰が演じているのかわからなかったほど役になり切っていたように見えた。

    「クスリが毒になる」という点も、KERAバージョンよりもはっきりしていたし、メッセージがあったように思った。

    また、蜷川さんの舞台ではよく花が使われるのだが、今回、エイモス家の庭にあるのは、エンジェルストランペット。この花は下を向いて咲き、毒があるという。象徴的な花だ。

    「誰を観に来る客が一番多いのか」を理解しての演出ではないだろうかとも思う。
    よく見るとポスターの写真でも三人姉妹よりもずっと前のほうにいて、大きい。だから見せ場をきちんと作った。
    実際、彼は、「人寄せパンダ」以上の力も魅力もあるから、前に出す価値も十分にあるのだ。
    彼以外のキャスティングもいいと思う。

    森田剛さんは、『金閣寺』でも観たが、いじけキャラ、よく言えばナイーヴキャラがはまり役と言ってもいいだろう。さらに言えば、三姉妹の末娘への接し方の変化、弱い者に強く当たる、という表現が、自分が弱い者だからそうしてしまう、という感じが出ていてよかったのだ。
    5章からぐいぐいくるのだが、彼をクローズアップさせるならば、もっと前からそうして欲しかったと思う。そうすれば、観客ももっと安心して楽しめたのではないだろうか。

    蜷川さんの演出は、ワンパターン。最近のどの作品を観ても、ほとんど同じ技法の焼き回しの感がある。良い悪いは別にして。蜷川カラーがはっきりしている。

    例えば、オリエンタルというかジャポニズムなテイスト。今回で言えば、コロスや町の住民たちの衣装を黒留袖など着物にして、さらに神棚や仏壇を背負わせるなどしていた。
    例えば、本水を使う。
    例えば、舞台に大きくバツの形にテープを貼る。
    例えば、ラストで、舞台の外に出るように劇場の外に通じるドアを開ける。
    例えば、別の舞台でも使った同じ音楽を使う。
    例えば、とにかく客席の通路を数多く行き来させる。
    例えば、セットを動かして出し入れする。
    (今回はなかったけど、スローモーションな動き、特にラストで舞台から去るシーンで多い)
    などなど、挙げただけでも、「いつも」の手法であり、今回も使われた。

    すべてこれらの使い回しであり、必然性がどうとかいうことではないのだ。
    ……「必然性がない」とまでは、もちろん言い切れないけど。

    とにかく「蜷川カラー」なのであり、毎月のように舞台を観に行っている人だけではなく、例えば、森田剛さんだけを観に来たような、普通の観客がびっくりしたり、面白がって欲しいと願っているのだろう。
    彼らが、「面白い」と思ってくれれば、いいわけで、そのためには「わかりやすさ」は大切なキーワードとなる。
    「びっくり」させたいのだろうなぁ、と思う。

    蜷川カラーでグイグイ来る。だから「イヤらしいな」なんて思ってしまう(笑)。それは「凄い」と同義語でもある。
    褒め言葉なのだ。

    だから、蜷川幸雄という人は凄いと思うし、集客もできる。したがって、次々と公演を打てるのだ。これはほかの人がマネをしてもなかなかできることではないだろう。

    今回、観て一番「蜷川幸雄って、イヤらしい人だな」と思ったのは、序幕が開けて1幕目とラストに「心の旅」の曲が流れる。「歌:KERA」と出して。
    この曲はご存じ、チューリップの名曲を、かつてKERAいたバンドの有頂天がカバーしたものの一部だ。

    舞台の最初と最後にこの曲を流して「ここから、ここまでは」「KERAの心(の旅)」の中なのだ、と言っているのだろう。
    戯曲に対する蜷川幸雄さんのメッセージではないか、と思ったわけだ。
    なんとイヤらしい人なんだろう(笑)。

    ついでに曲で言えば、「ブラザーサン・シスタームーン」が印象に残った。

    KERAバージョンは、どことなくユーモアがあった。パスカルズの音楽がそれをうまく盛り立てていたと思う。例えば、ドン・ガラスを演じる生瀬さんは、ユーモアを含んだ余裕があった。人の幅というか、上に立つ者の怖さというか。対する蜷川バージョンにはそれは感じられず、全体的にどこか生々しい。

    だから、KERAバージョンでは、結構笑いが起こっていた。KERAバージョンで笑いが起こっていたのに、蜷川バージョンでは、観客がクスリともしない場面もあった。

    この違いが舞台の印象を大きく分けたと言ってもよく、それが2人の演出の違いだろう。

    この企画、面白かった。

    ただし、次回同企画を行うときは、上演時間4時間超は勘弁してほしい。長くても2時間以内でお願いしたいところだ。
  • 満足度★★★

    パンドラの鐘
    を思い出した。野田vs蜷川 ケラvs蜷川 次は誰がくるのだろう?演出が違えば、世界が変わるは当たり前。そうでなくては、何も楽しめない。こういう企画は面白い。しかし、ながら、4時間超は長い。

  • 満足度★★★

    順番
    もし、蜷川演出が先でケラ演出がその後だったら、、、と仮定したとき、まぁこういう演出はしなかっただろうなぁ、、、等と勝手に思ってしまう。
    やはり世間に送り出す順番が後、というのは非常にハードルの高い不利なのだろう。舞台装置、構成が当然カブるのは避けるし、選択肢が限られるわけなので。

    だとしたら、ケラが後だったら?どういう演出だったろうか?興味がある。この企画、続けてくれないかなぁー

    ネタバレBOX

    個人的な印象になるが(当たり前か)、ところどころのシーンでのインパクトが弱かったのが気になる。墓地での先生を恫喝し町を去るように追い詰めるシーン、電気拷問のシーン、など。わざと?
  • 満足度★★★

    演出って大事なんだな
    世界の蜷川w!!演出に見慣れている分、血みどろ感が強くても、死に方があっさりし過ぎのような印象もあったが、大して気になる事もなく、すぐに納得。
    しかし出演人物は同じなのに、役の印象は全く違って見える。
    簡素化された背景も終盤のステージ上は余白の美みたいなのを想像し、次第にステージ上に吸い込まれるような感覚だった。
    蜷川版は初見だけど話の構成はケラ版と同じなので、そのためか今回の登場人物の心理描写等が理解出来やすかったのも。
    メメさんとパキオテのシーンは、ケラ版の方が好きかな。
    ドン・ガラスの灰汁の強さはどちらの配役も甲乙つけ難く、カッサンドラの野乃すみ花さん、初見だけど印象に残る。

    ネタバレBOX

    冒頭のコロス、こまどり姉妹を含めたラップト書き、ステージ背景の全面鏡、上からシャンデリア、降ってくる人(人形)、大雨、搬入口から退場で幕、等、今まで蜷川演出ではおなじみのシーンが多々見られ、御大自身による御大演出の壮大なパロディみたいだった。
    2階から見たが、大石さんの腹筋はもしやボディメイクだったのかな?いずれにせよ、身体が引き締まって見えて素晴らしかった。
    ケラ版だったら、クールさと奔放な行動が似合っているような三姉妹で主に長女が舵取り、執事のヤルゲンも実直、冷酷、ペラーヨも革命家として信念が感じられたが、蜷川版だったら、情熱的だが品の良さも加わった三姉妹で次女が舵を取り、ヤルゲンは忠実な太鼓持ちっぽいおじさん、ペラーヨはちょっと陰気で意志の弱さのような性格の印象。
    トビーアスの森田さんは宮本亜門版の金閣寺で演じた吃音の青年を彷彿したが、ナイーブな青年が狂気の顔つきに徐々に変化していく長台詞の場面は見応えあった。
    最後のおばあちゃんの姿も惹き付けられました。
  • 満足度★★

    壮大を装った作り話
    アルジェリアのテロでの犠牲者のニュースなどを見ていると、殊更、この壮大そうな作り話が、空虚に感じられて仕方ありませんでした。

    正直言って、脚本にも演出にも、何も魅力を感じることはできませんでしたが、ただ役者さんは、それぞれ、魅力的で、構成もしっかりとはしているので、4時間20分の観劇そのものは苦痛ではありませんでしたが。

    古谷さんが、お元気そうでほっとしたり、伊藤蘭さんと大石さんの執事夫婦の演技が素晴らしく、印象に残りました。

    ケラさんの演出は観ていませんが、蜷川さんの、またそれか?の物が落下したり、雨を降らせたり、最後の劇場機構を逆手に取った演出は、あまり必要性を感じず、ゲンナリ。

    コロスのラップも、無理やり感いっぱいで、逆効果だった気がします。

    ネタバレBOX

    どうも先に企画ありきで、ケラさんが、熟考して、愛情を籠めて作品を生み出した気配があまり感じられない戯曲だったように感じられてなりませんでした。

    ダークな「わが街」風だったり、「三人姉妹」風だったり、ギリシャ悲劇風だったり、ありとあらゆる調味料を混在させ過ぎて、味が雑になってしまった気がします。

    これだけの登場人物を使って、何を描きたいのか、軸が見えないし、わざわざこんな作り話を新たに生み出さなくても、この面々で、シェークスピアや南北を上演してくれた方が、ずっと見ごたえある舞台になったのではと、この作品の上演それ自体に、意義を感じられませんでした。

    でも、キャストは、端役に至るまで、適材適所で、本当に、演技を堪能させて頂けたのは幸いでした。

    一番不可解だったのは、ヤンの服装が、密航してきた時のままだったこと。何故?何か、理由があるのでしょうか?

    主演の森田さんを初め、若い役者さんの好演が光る舞台でした。
  • 満足度★★★★

    二度観
    舞台は「なまもの」と感じました。先週観た時とはまた違ってる。どちらも2F席からだったので、出来れば1F席で観たかったです。顔の表情まではさすがに2F席からは…。

  • 満足度★★★★★

    壮大な作り話
    二度の休憩を入れて4時間20分、壮大なオペラを観終わったような感覚になりました。

    ネタバレBOX

    時は、ユダヤ人ではないのですが、ある民族が収容所送りされるくらいに迫害されている頃。人々の宗教は、ナチスの鉤十字を二つ、45度ずらして重ね合わせたマークで、キリスト教っぽいセペタ教。場所は、そういうことでヨーロッパ大陸と覚しき大陸沿いの島。

    人殺しが許されているような権力者一家を中心に、様々な恋愛ドラマを描きながら、白痴だけど本当の超能力者が絡んで住民や町が衰退していく様子を描いた物語。

    突拍子もなく三姉妹が石像になるなんて、全身も顔も真っ白く塗られた大勢の人が登場したオペラを思い出し、石像に殺されるドン・ジョヴァンニのようでもあり、全体としてもまさにオペラそのものでした。

    超能力者の魔法で死んだ子供が見えるようになった夫婦は、今度は成長した見えない子供の家庭内暴力に苦しめられます。黄泉の国からは戻してはいけないという古典のようでもありました。

    双子の妹が孫が死んだ後もネズミを食ってでも生に執着していたという逸話は物語の最後を象徴しています。この醜悪なシーンこそ描くべきだと思いました。

    ただ、長時間とにかく暑かったのが苦痛でした。
  • 満足度★★★★

    ケレン味に満ちた演出
    ケラさんの演出が物語の世界に没入させる統一感のあるものだったのに対して、蜷川さんの演出は舞台の構造や機構を活用して演劇の虚構性を強調する趣向を多く盛り込んで観客を現実に戻しつつ、感情の高まるシーンでは一気に盛り上げるダイナミックなものとなっていてました。

    中央部が1段上がっているだけのシンプルな舞台にシーン毎に椅子やテーブル等と奥の壁を入れ換えて進行し、スムーズにシーンが展開して行くのが気持ち良かったです。

    蜷川さんが今までの作品で何度も使っているケレン味の効いた手法が多く使われていて既視感がありましたが、物語の内容に合っていて効果的でした。

    コロスがギリシャ悲劇のそれとは全く異なるヴィジュアルと台詞回しになっていてインパクトがありましたが、そうした必然性が感じられず、ただ奇をてらっただけにしか見えず残念でした。

    同じ戯曲でも演出によって登場人物の性格付けが異なり、同じ台詞でも笑わせようとしてたっりしてなかったりで、演出によって全然異なる作品に仕上がっているのが興味深かったです。

  • 満足度★★★★

    立ち見でしたが
    引いて観れたのでそれほど苦にはならず。
    なんか蜷川さんの作品で見させていただいた演出を全てつぎ込む、そんな構成でした。

    ネタバレBOX

    KERAさんとは違って映像はない舞台の転換、ラストはこの劇場ならではでしょうか。
  • 満足度★★★★

    蜷川演出!!
    コロスの使い方とか面白い!!舞台美術は蜷川さんしていました。これはこれでありだし、すごい!それぞれがイイ!!一つの脚本で二つの演出。どうしても比べて観てしまいましたが…。4時間20分魅せてくれました。

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